第126話
漠然とした不安だけがあった。
このままでいいのだろうか。
このままで魔物を殺しきることができるのだろうか。
俺がそれを深く感じたのは、魔物襲来まで残り一年と少しと差し迫った時。討伐隊の基地を視察にしに行ったときだった。
討伐隊隊長であるエクセルは女王の来訪に笑顔を作っていた。
「マリー女王陛下。ご来訪ありがとうございます。お待ちしていましたよ」
「進捗はどう?」
「ええ。十全ですね」
そう言いながら案内してくれた討伐隊基地は、以前とは様変わりしていた。
魔の森に向かって大きな塀が広範囲に立ち上がり、それが二層存在していた。触ってみたがビクともしないつくりで、簡単には越えられなくなっている。
塀の内側、少し後方には居住地が出来上がっていた。百にも至るほどの建屋が軒を連ねていて、隊員の家族だろうか、女性と子供が戯れているのも見えた。
「魔物との戯れも長丁場になると危惧しましたので、こちらに人が住めるようにいたしました。私の家族もこちらに移り住んでいます。王都との道も舗装が進んでおり、物資の行き交いも盛んです」
それは一つの街だった。
店で声を張り上げている商人の一人には見覚えがあった。行商人として討伐隊基地と王都とを往復していた人だった。彼はここで自分の店を持つことができたようだ。
一つの街が新規に立ち上がることにはリスクが伴う。しかし、うまく根付くことができればリターンも大きい。王都の中心街にある店の中には人が住みだした時から存在する老舗もある。彼らの店も将来はそうなる可能性もあるのだ。
誰もが野心と希望を持てる街。
名前もまだない討伐基地は、エクセルが鼻を高くするのもわかるくらいには立派に仕上がっていた。
「そうね。よくやってくれたわ。ここを一つの街、拠点として、魔物を叩くわよ」
魔の森付近にここまで大規模な拠点を設けることは今までなかった。
理由は単純。魔物の近くに居住地を置いてもどうせ荒されるだけ。新しい住処を持ちたいと願った人々の思いは、成就することはなかった。
今回変わったのは、マリーが王になって討伐隊という組織に力を入れたこと。騎士団員にも参加を募り、魔物を討伐することに対して褒章を出して一つの職にした。
魔の森付近に基地と付随して居住地を設けることは当初は反対された。しかし、実力を有する人間が多く警備に回るということで安全面が担保されると、むしろ好意的に受け止められた。
魔物の被害はほとんどなく、今から移り住めば第一住民として実権を握ることができる。そういった打算もあって、それなりの数の人がここにやってきた。
隊長であるエクセルも同じ。彼はここで疑似的な王となっている。王都から遠く離れたこの場所で、実権を握る立場となったのだ。
野望を叶えたわけだ。
別にそれは構わない。
魔物さえどうにかしてくれれば、王にでもなんでもなってくれ。
「この街の繁栄が魔物への対抗手段となるでしょう。王都や他の街からもう少し人を招き入れたいのですが、問題はありますか?」
「構わないわ。管理できる範囲で大きくして」
「……豪胆ですなあ。王都よりも住みやすくしてしまうかもしれませんよ」
したり顔。
とってくってやる、そんな際限ない野心が透けて見える。
でも、ここでそれが進言できる以上、彼は信頼できる。
「それの何がいけないの。人の生活が向上するのは望ましいことじゃない。王都から人がこちらに出ていってしまうというのなら、魅力のなくなった王都にこそ問題があるわ。そうなったら、王都に住みたいと思わせるように、今度はこっちを参考すればいいしね」
「はっは。これは一本とられましたな。確かに。自分が上にいるために他を抑制するというのは小心にも程がある。抜かれたら抜き返せばいいのです。互いに互いを高め合う関係こそが理想」
エクセルはマリーの傍に侍る俺を見遣った。
「どこかの小僧にでも吹聴されましたか?」
「口だけはうまいからね。参考にさせてもらったの」
「では、私も貴方の政治を参考にさせていただきましょう。部下の意見を良く聞くことが大切だと教えていただきましたので」
「どうぞご勝手に」
マリーは肩を竦めた。
なんとなく、俺っぽい動きだった。
住宅街を抜けて、次に案内されたのは、塀の外側。人の背丈ほどもある塀を抜けると、魔の森を臨める場所に来る。
マリーは背伸びをして、塀の上から景色を見ようとする。
「この塀高すぎない? 戦況が見えないわよ。状況がわからなくて混乱しない?」
「物見櫓があるので、指示はそこから出します。人の目線くらいの高さでは、やつらは跳躍して乗り越えてしまいますので」
「そう。対策があるのならいいわ」
魔の森の出入り口付近で、紅蓮の隊服に身を包んだ隊員が複数人巡回しているのが見えた。
しかし、中に入ろうとはしていなかった。
俺は口を開く。
「あれ以上森の中には入らないんですか?」
「あくまでこちらは防衛に兵を割いている。王都を含めた人間の世界を守ることが必要だからな。今回攻撃は考えていない。出てくるところさえ抑え込めば問題はないだろう?」
「今までで魔物が一度に現れた最大数はいくらですか?」
「四十だ。初動は巡回していた討伐隊員が十二名。その後、応援にかけつけた隊員が十五名で対応した。怪我人は出たが、死者はゼロ。怪我人もすでに復帰している。実質被害はゼロだ。どうだ?」
エクセルは自慢するといった様子ではなく、確認するように聞いてきた。
この練度で問題ないかの確認だ。
答えとするのならば、足りない。
二十七人で四十の魔物を相手にした。それも、死者はゼロ。戦果としては誇っていい。従来の価値観なら問題ないのだが、実数を知っている俺からすると、物足りない。
討伐隊は結成した。
拠点も十全に作り上げた。
マリー女王の下、国民の意識はまとまった。
マーガレットの予言を聞いて、士気も上がってきている。
やれることは全部やれた。ほとんど理想通りに事を運ぶことができた。
だが、何かが足りないのだ。
魔物が現れた時、その多さに恐れおののいて逃げ惑う姿が予見できた。
「……物足りないって顔だな。しかし、これ以上やれることはない。まさかとは思うが、魔の森の中に突っ込めと言うのか。そうなれば、流石に死者が出る。ここまで士気高くやれていた討伐隊にヒビが入るぞ。ビビって逃げ出すやつも出てきて、頭数が足りなくなる」
「それはわかります」
俺だって打開策があればすでに口に出している。
誰も殺さないように魔物を退ける。その手段が思い当たらないから、口を閉ざすしかない。
「……魔の森の中に拠点を設けることは可能ですか?」
今まで黙っていたアイビーが口を開いた。
エクセルは顔をそちらに向けて答えてくれる。
「森の中に? 不可能に近い。理由はさっき言った通り、危険だからだ。ここなら一方向だけを構えていればいい。しかし、魔の森の中に入ってしまえば、全方向が索敵範囲だ。魔物を排除して、樹を切り倒して道を作って、拠点となる建屋を作って、それを保守する――とてもじゃないが、現実性に欠けるな」
それができていたら、魔物が出てくる害悪な魔の森はすでに解体されている。
この広大な森の中で人は無力だから、遊ばせておくしかない現状。
アイビーはここまで言われても引き下がらなかった。
「それでも確認させてください。実現可能性の話です。危険性を無視すれば、できなくはないですか? 建築関係の人もここにはいますよね」
「できるかどうかでいえば、できる。何百人、何千人もの犠牲を払えばな。その際に下がる士気、頭数の減少、残された人の嘆き――それらを考えれば、選ぶような策じゃない。嬢ちゃんが本気なのはわかるが、俺たちだってすでに本気なのさ。わかってくれ」
エクセルは大人だった。
思案するアイビーに笑いかける。
「嬢ちゃんが霊装使いだからどうって話じゃないぜ。人には限界がある。できることとできないことをしっかりと仕分けることが長生きの秘訣なんだ。俺は部下に死ねとは命令できない。だから、できないんだよ」
「わかりました。ありがとうございます」
アイビーは深く頭を下げて、身を引いた。
彼女も俺と同じだ。
俺と同じで、現状では何かが足りないことを理解している。
そりゃそうか。アイビーが誰よりもこの事象について詳しい。
俺が訝しがる以上に彼女が怪しいと思えば、誰が言うよりも怪しい。
「……」
エクセルとマリーが会話を再開した後も、アイビーは黙って魔の森を見つめ続けていた。
◇
夜中、仄かに光の灯る王都の景色を眺めながら。
マリーが寝静まったのを確認して、俺はベランダに出てアイビーに盃を向けた。
彼女も何を話したいのかがわかっているようで、その盃を受け取る。夜風に当たりながら、俺とアイビーは酒を飲み交わした。
「ようやくここまで来れた。今まで色々とあったな。おまえが聖女であることを明らかにして、マリーを女王にして、討伐隊を結成した。魔物に対する準備は着実に進んでいった」
「うん。過去を見ても、ここまで魔物に対してしっかりとした対策が打てたことなんかなかった。魔の森近くに街ができるなんて、すごいよね。マリーは人の前に立つのに向いているよ。天職だ」
「ああ。マーガレットの予言もうまく広めることができて、スカビオサも仲間に引き入れられている。全員が同じ方向を向いて、事に当たることができている。これ以上ない状況だ」
「うん。リンクのおかげだね。ごめんね。結局、全部おんぶにだっこになっちゃって。私がもっと色々とできれば良かったんだけど」
「おまえもよくやってる。俺は最後の一押しを担っただけだよ。むしろ良いところだけをもらっちゃって申し訳ないな。ここまで情報を集め続けたのはおまえだし、スカビオサとマーガレットが脱落しなかったのもおまえのおかげだよ。ぎりぎりの中、よく頑張ったな」
アイビーは柔和に微笑んだ。
「そう言ってくれると救われるよ。何よりも、リンクに言われるのが嬉しい。ありがとう」
表面をなぞるような会話だった。
本質は遠い。
こんな慰め合いは俺たちには必要ないというのに。
少し、怖いな。
俺もアイビーも、同じことを思っている。
でも、口に出したらそれが真実になることがわかっていて、蓋をしておきたいんだ。
息を吐く。
そうも言ってられないよな。
俺たちはもう、本質を話し合える仲になっている。アイビーは聖女なのだ。この世界を救うことが彼女の悲願で、それ以上もそれ以下もない。
見たくもない事実だって、見つめないといけない。
「足りないか?」
一言聞くと、アイビーは頷いた。
「足りない。このままじゃ人類は全滅する」
「そうか……」
酒を煽る。
それなりに度数の高い酒だったが、とても酔えるようには思えなかった。
「何が足りない?」
「足りないものはそう多くないよ。リンクはよくやってくれた。さっき話した通り、土壌はしっかりと積み上げられたもんね。討伐隊を結成して、拠点を設営して、予言によって情報を事前に周知して。足りないのはあと一歩だと思うんだ」
人があらゆる準備をした後に、後一歩進むために必要なもの。
ロープを身体に巻きつけて、下が安全であることを確認して、切れない素材であることを理解して、そこから。一歩踏み出すのには何が要る?
「覚悟が足りない」
準備は行った。
それはエクセルが言っていたように、”誰もが無事な”ための準備だ。魔の森から”出てきた”魔物だけを排除し、できるだけ犠牲者を減らすための措置。今の考えでは、一かゼロ。全員で魔物を殺しきるか、誰もが魔物に食い殺されるか、どちらかしかあり得ない。
「まだ魔物の怖さの本質を理解している人は私たち以外にはいない。しょうがないけどね。でも、現実にはたかだか数十匹を殺したくらいで得られる経験はないんだよ。本番はその百倍が一気に押し寄せてくるんだから」
聞けば聞くほど絶望的だな。
一対一なら安全に魔物を殺せます。そんな報告に意味はないんだ。欲しいのは、腕の一本を失ってでも、百匹を殺しましたという狂気。人類のために四肢を差し出すような献身。
そんなもの、普通の生活で得られるわけがない。
このままで、手に入れられるものじゃない。
「隣で同僚が殺された時、同僚の死体なんかじゃなくて殺した魔物を見てほしい。一人でも多く人を救う前に、一匹でも多く魔物を殺してほしい。言ってて酷いとも思うけれど、それくらい切迫した地獄が待ってるんだ」
「わかってるさ。……いや、違うな。俺も本心ではわかってなかったのかもしれない。わかったつもりで満足していたのかもしれない。だからここまでそれから目を逸らしていたんだ」
色々と言い訳をつけて。
色々と綺麗ごとを並べて。
俺は結局、それを見ようともしていなかった。赤い血で培われた轍。俺が魔王にたどり着いた時、何人死んだと思ってる。俺の友人たちの誰が生きていたっていうんだ。そんな世界を目の前にして、誰も死なないで世界を救うなんて、ありえない。
「俺たちにも覚悟が足りてなかったな。甘さが抜け切れていない。もっと徹底的にやる必要がある」
「どうする? もう一度やり直す?」
「それこそ、阿呆らしい。同じようになんかできないさ。俺もそうだし、おまえも、スカビオサも、マーガレットも、今回のようには動けないだろう。今が全員の出せる全力で、これ以上はない。
それに一度でも満点を目指してしまえば、それ以外では満足できなくなる。一人死んだだけで何度もやり直すなんて、馬鹿のやることだ」
「うん。私も同じ考え。辛いけど、そうなんだよ。目的を達成するためには、手段は選んではいられない。そういう段階はもうとっくの昔に通り過ぎたんだ。だからここで終わらせないといけない」
アイビーは目を細めた。
宵闇に沈んだ王都を、眩しいものでも見るかのように。
「ありがとう、リンク。後は私がやる。今までありがとうね。ここまでしてくれたら、後は私一人でなんとかなるよ。なんとか、するよ」
「それもまた、甘い覚悟なんじゃないのか」
アイビーがしようとしていることはわかっている。
スカビオサとマーガレットにやったこと。同じことを、今度は全国民にやろうとしている。
血と痛みと憎しみをまき散らして、許されざる憎悪を伴って、人類すべての魔王になるつもりなのだ。そして最終的には魔の森へと逃げ込む。憎しみに狂った狂戦士たちは魔の森で奮闘を続けるだろう。
じゃあ、もっと早くにそうしていればいい。前回だって、魔の森の奥で待つよりも国民を煽っていれば良かった。
アイビーにはそれを選択できなかった理由があった。もしくは、すでに選択して失敗しているのかもしれない。
「成功しないよ、それは。おまえ一人でそれをやったところで、全国民を相手どれるわけもない。スカビオサでもマーガレットでも四聖剣でも、どこかで誰かに殺されて終わりだ。一人の女の子でできることじゃない」
「……」
アイビーは何も言わなかった。
彼女が魔王であることを宣言しても、やれることは多くない。一人で全国民の憎しみを受けることは、物理的に不可能だ。今のアイビーはほとんど戦闘力がない。魔物を引きつれる手段すらないのに。
「いやだ……」
アイビーは頭を抱えた。
くぐもった声は、嗚咽交じりだった。
「なんでわたしはなにもできないの。聖女なのに。人類を救わないといけないのに。私がやらないといけないのに。なのに――いつだって人に頼って、お願いして……」
「聖女の力はただの記憶だろう? それを使って人をうまく操れってことだ。つまり、おまえのやり方は何も間違っちゃいない。これは聖女一人ではなく、人間全体で乗り越えるための課題なんだよ。もっと他を頼れ」
俺は空となったグラスをテーブルの上に置いた。
「俺も動く」
アイビーは動かなかった。
これしか方法はない。俺という、スカビオサにもマーガレットにも対応できる存在。生きたまま魔の森まで逃げ込める力を持っている。そして、マリーの護衛としてある程度顔が売れているから、国民のヘイトも買いやすい。
ある程度事が進むまで状況を操作できて、突発的な戦闘にも対応できて、正体を現したときに衝撃を与えられるのは、俺が適役だ。
「……いやだっていったじゃん」
涙を流すアイビーは俺のことを見なかった。
「リンクはこの世界で生きるべきだよ。だって、大切な人がいっぱいいるんでしょう。ここがかけがいのない場所だってわかったんでしょう。だったら、ここにいて。人間の側に立っていて。残された人が悲しむよ」
「言ってなかったか。俺はおまえのことも好きなんだ。おまえのいない世界にも価値がない」
「私は死ぬよ。魔の森で、魔物の中で死ぬ」
「駄目だ。そうなったらハナズオウが次の聖女になって、実質死んでしまう。レドも今のハナズオウも悲しむだろ。おまえは死ぬことも許されない。だからもう、おまえには選択肢はないんだ。俺を使え」
「……逆じゃん。私が頼まないといけないのに」
ぼろぼろと零れる雫。
「そもそも俺が勇者だのなんだのと言うのが間違ってる。悪役として死ぬ方が、”俺らしい”」
そうだ、俺らしいんだ。
俺はきっと、こうする人間なんだ。
ああ。
俺は、そこにいたのか。
なんだ、何もない人間なんかじゃないじゃないか。
思わず笑ってしまった。
これが、俺だ。
「……少しだけ、考えさせて。もう少し、方法がないか考えてみる」
「それじゃ遅い。もう俺は覚悟を決めたぞ」
アイビーの頬を掴んで、瞳を合わせる。
アイビーの目は一度離れて、こちらに戻ってきた。
「なんで……そんな顔できるの」
「俺を見つけたからだ」
「……」
俺のやるべきことを。
俺だけが、できることを。
それが俺の、夢なんだ。
アイビーは俺が首肯以外を認めないとわかると、諦めたように目を落とした。
「ごめんね、リンク。
――人類のために、私と一緒に死んでください」
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