第147話



 ◆



 黒の曲芸団を見つけた。

 うち二人はもうすでに仮面を外して、素顔を晒していた。

 彼らの来た方からは、大きな歓声が上がっている。先ほどまであった悲鳴から一転していた。


 それを聞いて、見て。

 手遅れを悟った。


「待って!」


 それでも、声をかけた。

 五つの足音が止まる。

 アイビーとリンクが振り返る。


「私も、連れて行って」


 シレネは絞り出すような声で懇願した。


 返ってくる言葉なんかわかっている。

 リンクはおまえは四聖剣だ。国民を守る義務がある。とでも言うのだろう。


「おまえは四聖剣だろ。国民を守る義務がある」


 ほら。

 知ってるの。

 わかってるの。

 でも、最後の一歩が、納得できない。


「そんなこと、わかっていますわ。貴方の計画では、私はこちら側にいなくてはいけないことも。私の役目は四聖剣として民の前に立って、彼らを先導すること。そして誰よりも多く魔物を殺すこと」

「わかってるじゃないか」

「わかっていますわ。でも、理解と納得はまったく違うものなのです」


 理屈はわかる。こうした方が一番いい。

 民を扇動し、魔物の脅威を伝える。危機感を与え、当事者意識をもたせる。対岸の火事ではなく、自分の近くの話だと理解させる。そうして、人間全員で魔物に立ち向かう。


 黒の曲芸団としての活動の意味は、理解できる。

 でも、私を抜いたことは、納得できない。


「私は、

 私は、

 私は、……優秀でしょう? 傍に置いておきたくなる女でしょう? 貴方の計画に、必要な、便利な女でしょう? 連れていった方がいいですわ」


 もっと言葉はあったはず。

 でも、出てこなかった。

 リンクを納得させるだけの理屈を、持ち合わせてはいなかった。


「シレネ。わかってるだろ」

「置いていかないでよぉ……。なんで、なんで……貴方が傍にいない未来に意味なんかないのに」


 民衆に顔を見せたということは、もう戻らないということ。この国で顔を見せて生きることを諦めたということ。


 つまり、彼は死ぬつもりなのだ。

 私を置いて。


「……別に置いていくとかそういう話じゃない。おまえはこの国に必要なんだよ」

「じゃあなんでレドさん、ライ、ハナズオウは連れていくんですか。アイビーも。なんで私は置いていくのに、連れていく人がいるのですか」

「連れていく必要がやつを連れていくんだ。全員が全員望んでいるわけじゃない。可哀想なやつらだよ」

「可哀想なんかじゃない! 私はそっちにいたい」


 最初からわかってる。

 彼はもう決めているんだ。

 だから私が何を言ったって変わらない。赤ん坊のように喚き散らしたって、彼はこんこんと話すだけで気持ちを変えない。


 わかっている、けど。

 わかりたくは、ないの。


「好きなんです。一緒にいるのなら、地獄でもいい。どこでもいい。死んでもいい。離れる方が死ぬよりも苦しいのに、なんで貴方はわかってくれないの」


 リンクは困ったように笑って、シレネのことを見つめた。


「……俺はこの世界が好きなんだよ。なんで好きかっていうと、おまえがいるからだ。救った先の世界でおまえがいないのなら、それは意味がない」

「アイビーさんは。死んでもいいんですか?」

「そもそもなんで俺が死ぬ前提で話が進んでるんだ? 俺はアイビーもこいつらも殺すつもりはないぜ」

「嘘つき。嘘つき。嘘つき。生きて帰るつもりなら、仮面は外さない」


「……敵は明確な方がいいからな。俺もアイビーも、マリーの近くにいて顔は売れてるし。より深く恨んでもらうためだ」

「この国に貴方の居場所はもうない。それでも、生きていくのですか? 一人で山奥で生きるとでも? そんな生に意味があるとでも? 誰よりも人間が好きな貴方が選ぶべき道じゃない」

「俺は別に人間なんか好きじゃない。ただ、好きな人間がいるだけなんだ」


 また、言葉遊び。

 私の声は届かない。

 最初からわかってただろう。自分が彼の立場なら、こんな縋りつくような女の言葉は聞かない。


 シレネは顔をこすった。

 少しだけ、視界が開けた。


「……私が貴方を殺させない」

「うん?」

「貴方のシレネは優秀なのです。私は貴方のようになりたい。苦しんでいて自分ではどうすることもできない時に、手を差し伸べてあげられる人になりたい」


 自分を救ってくれた貴方のように。

 だからきっと、ここで泣き叫ぶような女の子は、私のなりたい姿ではない。


 だからシレネは、笑った。

 泣きながら、笑った。


「いってらっしゃい」


 さよならは言わない。

 だって彼が死ぬことはありえないから。

 この私が、絶対に阻止するから。


 アイビーと目が合った。

 彼女とは仲が良いというわけではない。二人でいる時に話が弾むというわけでもない。けれど考え方は似ている。彼女の思考は理解できる。


 その目は語っていた。

 この時ばかりはアイビーが彼の近くにいることが頼もしかった。


 リンクは大きくため息を吐いた。


「やっぱりおまえのことが好きだ」

「今更遅いですわ」

「言わなかったのは悪かった。感情的なところがあることもわかっていたからな。でも、こっちに残ってほしいって気持ちもわかるだろ。おまえがいるといないでは全く変わってくる」

「許しません」

「じゃあどうすればいいんだ」

「わかっているでしょう」


 ここでさよならなんて言ったら、ぶっ殺してやる。

 そんな思いを込めて睨みつけた。


 リンクは笑って、


「行ってくるわ」


 片手を挙げて、何の気負いもなく去っていった。

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