第141話
◆
「皆さん、落ち着いてください! これはまだ私の予言の範疇にはありません。予言などなくても皆さんの力で乗り越えられるものなのです!」
マーガレットは魔物と逃げ惑う人の中にあって声を張り上げる。
”この人生”で魔物を見るのは何度目だろうか。過去からの合計で言えば数え切れないが、今回だってすでに数えるのも面倒くさくなっている。
霊装フレイムヘイズを手に乗せる。
水晶の形をした霊装で、能力は発火。水晶から火焔を生み出して、意のままに操ることができる。
これは最終兵器。結局、最後の最後で頼れるのは自分だけ。自分が死なないためにと温めておいた力だった。
もうそんなことを言っている余裕もない。
魔物が民間人に牙を剥く。それは許されない。一瞬で炎に包んだ。
「神の裁きですよ」
その場でのたうち回った魔物は、しだいに動きを緩慢にしていき、腐臭を発するだけの燃え滓となった。
「あ、ありがとうございます。聖女様」
「いえ。当然のことをしたまでです。早く逃げてください」
御礼を言って、民間人は去っていく。その背中が安全なところまで行ったのを見送った。
マーガレットは霊装をしまい込むと、息をついた。
――なんでこんなことになってるんだ。
魔物は止まない。
被害は収まらない。
世間では自分の予言が外れたと思われていないのが救いか。これはあくまで予言の前座だと受け止められたことで、反感を買うことなく逆に危機感を煽ることができている。
魔物は人類の敵だとして、国民の意志は固まり始めている。予言を行って人類を救おうとしている自分の求心力も高まっている。
少し満足げに鼻を鳴らした。
「そう、私は聖女なのです。私がこの世界を救うのです」
どうして一年も早く魔物が襲ってきたのかは判然としないが、こちらに都合の良いように事が運んでいる。誰かの陰謀だとしたら、その誰かさんは選択を間違えた。人間を試すような襲撃など挟む意味もないのに。
この災害を乗り越えて、私は聖女として歴史に名を刻む。
「マーガレット様。こちらにいらっしゃいましたか」
通りを歩くマーガレットに、彼女の護衛団に所属するカストールが並ぶ。
「首尾は? 問題はないですか?」
「はい。今回の襲撃は対処完了。怪我人は一人で、すでに病院に向かっています。死者は出ませんでした。魔物は一か所に集めています。全部で十五匹でした」
「上々ですね。魔物については私が向かって燃やしましょう。神の怒りだとでも言って燃やせば、もっと民衆を煽ることができるでしょう」
「素晴らしい。流石、マーガレット様です。貴方のおかげで人類は救われる。貴方が聖女であるから、人類は魔物と渡り合えているのです」
「でしょう」
――もっと褒めてもいいんですよ。
鼻が高い。
事実、自分は頑張っている。今まで生きてきて、一番頑張っている。すっごい頑張ってる。
民衆に届く言葉を考えて徹夜もしたし、リンクやマリーと何度も打ち合わせをして政策を考えている。今だって聖女自ら出張って市民を救出しているのだ。
私はすごい。
魔王の意図で閉じ込められているだけだが、本当に聖女なのかもしれない。
歴史に残る御伽噺。そこに名を残す存在なのかもしれない。
そう。英雄は大変な時こそ輝くものなのだから。
「んっふっふ」
場所が場所なので、鼻歌は憚られた。中途半端な笑い声は誰にも届かず気中に溶けた。
二人で通りを歩いていく。
魔物の残党がいたら厄介なので、人の少ない裏路地をあえて進んでいった。
聖女として、逃げ遅れた人間に手を差し伸べることも必要。
しばらく歩いていくと、何やら話し声が聞こえてきた。
男女の言い争い。痴話げんかのようにも聞こえる。
魔物が出たこんなところでよくやるなあと呆れながらも、マーガレットはそちらに足を向けた。
「そこにいる方々。ここは先ほどまで魔物がいたところですよ。うち漏らしがあったかもしれないので、安全だとは言い切れません。早く避難してください」
ああ、私、聖女してる。
人助けに一人で気持ちよくなっているマーガレットの視界に、黒色が映る。
全身黒ずくめで、仮面をつけた二人組。
マーガレットとカストールを含めた二対二の組み合わせは、互いを見つめると、数秒間固まった。
……。
「マーガレット様、黒の曲芸団です!」
最初に動いたのカストールだった。手甲の霊装を装着すると、その能力で一瞬にして彼らと距離を詰める。
「――」
黒色が息を飲んだところに、拳の一撃。
しかし、敵はその場で身体を捻って躱していた。たたらを踏んだ後、そのままの勢いで背を向けて逃げ出した。もう一人も続く。
「待ちなさい!」
マーガレットは後を追うが、逃げる二人の足は早かった。
カストールが能力を駆使しながら、彼らに肉薄する。
「ジャグラー! 追いつかれる!」
「前にもあったな、こういうの」
女性の焦燥に対して、ジャグラーと呼ばれた男は動じていない。腰から険を引き抜くと、牽制のために振り降ろした。
「カストール! あいつら、報告にあったテイマーとジャグラーです! 絶対に捕まえてください!」
「任せてください、マーガレット様」
カストールは拳を振り上げるが、ジャグラーの剣に上手く踏み込めない。
「テイマー。使え」
「え。いいんですか? 見られてしまいますけど」
「もういいんだってよ。そう聞いてる」
「でも」
「捕まらないことが優先だ。それに、いつかは終わることだ」
「……そうでしたね」
テイマーの方は息を吐く。
何かを惜しがるように、寂しがるように、上空を見上げる。数秒間静止して、”それ”を取り出した。
赤い羽根。
吹けば飛ぶような小さな羽根が、細い指に挟められていた。
「”転送”」
テイマーが羽根を振って、言葉を吐く。
すると、虚空より魔物が姿を現した。駆けてきたわけでも、降り立ったわけでもない。この場所に”落とし込まれた”かのように、三匹の魔物が現れて、立ちふさがる。
魔物は眼前のマーガレットたちを見据えると、殺意を剥き出しに唸りを上げる。
「貴方が――」
マーガレットは目を剥いた。
どうして魔物がこんなところに発生していたのか。魔の森だけで生まれているはずの存在が、討伐隊の包囲網を突破してもいないのにここに現れていた理由。
あれは霊装だ。人間が霊装を使って、ここに呼び寄せていたのだ。
人災。
すべて、人の手によるものだったのだ。
「――下劣なッ!」
マーガレットの脳を支配したのは、絶対的な憤慨だった。
水晶を手に取ると、眼前の魔物を一度に焼き払う。一切手加減のない業火によって、魔物は口を開く前に炎に包まれた。したばたと足掻いて、やがて動かなくなる。
一瞬の掃討。
ジャグラーとテイマーにとっても予想外だったようで、一歩たじろいでいた。
「こいつ、こんなにやるやつだったのか……」
「私を名ばかりの聖女だと侮らないでください。前世では魔物を千は屠りました。美人で綺麗で聡明なだけではないのです」
「力だけはあるようだな。そんなおまえでも――いや、何でもない。テイマー、そのまま続けろ」
ジャグラーの言葉に従って、テイマーは再び羽根を振る。今度は十匹の魔物が姿を見せた。
けれどマーガレットにとってはそれは数の内には入らない。出てくる場所が変わらないのなら、そこに炎を置いておくだけ。いかな存在でも、登場と同時に炎に飲み込まれてしまえば、対処のしようはない。
再びの一掃。
マーガレットは鼻を鳴らした。
「もういいですか? 貴方たちを捕まえて突き出す。それでこの騒動に決着です。貴方たちは死刑以外ありえない。断頭台の上で後悔するといいです」
カストールが一歩足を踏み出した。
テイマーは一歩足を後退させた。
「……ジャグラー。どうします?」
「やり合う手段はあるんだが、使っていいかわからん。こいつに俺のが見られているかどうか忘れた」
「なんで忘れるんですか。でもそういうところが――」
「茶番は終わりです」
カストールが駆けて、テイマーの眼前に立った。
拳を振り下ろそうとするところに、
「手を挙げて!」
何が飛来してくる。
促されるままにテイマーが挙げた手を掴む手があった。
細い棒状の何かに乗った黒づくめの存在がテイマーの手を握りしめると、そのまま一緒に上空へと飛んでいってしまう。
「待っ――」
マーガレットとカストールが空を見上げている間に、「ナイスだウィッチ」ジャグラーも背を向けて走り出す。
当然、残ったジャグラーだけでも捕まえたい。
ジャグラーの後を追いかけるマーガレットとカストール。
少しの追いかけっこの後、カストールが足を踏み込んだところで、ウィッチと呼ばれた人間が帰ってきた。そこにテイマーの姿はない。
宙に浮きながら、ジャグラーに近づいていった。
「使いどころが違うわよ。まだテイマーの力は見せるべきじゃなかったんじゃない?」
「もういいだろ。そう言われたぞ」
「ならいいんだけど」
ウィッチと呼ばれているのは女性のようだった。
鈴の鳴るような高い声を発した後、ジャグラーの手を取って飛んでいく。
「じゃあね、聖女サマ」
マーガレットは炎を放ったが、それはもう届かないところにあった。カストールの能力も、足場がないところには使用できない。
「尻尾は掴みましたからね」
あれはきっと霊装だ。
人間が霊装の力で、ここまで魔物を呼んでいたんだ。
誰が?
どちらにせよ、自分の知る”魔王”に話を聞かないといけないだろう。
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