第140話
◆
シレネ・アロンダイトは騎士団員として、王都の巡回任務に当たっていた。
今日の担当は深夜。
最近の襲撃は昼夜を問わない。被害を最小限に抑え即座に対応するために、力を有する者は全員駆り出されての総力戦となっていた。
同時に、どこまでかかるのかわからない消耗戦でもあった。終わりの見えない戦いは参加する人間を徒に消耗させていく。
中核に関わる人物を一人だけでも捕らえることができれば、王の霊装によって組織構造を吐かせて終わるのに、なかなかそこまで至らない。捕まえたと思ったら何も知らない素人だったりする。彼らはウルフという者に金銭で雇われただけの一般人だった。
アステラの報告によって発覚した、黒の曲芸団の幹部。コードネームで呼ばれている彼らを捕まえること。それが現状を脱却するための至上命題だった。
マリーからもリンクからも『一人捕まえられれば』と同じことを言われて巡回すること幾夜。
今、ようやく該当する人物を向かい合うことができた。
「長かったですわ。ようやく、見つけました。私のところにやってきてくれましたのね。偶然に感謝しなくては」
石畳の上。通り沿い。
この出会いは偶然。シレネが街を巡回していると、橙色の光が見えた。追っていくと眼前の人物が建物に火を点けようとしている最中だったのだ。
報告に聞いていた通り、黒い外套に真っ白な仮面。
誰が誰だかわからない人物は、低い声を出した。
「おまえ、シレネか。シレネ・アロンダイト。四聖剣の一角」
「ご存じで。博識ですわね」
「ビッグネームだ。知らないわけがない。なんでこんなところにいる」
「巡回中ですわ。どこにいたっておかしくはないでしょうに」
男は忌々し気に舌打ちをする。
「なんでここに……。これは俺に運があるのかないのか、どっちなんだろうな。おまえとは絶対に戦うなって言われてるんだけどなあ。なあ、逃がしてくれる気はあるか?」
「微塵もありませんわ」
「だよな。逃げられそうもない。……しょうがねえな」
フードを被った男は、好戦的な声を発する。居住まいを正して、シレネに身体を向ける。
シレネは首を傾げた。
「私と戦うななんて、誰がそれを?」
「教えねえよ。こっちは秘密主義なんだ」
「では、貴方のお名前だけでも教えていただけますか?」
「美人に聞かれちゃ、教えねえわけにはいかねえな。俺様はアクロバット。黒の曲芸団の、アクロバットだ。そう名乗れと言われてる」
「誰に?」
「教えねえって言ってんだろ。同じこと言わせんな。雇い主の意向には従わないとな」
「そうですか」
シレネは言及しなかったが、会話の中ですでにいくつかの情報を掴んだ。
――なるほど、彼らをまとめている人物がいるということですか。
これは特定の人物の意向によって成り立っている嫌がらせ。
この男だって、雇われているとすれば人物像にもいくつか候補が上がる。現状、最近姿をくらませているウルフという人物が一番近いだろうか。
彼がウルフだとしたら、雇い主はピエロと名乗る人物?
「まあどちらにせよなんにせよ、どうでもいいことですわ」
この人物を捕らえてしまえば、それで終わり。
全情報を吐かせて、真犯人の居場所を特定して、捕縛。騒動を終わらせる。
「どちらにせよ、穏便には済まなさそうですわね」
「済ませてくれんのか?」
「ないですわ」
シレネは一歩足を踏み出す。
彼女の一歩とは、一般人の思い描く一歩ではない。二人の間の距離をすべて失わせる、”詰める”一歩だった。
虚空より現れた剣を掴み、構える。
「街中を引きずりまわしてその身体に聞くことにしましょう」
「過激だねえ」
横なぎの一閃。
闇夜に溶ける黒い剣閃を、アクロバットは転がって避けた。シレネはそこで終わらせるつもりはない。二振り目をすぐに振り下ろす。
「戦うなって言われてんだけどな。これはしょうがねえよな」
自分に言い聞かせるように。
シレネの剣に迷いはなかった。腕の一本くらいなら容赦なく落とす。生きて証言台の前に引きずりだせばいい。そんな無慈悲さがある以上、アクロバットは戦わないという選択肢を捨てられなかった。
金属音。
アクロバットの右手が、シレネの剣を受けていた。
彼の手にはかぎ爪のついた手甲が装着されている。
「霊装ですか――」
「戦うなって指示は、あんたの場合は絶対に勝てないからってことだった。――だけど俺様が勝てるってんなら、戦ってもいいよなあ!」
両手に装着されたかぎ爪の霊装を広げる。獣の様に背を丸めて、両足で跳躍。男はシレネにとびかかっていった。
シレネは爪の連撃を受ける。
金属音が重なっていく。
五本の指が首を狙ってくるのを、彼女は冷静に捌いていく。
しかし、単純計算、相手の刃物は両指分、十本あった。時折、剣の隙間から弾き漏らした爪が向かってくる。刃物の数、物量に差がある以上、受けに回っていたのでは押し切られる。ジリ貧。
流石に受けきれないと感じた頃、シレネは自身の霊装の能力を起動する。
「破天!」
衝撃波が生まれ、アクロバットの身体を弾き飛ばす。全力で前かがみに攻撃してきた彼は、不意の衝撃が頭になかったようだ。受け身もなく素直に、その腹部で衝撃波を受け止める。
彼の身体は住宅にぶつかり、本人はうめき声を上げた。
「う、ぐ……」
「泣き言は牢屋でどうぞ」
シレネは容赦するつもりがなかった。自身の剣の二つ目の能力を発動する。
離天。アロンダイトは所有者を裏切り、敵対者の手元へ。「ああ?」困惑するアクロバットの爪と爪の間に挟まる黒剣。そして、剣は更に裏切りを重ねる。手にした人間へと牙を剥く。
「破天」
どん、という大きな音は、アクロバットの身体が建物に再度激突した音だった。彼の手からアロンダイトが転げ落ちる。
声もなく、アクロバットはその場に崩れ落ちた。
シレネは浮気性な剣を自身の手に戻して、男に近づいていった。
「さて、貴方は色々と知っていそうですね。”名前”がありますもの。他の何も知らずに雇われた人たちとは振る舞いが違います。そこらへんを教えて頂ければ幸いでございますわ」
「……美人には棘があるというが、おまえにはとびっきりの棘があるな」
「お褒めに預かり、光栄です」
アクロバットは起き上がろうとしているが、苦戦しているようだった。身体は脳の言う事を聞いてくれず、震える足は大地を踏みしめるには至らない。
「二回も私の攻撃を受けたのです。むしろ五体満足であることを喜んでほしいですわ」
「これはやっべえ……」
「洗いざらい吐いてもらいますからね」
シレネとアクロバットとの距離が縮まる。
胸倉を掴んで引きずって、王城へと持っていこう。マリーとリンクの王冠の力で真実を吐かせて、雇い主を摘発して、終わり。
不明瞭な戦いの終焉。
そしてアクロバットまで後一歩というタイミングで、シレネは足を引いた。
彼を助ける様な、飛来物。
あと一歩進んでいたら、上空から飛来した短剣に刺しぬかれていた。
「馬鹿が。こいつとは戦うなと言っただろうが」
第三者の乱入。
それも、アクロバットよりも数段できる男。立ち振る舞いでそれは理解できた。
乱入した男は短剣の後に地面に降り立ち、二人の間に立った。
「……悪い」
「まあ、出会ってしまったのが運の尽きだったな。逃げ切れるものでもない」
「要注意人物の動向はおまえに聞いていた通りだと思ってたんだ。こいつがここにいるなんて知らなかった」
「そう噛みつくな。おまえを騙したつもりはない。本来ならこの通りを歩くこともなかった」
シレネは微笑んだ。
「こっちの方が匂ったもので」
笑顔の裏で、納得する。
――なるほど。だから今まで私と彼らは出会わなかったのか。
自分だけ、いや、正確には四聖剣クラスの人間が、彼らと出会う事が今までになかった。実力のある人間が意図的に避けられている。リンクもレドも会ったことがないと言っていたし、明確に線引きがされているのかもしれない。
夜の街中だ、偶然の可能性も捨てきれないと思っていたが、やはり強敵は省くよう意図されたものだったのか。
敵は内部に通じている。
こちらの戦力を詳細に把握し、各隊員の巡回ルートを知れる人物。
予定していた巡回ルートを破って良かったと満足する。そのおかげで、犯人の名前を挙げられそうだ。
「貴方も現行犯逮捕ですわ。女王様の前で、全部吐かせてあげますからね」
「後は俺がやる」
くぐもった声は、仮面ゆえか。
後から現れた男はアクロバットにそう告げると、シレネに身体の向きを合わせた。
「貴方の名前をお聞きしても?」
「……ピエロ。黒い曲芸団に属する、哀しき道化師さ」
シレネは目を見開いた。
こいつが、ピエロ。
ウルフと接触した、現状の黒幕。アクロバットに指示していることからも、彼が雇い主、真犯人であることに疑いはない。
最優先で確保しないといけない。
「確かに哀しい存在ですわねえ。そんな下らない組織に身を置いてしまって。それなりに実力はありそうなのに、誠に残念ですわ」
「おい、さっさと行け。俺がやるって言ってるだろ」
ピエロの言う事にアクロバットは素直に従った。
よろよろと立ち上がって、覚束ない足取りで路地裏へと消えていく。
シレネはアロンダイトを手放してでも追撃しようかと思ったが、その判断はしなかった。
眼前の男は間違いなくその隙を突いてくる。
まだ剣を交えてもいないのに、確信を持つことができた。この戦いでは一瞬の油断が命取りとなる。
舌を打ちそうになった。
なんでこんなやつがこんな変な組織に関わっているんだ。
「かかってこい四聖剣。あいつが逃げ切るまで、戯れに遊んでやる」
「芸達者にご鞭撻願えるなんて、光栄ですわ」
ピエロは腰から剣を引き抜いた。
この男は霊装を使うわけではないらしい。
シレネは駆け出して、剣を振るう。受け止められる。また剣を振り下ろす。また、受けられる。幾度かの金属音の後、ただの剣術では分が悪いことを悟った。防御に回ったこの男の牙城は硬い。このままでは時間が無為に過ぎるだけ。
しかし、自分は剣術に誇りを持っているわけではない。勝利にこそ、誇りを持っている。
綺麗な敗北よりも、泥臭い勝利を選ぶ。
そう、学んで来たのだ。
「破天」
刃と刃とがぶつかり合った瞬間、シレネはアロンダイトの能力を起動した。衝撃波が生まれて、眼前の男の身体が吹き飛ぶ。さっきのアクロバットと同様に壁に激突して戦闘不能になる――はずだった。
衝撃波が発される直前、ピエロは身を引くと衝撃の威力を低減した。それでも吹き飛んだ身体だったが、その場で半回転、壁に背中からではなく足から着地した。
「……は?」
ばねの要領で壁を蹴り、ピエロの身体が跳ねた。そのまま振り下ろされる剣。シレネは逆に勢いのついた一撃を受ける。黒剣は一際大きい音を発した。
みし、と身体から音が鳴った。
「能力に頼りすぎだな。おまえの能力は披露会で目にした。対策を考えておくのは当然だ」
「……だとしても、良くタイミングを合わせられましたね」
「ここしかないだろう。読める。対人戦は苦手かい?」
シレネの額を汗が垂れる。
攻防が一変する。
先ほど一撃を皮きりに、ピエロからの剣戟が止まらない。上から横から下から、変幻自在に剣が飛んでくる。
なんとか受けきって、一歩後退。かと思いきや、追撃。息をつく暇もない。
こうも激しく斬りかかられては、離天も使えない。剣を手放すなんて論外。破天も先ほどと同じようになる可能性が高い。なら、まずは周りに壁がないところに誘導して破天を打てば地面に転がすことができ――
シレネの逡巡の隙間を縫って、ナイフが投擲される。
それを身体を捻って躱すも、バランスが崩れる。横なぎの一振りを受けて、自分の方が地面の上を転がることになった。
「――四聖剣といえど、こんなものか。脆弱に過ぎる。やはり人類は死滅に値する」
仁王立ちするピエロ。
ふさけた名前とは真逆な、しっかりとした実力を有していた。
――勝てる?
過るは哀しい自問自答。
今まで生きてきてここまで勝敗に不安になったのは、これで二度目だった。
「さて、アクロバットは逃げ切れたかな。俺もそろそろお暇することにしよう」
シレネは自らアロンダイトを手放した。それはピエロの手元に移る。
――弾けろ!
全力で衝撃波を発生させる。
しかして、ピエロはシレネの行動がわかっていたかのように、即座にアロンダイトを手放して、その場で跳躍した。アロンダイトの衝撃は、下から上へ。彼を上空へと押し上げる。
建物よりも高く飛び上がった彼の身体は一回転した後、そのまま何の不自由もなく建物の屋根の上に乗っかった。
「ああ、逃げる手助けをしてくれたのか。ありがたい」
「――なん、で」
「読めるといっただろう。その剣の力を把握すれば、どこで何をするべきかはおのずとわかる。必要なのはその上を行くことだ。四聖剣の霊装に、立場に、胡坐をかくな」
そのまま屋根を駆ける音がする。
ピエロの姿は見えなくなった。
シレネは少し茫然とした後、我に返り、走って王城へと向かった。
夜であったが、マリーの執務室の灯りは落ちていなかった。そこにはマリーとリンクが書類を整理している姿があった。
シレネの登場に、リンクとマリー、二人して顔を上げる。
「どうした、シレネ。こんな夜更けに」
「こんな時間に仕事してる私たちも私たちだけどね……。で、どうしたの? 酷い顔してるわ。本当にどうしたの?」
「……いえ、何も」
シレネは目の前にあった光景にひどく安堵した。
同時に、自分が名も知らぬ存在に負けた実感に襲われて、激しく後悔した。
断ってから近くにあった水差しから水を飲み込む。喉はひどく乾いていたようで、体中に染みわたるようだった。
「何もないって顔じゃないだろ。もったいぶらないで早く言ってくれ」
「いえ、失礼しました。何かはありましたわ。黒の曲芸団の名前持ちと会いましたの」
マリーの目が細められた。
「誰。今まで報告にあった、ジャグラーとテイマー?」
「いえ、アクロバットとピエロを名乗っていました。二人とも男性です。アクロバットの方はかぎ爪の霊装を保有していました」
「霊装使いもいるの? でも、霊装使いなら使い手が誰か照会できるわね。学園に通っていれば、だけど」
こういった時に学園に通っていたかの有無は大きい。国の管理下に置かれ、霊装と使い手はしっかりと紐づけられる。誰にも言わずに隠し持っていた力であればその限りではないのだが。
しかし、シレネはそっちはどうでもいいと思っていた。
「で、もう一人は? ピエロって言ったっけ?」
「ピエロの方は……」
「何?」
「いえ、とても強かったですわ。霊装を使っていなかったのに、私が手も足も出ませんでした」
「……はあ? シレネが手も足も出ないの? どういうことよ。そんなやつがいるの?」
シレネは何も言わなかった。これ以上はただの言い訳になることがわかっていた。
マリーは頭を抱えた。そのまま机の上に身を投げる。
「もう嫌。嫌よ。リンク、本当になんとかしてよ……」
「そんなこと言われたって、俺だってできることはやってる。出会ったらとっ捕まえてやろうとは思ってるけど、あいつらと出くわさないんだよ。人を探す霊装とか持ってるやついないのか。あれば曲芸団だかなんだか知らないが、どうとでもしてやるのに」
「棒を倒して探してみる? 神様が教えてくれるかもよ」
「神頼みになったら終わりだよ」
リンクは肩を竦めた。
シレネはその顔をじっと見つめた。
「なんだよ、俺の顔に何かついてるか?」
「いえ……。マリー様。お二人はずっと仕事をされていたようですが、ずっと一緒にいたのですか?」
「当然でしょ。一人でこんな案件、片づけられるわけないもの。こいつは道ずれ。ずっと一緒に仕事をしてもらってるわ」
「ひでえ……。俺も寝たいのに」
「ですよね……」
そう、まさかそんなこと、ありえるはずもない。
大きく息を吸って、笑顔を作った。
「ということは、私が未熟だったというだけですわね。天狗になっていたようですわ。もう少し精進します」
「おまえはもう十分強いだろうが」
「……いえ」
私は負けました。
シレネはその言葉を飲み込んだ。
頭を過ってしまった疑念は、頭を振って振り払った。
ゼロパーセントの可能性は、いくら考えたってゼロパーセント。
起こりようのない話なのだ。
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