第27話
◇
その日は気持ちのいい朝だった。雲一つない空からの日差しが眼を焼き、小鳥のさえずりが聴覚を刺激してくる。
教室に入って、一人の少女に声をかけた。
「やあおはよういい朝だね」
「話しかけてくるなとあれほど、……ひいっ!」
マリーは恐れおののいた顔で飛びずさった。
信じられないものでも見たかのような顔で、俺のことを見つめている。
「人の顔を見てそんな顔をするなんて、いいご挨拶だな」
「か、鏡を見たの? 酷い顔してるわよ」
「別に、徹夜しただけだ。この年齢ならそれほど辛くない」
「目の下の隈がすごいけど。保健室に行った方がいいんじゃない?」
「保健室に行くのはあんたの方だろ。今日も顔色が悪いぞ」
「……余計なお世話よ」ようやく調子を取り戻したらしく、いつものように、「というか、話しかけないでくれない? 死にたいの? 前に私の力は見せたわよね」
「死にそうなくらいに眠いからかな、どうでもいい」
「やっぱり眠いんじゃない。さっさと早退しなさい」
「昼飯をあんたと一緒に食うまでは帰らない」
「はあ? 何言ってるの? 食べるわけないでしょ」
「じゃあ帰らない」
「子供みたいね。どうでもいいわ。さっさと去って」
手を振られてしまう。
「まあまあ、こいつも昨日は大変だったんだ」
ここでレド参入。
一晩頑張っていた俺を哀れに思ったのか、進んで協力してくれた。
「なんで増えるのよ」
「おまえとご飯を食べる誘い文句を考えて、一晩を明かしてしまったんだ。夢を叶えてあげてくれないか」
「はあ? 馬鹿じゃないの」
「それが、本当なんですの」
シレネも参戦。
彼女も彼女で顔色が悪い。昨日、途中で寝落ちしたレドと違って、シレネはずっと起きていたからな。
「私も付き合っていたんですの。マリー様を誘う口説き文句を二人で考えていたんですわ」
「あんたら付き合ってるんでしょ。二人で食べなさいよ」
「そうですわね。それがいいですわ」
「おい」
「あ、ごめんなさい。ついつい。眠いとどうも頭が回りませんわ。欲望に溺れてしまいますの、すのすの」
ぐだぐだである。
マリーは呆れた顔になる。
「二人で考えていたって? 一晩中? 寮はどっちも異性の立ち入りは厳禁でしょう? 優等生が何してるのよ」
「秘密ですわよ」
「言う相手もいないわ。どうせやらしいことでもしてたんでしょ。やだやだ」
「してればどれほど良かったか……」
しゅんとなるシレネ。
確かにそこは申し訳ない。
ん? 申し訳ないのか? いや、申し訳なくは……、ダメだ。俺の頭も回っていないぞ。
「……それは、えっと、複雑そうね」
マリーの眼にまさかの憐憫が宿る。
流石シレネだ。なんだかんだで会話が続いている。
「話を聞いてくださらない?」
「貴方の話を聞いてくれる子なんか、私以外にいっぱいいるでしょ」
「こんなこと、よく一緒にいる人たちには言いづらくて……。ご迷惑なら引き下がりますわ」
にっこりと、慈母の笑み。
確かにここで引かれると、続きが気になる。こちらからうまく歩み寄った形。
意図してかどうかはわからないが、この会話の持って行き方は上手いぞ。
「嫌よ。そこらへんの子に勝手に話しなさい」
「そうですか。残念ですわ」
断られても殊勝に頷くシレネ。
目で俺に訴えかけてくるのは、今は退いた方がいいという合図。
「わかった。俺はさっさと帰って寝ることにするよ」
「そうするといいわ」
「いえ、私と二人でご飯を食べましょう。昨日のこともありますし」
「……いやだ」
「まあまあそうおっしゃらずに」
がっちりと腕を組まれてしまった。周りからは黄色い声が上がる。シレネの腕力と人望の両方から逃げ切るのは難しそうだ。
◇
また翌日。
「やあおはよう」
「……話しかけんなって、うわ」
そんなことを言いながらも律義に反応を返してくれるマリーという子は、根はとってもいい子なんだろう。
今日の俺は頬に紅葉を作っての登場だ。
「また顔色悪いんじゃないのか。飯食ってるのか」
「いやいや、その前に自分の顔を鏡で見なさいよ。そして教室に来るのを諦めなさいよ」
「ああ、これか。色々あってな」
遠い目。
話を聞いてくれよ。
昨日のシレネを見習っての話題作り。そのためにわざわざレドに殴られたんだから。あの野郎、嬉々として殴ってきやがって。
「色々って……、いえ、別に気にならないからさっさと行って」
「まあまあ、こいつも昨日は大変だったんだ」
再びのレド参入。
「貴方、昨日も同じ入りだったわ」
「おまえと一緒に飯を食いたいがあまり、とある人物と喧嘩をしてしまったんだ。そこまでしておまえと飯が食いたいらしい。夢を叶えてあげてくれないか」
「とある人物ってシレネさんでしょ。というか、それが本当なら猶更一緒に食べたくないんだけど。痴情の縺れに巻き込まないでよ」
「どうかこの人の夢を叶えてあげて」
シレネが眼を潤ませながら登場。
「私の制止を振り切ってまで貴方とご飯が食べたいと言っているのですわ。そこまで言うのなら、その夢、叶えてあげたいんですの」
「いや、そんな末期のお願いみたいに言われても大したことじゃないし、嫌なものは嫌なんだけど。というか彼女なら貴女が止め切ってよ。迷惑ね」
「仕方がないんですわ。こういう人なんですもの」
「勝手に満足しないでよ。酷い男に掴まった私可哀想、みたいな満更でも無い顔しないでよ」
いいツッコミだ。
マリーは元々下町の出。こういった雑な会話でもうまく捌いてくれる。
「いい加減しつこいわよ。また跪かせられたいの」
微おこ。
今日はここまでだろうか。
昨日よりも舌が回っているのは、好意的に受け止めていいだろう。
「じゃあ今日はやめておこう。いつなら一緒に食べてくれる?」
「そんな日は一生来ないわ」
「じゃあ俺も一生声をかけるのをやめない」
「何その脅し。……脅しなのかしら? まあ、どっちでもいいわ。だったら私も実力行使よ」
霊装ティアクラウンが発現し、にわかに教室がざわめく。
言葉一つで人を殺せる霊装。全員が怯えるのも仕方がない。
「それを使うのはやめておいた方がいい」
「どうして?」
「あんたが傷つくからだ」
マリーの動きがぴたと止まる。
「……何も知らないくせに」
「知ってるよ。あんたが戦うことに疲れていることも」
「っ」
息を飲んで、俺を見つめる。
初めてまともに目が合った気がする。彼女の中の彼女と触れ合えた気がする。
「俺が言えるのは、二つ。その戦いにゴールはないよ。そして、あんたは一人じゃない」
「わかったような口、利かないでよ」
「悪かった。でも、俺は変わらない。明日も声をかけるし、飯に誘う。それだけは覚悟しておいてくれ」
「何を覚悟するのよ」
「俺は諦めが悪いってことだ」
背を向けて席に帰る。
茶番のメンバーにシレネが混じっているから何とかなっているが、教室内の空気は淀んでいる。
わざわざ魔物の蔓延る洞窟の中に飛び込んでいくが如き所業。どうしてそんなことをしているのか、不安と不満の眼が突き刺さる。
「今日もダメでしたわね」
シレネが近寄ってくる。
「でも一歩ずつ近づいてる気はするよ。今日もありがとな。シレネがいてくれるから何とかなってる。俺だけだったら追い返されて終わりだよ」
「ふふ。頼られるのは嬉しいですわ」
「シレネに利のない話で申し訳ないな」
「いいえ。きちんと私にも利益はありますわ。貴方と一緒にいられること、そして、貴方のことを知れること」
「何が」
「貴方は人が好きだという事ですわ」
したり顔をするシレネに対し、俺は肩を竦めた。
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