第28話




 ◇


 

 そんなやり取りは日常になっていった。

 俺とレドとシレネで、マリーにちょっかいをかける。

 マリーは迷惑そうだが、満更でもなさそうだった。話すたびにツッコミの精度が上がっていっている。


 そんな日々が続いたある日。

 そいつは俺の目前に立った。


「マリー現王女殿下と話すのはやめてもらいたい」


 プリムラ・アスカロン。

 四聖剣の一人で、階級主義者。人を階級でのみ判断し、俺のような田舎の者は歯牙にもかけない武骨な男。


 そいつの姿が登校中の俺の目の前にあった。

 眼鏡の奥の瞳は無機質であった。


「俺の勝手だろ。俺の行動を制限する権利はおまえにはない」

「そういうわけにもいかない。君のような考えなしにもわかるように言うと、それで迷惑をこうむっているお方がいるのだ」

「王子様二人か」


 はっきりと口に出すと、プリムラの眉にしわが生まれる。


「明言はしない。しかし、相応の地位についているお方が貴様の態度に難色を示している。いいか、これは私なりの優しさだ。これ以上彼女に近づくというのなら、相手になるのは私だけではない」

「忠告ありがとう。飼い主に伝えてくれ。お断りします、ってな」


 俺はプリムラの脇を通って歩みを続ける。


「正気か?」

「正気も正気だが?」

「あれは下町にいただけの女だ。英才教育を受けたあの方たちとは、未来の見据え方が違う。王座に座ってもらっていては困るんだよ。時間は有限ではない、早々に退場してもらわなくては、この国のためにならん。それくらい、矮小な脳の貴様でもわかるだろう」


 王とは、国を統治する存在。

 人間の身体でいうと、頭脳。

 回転の遅い頭脳では、手足は困る。英才教育を受けた王子様と勉強も満足にしてこなかったマリーでは、考え方に明確な差が存在する。


 わかるよ。

 理屈的には。

 というか、王子様視点ではそうなるのだろう。


 じゃあマリー視点では? 

 誰がそれを考えている?


「おまえはわからないだろうな。家族を殺されて、自分も殺されそうになって、そんな中なんとか生き延びて、でも周りが全員敵で、それでも負けたくなくて、歯を食いしばって生きている子の気持ちが」

「わかる必要があるのか? それはただの一市民の話だろう? 国の未来を思えば些事に過ぎない」

「俺は嫌なんだよ。足掻いた先が絶望なんて、救われない。絶望して死ぬ姿を見たくはない」

「それが求められているのだ」


 下らない。

 そりゃ王子様からすれば、王になれない限り自分の今までの努力や思考が無駄になるのだから、たまったものではないだろう。

 霊装のない王子は王とは認められない。今はなんとかやっているが、霊装に選ばれなかった王子の求心力は下がっているとも聞く。早く霊装を手に入れたい気持ちはわからなくもない。


 でも、それだけだ。

 国政なんざどうでもいい。

 まあ、言っても伝わらないだろう。人に伝わるのは、いつだって理屈であり打算だ。


「俺は打算的な人間でね」

「そうか? 下らない同情に流される、感情的な人間に見えるが」

「俺の目的のためには、彼女が王になってもらった方が都合がいい」


 マリーと仲良くなって、マリーを次期王に据える。

 国政として魔王の侵攻に対して舵を切れれば、マシな未来が待っているだろう。


 そう、打算だ。

 マリーを救うのだって、価値があるから。意味があるから。

 未来に繋がっているから。


「それはよほど下らない目的なんだろうな」

「ああ。おまえごときには言ってもわからないくらいには」


 俺の知っている未来を伝える相手、タイミングは上手く選ばないといけない。

 今、プリムラに言ったところで無意味な情報だろう。


「後悔するぞ。他の誰でもない、貴様自身がな」

「させてみろよ」


 にらみ合って、別れた。

 正念場だ。

 また命がけの戦いになるだろう。

 だが例のごとく、命を賭ける価値がある。

 俺は勝ち目のない戦いはしないし、見返りの薄い戦いには賭けない。


 やるだけやってやる。



 ◇



「わかったわよ! 一緒にご飯を食べればいいんでしょ!」


 大声。

 ついにマリーが折れた。

 俺たちの努力が実を結んだのだ。


「ようやくわかってくれたか」

「何日これを繰り返せば気が済むのよ。毎日毎日凝りもせずコントを見せられる身にもなってよ。もういい加減にして。あと、言っておくけど、これきりだから」


 やはり物事は押しに限る。


 マリーには残念だが、これきりにはならない。

 最もハードルが高いのは一回目なのだ。

 零と一には大きな距離があるが、一と二は毛ほどの距離もない。

 一度許せば、百を許したも同時。今後、マリーはこの判断を後悔することになる。


 なんて。

 言わないけど。

 後悔させるつもりはないし。


「ああ、一回でいいさ。今日の昼な」

「はいはい。わかったからさっさと離れなさいよ」

「……」

「離れてってば。もう用はないでしょう?」

「いや、なんか約束を取り付けてすぐに離れるのもなあと思って。薄情に見えないか?」

「私がそうしろと言っているんだからいいでしょうが。当人の意志を汲みなさいよ」

「まあ、そうか」


 そんな会話をして、俺はマリーの下から離れる。


 数人。そんな俺に暗い視線を向けてくるやつら。

 プリムラと同じく、王子やそれに準ずる組織から連絡を受けたのだろうか。生徒の自主性を慮るために他所との連絡を拒絶した学園だと聞いているのに、がばがばなものだ。


 彼らの目的は同じ。

 ”殺すことのできない”王女に、死んでもらう事。王位の証となる霊装をあるべきところに返すこと。

 だとすれば、俺の目的は真逆。


 マリー王女を生かすこと。

 こいつらの目的を握りつぶしてやる。


 

 ◇



 しかして、マリーを亡き者としようとしている一派はいまだ直接的な行動には出てこない。遠巻きに見ているだけ。


 食堂にやってきた俺たち。

 学年問わず生徒たちはマリーの顔を見ると、誰もがそそくさを逃げていくから、俺たちのついた席は周りに誰もいない浮いた場所になっていた。


「特等席だな」

「僕、そういうことの言えるリンク君はすごいと思うんだ」


 この中で唯一震えているザクロが口を開く。

 いつもマリーをからかっていた面子、俺、レド、シレネ。そこにザクロとライ、そしてレフが参加して、七人。中々の大所帯で食卓を囲む。


「何が?」

「これで僕たちは学園で目立つ存在になったわけだよね。……どちらかというと、悪い方で」

「なんでだよ。ただ飯を食ってるだけだろ」

「それはそうだけど、それを堂々と言えるリンク君はすごいって話」


 俺は首を捻る。

 何を言ってるんだこいつは、という朴念仁ぶりをアピール。

 まあ、ポーズだが。そんなこと気にしてない、脳の片隅にもないというポーズ。

 俺は何も考えてない阿呆に見えるくらいがちょうどいい。


 ザクロは恐縮しっぱなしだ。

 物おじしているのは一人ではない。レフも同じだった。


「……私、あまり目立つ生き方はしたくないんですけど」


 レフはシレネと同じくこの歳の女生徒にしては育っているが、今ばかりは小柄なライと同じくらいに小さく見えた。


 ザクロとレフ、二人は所謂普通の少年少女である。

 不義の王女という特大の爆弾。処理できる技量も後ろ盾もない以上、触れたくないというのが本心だろう。

 しかしなんだかんだ言いながらこの昼食に参加しているのは、元来の二人の性格の良さである。


「諦めなさい。私たちはそういう列車に乗ってしまったのよ」


 反面、ライは余裕綽々だ。立場としては二人と同じはずなのに。

 この子、中々に強かである。


「ライはこの場にいていいのか?」

「貴方と関わったからには、とことん付き合うつもりよ。これも必要なことなんでしょう?」


 意味深な流し目。

 何故か俺は高評価をいただいているようだ。


「さてな。俺は俺の勝手で動いてるだけだ」

「じゃあ私も私の勝手に動くわ」


 まあ、いてくれて問題はない。むしろありがたい。

 味方は多ければ多い方がいい。

 それぞれ自分の食べたいものを目の前にして、さあ食べようといったところ。

 いまだ誰かしらが話しているという俺たち。口は閉じることを知らない。


「……うるさいわ」


 所在なさげな王女様は呟いた。


「それは申し訳ないな。でも、食事と一緒に飲み込んでほしい。皆、マリーと食べたくてやってきたんだ。これもマリーのなせる仁徳ってことかな」

「集まった面子のほとんどが嫌がってるじゃない。平気な面してるのは貴方くらいよ」

「そうか?」


 レドはすでに食事に手をつけているし、シレネは俺の隣で食卓の下、俺の手を握っては離して遊んでいるし、いつも通りだろう。


「気にしすぎだよ。周りはあんたが思ってるほどあんたのことを考えてはいない」

「嘘よ。だったら食堂がこんな雰囲気になることはないでしょう。全員がこっちを見ているわ」

「それは気のせいだ」

「あ、今目が合って逸らされたわ。……こうなるのが嫌だったのよ」


 まあ、ここまで周りから食堂に来るなよオーラを出されたら、それは堪えるだろう。外からの圧力は日に日に悪化している。

 否定しても仕方がないか。


「そうだな。確かにあんたは注目されている」

「さっきからそう言ってるじゃない」

「だからと言ってあんたが有象無象の思う通りにする理由もないだろう。そう思われているという客観なだなけだ。主観はもっと堂々としていればいいんだよ」


 周りの視線を気にするのは間違いじゃない。人という存在は一人では成り立たないのだから、他人への見え方は大切だ。


 が、それによって本質を見失っては本末転倒。

 黙ってしまったマリーから、食事の乗ったトレイを奪う。「こっち食べな」と俺のトレイを押し出す。


「え、」

「わかってる」


 何故マリーの顔色が悪いのか。

 この半年ほどの間は耐えきれていたのに、一気に衰弱していったのか。

 彼女は簡単に潰れる人間ではない。汚泥を啜っても生きていく泥臭さも持ち合わせている。


 でも、毒の入った泥は飲むことができない。

 ここ最近、”そういうこと”をする奴が出てきたから、彼女の衰弱には拍車がかかっている。


「……あんた、わかってて誘ったの?」

「さてな」


 大仰に肩を竦める。

 多くは語るまい。

 人間は想像する生き物だ。それも、好意的に考えることが多い。

 俺の行動。どう思おうが勝手。


「食べな」


 マリーはこくんと頷いて、食事を始めた。

 ゆっくりと、されど、じっくりと。

 おずおずと食べる様子は、最近の彼女の状況を理解するに十分だった。

 食事すらまともにできない世界なんか、違うだろう。

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