第26話




 ◇



「やったよ、リンク! お給料が出たよ!」


 笑顔とともに部屋に登場するアイビー。

 その突然の来訪は、毎日のことだから俺にもレドにも驚きはない。「おいっす」と軽い返答をするだけ。

 アイビーは天井の継板に突き刺さったナイフから手を離し、床に着地。満面の笑みで懐から紙幣を取り出した。


「今月は稼げたんだ。時給も増やしてもらったし」


 手の中で紙幣が広げられる。ずらりと広がった紙幣はぱっと見ただけでも十数枚はありそうだ。


「すごいな」

「そうでしょう? 色んなバイト、掛け持ちしてるからね」


 だから目立つなどあれほど……。

 王都に着て半年が経とうとしている。刺客から何の音沙汰もないということは、問題ないのだろうか。

 いや、問題は気が緩んだ時こそやってくる。


「できるだけ大人しくしてろって。まあ、お金を稼ぐ自体はすごいことだから、否定ばっかするつもりもないけど」

「リンクは心配性だってば。心配してもらえて満更でもないんだけどね」


 歯を見せて笑って、「はい」とお金を手渡してくる。

 まさかの満額手渡し。


「……だからな、いらないって」

「私はリンクに命を救われたんだもん。私の人生はこれからすべて、全部リンクにあげる。私が稼いだお金も、リンクのものだよ」

「そんなことないんだって。自分の好きなように使ってくれ。どこかに潜入するでも費用がかかるだろ」

「経費は別で取ってあるよ。これは言うならば純利益。私の懐にあっても仕方がないんだよね」


 優秀過ぎるのも考えものだ。


「俺だって使いどころがない」

「それなら貯金すればいいじゃん」

「じゃあおまえが貯金しろよ」

「私のお金はリンクのお金なんだから、私が貯金しても意味がないじゃん」

「その前提が間違ってるんだけどな」


 交わらない平行線。

 すったもんだの話し合いの末、結局、俺は金を受け取った。机の中の鉄製の金庫の中に突っ込むことにする。危機に陥った時に使おうと思う。


「ひも男」レドの呟きが耳に痛い。そんなつもりは毛頭ないんだけど。


「色んなオンナに現を抜かすひも野郎」

 追撃まで来た。


 おい、火消しを手伝わないとは聞いたが、燃料を投下するとは聞いてないぞ。


「え、何の話?」


 笑顔のアイビーが怖い。


「なんでもないよ」

「なんでもない感じじゃないじゃん。ずるいよ、二人で秘密の会話して。こうなるんなら私だって二人と一緒に学園に入りたかった!」


 口を尖らせるアイビー。

 彼女の処遇を決めたのは俺だし、申し訳なさはある。


 出番だぞ、口八丁。自慢の口よ、今日も勝手に動いて俺を助けてくれ。

 と思い、なんとか丸く収めるよう思考を巡らせると、


「大丈夫ですの!?」


 火の中心、当の本人が部屋になだれ込んできた。

 男子寮の一室にシレネという少女が入ってきた。

 青い顔のシレネ。そんな彼女の揺れる視線の中では、男子寮、俺とレドの部屋、その中に寮生の二人のほかに灰色の髪の女性がいる。


 静まり返る部屋の中。


「シレネ。ここは男子寮だぞ」

「知ってますわ」

「異性が入り込むのは禁止されてる」

「しかし、貴方の部屋にナイフが投げ込まれたのを見ましたの。一大事ですわ。すべてを差し置いて対応しなければなりません」

「今は夜だぞ」

「夜ですわね」

「よく見えたな」

「よく見てましたもの」


 噛み合っているようで噛み合っていない会話。


 しかし、それはどうでもいい。

 二人を会わせるのはまずい。なんとなく、――とかじゃない。いい加減カマトトぶってる場合じゃない。恋愛のことなんか知りません、なんて、表には出しても裏では逃げてはいけない。


 二人とも、自分が俺の恋人だと思っているんだ。

 段々と全員が状況を把握し始めて、空気が重くなっていく室内。

 これが二股の末路か。

 合掌するな、レド。


 見つめ合う女子二人。

 方や、恋人の部屋、慣れた様子でベッドに腰かける少女。

 方や、恋人の部屋をずっと見ていて押し掛けてきた少女。


 ……ふむ、どっちが与しやすいだろうか。

 どっちを妹にするべきだろうか。なんて、もうすでにそういう状況ではないことはわかっている。


 思考が散らばってるぞ。

 いやしかし、俺の矮小な頭でなんとかできる状況だろうか。

 なんて俺が脳内で一人慌てていると、先手を取ったのはシレネだった。


「初めまして、ですわね。私はシレネ・アロンダイト。リンク様の恋人ですわ」

「……こちらこそ、初めまして。私はアイ。ただのアイだよ。リンクとレドとは同郷で、リンクの恋人なんだ。リンクに手を引かれて、一緒に王都までやってきたの」

「……そうなんですのね。旧知の仲といったところでしょうか。しかし、いくら同郷の者と言えど、ここは誉れ高き学園内。部外者は立ち入り禁止ですわ。早々に去った方がよろしいかと」

「それは貴方もじゃない? ここは男子寮。学園の生徒とはいえ、女子生徒は立ち入り禁止だよ。退学を言い渡されたくなかったら、自分の部屋に帰った方がいい」

「女子は貴方も同じでしょう」

「私は生徒じゃないもんね」

「もっとまずいですわ」

「学園での立場がある以上、そっちの方がまずいんじゃない? ここで衛兵を呼んでもいいよ。どっちが慌てることになるのかな」

「部外者の方が問題ですわ。ここは将来の騎士の学び舎。部外者の侵入は厳しく罰せられます」

「大丈夫だよ。私は捕まらないから」

「……、なるほど。リンク様の移動するナイフの霊装。貴方のものでしたか」

「私たちの付き合いはシレネさんより長いからね。もう家族みたいなもん。だからここにいるのは当然のことなの」

「そういうわけにはいきませんわ。私とリンク様は将来を誓い合った仲。これからの家族。貴方がそうおっしゃるのなら、実力行使でも構いませんのよ」


「おい」


 俺が放心していると、いつの間にか近くに来ていたレドに小突かれた。


「何呆けてるんだ。黙ってないで二人を止めろよ」

「おまえが止めてくれ」

「無理に決まってるだろ。それに、俺に責任はねえ」

「燃料を投下しておいてよく言う」

「冗談だろ。まさかシレネが突撃してくるとは思ってなかったんだ。というか、こうなることは遅かれ早かれわかってただろ、少しは反省しろよ」

「しょうがないんだって。俺はそういう人間だから」


 俺の霊装はそういうものだから。

 人に好かれてようやく力になる。

 だから俺は行動を変えることはない。


 あるいは、癖の強い霊装を言い訳にして、色んな女の子に声をかけているのかも。

 はたまた、色んな女の子をを踏み台にして、魔王を倒すという大義名分に酔っているのか。

 どっちが言い訳になるのかわからんな。


 まあしかし自分が蒔いた種なのはその通り。覆ることのない事実。

 いつか刺されることを代償に、一肌脱ぐしかない。


「アイ」

「なに?」

「好きだ」

「え、お。おう」


 変な返事が返ってきた。照れたようにそっぽを向かれた。

 それを見たシレネが爆発する前に、


「シレネ」

「なんですの」

「好きだ。愛している」

「あいっ!?」


 シレネの顔が真っ赤になる。

 むっとするアイビーに、


「アイ。いつもありがとう。おまえが近くにいてくれて俺は幸せ者だ」

「わ、私がしたいことだからいいんだよ」

「シレネ。今日はありがとう。おまえにはいつも頼りっぱなしで悪いな」

「別にいいですわ。私がしたいのですから」


 何度も何度も、二人の間を行ったり来たり。

 愛と褒めで殺す。

 アイビーを褒めて、更にシレネを労わる。そして更にアイビーに好意を伝えて、以下、ループ。

 段々とどっちが上のことを言われているかわからなくなり、嬉しい言葉で胸がいっぱいになって満足、有耶無耶にするという必殺技。


 いいか、レド。俺の決めた覚悟とは、この場を鎮火することじゃない。鎮火したら俺への愛情が薄れてしまう可能性もあるからな。

 ゆえに、更に火をくべるのが正解だ。ごうごうと燃える火は、やがて自分の勢いを自覚するだろう。燃え上がる以外に自分の在り方がわからなくなるだろう。

 原因は俺ではっきりしているのに、どちらの火が大きくて綺麗かを争う形になる。互いの火が敵になる。


 たまらないな。

 俺という化け物、非人道的な男の欲情と実利を満足させるに足る。

 そう、俺は最初っから普通じゃない。

 徹頭徹尾、頭のおかしい打算的な男だ。


「おまえ、尊敬するよ」


 レドからは尊敬と忌避の混じった不思議な感情の視線をもらった。

 伊達に何回も修羅場をくぐってはいない。

 俺はこうやって俺になる。


「まさかとは思うが、こんな中、今度は王女を口説くのか」


 流石にレドもその声は二人に聞こえないようにしてくれた。

 言葉が悪いな。


 ただ、愛してるというだけだ。

 誰も仲間のいない孤立無援の少女の、絶対的な味方になるだけ。

 人の命がかかってるんだ。俺は人助けがしたい。別に悪いことじゃないだろう?


「さてな」


 俺の答えを聞くと、レドはため息をついて自分のベッドの方に行ってしまった。


 残されたのは頬を赤く染めた二人。

 普段甘い言葉を吐かないのも、こういった時のため。愛情過多だって立派に死因の一つになる。脳死。甘い言葉に脳を支配されれば、満足感以外は消え失せる。


「じゃあシレネ、寮に戻ってくれ。これ以上騒ぎを広げたくないんだ」

「わかりましたわ」


 シレネは素直に頷き、上機嫌で去ろうとする。

 が、途中でその足がぴたりと止まる。


「アイさんはどうするんですの?」

「私はここに泊まるよ」

「それが許されるとでも?」


 ……。


 覚悟とは、徹夜をするということだ。

 それから二人を宥めるのに、一晩を費やした。

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