第25話




 ◆



 この国の王には二人の息子がいる。

 いずれも優秀な人物で、この世の未来を憂うことのできる逸材だった。

 国王は二人に伝えた。


『私の死後、どちらかが霊装を引き継ぐだろう。この霊装は他の霊装とはわけが違う。この国の民を先導するにふさわしい、絶大な力を持ったものだ。引き継いだ者は矜持と冷静を胸に、なすべきことを成せ。引き継げなかった者は継承者を陰ながらサポートしてくれ。この霊装は一人のものではなく、お前たち二人、ひいては、この国の民のものなのだから』


 二人とも、大きく頷いた。

 四聖剣の中では子同士を殺し合わせる家もある。

 しかし、自分たち二人は争うことはしない。霊装に選ばれるということは、それに足る理由と力があるはずなのだ。どちらが選ばれても恨みっこなし。むしろ、選ばれなかった自分を恥じ、より研鑽に努めるべき。二人でこの国を平和にしていくのだ。


 厳格で尊大な父の言う事を聞き、互いに誓い合う二人。息子たちの真っすぐな目を見て、国王は満足そうに息を引き取った。


 そして、霊装は。

 息子の二人。

 どちらにも、引き継がれなかった。


 二人は互いに隠し事をするなと言いあった。自分は補佐に回る。おまえのその霊装を奪ったりしない、と。だから正直に言ってくれと。

 しかし、二人とも同じことを必死で言い合うものだから、流石に途中で様子がおかしいことに気がついた。


 ――この二人に、引き継がれていない?


 もしかして父は死んではいないのではないか、と墓を掘り起こした。

 もしかして特別な条件があるのかと思い、文献や宰相に確認をとった。

 多くのもしかしてと積み上げて、いずれも異なっていて。


 最終的なもしかして、は。

 他に子供がいたのではないか、だ。霊装は第三者に引き継がれた。

 霊装は親族の中で、より適した相手に継承される。基本的にはその子供である。しかし、子供の中でも誰が選ばれるかはわからない。


 隠し子。

 正妻以外で作られた子供。

 王都中で捜索がなされた。王の冠を手にした子供がいるのではないか、と。


 結果として、子供は見つかった。


 下町に住む、普通の女の子だった。



 ◇



「よお、マリー。元気か?」


 クラス中がしん、と静まり返る。それからすべての注目が俺に向いた。

 ざわつきすら許されない痛いくらいの静寂。

 打ち破ったのは、本人の返答。


「……なに」


 そっけない言葉。

 ついでに言えば、その声は小さくかすれてもいた。

 この教室で彼女が言葉を発することなんかない。もっと言えば、彼女が会話する相手はいない。久々の肉声、かすれるのは当然といえばそうだろう。


「クラスメイトに声をかけただけだ。何か問題でも?」

「……」


 皺の寄った制服。つまらなそうな顔。手入れされていないぼさぼさの赤髪。その下から覗く猜疑の眼。


 突然の声かけに、誰もが何をやってるんだと思っているだろう。

 彼女に声をかけてはいけない。

 声をかけたら、彼女の知り合いだと思われる。友達だと思われる。

 それはつまり、この国の王子の敵だ。


「死にたいの?」


 それがわかってるから、マリーはそんな言葉を吐く。

 血色の悪い肌。ろくにご飯も食べられていないことは容易にわかった。

 死にそうなのはどっちなんだ。


「何が? どうして俺が死ぬんだ?」


 俺は何も知らないというそぶりを見せる。


「貴方、何も知らないの?」

「だから何がだよ。あんたの体調が悪そうだから声をかけただけじゃないか」

「誰かこの無知に教えてやって。私と話すとどうなるのか」


 その言葉に反応する人間もいない。

 マリーは渋面を作って、席を立った。

 俺は去ろうとするその手を掴む。


「待てって」

「触るな!」


 バチン、と大きな音がするくらい激しく手を解かれた。

 焦燥と激昂に駆られた表情は、見ていて痛々しい。


「無知は最大の罪よ。無知が死因になることは、往々にしてある。死にたくなければ、私に関わらないことね」

「何のことを言ってるのかさっぱりだ」


 肩を竦める。

 無知を演じる。

 彼女を引き出すために。


「馬鹿。……こんな馬鹿がこれ以上出てこないように、見せつけてやらないといけないわね」


 マリーは手のひらを上に向ける。

 虚空から、霊装が姿を見せる。

 それは煌びやかな宝飾のなされた王冠だった。

 王都に住んでいる者なら、誰もが見たことがある。

 今は亡き、国王の頭の上で。


 マリーはそれを頭の上に乗せると、一言。


「”跪け”」


 俺の身体は否応なく動く。

 膝をつき、腕を折り、頭を垂れる。

 頭の上から、彼女の冷たい言葉が降りかかってきた。


「これでわかったでしょう? 私は王よ。少なくとも、霊装は私を選んだ。次に声をかけてきたら、こう命令するわ。自害しなさい、と。わかったら馬鹿な真似はやめることね」

「……俺はクラスメイトを見捨てたりはできないよ」

「”黙りなさい”」


 口すら動かせなくなってしまった。


 霊装『ティアクラウン』。

 能力は、命令の絶対遵守。言葉を受けた対象は、その命令に従わなければならない。彼女が死ねと言えば、俺は死ぬ。

 誰もを黙らせる、最強の霊装。

 数多の強大な霊装が存在する中、この王国が王国として存在できている理由。霊装の頂点、人々の力の先端。


 何もできなくなった俺は、マリーが静まった教室から歩き去っていくのを見送ることしかできなかった。


 彼女が去って少しして、能力が解除される。

 立ち上がってため息をつくと、教室内ほとんど全員から、突き刺さる視線を感じた。


 何勝手なことしてるんだ。

 彼女を刺激するな。

 眼をつけられたらどうするんだ。

 そんな言葉が視線から感じられる。


 いずれも俺のことも、マリーのことも見えていない。

 保身、保身、保身。


 でしょうね。

 俺も以前だったら、そう思ってた。

 マリーそのものの怒りを買うし、彼女を仲良くすると王子二人からも反感を買う。反感と反論ばかりが積み重なり、誰も褒めてなんかくれない。

 国を相手にするようなもんだ。最悪家族すらを巻き込むことになる。


 反感と怒り。

 俺にこれを鎮静化する能力はない。

 実力も経歴も存在しない一般人。

 だけど、そういう力を持っている人物はいて、なんとかしてくれる立場にいる。


「確かに、マリーさんは体調が優れない様子でしたわ」


 シレネは静まり返った教室内で、何の気なしに呟いた。

 ぐるりと教室中を見渡して、いつもの慈母のごとき笑顔。


「皆さん、そんな親の仇でも見るような目でどうしたんです? 別に体調を崩した子に声をかけるくらい、いいでしょう。ましてや赤の他人ではなく、級友なのですから。一生の友になるかもしれない相手ですわ。私たちは人間なのですから、助け合わないと」

「そうですね。確かに不調そうに見えましたね。私もリンクのやったことが間違いだとは思えないわ」


 何故かライも援護射撃をしてくれた。ありがたい。二人に続いて、レフも頷いてくれる。

 クラスの中心人物三人が俺の味方になってくれたことで、教室内の空気が緩和する。「そういえば最近、昼食時、食堂にいないかも」「ふらふらしてるところを見た気がする」「心配するくらい良いよね」と、俺の言葉の正当性も担保。


 やっぱり持つべきは権力と仁徳のあるお方の一言だ。こうも簡単に状況が変わるとは。

 シレネが小声で「貸しですわよ」と唇に指を添えた。とりあえず頷いておく。彼女を敵に回してはいけない。


 俺への興味が薄れていき、全員が再びの会話に戻っていく。

 ため息をついて席に戻ると、気だるげな様子のレドに捕まった。


「で? 今度は何をしようっていうんだ」

「何をしようって、ただ体調不良のクラスメイトに声をかけただけだろ」

「なるほどね。相変わらずお節介だな」


 ふん、と鼻を鳴らす。

 鋭い目つきは変わらない。


「で、彼女が体調不良だと何か起こるのか? それとも本当にお節介焼きか?」


 まあ、レドには言ってもいいか。

 なんだかんだ口は堅いやつだし、今回は手伝ってほしい。


「お節介じゃない、打算ってやつだ。これも世界平和のためさ。彼女には生きてもらわないと」

「は? 彼女は死ぬのか? アイ……いや、あの子みたいに」

「ああ。そう遠くない未来にな」

「……」


 レドの顔が曇る。

 こういう顔をするやつが、人をお節介だなんだと言う立場にいるのかよ。


「そういうことは先に言ってくれ。だったら俺も協力する。言ってくれればさっきだって援護してやったのに。シレネの件といえ、おまえはいつも相談が遅いんだよ」

「悪かったって」

「そもそもなんで今なんだよ。もっと早くにできることがあっただろ」

「そう思うのは尤もだが、そうもいかない。なぜなら、あの時シレネが助け舟を出さなかったら俺は終わっていたからだ。おまえじゃできない仕事なんだよ」


 俺が何の後ろ盾もない状態でマリーに話しかけた場合。

 マリーからはさっきのような反応を受ける。クラスメイト全員からはバッシングを受ける。リンクという男は常識も知らないやつだと迫害を受ける。王子に傾倒した過激派から干渉を受けて、少なくとも今までほど自由には動けなくなるだろう。


 最悪の場合、口も開けない存在にされるかもしれない。

 レドは良くも悪くも、マリーという存在、それを取り巻く状況を理解していない。いまだ困惑の眼差しを送ってくる。


「マリーに話しかけるってのは、そんなに重いのか? おまえでも何とかできないのか?」

「買いかぶるな。俺一人にできることなんか大したことないさ。さっきマリーが無知は死因になると言ってたけど、その通りだよ。一人っていうのは想像以上に弱いもんだ」


 物理的にも、精神的にも。

 シレネが俺を庇ってくれるこの状況にならないと、行動を起こすことも難しい。


「わかった。だからまずはシレネに助け舟を出してもらえるようにした、と。ここのタイミングで動くのがベストだったわけだ」

「俺だって無為な時間を過ごして、マリーの死を見過ごすほど薄情じゃないさ。そこらへんはタイミングを考えてる。部屋の中、一人で首を吊るなんて、そんな結末誰が好き好んで見たいんだよ」

「……聞きたくねえよ」


 どうして彼女が首を吊ったのか。

 理由はわからない。

 見当がつかないわけじゃない。むしろ、逆。原因が多すぎるからだ。

 彼女には敵が多すぎる。そして同時に、味方が少なすぎる。彼女は色んなところから圧力をかけられていて、誰も助けてはくれなくて、でも歯を食いしばって生きていて。

 原因なんかない。あるとすればきっと、全部だろう。すべての事象が、彼女を苦しめる。


 不義の王女、マリー。

 自分の父親に勝手に責任を押し付けられた、可哀想な女の子。


「そう話を聞いてると、マリーを救うことも考えていたのか。相変わらず打算的だな。シレネはそのための足掛かりってことか」


 レドの視線は冷たい。

 人を救うために、人を救う。

 人を助けるために、人の感情を利用する。

 自分のために、打算的に、人の行動を先回りする。

 最初から、俺はそういう人間だ。自覚もあるし、覚悟もある。


 俺は口角を歪めた。


「それもまた真実だよ」

「冗談。おまえのお節介ぶりはわかってるよ。全部嘘で、全部真実なんだろ」


 レドは慣れた調子で鼻を鳴らした。


 お節介だなんて、どの口が言うんだ。

 おまえだってなんだかんだで森の奥まで来たくせに。


「納得した。俺に何かできることがあったら言ってくれ。以前、シレネの一件の時には一言もなかったからな」

「拗ねるなよ、相棒。今回は手伝ってもらう」

「当然。まあ、あとはあの子がなんて言うかだな。シレネの件、まだはっきりとは伝えてないんだろ」

「あの子?」

「しらばっくれるな」

「……」

「黙るなよ。そっちは手伝わないからな。自分で火消ししろよ、色男」


 鼻で嗤われてしまった。

 自分で嬉々として撒いている種ではあるのだが、気は重い。


 覚悟とはつまり、未来の自分への投資である。


 負債を回収するのも自分だ。

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