第23話
◇
その声は学園中に響き渡ったという。
言の葉が残響を繰り返して、教室内全員の脳に刻まれたタイミングになってようやく俺は我に返り、状況を理解しようとした。
理解はできなかった。
なので、とりあえずシレネの手をとって教室を飛び出した。教室内からはきゃあきゃあという姦しい声が聞こえてきた。俺だって正常な判断ができているとは言い難い。
人目の少ない校舎の端っこまでやってくると、俺はシレネの手を離した。
「で、何の嫌がらせだよ。確かに普通に糾弾されるよりは効いたけど」
しかし、眼前のシレネはぼうっとした顔で自分の手を見つめていた。そのままそれを胸に当てて、「はぅ」なんて声を上げる始末。
「……なんだ、まだ療養してた方がいいんじゃないか」
「そうしたら貴方に逢えないですわ」
すすす、と接近してくる。
ぴたりと体を密着させて、満足げな表情になった。
その顔はいつもの無感情にこにこ鉄仮面ではなくて、等身大の女の子といった様子で、俺がついぞ見たことがない表情だった。
「……どうした?」
やべえ、押されっぱなしだ。
いつも勝手に動く俺の舌は休養中なのか。
「何がでしょうか。最愛の人の隣にいたいというのは、人間として正しい行いでは?」
「いやだからそもそもの前提がどうしたんだよ。最愛の人とか、訳がわからないぞ」
「先ほど教室で言ったことが全てですわ。貴方のことを愛しています。大好きです。もうすでに将来の展望が見えるくらいに。貴方と添い遂げる以外に私の未来はありませんわ」
キラキラとした目で訴えかけてくる。
やばい。傷口から変な病気でも貰ってしまったのかもしれない。
「話が通じてないようだな。俺はなんでおまえがそんな考えになったのかを聞いてるんだ」
「貴方の愛を受け取ったからですわ」
シレネはうっとりと陶酔しきった表情になる。
英雄脳から恋愛脳へ。
いずれにしたって目標に一直線。
人は簡単に変わるけど、簡単には変わらない。
「あの森以前から、貴方はずっと私に勧告してくれていましたわ。それはすべて、私を救うため。皆を助けるため。愚かな私は最後の瞬間まで貴方の考えを理解できなかった。でも、理解したら、世界が色を変えたんですの。貴方は命がけで私を止めてくれる人だと。私のことを私よりも理解し、見捨てないで救ってくれる人だと、そう思ってしまったら、この思いを止められるでしょうか。いえ、できませんわ」
くるくると踊りながら思いの丈をぶちまける様は、確かに過去の彼女ではない。
「私はずっと一人でした。独りだと思っていました。だから誰にも私の心を伝えられずに、ただただ明日が来るのが嫌でした。今日が早く終わってほしくて、でも、終わってほしくなくて。ただただ毎日が辛くって。
でも、今はそれが嘘のよう。いつだって私の心の隣には貴方がいて、私のすべてを理解した上でしょうがねえなあという顔をしながらも声をかけてくれる。それが愛おしくて、素敵で、私は明日が待ち遠しいのです。今日の貴方、明日の貴方に、今すぐにでも会いに行きたい」
孤独は病である。
それはわかる。
「随分と思い込みの激しい頭だな。でもな、それは結果論だよ。俺は結局おまえが変わることを諦めて、おまえを殺そうとしたんだぞ。自分を殺そうとした相手にそんな簡単に好意的な言葉を吐くな」
「ふふ。相も変わらず嘯きますのね。ではなぜ私は生きているのでしょうか」
彼女は制服の胸元をはだけさせた。下着と共に、真新しい刀傷がよく見えた。
「貴方は最初から”私”を殺すつもりはなかった。私の中にある強迫観念だけを殺そうとしていた。本当に殺そうとしているなら、私は今頃真っ二つですわ。アロンダイトの切れ味は自分が一番良く知っていますの」
制服のボタンを外して、インナーをまくり上げる。
顕になるのは白い素肌。そして、肩から胸元、腰のところまでにかかってできた傷。まだ完治している様子はなく、蚯蚓腫れのようになって痛々しい。
こうもしっかり残ると、少しだけ申し訳なさはある。
「まあ、それは、悪かった。何かで埋め合わせするから」
「なぜ謝るのですか? これはね、愛なのです。貴方が刻んでくれた証拠なのです。私のことを悩ませ続けてきた死神が死んだ証拠なのですわ。だから私はもう、完璧じゃなくていい。人のために自分を殺すこともなくていいのです。だって私は最初から、完璧には、英雄にはなれないのですから。最初から、そういった存在なのです。それを教えてくれて、刻み込んでくれたのは貴方ではないですか」
屈託ない表情でぐいぐいと迫ってくるシレネ。
胸元を見せながら近づかないでほしい。
「……それで。傷物にした責任をとれってことか?」
「そういうわけではありませんわ。単純に、身を挺してまで私のことを救ってくれた貴方のことが好きなのです。私の隣に寄り添ってくれた貴方に愛を伝えたいのです。それを伝えたかったのですわ」
この反応は予想外だ。
シレネがこんなに積極的にアタックしてくるとは。
打算。
シレネはこのまま俺に好意を向けてくれる状態にしておきたい。魔王を倒す戦力として、俺がアロンダイトを使用できる状態にするため。
俺は打算的な人間。
いつだってそうやって生きてきた。
そうするべきなのだが、脳裏をちらつくのはアイビーの存在。
アイビーはクラスメイトに見られていて、俺と彼女がそういう存在だと思われてしまっている。そんな中でシレネの愛に応えるのは、中々にリスキーだ。そもそもクラスメイトという日中一緒にいる相手と恋仲になると、他に手を出しづらい。
なんて、中々なクズっぷりを披露してから。
「霊装使い同士は添い遂げられないぞ」
と一般論を伝えておく。
国からは霊装使い同士の結婚は推奨されていない。霊装を継ぐ血が複数混ざり合うと、一人に霊装の同時顕現が発生してしまう。霊装は一つで十二分に力を発揮するもので、一人に複数の霊装が継承されるのは、国防を考えるとあまりよろしい選択ではないのだ。
まあ、推奨されていない、というところがまた厄介なのだが。過去をさかのぼると霊装使い同士の婚姻、子を成すことも少なくない。霊装使い同士から生まれた子を悪にしてしまうと、国として霊装使いに頼っている都合上、反乱の下になる。
という話を伝えると、シレネはにやりと笑った。
「それくらい、どうでもいいことですわ」
「どうでもいいってなんだよ。おまえは四聖剣だぞ。一番気にすることだろ」
「リンク様が気にしているのはそれだけですか? その問題をクリアしたら私と恋仲になってくださると、そういった認識でよろしい? こう見えて私は美人ですわ。スタイルも悪くないし、社交性もあります。貴方の性格や趣味嗜好、性癖に合わせることも苦ではないし、むしろ望ましいと断言いたしますわ」
なんか聞いたことのあるような言い方だ。
理論的に自分の有能さを訴えかける手腕は、アイビーも使っていた。
「貴方は理論的に訴えかけた方が靡くかと思いまして」
その通りだが、俺の性格ってそんなに簡単にわかるものかね。
まあそれが彼女たちの優秀さを証明しているのかもしれない。
「私は自分の中で好きなところが一つだけありますわ。こんな矮小な私でも、客観的に見て優れている点。それをお見せしましょう」
鼻歌を歌いながら歩いていってしまった。
嫌な予感がする。
◇
「どうしてこの教室では恋愛が生まれないんでしょうか」
ぽつり、と独り言。にしては大きい一言。
訓練と訓練の合間、休み時間。教室内。学園生活もある程度進んでグループができており、その中で誰もが談笑に興じていた頃合いで。
会話の隙間を縫った絶妙なタイミングで、シレネは言い放った。
大半の生徒がシレネの言葉に耳を傾けた。
「どうして、と言われても、私たち霊装使いの本分は訓練と国防ですし」
シレネと同じグループのレフが生真面目な回答を返すと、シレネは微笑む。
「確かにその通りですわ。この学園の運営にも、国費がつぎ込まれています。私たちは兵隊なのです。それが遊んでいたのでは、醜聞も立つというものでしょう」
「そうですよね。霊装使い同士が恋愛をするということに否定的な風習は、私も残念だと思いますけれど……」
「ですが、それ以上に私たちは人間なのです。将来的には結婚し、子供を産み育て、次世代を創り上げる必要があります。特に霊装を継承するためには血を継いでいかないといけないのですから。それなのに、その基礎となる恋愛をしないというのは、少々おかしな話では?」
「……そう言われるとそうかもしれません」
「私たちは学園を卒業すれば、実戦に投入されるでしょう。そこに慣れてきたら、縁談も持ち上がってくるのでしょうね。その時、向かい合った相手が自分にふさわしいかどうか、どう判断したらいいのでしょう。仕事ができるからといって異性を語れるとは限りませんわ」
「確かに、確かに!」
レフは真面目な顔で頷いている。
レフ以外にも頷いている少年少女の多いこと。
シレネのやろうとしていることがわかった。この女の中で最も警戒すべきは、この”影響力”だろう。
人目を引く見た目、穏やかな話し方、柔らかい表情、堂々とした佇まい。
人の前に立つにふさわしい人間だ。誰もが憧れ、羨望し、嬉々としてついていってしまう。だからこそ俺は彼女の歩みを止めたわけだし。
彼女の暴走を止めることは成功したが、それで彼女の能力や才能がなくなったかと言えば、それは違う。
人を先導する力。英雄として自分を鍛えてきた彼女の外面に敵う者はいないだろう。
「つまり、私たちにはそういった訓練も必要なのではないでしょうか。訓練で肉体を鍛えるばかりではなく、異性と触れ合って、将来の自分の姿を夢想する。国の未来の礎となる私たちにはそれが必要ですわ。霊装使い同士の婚姻が推奨されていなくとも、ここで結婚相手を探すわけでもなし、問題はないでしょう」
最終的には「いかが思いますか?」といつの間にか耳を傾けてしまっていた教室内全員に顔を向ける。
少年少女はそれぞれ顔を見合わせて、「まあ……」「シレネさんがそういうなら」なんて、満更でもない様子。レフなんかは前から恋愛がないことに文句を言っていたし、大きく首を頷かせている。
「そう、言うならば、大恋愛時代の到来ですわ。探せ、未来の婚約者を。なんて、いささか俗っぽいでしょうか?」
はにかむような笑顔。
打ち抜かれた男子生徒は多いだろう。
それに釘を刺すかのように、シレネは頬を赤く染めて、
「ちなみに私は、リンク様をお慕い申しておりますわ。彼以外、恋仲になるのは考えられません。学生時代のお遊びでも構いません。私と付き合ってくださらない?」
シレネが俺に流し目を送ってきたことで、クラス中の視線が俺に向く。
女子は突然の恋愛話にうきうきと。
男子は突然の告白にやきもきと。
どう断ればいいんだ、これは。断った途端、クラスでの居場所はなくなるぞ。そうなった場合、俺の今後の動きに支障が出る。
「え、シレネ様、リンクさんにはすでにこいび」とが、とレフは最後まで言い切れなかった。
がつん、と目にも留まらぬ速さのデコピンがシレネから。視線をシレネに向けていた俺でないと見逃していた。レフは涙目になりながら一歩引いた。がんばれ。
シレネの眼は語っている。
『これが私です』と。
とんでもない自己紹介だ。
自分の力を示しつつも、優位性を確保する。
俺相手だからこういった手法をとってきたのだろう。
確かに、わかりやすい。彼女は自分の力をこうやって具体的に示してきたわけだ。ご丁寧に、俺の退路すら塞ぐような形で。
シレネを選ぶか、他を選ぶか。利益と不利益が天秤に乗る。
まあいいか。
クラスメイトにこれ以上手を出すことはできなくなったが、シレネと仲間にすることで得られるものの方が多い。彼女の力は万人に勝る。
そう思わせる時点で、彼女はとっても魅力的だ。
「私でよろしいので?」
俺が答えると、教室中が湧いた。
「貴方でなくては駄目ですわ」
再び教室が湧く。
俺はシレネに近寄っていって、その手の甲に口付けを落とした。
「これからよろしくお願いします、シレネ嬢」
「~~っ。え、ええ。よろしくお願いしますわ、リンク様」
シレネの真っ赤になった顔、嬉しさを隠しきれていない口端。
初めて見るシレネの表情に、教室中はさらにヒートアップした。
恋愛はしていいんだ。
シレネ・アロンダイトという同世代の代表が率先して恋愛をしているのだから、むしろ、した方がいいんだ。自分に対する言い訳は立った。
そんな雰囲気に呑まれ、誰もが浮足立った。
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