第21話
◆
夢に見るのはいつだってあの光景だった。
自分の目の前で兄姉が倒れていくあの日の光景。
多くの死を目にしてそれらが自分の上に重なっていった日。人の死を背中に感じ始めた時。
あれ以来、自分は優秀な人間になった。正しく、強く、素敵な人間にならなければいけなくなった。
アロンダイト家という聖剣を預かる家の次期当主として、ふさわしい姿を周りに見せつけないといけない。
それは権利ではなく、義務である。
自由ではなく、強制である。
個人の意思とは関係なく、そうならねばならないのだ。
同時に。
そんな自分を早々に捨てたかった。ふさわしくない自分を殺したかった。あの日、震えていただけのゴミにも似た自分を、何かに誰かに殺してほしかった。
私は路傍の石にも劣る。
なのに、宝石のように輝かなくてはならなくて。
二律背反の中、必死に石の上の塗装を施して。完璧な輝きが見えるようにしたのに。
それなのに、その塗装は、化粧は、簡単に崩れてしまって。最期の瞬間には命乞いまでして。
――浅ましいですわ。
誰かが言う。
自分の声で言う。
シレネ・アロンダイトとして言う。
――貴方は結局、英雄として生きることも、兄姉のように死ぬこともできはしなかった。英雄の道が見えれば尻込みし、死が見えれば震えるだけ。そんな貴方に生きる価値はないんですの。
耳を塞ぎたいのに、その声は頭蓋を揺さぶってくる。
決して、逃がしてはくれない。
――貴方は何にも対峙していない。
兄姉の死にも、聖剣を背負う責任にも。
ただただ逃げているだけ。ただただ努力して優秀になろうと、ただただ英雄になろうとしているだけ。それだけなのです。
そうだ。
自分は何もしていない。決断していない。
迷いだらけの剣は、いまだに何も切れてはいない。せっかくの聖剣だって、これでは宝の持ち腐れだ。
『考え方を改めろ。あんたは英雄じゃない』
脳内に別の言葉が響き渡った。
これを言ったのは誰だっただろうか。
『あんたは、完璧を捨てたほうがいい』
最初に聞いた時は腹が立った。
自分を否定された気がした。すべてをゴミ箱に捨てられた気がした。
でも。
本当の自分自身を捨てていたのは、誰だ。
本当の私をゴミにしていたのは、誰だ。
『あの時死にきれなかったからって、死ぬことばかり考えるな。おまえの家族はそれを望んでいない。誰も、望んじゃいないんだよ』
でも、でも、でも。
そんなこと言われても。
どうしようもないのだ。
贖罪と矜持の中でしか、生きられないのだから。
『俺がおまえを殺してやるっていうんだ』
その言葉に、どくんと一際高い鼓動が鳴った。
この人なら、終わらせてくれるかもしれない。
ゴールがどこかもわからない、この道のりに、終止符を打ってくれるかもしれない。
すべてを理解してくれている彼ならば、私以上に努力をしている彼にならば、殺されてもいい。殺されても”しょうがない”。
その殺意に安堵の息を吐き。
そして事実、そうなった。
彼の手に渡ったアロンダイトによって、自分は切り裂かれた。
『おまえはここで死ぬんだ。死者がいちいちぐだぐだと考えるな。もっと貪欲に自分のことだけ考えてろ。これから先のことを、な』
これから、とはなんだろうか。
自分は死んだのに。
誇りと埃に塗れた愚かなシレネ・アロンダイトは死んだのに。
彼の言う通り、下らない矜持とクソみたいな歴史によって作られた英雄は、物語の端っこでも語られないようなどうでも良い路傍で死体になったのに。
どこに、続くのか。
誰が、続けるのか。
瞼が開いた。
地獄の先の景色は、見慣れた天井だった。
生前、自室として使っていた、学園の寮の一部屋だった。
「シレネ様! 眼を覚ましたんですね」
一人の少女が駆け寄ってくる。
「貴方は……」
「え?」
「えっと、貴方は、ええっと……」
「え、シレネ様。もしかして、記憶が……」
「あ、いえ、わかりますわ。レフさん」
知っている。
けれど、知らない。
知ってるはずなのに、何か感覚が違っている。
自分の知っているレフという子は、こんな顔をしていたっけ。
「あ、えっと、さっきまでライもいたのですけど、今は交代で休憩してる状態でして……。あ、ここに水差しがありますんで、まずは飲んでください。すぐにお医者様を呼んできますので!」
焦った様子でざっと説明して、ばたばたと走り去ってしまう。
彼女が部屋から去った後、きょろきょろとあたりを見渡した。
今まで過ごした自分の部屋。机とベッドだけの殺風景な部屋。間違いない。けれど、こんな部屋だったっけ。
何が変わったといえば、色彩。こんな色をしていたんだっけ。こんな形をしていたんだっけ。今迄見えていなかった情報が、脳内を埋め尽くす。
「いたっ……」
痛みがして、出所を探す。
衣服の中を覗くと、今までなかった傷があった。
肩口から一本線、腹部まで切り傷が走っている。
なんで、と思って、一気に顔が熱くなった。
「私、死んだんだ」
これ以上ないくらいに無様な醜態を晒して、敵だと定めた相手に命乞いまでして。
これが、英雄の姿か。
死んだ家族に胸を張って見せられる姿だろうか。
「はは」
乾いた笑いは止まらなかった。
「っははははは!」
面白かった。
あれほどまでに厳格に守ってきた英雄像。誰もが羨望する完璧な騎士像。
崩れるときは一瞬で、簡単で。
頑張って塗装したのに結局、ぼろぼろとボロを出して、出てきた姿はただのシレネ。愚かで馬鹿で阿呆で身の程知らずの、シレネ。
そう、ただの自分だった。
あの日、あの時、尻を見せて震えていただけのただの小娘だ。
「おこがましいですわね」
そんなやつが英雄?
馬鹿らしい。
阿呆らしい。
自分が創ることができるのは、せいぜいが喜劇。英雄を目指した世間知らずの大海知らず。三枚目が一人で苦しんで最終的には泣きわめくだけの寸劇。
最期、誰かの言葉を思い出す。
『シレネ・アロンダイトを殺す』
リンクの言葉を思い出す。
「あーあ。死んじゃいましたわ」
シレネは笑う。
笑う事しかできなかった。
微笑むばかりの笑みではなく、口を開けて笑うような阿呆面だった。
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