第20話
◇
『リンクは過去に戻りたいと思ったことはありますか? やり直したいことはありますか』
『ないな』
『ふふふ。相変わらず素っ気ないですわね。まあ、そういうところに惹かれたのですけれど。貴方は私のことを、皆のようには見てくれない。見ようともしない。私は貴方の前では英雄にはなりえない。その腐った卵のような目が好きですわ』
『褒めるなよ』
『ええ。褒めてるんですわ』
『で? そういう質問が出るってことは、おまえは思ったことがあるのか』
『常日頃ですわ』
『ち。聞いてほしいならそう素直に言えよ。シレネさんは、何をやり直したいんですか』
『死にたい、それだけですわ。私は死ねる時に戻って、死にたい。死ぬべきタイミングは何度でもあったのです。けれど、私は何度でも生にしがみつき、もう死ねないところまで来てしまった。ただただ、死ぬべきタイミングで死にたい』
『つまんねえ答え』
『本当ですわね。つまらない問答でしたわ。でも、そう言ってくれると信じていました。これはつまらない世迷言。逆立ちしたって過去に行くことはありえない。だけどやっぱり、
シレネ・アロンダイトは、死ぬべきなのです』
『……つまんねえ話だな』
◇
という顛末を迎えて。
とりあえず俺にできることは終わった。
後は野となれ山となれ。
俺がシレネの肢体を背負って立ち上がると、周りからは魔物のものと思しき唸り声が聞こえた。
四方八方、とめどなく響き渡り、鬱蒼とした森の中で木霊していく。
「……俺は死にたくないんだが」
物音を立てすぎたな。
たった一人では対処の仕方が難しい。
魔物の咆哮に応えるように、満身創痍の身体はみしみしと悲鳴を上げている。
一人だったらフォールアウトを投げて退避できるし、アロンダイトの衝撃波で薙ぎ倒すことも容易なのだが、いかんせん、背負ってるものがある。
俺は逡巡の後、一気に駆け出した。元来た道を走りきってみせる。
だが、当然追ってくる魔物たち。
害を加えてこない敵なんか、格好の獲物だろうよ。
「くそ! 重いんだよ!」
思わず叫んでしまった。
今の俺は前ほどの筋力がない少年時代。加えてシレネは少女にしては成長している。身長は高いし、背中に当たる胸部など細身の割には大きいものだから、そこで重みが追加されているに違いない。無駄に育ちやがって。
などと現実逃避。
肉薄してきた魔物をアロンダイトで切り捨てる。
が、数が多い。結構深部まで足を踏み入れてしまったがゆえに、一匹切り捨てたくらいでは減った内に入らない。怯えて止まってくれるはずもない。
舌打ち。
いよいよ魔物に追いつかれようとしたとき。
「捨てればいいじゃねえか。背負ってるのはおまえが嫌ってた相手だろ。打算ばかりのおまえなら、簡単に切り捨てられる相手じゃねえのか」
「……打算だからこそだよ。こいつにはまだ利用価値がある。使えるものは全部使うのが俺のやり方なんでね」
「そうかいそうかい」
斧が素早く振り払われ、俺の背に噛みつかんとしていた魔物が真っ二つになった。
「それなら離すんじゃねえぞ。俺が道を作ってやる」
走った先、レドがバルディリスを構えて立っていた。
「おまえ、別のグループだっただろ。どうやって、なんで来た?」
「逆に聞くが、おまえはなんでここに残った?」
「忘れ物をしたんでね」
「じゃあ俺もそれだ」
なんだそれ。
この場所に来てもいない奴が忘れ物なんかするか。
まあでも。
少し声を小さくして。
「正直、助かった」
「礼を言う必要はねえ。俺の班はここまで深く入らなかったからな。魔物の倒し甲斐がなかった。俺の成長のために来ただけに過ぎねえよ」
どこまでも素直じゃないやつ。
ただの脳筋バカ、ってことにしておこう。
「その様子ですと、目的は達成できたのですか?」
レドの隣には、アステラが並ぶ。
彼もまた気負うことなく、襲い掛かってくる魔物の群れを切り捨てていく。
「まあな。後は撤収するだけだ」
「それは重畳。素晴らしい」
「帰らせてもらえそうか?」
今もなおとびかかってくる魔物の数は、少ないとは言い難い。
「当然でしょう。私は言いましたよね、貴方たちを学園まで送り届けるのが仕事だと。しっかりお勤めを果たしますよ。クビになりたくはありません。こう見えて、仕事は好きなんですよ」
「前は失敗してるしな」と、口を尖らせたレド。
どうもレドはいまだにアステラに思うところがあるらしい。送る視線は冷たかった。
「はて。私が仕事を失敗することなんてありましたっけ? それに、私と貴方は初対面では?」
「そうだったな。すまん、偏見だった」
「もしもそうだったとして、貴方こそ何もしていなかったと思いますが」
「……」
無言のままバルディリスをアステラに向かって振り下ろすレド。アステラは簡単に避けていたが、彼でなかったら死んでるぞ。仲間割れすんな。
余裕があると好意的に受け取っておこう。
「リンク君、こっち!」
呼ばれたのでそちらに振り向くと、ザクロも来てくれていた。聖剣デュランダルを携えて、こちらに手を振っている。
「露払いは任せて」
言いながら、魔物を弾き飛ばしていく。
俺がその背中を追掛けていくと、開けたところではレフとライも待っていた。
「あ、来た! 大丈夫ですか?」
「背負ってるの、シレネ様? 何があったの?」
二人とも戻ってきてくれたらしい。
シレネの人望には改めて脱帽だ。俺だけだったら誰が来てくれていたか怪しいものだ。
「別に。ただ魔物に襲われただけだ」
「……でも、明らかに怪我は切り傷ですよね」
レフは恐る恐る俺の顔を覗いてきた。
シレネに牙や爪による怪我はない。あるのは肩口の刺し傷と、肩から腰の掛けての切り傷のみ。
魔物が刃物を持ったなんて話、聞いたこともない。
「どうだろうな」
「……貴方、場合によっては極刑物よ。四聖剣と明白な理由もなしに霊装を使用した決闘をしたなんて、許されるものではないわ」
状況の意味がわかって、ライも青ざめる。
そんなこと、わかってる。しかも俺たちはまだ学生の身分。霊装を有しているだけのお子ちゃまだ。それなりの処罰は下されるだろう。
「そうかもな」
「そうかもな、ってあんた」
「でも、リンク君は暴走気味だったシレネさんを止めようとしたんだよね? だったら仕方がないと思うけど。この場所でこれだけ魔物が出てるんだから、進もうとした方が問題じゃない?」
ザクロがフォローしてくれるけど、別にそれはいいんだ。
俺が欲しかったのは現状、この結果だけだから。
他人に何を言われようがどうでもいい。
「シレネ様が何を言うかだけど、四聖剣の発言は重いわよ。否応なく襲われたとシレネ様が証言すれば、貴方は終わりよ。貴方たち、仲悪かったわよね。大丈夫?」
ライも一応俺のことを心配してくれているらしい。
良い奴だな。やっぱりこんなところで死んでいいやつじゃない。
「ま、その時はその時だ」
「なんでそんなに楽観視してるのよ」
「構わん。俺は目的を達成したからな」
満足感しかない。
処罰が執行されるなら、甘んじて受け入れるし、それが極刑だというのなら逃げればいい。
この場での死を見逃すことに比べれば、大したこともない。
「清々しい顔をしすぎですよ」とレフは呆れていて、「それって……」とライは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「とにかく、今は逃げましょう。ここで死者を出してクビになりたくはありませんので」
アステラがレドと共に俺たちに追いついて、後退を促してくる。
大分周りの魔物の数は減っていて、これなら問題なく帰れそうだ。
「ん」
足を踏み出すと、ライから手を差し出された。
「なんだよ」
「シレネ様、私が背負うわよ」
「なんで」
「シレネ様をぞんざいに扱うあんたに任せてられないし、あんただって限界でしょ。見てればわかるわ。それに私だって霊装使いだもの。シレネ様の一人くらい背負えるわ」
確かに、ここでライにシレネを渡して、俺も遊撃に回った方が効率がいいか。
「わかった。任せるよ。ありがとう」
「別にいいわよ」
シレネの身体をライに預ける。ライの身長はシレネよりも低く、背負われたシレネの足がちょうど地面につくくらいだった。ライが歩いた後、地面にはシレネの靴を引きずった跡がついていた。
「……なによ」
「いや、なんでもない」
まさかおまえの方がシレネの扱いがぞんざいではないか、なんて言えないしな。善意でのことだしな、うん。
流石に靴を汚されたくらいで裁量が変わるわけもないし、放っておこう。
さて、自由になったからには、仕事をしないとな。
俺は霊装バルディリスを召喚すると、レドとアステラが殿を務めている中に飛び込んでいった。
「ちょっと! せっかく代わってあげたのに、なんでそっち行くのよ! 休めってことでしょ! やっぱりあんた、嫌いよ、嫌い!」
なぜかライの金切り声が聞こえてききたが、知らんふりをする。
せっかくここまで来たんだ。
全員が無事で帰れるように全力を尽くそうじゃないか。
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