第19話



 ◇



 勝負は最初の邂逅がすべてだ。

 意表をつくことがフォールアウトの利点。


 俺はフォールアウトを投擲する。シレネほどの剣士であれば、そのナイフは剣の一振りで簡単に弾かれてしまう。宙を舞ってシレネの背後に飛んでいくナイフ。


 そこに俺の姿は移動する。霊装をナイフから斧に変えて、彼女の背中向けて振り下ろした。

 アステラの時とは違って、容赦なく。

 思い切り。

 殺意を込めて。


 シレネは振り返らない。剣筋を見ることなく、一言。


「”破天”」


 シレネは振り返りもせずに呟いた。

 途端、不可視の衝撃が身体を揺さぶって、俺の身体は宙を飛んでいた。最寄りの木にぶつかって地面に倒れこむ。


「貴方の霊装、レドさんと似ているとは思っていましたが、そういうカラクリでしたか。他人の霊装を真似する能力、ですか。中途半端な貴方らしい能力ですわ」


 一発で看破されては鼻を鳴らすしかない。

 立ち上がると、みしりと身体のどこかで音が鳴った。


「アロンダイトの能力の一つ、破天。所有者の周囲に衝撃波をまき散らす」

「ご名答。良く知ってますのね」

「何度も喰らったからな」


 その威力は以前に受けた時よりも低かった。まだ使いこなしていないのか、はたまた、自覚があるのかどうかは知らないが、手加減でもしてくれているのだろうか。

 まだ彼女は英雄への道を歩き出してはいない。


 振り切れていない彼女は、人を殺したことがないのだ。


「……私のことを知っているような口ぶり、腹が立ちますわね」

「実際に知ってるんだからしょうがない。背中にほくろがあることも知ってるよ」

「……」


 シレネの顔が曇った。

 嫁入り前の身体だ。そりゃ思うところもあるだろうさ。


「貴方は……どうしましょう。本当に殺しましょうか。どうすればいいと思います?」

「知らねえよ。おまえが何をしようが、俺のやることは変わらないしな」


 フォールアウトを投擲。「馬鹿の一つ覚えに」とシレネはナイフを弾く。しかし、その意識は脇に飛んでいったフォールアウトに向けられていることはわかっている。

 俺が駆け出すと、当然シレネの意識はこちらに向かうが、向け切れていない。地面に転がったフォールアウトの動向が気になっている様子。


「俺の霊装は、選択肢の霊装なんだよ。一度で知った気になるなよ」


 むしろ、知った後からが本番だ。

 俺は手に”何も持たない状態”で、両手を振り上げる。

 振り下ろす直前、手にバルディリスを呼び、そのまま叩きつける。シレネは自身の剣でそれを防ぐ。


 金属音。

 鍔迫り合い。

 しかし、この状態はシレネに分がありすぎる。


「はて――」


 アロンダイトの能力を発揮される前に、俺はバルディリスを霧散させ、フォールアウトを背後に放り投げる。


「――ん!」


 衝撃が発生すると同時、俺は転移して衝撃波の範囲外へと逃走。すぐさまフォールアウトを投げる。「っ」シレネの顔が強張り、フォールアウトを避ける。シレネの背後の木にナイフは突き刺さり、俺は駆け出して、再びの接近。

 同じように両手を振り上げる。


「――破天!」


 今度は初っ端から衝撃波。

 だが、俺はシレネの口が動くと同時に移動している。

 ナイフの刺さった箇所、樹の脇に脚をつけ、そこから跳躍、バルディリスとなった霊装を横なぎに振るう。


 たたらを踏んで避けるシレネ。そこにナイフを投擲すれば、肩口に突き刺さる一撃となった。


「~~」


 音もなく怒りを発し、ナイフを引き抜いて俺向けて投げ返してくる。

 俺は途中でナイフを掻き消し、自身の手元へ。


「どうした? 息が上がってるぞ。英雄さん」

「下らない攻撃をしますのね」


 制服、肩の部分が赤く染まる。

 傷は浅い。この段階で、せめてアロンダイトが握れないくらいの手傷を負わせたかったんだが、欲張りか。


「その下らない攻撃でできることは沢山あるんだぜ。さあ、次、俺はどうすると思う? おまえの頭には多くの選択肢が与えられた。俺は次、何をする?」


 まるで後出しじゃんけん。

 相手の動きに合わせて動きを、霊装を変える。


 選択肢の霊装。

 選択するのは相手の方だ。俺はその選択に合わせて最適な行動をすればいいだけ。

 自分で言っておいてなんだが、中々に厄介な能力だと思う。


「別に、なんでもいいですわ」


 シレネはため息をつく。

 自分の傷口を見ようともしない。

 彼女は前を向いたまま。俺を見つめたまま。


「私が持っているのは聖剣。それだけの話ですわ」


 彼女の手にあったアロンダイト。

 それが、彼女の手から消えて。

 俺の手元にあった。


「は?」

「破天」


 何が起こったのか、一瞬わからなかった。

 俺の手には右手にはフォールアウト、左手にはアロンダイトが握られていて、そのアロンダイトから何かが噴き出したかと思うと、俺の身体は吹き飛び、転がっていた。


 再び樹の幹に体を打ち付け、嗚咽が漏れる。


「ぐ」

「なぜこの剣が霊装ではなく聖剣と呼ばれるようになったか。それは、霊装とは一線を画した力が備わっていたからにほかなりませんわ」


 アロンダイトの能力は二種類。

 剣の周囲に衝撃波を発生させる、破天。

 剣の所有を一時的に相手に移す、離天。


 相手に爆弾を押し付け、爆発させることができる、阿呆みたいな組み合わせ。

 二つの相性は最高で、最悪だ。

 先よりも威力の上がっている一撃に、俺はうまく身動きがとれない。


 草木を踏む音がする。顔を上げると、シレネがアロンダイトを携えてそこに立っていた。


「まあ、こういうことですわ。貴方が何を考えて何を成そうとしてるのか、それは私には預かり知らぬところですが、邪魔をするなら排除いたします。殺すのもやむなしですわ」


 冷徹な目。

 彼女は剣を振り上げて、

 それから、かき消した。


「……なんて、ね。私は貴方が言うような人殺しではありませんわ。貴方が何を言おうが勝手ですが、これ以上の邪魔はしてくれませんよう。私には四聖剣としての矜持がありますので」


 鼻息を残して、俺に背を向ける。


 まだ、シレネ・アロンダイトの仮面は砕けない。

 砕けていない。

 そんな風に堂々と下らない言葉を吐けるのは、シレネではない。


 聖剣なんか下らないって、さっさと気づけ馬鹿野郎。


「何が矜持だよ。はっきりと言え、呪いだって。お前が持ってるその剣の歴史は、ゴミみたいなものだって。捨てられるものなら捨てたいんだろうが」


 振り返った瞳は怒気に染まっていた。


「貴方、本当に死にたいんですの?」

「死にたいわけないだろ。おまえじゃないんだから」

「死にたがり以外には見えませんわ」

「命を賭けるほどの目的がある。それに命を賭けてるだけだ」


 命を捨てたいんじゃない。命を賭けた先に、ほしい未来がある。

 死が目的のシレネとは絶対的に異なっている。


 俺は立ち上がる。

 節々は悲鳴を上げているが、動けないほどじゃない。骨も折れるまではいっていない。

 だったら寝転がる理由はない。俺は腕がなくとも魔王を殺して見せる。


「俺は魔王を討伐する。そのために、おまえは邪魔なんだよ」

「まるで私がその魔王の味方みたいな言い方ですのね」

「魔王の敵の敵……って意味ならその通りだよ。おまえは敵だ」


 何人もの命を散らしてきた英雄。

 本性は、死人だ。

 生者を呼び寄せる屍。

 生者を地獄に誘い込む悪魔。


「あの時死にきれなかったからって、死ぬことばかり考えるな。おまえの家族はそれを望んでいない。死んだ兄弟は誰も、そんなこと望んじゃいないんだよ」


 シレネは目を閉じた。


「……もう深くは聞きませんわ。貴方は私のことを知っている。それを前提に言いましょう。貴方が言う通り、私は死ねなかっただけの人間です。優秀な兄姉の中で、たまたま生き残ってしまっただけの、未来のない凡人なのです」

「どの口が言うんだか」

「私が歩いている道は、兄姉の誰かが歩むべき道だった。少なくとも、私が歩いていい道じゃない。でも、私は歩き出してしまった。歩くしかなかった。だから歩いているだけ」


 ようやく本心を語りだす表情は、諦念と懺悔の入り混じったものだった。


「私のことを知っているのなら、人殺しだと言う理由もわかります。私は才能のあった人たちの屍の上に立っている。未来ある人間の未来を、代わりに生きている。何もせずにただ立っていただけの凡人。だから私は彼らの残した意志を、才能を、人々のために使わなければならない。人を殺した人間は、その罪を一生背負っていかないといけない」


 献身。

 忠心。

 何に? 誰に?

 赦しを請う先。そこには誰もいないのに。


「将来私が人を巻き込んで殺してしまう? はは、そうかもしれませんね。でも、私は止まれない。止まってしまったら、私は……」


 背後に迫り寄る死者の幻影に、追いつかれてしまう。

 そう語ったのは、今より数年後の彼女。すでに多くの人を巻き込み、英雄としての殻を外せなくなってしまった女性。


「……どこにいるんだろうな、そんなもの。俺には見えないんだ」


 彼女の周りには、何もいない。

 それなのに、彼女には死神が見えるという。

 どうしようもないというのなら。


「だから、殺すしか、ないんだ」

「……なるほど、貴方も考えての行動でしたのね。貴方の目的はわかりましたわ。ならば情けは無用ですね」


 初めてシレネの眼に理解が映る。

 おせえんだよ、ばか。


 シレネは再び倒れこんだままの俺に近づいてくる。

 アロンダイトを構える。


「貴方は私を殺そうとするのをやめない。それならば、私だってむざむざ殺されるわけにはいかない。殺し返すしかない。……きっとこれは、英雄の姿ではありませんね」


 アロンダイトの切っ先が震える。

 逡巡。

 迷い。

 不安。


 それらが見て取れたから。

 シレネが自分のことをに手いっぱいで、俺の手元に武器がないことに気が付いていないから。


 俺は勝ちを確信した。


 シレネの足元。吹き飛ばされた拍子で土の中に埋めたフォールアウト。

 その能力を発動する。


 移動。

 シレネの足元へ。


 転移したと同時、すぐさま彼女の足を掴んで引き倒す。「あっ」意表を突かれた彼女は情けない声を上げてその場にうつ伏せに倒れこんだ。

 その上に馬乗りになる。「破天!!」シレネが大声でそう叫ぶのも織り込み済みだ。だから俺はシレネの身体に抱き着いていた。

 弾け飛ぶ俺の身体。アロンダイトの衝撃波は所有者であるシレネには影響を及ぼさない。衝撃を受けたのは俺だけだ。しかし、そんな俺の身体はシレネを抱え込んでいる。


 俺が飛ぶのと同じく、シレネの身体も同様に。二人して勢いよく飛んでいき、くんずほぐれつ地面を転がっていく。俺は途中でシレネを離して、体勢を整えた。

 互いに荒い息をしながら向かい合う。


「騎士道精神の欠片もありませんのね。恥を知りなさい」

「はっは。良く言われる。でも、使えるものは全部使うぜ、俺は」

「最低ですわね」

「なんでそんなこと言われないといけなんだ。俺がおまえを殺してやるっていうんだ。夢を叶えてやるんだぜ。俺はむしろ救世主のはずだろ」


 肩を竦める。

 シレネは目を丸くして、薄く笑った。 


「……貴方がわかりませんわ」

「魔王を殺したいだけだよ、俺は」


 だけどせっかく過去に戻れたんだ。やれることは全部やっておきたい。


 未来で悲痛に泣いていた子を、片手間にどうにかしてやるだけ。

 俺の矮小な手で助けられるものを助けてみてるだけ。

 それだけ。


「私のことを理解して、殺してくれる、と。なるほど、アステラ様の言う通り、随分とお節介のようですね」

「そう聞こえるんならおまえも頭がどうかしてるんだな」

「貴方の言う通り、私はもう、とっくの昔にどうにかなっていますの。だから……」

「だから?」

「殺せるのなら、そうしてもらいたいですわ」


 アロンダイトの隙間から見えた、シレネの顔。

 その顔は、疲れたようで、縋るようで、助けを請うようで。


 やっと見えた、見たかった顔だった。

 俺の行動はただの打算だ。


 ”この状況を創り出すために”、会話をしていただけ。


 俺の霊装は、戦闘中の会話にだって意味を成す。

 いや、むしろ、そこが俺の本質なのかもしれない。


 人にどう思われるか。たったそれだけで、勝率を簡単に変化させる。

 俺は駆け出す。


 シレネは構える。アロンダイトを。


 俺は霊装を発現させる。”アロンダイト”を。


「ぇ?」


 シレネの目が驚きに見開かれる。

 自身の持つ剣と俺が持つ剣とを見比べて、惚けた顔になる。


 まったく同じ。自分で俺の手に移したわけでもない。混乱は当然。

 俺がアロンダイトを手にしている意味。今、持つことができている意味。俺の想いが、殺意が伝わって、ようやく発現したアロンダイト。それがわかるから、予想通りだから、


 ――ほんの少し、切なかった。


 剣と剣とが交錯する。

 先に口を開いたのは、俺の方だった。


「破天」


 バシッ、と高い音がして、シレネの身体がいくつか枝を折りながら、後方に吹き飛んでいく。


 容赦はしない。

 その方向に、俺はアロンダイトを放り投げる。

 シレネが地面に転がったその近くに剣は突き刺さる。「ひ」シレネがアロンダイトを視認して、立ち上がろうとした瞬間。「破天」俺は再び衝撃波を発生させる。


 横たわったシレネの身体を人の背の高さ以上に吹き飛ばす。

 魔物すら吹き飛ばす威力の衝撃が二回。


 流石のシレネも受け身も取れずに地面に落下、突っ伏したまま動かなくなった。

 手加減はしなかった。全身打撲の様子のシレネ。近づいていく俺を見つめる。


「……なん、で」

「俺こそなんで、だよ。俺の霊装が他人の霊装をコピーするものだとわかっていたのに、どうしてこうならないと思ってた?」

「今まで使っていなかったのに……」

「今まで使っていないからといって次の瞬間に使わないとは限らない」


 まあ、実際には使えなかったわけだけど。俺の霊装は使い勝手が悪い。

 今だから、使えている。

 幾度も伝えた殺意が身を結んだものと言えば、後味の悪いものにはなるが。


「こうなると、なんとなくわかっていたからな」


 死地の中で。

 俺の力を示して。

 もしかしたら、を植え付ければ。


 シレネはそう考えるだろうと思った。俺という敵。しかし、シレネにとっては殺意は味方だった。救いだった。彼女に寄り添っていたのは、いつだって死神だけだったのだから。


 俺が死神になれば。

 俺への想い。

 殺意によって成就すると、わかっていた。


 転がったシレネは起き上がろうともがいているが、叶っていなかった。


「私、死ぬんですの?」

「ああ、俺が殺す」

「そう」


 浅い息を吐きながら、空を見上げて、


「死ぬってどういうことなのでしょう」

「知らねえよ」

「私という存在が消えて、人の記憶の中だけになるでしょう。それはきっと……」


 疲れた顔から。

 ぼろぼろと。

 涙が零れて落ちた。


「いやだ、いやだ。死にたくない」


 少女の慟哭。

 アロンダイト家のシレネは、ただただ無垢に泣いていた。


「でも、死なないといけないんです。早く死なないと、皆に迷惑をかけてしまう。もう疲れたんです。でも私はまだ何も成し遂げてない。せっかく兄姉からもらったこの命なのに、何もできてない。ダメなんです。私は、胸を張って死なないと。天国で皆から良くやったねって言ってもらえるように死なないと、ダメなんです。それだけが、私の生きる価値なんですから」


 それは呪いにも等しい。

 霊装という、超常の力の代償。

 いや違うな。これはただの人の弱さだ。


 霊装に頼りすぎて、霊装に人間社会を壊された弱者の末路だ。先代たちの霊装と共に受け継いだ下らない歴史のせいだ。


 シレネはアロンダイトを握る。ぼろぼろの身体で、尚も戦いを欲している。

 操り人形のように、眼は憔悴しきっているのに、ただただ剣を握って――


「もういいよ」


 俺は剣を構える。

 彼女の、アロンダイトを構える。

 彼女を壊した聖剣で、とどめを刺す。


「おまえはここで死ぬんだ。死者がいちいちぐだぐだと考えるな。もっと貪欲に自分のことだけ考えてろ。これから先のことを、な」

「や、やだ……」


 涙目のシレネ・アロンダイト。

 それが彼女の最期だった。


 俺はアロンダイトを振り下ろす。

 鮮血が舞い、周囲の草花に飛び散った。


 シレネは目を見開いて、それから、閉じた。

 後悔と満足の混じった、嫌な顔だった。

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