第18話



 ◇



「魔物という存在は、実はまだその全容が解明されてはいません。どこから生まれるのか、どうして人を襲うのか。なぜこの森を生息地にしか生息していないのか。ただ一つ、人間としての脅威になるという事実だけが存在しています」


 木々が生い茂る森の中、アステラを先頭に進んでいく。

 まだ浅い森の中、普段から人通りもあるようで、道はしっかりと踏み固められていた。木漏れ日が差し込み、緩やかな風に枝が揺れ、俺たちを歓迎しているかのような過ごしやすさ。


 だけど過ごしやすいことがいいことじゃない。

 森自体が意志をもって俺たちを飲み込んでいるような、そんなおぞましさを感じる。


「私たち騎士団の仕事は、王国の安寧を守ること。自己研鑽、王都での警備、そして、この森での魔物の討伐となります。このあたりにいる魔物はたまに人里に下りてきて、悪さをするものもいます。事前にそういった魔物を狩り、人々を守ることが私の誉れです」


 言葉に噓偽りはなさそうだった。

 自分の行いに正義と意義を見出している。

 そんなやつが守るべき国民を殺そうとすれば、剣を置く理由にもなるだろう。


「私たちは将来、騎士団に入るべきなんでしょうか」


 レフが手を挙げて問いかけた。


「それは個人の希望でしょう。確かに霊装使いのほとんどは騎士団に入り、王都、ひいては各街での警備にあたります。彼らの戦闘力は一般人を凌駕し、不慮の魔物との戦闘でも大いに活躍できる。そうなってほしいという意見が多くて、こうして将来の騎士団員を見越した森への散策が行われているわけです」

「でも、私、その……」

「ええ。もちろん、霊装使いの中でも争いに向かない人もいます。そういう人は無理に戦いの場に来ることもないでしょう。しかし、覚えておいてほしいのは、貴方の中には人を救える力があるということ。普段は使わなくても、いざというときには隣人を守ることができるということ、それはしっかりと覚えておいてください」

「はい!」


 レフは感激したように何度も何度も頷いていた。

 相手の意志を尊重しながらも、必要なことを伝えていく。これはモテる。

 コミュニケーション能力が欠如している俺は、アステラにそこを教えてもらった方がいいのかもしれない。


 森の中を進んでいくと、一匹の魔物が現れた。

 犬をベースにしたような四足歩行の生物で、眼はぎらぎらと輝いている。犬と異なっているのは、人に致命傷をもたらすための大きな牙と爪。まだらの毛模様は森の中での視認性を下げ、人間に不意打ちを与えるためだろうか。


 そいつはこちらを見るや、一直線に駆け出してきた。


「これが魔物です」


 怯えて抱き合うレフとライに優しい視線を向けてから、アステラは一歩前に踏み出した。


 魔物が駆け寄ってきて、アステラと交錯する。

 一閃。

 魔物の牙が届く前に、アステラの剣が獣の肉を両断する。頭蓋の上半分を吹き飛ばされた化け物は、そのまま地面を転がって動かなくなった。


「魔物の急所は普通の動物と変わりはありません。心臓を潰せば、内臓を砕けは、頭蓋を切り裂けば、簡単に死ぬ。霊装使いである貴方たちなら容易いでしょう」


 剣についた血と油をふき取って、振り返ってくる。

 レフとライは震えているが、流石にシレネは堂々としていた。むしろ、うきうきとしているようにも見えた。


「次は私にやらせていただけます?」

「アロンダイト嬢。ええ、いいでしょう。これは疑似訓練も兼ねています。霊装の使用を許可しましょう。しかし、安全には十分に気をつけてくださいね。無理は決してしないこと」

「当然ですわ」


 シレネは虚空から剣を引き抜く。


 聖剣アロンダイト。

 全身を漆黒に染めた諸刃の剣。夜のように美しく、深淵のように恐ろしい。


 ごくり、とライが息を飲んだ。

 学園の中でも、まだ霊装の訓練は本格的には行われていない。自分に宿った超常の力を恐れる生徒が多いのも事実。


 しかしシレネはその真逆。自分の霊装を理解し、理解しているからこそ、気負いなく柄を握ることができる。剣よりも黒く、笑うことができる。


 笑顔の鉄仮面が剥がれていく。

 現れたのは、別の顔。

 シレネ・アロンダイトは”英雄”である。

 英雄に、なる。


「さあ、行きましょう。私たちで人々の生活を脅かす魔物を殺し尽くすのですわ」


 意気揚々と歩き出すシレネ。

 眉を潜めて俺を見るアステラ。

 俺は肩を竦めるだけだった。



 ◇



 森の中を歩いていく。

 段々と鬱蒼としていく。木々が増え、足元が悪くなり、木漏れ日が薄くなる。

 人と魔物の生活境界線。ちょうどそのあたりに差し掛かっていた。


「アロンダイト嬢、止まってくれますか」


 流石にアステラが声を上げた。


「はい。どうかいたしましたか?」


 シレネは振り返る。携えた剣からは血が滴っていた。剣は元より黒いため、何体の魔物の血を吸ったのかわからない。

 魔物を斬るたびに、彼女の剣は速くなっていった。

 我が意を得たりといった様子。自分の場所はここだとでも言わんように、剣は強さを主張する。


「ここからは森の深部に入ります。騎士団員でもおいそれと入れる場所ではない。ここまでにして引き返しましょう」

「どうして?」


 こてん、と首を傾げる様は、幼女のような無垢を有していた。


「人間の敵が目の前にいるんですよ。付近の街では毎年のように被害者が出ている。そうでしょう? 霊装使いとして、そんな害悪を根元から絶つという考えは、間違いでしょうか?」

「危険が伴います。貴方たちも守られるべき国民だということを忘れないでいただきたい」

「私たちは霊装使いですよ。他の一般の方と同じ尺度で考えてはいけません。私たちは戦うために霊装を受け継いだ。死など恐れていてはいけません。人々のために、この命果てるまで戦わなくてはならないのですわ」


 陶酔しきった表情。

 自分の矜持に宿命に、浸りきった顔。

 その顔には見覚えがある。

 何度も、何度も。


「シレネ。監督員であるアステラが言ってるんだ。ここで引き返すべきだ」

「貴方も臆病風に吹かれましたの? あんなに大口叩いておきながら」

「一度息を吐け。周りを見ろ。もう少しでも進めば本格的に魔物の住処だ。何百もの魔物をおまえは殺しきれるのか?」

「できるかどうかではありませんわ。やるのです。それが私の生きる意味なのですわ」

「森に入る前、俺の言ったことを覚えているか?」

「ああ、戯言の話ですか?」


 ため息をつく。思ったよりも大分重症だった。

 ここまで来てしまったら、もうだめだ。

 やっぱり彼女は根元から、侵されている。言葉なんかじゃ変われないほどに。


「ねえ、レフさん、ライさん、そうは思いませんか? 私たちが霊装使いになったのは、人を救うため。こんなところで足踏みしているようでは、大切なその時、誰も守ることはできませんわ。私たちはここで一歩踏み出し、殻を破り、真の英雄へと昇華するのです」


 その行いが正しいと錯覚するような言い方。陶酔した表情で宣うのは、神託のようでもあった。


 ライもレフも顔を見合わせる。

 クラスで絶大な信頼を得ている少女。彼女は四聖剣の一人で、美人で、頭がよくて、温厚で、正しくて。

 そんな彼女が言う事だから、間違いじゃない。

 それに、彼女は強いのだ。万が一なんて起こりようもない。


 きっと。


 二人の眼には、そんな逡巡が垣間見えた。


「ねえ、そうでしょう? 私たちは正しい行いをしているのです。ここで魔物の一匹を殺すことが、人一人を救うも同義。私たちは英雄となる。その一歩目をここで踏み出すのですわ」


 迷いながらも一歩踏み出そうとする。

 レフとライ。二人の少女に手を伸ばす。


 それは聖女の誘いだが、

 俺には死神の高笑いに見えた。


 真っ黒い手を、ほかならぬ俺の手が掴んで止めた。


「その口を閉じろ、人殺し」


 流石に我慢できなかった。

 俺は一歩踏み出して、シレネと対峙する。


「変わってくれとは思っていたけど、やっぱり無理だったみたいだな。英雄と言えど、人はそう簡単には変われないってことだ」

「貴方は何度も同じことを言いますのね。私が何か間違っていますか? これは人のためなのです。霊装使いとして、四聖剣として、務めを果たすだけ」

「レフ、ライ、あんたらはここで死ぬぞ」


 どうしようもないやつの相手はやめて、背後に控える二人に語り掛ける。


「え、」「何言ってるのよ」

「俺にはわかる。このまま進めば魔物の巣だ。大量の魔物に囲まれて、なすすべなく死ぬ。噛まれて、切り裂かれて、砕かれて、人としての姿を保てなくなって死ぬ。こいつについていくのはやめろ。おまえらはこいつとは違う。いや、こいつは、おまえらとは違うんだ」


 二人が死ぬ理由があるというよりは、シレネが生き残る理由がある。

 シレネだけが生き残れる。


「なんでそんなこと、わかるのよ」

「見たからな」


 血まみれのシレネが三人の遺体の欠片を引きずりながら、沈痛な面持ちで帰ってきた瞬間を。

 魔物に急に襲われた。必死に戦ったが、生徒二人と、随員した騎士団員を守ることはできなかった。


 涙ながらにそう語ったシレネ。

 後日森の中でシレネが殺した魔物の死骸を騎士団員が確認、その数の壮絶さを目の当たりにして、それを一人でやりきった彼女は”英雄”になった。

 彼女は急な魔物の襲撃を受けてもそれをすべて殺しきる力があった。


 しかし、本質は。

 そんな数の魔物がいるところまで踏み込んだだけ。火中の栗をわざわざ拾いにいっただけ。

 そのときだって、今、この時と同じ。こうやって彼女は他人に”蛮勇”を突き付けたのだろう。


「あはは。夢にでも見ましたか?」

「正夢なんだな、これが」

「現実と夢との区別もつかない奇人がよくもまあこの学園の門をくぐれましたのね」


 シレネは俺の後方、三人の動向を確認する。

 その足が動かないのを見ると、ふう、と息を吐いた。


「皆、こんな人の狂言の方を信じますのね。私よりも、この人の言葉を信じる、と。まあいいですわ。ここから先は私だけで行きますの。貴方たちは良くても、私はやらなければならないのですわ」


 背を向けて歩いていってしまう。

 深淵、地獄。

 人の住む世界ではない場所へ。


「アステラ。二人を連れて戻ってくれ」


 俺は指を鳴らす。

 手元に現れるは霊装ホワイトノート。真っ白な布は一瞬で斧の形を形どると、俺の掌に落ちてきた。


「リンク君はどうするつもりですか? 私は監督員として、全員で戻る以外の選択肢はありえないと思いますが」

「同意するよ。でも、あいつは進んでしまった。それに、約束したんでね。変われないんなら、殺すしかないって」


 駆け出す。

 霊装バルディリスをシレネに向ける。


 振り返ったシレネの口角が歪んだ。待ってましたと言わんばかり。

 血と油に汚れたアロンダイトで、バルディリスを受けた。きいん、という甲高い音は、森の中に響き渡っていく。


「霊装使い同士の殺し合いは禁止ですわ。重罪で、王都にて裁かれますの。証人が何人もいる状態で何をやっていますの? 貴方はほんっとうに、愚か極まりないですわねえ」

「人殺しを殺すだけだ。何の罪もない。これは粛清ってやつだよ」

「言っても聞いてはくれませんのね」

「どっちがだよ」

「な、何やってるのよ!」


 ライが大声を出す。

 残りの三人からすれば、確かに何故こんなことになっているのかわからないだろう。


 魔物を放って、味方同士で殺し合う。

 しかし、俺からすれば譲ることのできない正念場だ。


「俺の命を賭けてもいい。ここでこいつを見逃せば、何十人も死ぬことになる」


 この場で英雄となったシレネは、発言力を増していく。

 蛮勇に近い行動も法案として通る様になって、多くの戦果を挙げていく。同時に、彼女の隣からは人が消えていく。英雄の隣には立てない、そんな聞こえのいい言葉に甘えて、隣人は死んでいく。


 無駄に。

 無為に。

 彼女は振り返らずに、自分の力だけで前に進んでいく。

 英雄とは――悲惨な現場でこそ、一番に輝くのだから。


「そんなわけないでしょ。だって……」 


 ライの言葉が弱くなったのは、シレネの表情が原因だ。

 にこにこと温厚な笑みを浮かべているカワイイ女の子。

 それが今や、口元が裂けそうなくらいに狂気に満ちた笑顔を作っているのだから。


「私は正しいことを言っていますよね。皆が私を肯定する。この、シレネ・アロンダイトを。なぜなら私が正しいから。絶対だから。だから誰も私に反論してこない。私は間違っていない。そんな私の道を阻むという事は、貴方こそが悪ですわ。悪は斬らないといけません。世界のために、貴方のような異分子は掃討しなくては。それが、正しい」


 英雄の定義とは。

 悪を退治すること。敵を殺すこと。

 おあつらえ向きに現れた、俺という敵。シレネの物語の中で現れた、明確な悪。

 英雄譚の一ページ目が確定して、そりゃあご満悦だろうよ。


「わかったろ。これはおまえらの知るシレネじゃない。――いや、おまえらの思うシレネなんか、最初っから存在しないんだよ」


 鍔迫り合いの最中、後ろからは息を飲む音。


「リンク君には考えがあるというわけですか?」


 このやり取りの前後を知らないアステラが、だからこそか、冷静な声を発した。


「ああ。自分の命を賭ける価値があるくらいに」

「私の知り合いも、過去にそんなことを言っていました。それと比べていかがでしょう?」

「その時と同じくらいに譲れない」

「そうですか」


 アステラは息を吐いた。

 土を削る足音は、背を向けたということ。


「では、私は先に戻っています。ほら、お二方、帰りましょう」

「え、どうしてですか?」と困惑顔のレフ。「二人も連れていかないと!」と怒り半分のライ。

「私の親友は人の笑顔に満足そうな顔をできる人です。誰よりも人の幸せを願っている。悪いようにはしないでしょう。ああ、そう言えば、親友とリンク君は別人なんですけどね」


 はっは、と楽しそうに笑う。

 いつの間に親友になったんだよ。


 ライとレフ、二人とも動く様子はなかったが、この喧騒を感じてか、魔物のうめき声が周囲を埋め始める。喉の奥から鳴る威嚇のような鳴き声が、その大きさを増していった。


「ほら、お客様がいらっしゃいましたわ。きちんと冥府にご案内さしあげないと」


 一人だけ、シレネだけが笑顔。

 教室よりも愉しそうに、幸せそうに、笑っている。

 埋め尽くす魔物と、気が狂ったかのようなクラスメイト。そんな状況では、流石に恐怖が勝ったらしい。ライたちは「ち、ちゃんと帰ってくるのよ!」と声を張り上げて去っていった。


 残ったのは、阿呆二人。

 どちらも自分の理想を押し付けるだけの幻想家。

 近寄ってきた魔物を、互いに切り捨てる。

 本命は魔物ではない。


「俺は阿呆にはなりたくなかったんだけどな。早々にその英雄面を壊したかったんだが、そう上手くはいかないな。誰かさんが話を聞かないせいでこんな羽目になっちまった」

「私は魔物を殺そうとしていますわ。それなのに、貴方はそれを止めようという。人々のことを考えているのが私の方なのは、明白ですの。それを邪魔するということは、きっと世界を陥れようとする悪魔の所業ですわ。ならば、私がここで切り捨てないといけませんわ」


 悪魔だって。

 笑ってしまう。

 世界が魔王の脅威に晒されているのに、なんで俺たちはこんなところで争っているんだ。


「……自分が間違ってるって、どこかでわかってるんだろ」


 シレネ・アロンダイトは品行方正。

 愚痴も悪口も人を貶す言葉は使わない。

 本来のシレネなら言わない言葉は、彼女の本質との乖離を表している。


「わかりますわ。私は優秀ですもの。だから貴方が死ぬんです」


 シレネは順じない。

 どちらにせよ、もう引き返すことはできない。

 一度乗ってしまった地獄行きの馬車。降りるということは、死ぬと一緒。


「戦う前に、一個だけ、伝えとかないといけないことがある。未来のおまえからの伝言だ」


 俺は霊装をレドのバルディリスから、アイビーのフォールアウトへと変化させる。

 シレネは俺の霊装の本質を知らない。学園内ではバルディリスしか見せてこなかったので、その綺麗な眉が寄った。


「英雄の一歩目。この森の中。あの時――死んでおけば良かった、だとさ」


 止まれないことはわかっていても。

 止まってはいけないことをわかっていても。

 それでも彼女は人間で。

 背後にある死体の山を見て怯えながらも、前に進むことしかできなかった。止まったら背後の死者に申し訳なくて。生き残った自分への贖罪を考えて。でも、進むたびに死者は積み重なっていって。未来に多くの死体があることもわかっていて。


 どこにもいけない彼女は、未来に進むしかなかった。

 その先が地獄だとわかっていても。


「その道に未来はない。ここが一歩目だ。その英雄譚、一ページで終わらせてやるよ」

「やれるものならどうぞ」

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