第16話




 ◆



 アロンダイト家の歴史は霊装と共にあった。

 初代がアロンダイトを賜った時から、家系はアロンダイトと共に歩むことが確定した。


『霊装は強大な力である』


 初代が二代目候補たちを集めた場で発したのは、そんな言葉だった。

 全員が頷いた。父がアロンダイトを扱うさまを目の前で見てきたから。その強大さゆえに聖剣という別名を拝し、他の霊装とは一線を画した存在である様を見せつけてきたから。


『これを扱う者も、同じく強大ではなくてはならない』


 再度、頷きを返す。

 剣が最強であっても、扱う者次第ではなまくらに成り下がる。

 訓練を欠かさなかった彼らも、その意味はよくわかっていた。


『このうちの誰かが、私が死んだ後にアロンダイトを受け取るだろう。霊装は血族の中でより優れた者に宿るという』


 ごくりと息を飲んだ。

 そう、それを受け継いだ者こそアロンダイト家の次期当主。

 絶大な霊装と、権力と、発言権を得ることができる。


『だが、それでいいのだろうか』


 突然の当主の言葉に首を傾げる息子たち。


『果たして霊装の選ぶ優れた者、とは、人間の立場で考えられた優れた者なのだろうか。別の尺度で考えられて、有象無象が選ばれやしないか。愚鈍な者によってこの血が絶えたりはしないだろうか。私は当主として、それだけが心配でならないのだよ』


 それぞれが声を上げた。

 私なら大丈夫です。俺ならうまくやれます。心配しないでください。

 それらの声を受けて、当主は口角を上げた。実際、彼も子供たちの訓練を何度も目にしていた。息子たちは親の贔屓目なしに、優秀だと胸を張って言える。自分の子たちの成長を眩しく思った。満足である。


 同時に。

 これだけか、とも思った。思ってしまった。

 満足、とは、自分が満足しただけ。

 満足、とは、予想を超えなかったということと等しい。

 アロンダイトを賜った自分に比べて、彼らはどうだ? 十分に強いのか? 霊装は優れた者がいないと判断したとき、どうなるのか。


 不安、不満、不信。

 彼は頭を抱えて、自分の疑問に答えを出した。


『お主たち、殺し合え。生き残った者を当主とする』



 ◆



 その言葉を聞いた時、まだ七つだったシレネは首を傾げることしかできなかった。

 病床に伏せる父が五人の子供たちに言い放ったのは、聞いたことも予想したこともない言葉だった。


「私はもうじき死ぬことになるだろう。そして我がアロンダイトを継ぐのは貴様たちの誰かになる。私は子供たちに十分な教育を施してきた。間違いがない。誰が選ばれても問題はない」


 しかし、なのか。

 だから、なのか。


「最終段階だ。私が死ぬ前に、貴様らで殺し合い、後継者を決めるがいい」


 これがアロンダイト家の歴史だ。死地を創り出し、人間の暴力性を確認し、最高の後継者を生み出すことで、今まで強いアロンダイト家を存続できたのだ。


 そんな言葉で彼は口を閉じた。

 困惑しているのはシレネだけではなかった。

 この場にいる家族たちは、全員、こんな未来を考えたこともなかった。仲も悪くはなかったし、誰がアロンダイト家に選ばれても言いっこなしだとお互いをたたえ合っていた。

 降ってわいたような殺し合い。

 長兄が口を開いた。


「待ってください。そんなことしなくても、私たちは全員優れた人間です。誰が選ばれてもアロンダイト家の繁栄は約束されています」


 ほとんど全員が頷いた。

 全員ではなかった。

 反論したのは、次兄だった。


「貴方だからそれが言えるのでは?」

「……は?」

「今、この時、最も優れているのは貴方だ」


 長兄は十五歳。次兄は十三歳で、いまだ剣でも学でも長兄に敵わずにいた。余命も残り少ない父の前で、自分が兄に勝つことは難しいと思っていた。


「このままでは十中八九貴方が選ばれる」

「……何を考えている」

「霊装を持っているかどうか、それは零か十かの違いにもなる。他者の目つきは変わり、自分の歩みも変わってくる。ここでアロンダイトを引き継げるかどうかは、人生そのものの違いなんだ」

「やめろ。その考えは危険だ。ほとんどの人間が霊装を持っているわけではないんだぞ」

「だが、持っている人間は”上”に行く! うちだってそうだ。誰も父には逆らえない! この跡目で負けるということは、これから一生負け犬の人生だという事だ!」


 ヒートアップしていく次兄。

 それを見て、シレネは怯えることしかできなかった。

 次兄はいつもシレネには優しかった。こんな顔は見たことがなかった。

 病床の父は息子たちのやり取りを見て、アロンダイトを取り出した。その切っ先を長兄に向けた。


「断るのなら、ここで命を絶て。霊装を受け継ぐということは、そういうことだ。国を、世界を、人々を守る。他人に譲ってもいいなんて言えるような覚悟であるのなら、そんな人間は必要ない」


 長兄は押し黙る。

 他の二人、長姉と次姉は震えている。


「そういうことだ。悪く思わないでくれ」


 ぐさり。

 なんて。

 実際にはそんな音はしなかった。


 無音だった。絹擦れの音が聞こえた程度。それだけで人を刺せるんだ、とシレネは学んだ。

 次兄が近くにいた姉を刺した。音もなく、声もなく。じわりと血が服に滲んで、剣を伝って、雫となってその部屋に落ちた。

 姉の口は震えていた。何かを言おうとしているのはわかるのだが、何も出てきはしなかった。

 次兄は剣を引き抜く。姉はその場に崩れ落ちる。


 人が死ぬのに、劇的なことはない。

 ただ刃物を刺して、抜くだけ。それだけで数時間前には笑いあっていた存在がこの世から消える。


「あああああああああああああああああああああああああああ」


 それが誰の絶叫だったのかはわからない。

 甲高くもあって、野太くもあって、近くでもあり遠くでもあった。


 ひどく耳に残るその絶叫で、シレネは部屋の隅に逃げた。頭を角に押し当てて、尻を部屋の中央に向けて、ただただ震えた。


 背後では絶叫と怒号とが飛び交っていた。

 さっき死は無音だと学んだばかりなのに、今回は色んな音がした。眼を閉じているのに、その情景は瞼の裏に浮かび上がってくる。


 今、もう一人の姉が死んだ。腹部を刺されたらしい。次兄に対する怨嗟と絶望の声をまき散らしながら。途中で言葉が途切れたことから、顔面を蹴り飛ばされたんだろうと思った。


 二人の兄の争う声が聞こえている。

 剣と剣とがぶつかり合う金属音が響き渡る。


 「ぐ、げ」なんておよそ人の言葉とも思えない鳴き声が聞こえて、誰かがばたんと倒れた。


 三人死んだ。

 五引く三は、二。

 戦って勝った人と、自分だ。


 シレネの震えは加速した。


 死ぬ。死ぬ死死ぬ。


 こつん、こつん、と靴が床を叩く音が聞こえる。

 最近読んだ本にあった死神とは、きっとこういう声を出すのだろう。


 シレネは顔を上げることができなかった。

 上げた瞬間、死が目の前に迫っていることがわかるから。

 目を閉じていれば、見なければ、もしかしたら夢になるのかもしれないから。


 足音が止まる。

 なんで?


 もう歩く必要がないんだ。

 なんで?


 もう、すぐ、はいごにいるから。


「シレネ」


 かけられた声は、長兄のものだった。


「もう大丈夫だよ。顔を上げて」


 優しい、長兄の言葉。いつだって歳の離れたシレネを慮ってくれていた、好きな家族。


 シレネは恐る恐る目を開けて、振り返った。

 兄より先に、部屋の地獄絵図が目に入った。

 うつ伏せに倒れこむ次姉。眼をひんむいて壁にもたれかかっている長姉。腹部に剣が突き立てられて大の字に寝転がる次兄。


 いずれも真っ赤だった。動くことはなかった。紅いカーペットでも引いたかのように、艶やかな赤色で装飾された部屋。

 長兄も朱かった。しかし、その笑顔は変わっていなかった。


「あ、お、お、おにいちゃ」

「大丈夫だから。ね。ほら、立って。お兄ちゃんと一緒に行こう」

「ど、どこに?」

「どこでもいいよ。こんなことさせるなんて間違ってる」


 兄は誰の血なのかもわからない、紅く染まった剣を握った。


「その前に、落とし前はつけよう」


 兄の視線はベッドに向かった。

 向かう先は父の病床。

 家族なのに。

 今まで仲良くやっていたのに。


 父が病床に臥せなければ、こうはならなかったのか。死が遠くだったら、まだ笑いあうことができたのだろうか。


 ぐわんぐらんと混乱する脳内。

 兄と父、どっちに何の言葉をかけていいかわからないまま。


 兄の首が飛んだ。

 ぴょーん、って。

 胴体から飛んでいった首から上は紅いカーペットの上に不時着して、赤色の液体をまき散らした。離陸された胴体はぐらりと揺れて、頭蓋の後を追った。


「……残ったのは貴様か」


 父が真っ黒な剣を振り下ろした状態で立っていた。


「まあ、愚鈍な男よりはマシだろう。アロンダイト家の長兄として情けないな。家族よりも友よりも愛よりも、何よりも剣に身を捧げてこその最強である。これより先の人生は、このアロンダイトの、国の、民のためにある」

ひ「ひ、」ひ。

「おいおい、まさか我を失ってはいないだろうな。しっかりしてくれ。貴様はこれからアロンダイト家の当主として育っていくのだからな」


 そう言う父の目の焦点も合っていないような気がした。

 自分も将来こうなるのかと思うと、ぞっとした。


 泣きたかった。

 喚きたかった。

 でもそれ以上に、


 死にたく、なかった。


 シレネは口角を吊り上げた。しかし、とても上がりそうになったので、無理矢理指で持ち上げた。


「わ、私は大丈夫、ですわ」


 今、こうやって父と戦うことのできない自分が大嫌いだった。

 一族の慣習に抗うことなくただただ従うしかできない現状に吐き気がした。

 兄姉の死体が転がっている空間で、笑う事しかできない自分が、殺したいくらいに嫌いだった。


 でも同時に。

 もう自分しかいないのだ。兄姉はもういなくて、アロンダイト家の子供で残ったのは自分だけ。兄姉の死に報いるためには、自分がやらないといけないのだ。自分が優れた人間でなければ、このひと時に何の意味がある? 


 私は、優秀だから生き残った。

 私は、将来英雄になるから、生き残らせてもらえた。

 そうじゃないと、そう思わないと、彼らの死は無駄になってしまう。今この時の出来事が無意味になってしまう。


 シレネはとっても死にたくて。この場で生き残った自分が大嫌いで。殺したくて。

 シレネはとっても生きたくて。この場で生き残ってしまった自分を、英雄にしないといけなくて。


 ゆえに、彼女は生きている。

 死にたくて死にたくて。でも生きて英雄にならないといけなくて。


 生と死の境目は、地獄よりも熱かった。

 

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