第15話
◆
霊装と聞くと、多くの人間はその所有者に羨望の目を向けるだろう。
霊装を受け継げたなんてすごいなあ、羨ましいなあ。
人知を超えた超常の力。
その身に宿すことができれば、他人に対して優位性をとれることは間違いがない。単純に武力として。それを笠に着た権力として。選択制を迫る交渉力として。
つまるところ、霊装は、力だ。
事実、王が王としてこの国の頂点に立っているのは、それが理由だからである。絶対の霊装があったからこそ王は人々を統治することができ、妥当性と共に今日までの世界を創り出すことができた。
つまり。
霊装を持った者こそが正義であり、絶対なのである。
シレネ・アロンダイトは訓練場で流した汗を拭った。
深夜。
この場に自分の他に人はいない。
見ているのは月だけ。それでいい。それがいい。それでなくてはだめだ。
――私は、完璧なのですから。
自分が天才だと驕ったことはない。
周りが言うように平素の顔、才能だけで頂点に立てれば苦労はしない。
――完璧でなければ、ならないのだから。
しかし、自分は天才でないといけない。
圧倒的才能を有していて、それを引き出す絶対的努力をして、完璧な結果を示さないといけない。示し続けないといけない。
それが、自分の生きる理由で、原因なのだから。
視線を窓の外に投げる。
訓練場にも入らずに訓練を続けている少年。
生い茂る木々の中で何も言わずに剣を振っている。
――何故貴方は剣を振るのですか?
自分が剣を振る理由は明確だ。
それしかないから。
自分が生きる理由も、死ぬ理由も、今手に握っている聖剣アロンダイトだけ。身の丈の半分ほどの漆黒の剣は、腹立たしいくらいに無機質だった。
前にも横にも後ろにも道はなく。
ただただ英雄になるしかない。
絶対の人間にならないといけない。
だから剣を振るう。
他の人の人生はわからない。シレネは自分の人生しか知らない。言いようのない焦燥感と恐怖心を内包した人生しか、知りえない。
自分と違う人生なのに、同じ行動を行っている。
ほとんどの生徒が寝静まったこの時間で、どうして彼は鬼気迫る表情で訓練しているのだろう。
他人に向ける興味はなかった。他人を気にしたって自分の目的地も現在地も変わらないから。
でも、この時ばかりは。
毎日のように顔を見る彼に、少しだけ興味を持ったのだった。
◇
今日の授業は組手だそうだ。
訓練場に集められた俺たちは、木刀を手渡された。
霊装は今はまだ他人に向けるものではないとの判断らしい。霊装は力の象徴であり、人間なんて霊装にかかれば路傍の石に等しい。そんな霊装の恐ろしさと強大さを理解したうえで訓練をさせる。俺たち子供にはまだぼうっきれがお似合いとのこと。
いつもの相手となるレドに声をかけようとしたら、横から声をかけられた。
「リンクさん。私と組んでくださらない?」
目を向けると、シレネ・アロンダイトが立っていた。
にこにことした笑顔に、周囲の男子生徒の目の色が変わる。
年頃ということもあって、男女の間には見えない溝がある。そんな時期なのに、あっちから声をかけてくるとは何事か。
男子生徒を代表して、当人が聞くしかない。
「なんで?」
「この学園に来てから時間も経ちましたわ。お互いの力量関係も把握してきた頃でしょう。貴方はこのクラスの中でも相当な実力者ですわ。成長するためにその胸を借りたいと思うのはおかしいことですか?」
表情からは善意の感情だけが発せられている。
誰もこの顔を見て悪意を感じることはないだろう。
俺だって悪意は感じない。あるのは、歪んだ善意だけだ。
「いやだ」
俺はそっぽを向いて手を振った。
さあ、レド君。組手をしよう。
レドに視線を向けなおすと、すでにその隣にはザクロが立っていた。
「同じ相手とばっかやっててもしょうがないだろ。ちょうどいいし、今回、俺はザクロと組むわ」
「お、俺のことを見捨てるのか……」
「知るか。俺はおまえのことを超えたいんだ。おまえとばっかりやってたんじゃ一辺倒になっちまうだろ」
向上心がすごい。
それ自体は嬉しいんだが、今ここで発揮することじゃない。
縋るような目をザクロに向けてみると、
「ご、ごめん」
謝られた。
伏し目がちに、
「僕もレド君と組んで、色々と学びたいことがあるんだ。君たちは四聖剣の僕よりも試合運びが上手いし、僕も強くなりたい思いはあるから。胸を借りたいというか……」
「りょうかい」
二人がそう言うならしょうがない。合意の上なら間男が挟める口はない。
寝取られたというのは、こういう気分なのだろうか。こういう敗北感が良いっていう人間もいるのか。性癖は深淵のようである。
「話はまとまりました?」
今だそこにいるシレネ。
「まだいたのか。俺以外にだってあんたと組みたい人はいっぱいいるだろ」
彼女は今まで女子生徒たちと組んでいた。一日一日相手を変えて、指導のようなことをしていた。
「私はまだ未熟。成長途中の人間ですわ。そんな私が更なる成長を見込める相手は貴方以外にいらっしゃいませんの」
「プリムラとかスカビオサとか、他の四聖剣と組めばいい」
「成長とは、何も強い相手と組むことがすべてではありません。自分に必要なものを教えてくれる相手こそ、私が欲している相手ですの」
「俺は何も教えないぞ」
「私が目で見て盗むからいいんですわ」
「俺にメリットがない」
「私の動きを見て色々と学んでくださいな」
「それがない、って言ってるんだ」
ああ言えばこう言う男。
流石にシレネの頬がぴくりと動いた。
「……理由をお聞きしても?」
「あんたの剣は完成されてる。はっきり言うなら、これ以上成長しなさそうだ。そんなつまらない剣を教えてもらっても仕方がない」
ざわつく訓練場。
俺たちの会話を聞いていた生徒たちがざわめいている。
クラスの人気者と、日陰者。
まさか人気者の誘いが無下にされるなんて、といった感じ。女子生徒たちの視線の棘が痛い。
「それは、先日のお話が関係していますの?」
鬼ごっこの時の話。
俺はシレネに考えを改めろと言った。
「それはそれ、だ。あんたの剣に魅力を感じないのは事実だし、前のあの話も本心だ。俺はあんたに興味がない」
眉目秀麗。容姿端麗。成績優秀。文武両道。
シレネを表す言葉は枚挙に暇がない。それくらいの際立った存在感。
でも、俺は知っている。この場で俺だけは、彼女を彼女足らしめているその考えが、理想が、破滅を導き出すことを。
「あんたは、完璧を捨てたほうがいい。あんたはあんたにしかなれないんだから」
剣を振る時、必ずといってもいいが、音が発せられる。
その場にある空気を押し出す音。剣閃が鋭ければ鋭いほど音も鋭くなり、速ければ速いほどに音も速くなる。
洗練された剣というのは、ほとんど音がしないものだ。
そんな剣撃が、俺に差し向けられていた。
にこにことした鉄仮面の内から猛禽類が顔を見せたかと思うと、それは俺の首を捉えていた。瞬きをしている間に首が打ち据えられる――
カコン、と木刀と木刀とがぶつかり合う音。
流石に予備動作も設けられなかった俺の木刀は、シレネの木刀に弾かれて宙を舞った。
木刀を差し込んだことで得られたのは、まだ繋がっている俺の首。
「急に振り抜くなよ。危ないな」
「何も知らないくせに、勝手なことを言わないでくださいな」
彼女の木刀を握る手は震えている。
流石なのは、すでに先ほどの殺気が消失しているところ。いまだにこにこ鉄仮面は健在。
「知ってると言ったら?」
「……」
「あんたの家のことも、あんたの考えていることも、あんたの目指している結末も、全部全部知ってると言ったら、話を聞いてくれるのか?」
「……」
「まあ、無理だよな。信じられるわけもないし、信じたくもないだろう」
貴方の脳内がわかります、なんて急に言われたら、恐怖を抱くだろう。それ以上踏み込めなんかできやしない。
俺に仁徳があればまた違うのかもしれないけれど。
「まあでも、組手の相手は受けるよ。ぼっちになりそうだしな」
周りを見ると、なんだかんだで組手は始まっていて、残っているのは俺たち二人だけだった。
俺は木刀を拾ってシレネに相対した。
他の生徒たちは組手を始めていて、俺たちに意識を向けてはいない。
だからだろう、シレネの鉄仮面にヒビが入っていた。
「後悔させてあげますわ」
みしり、という音がシレネの握る木刀から。
怒りの感情が漏れ出ている。
「こわ。お手柔らかに」
「私の一撃を受けたくせによく言いますわ。さきほどのような……手加減はしませんわよ」
シレネの姿が消えて、眼前に。
人間離れした跳躍。
霊装がなくとも、個人としてのパラメータでこれだ。相当な努力がないとたどり着けないだろうに。
だからこそ、惜しいんだ。
敵意のこもった横の一振り。腰を落として低め、俺の脚のすねあたりを狙った攻撃。
それが俺の足に届く前に、俺は跳躍した。
ちょうど剣が通り過ぎたタイミングで、シレネの頭に木刀を落とす。「いたっ」攻撃がかわされると思っていなかったシレネは頭蓋骨で受ける羽目になる。
「この速度で足を狙われたら、初見ではどうすることもできないな。おまえが攻撃に全振りする理由もわかる。でも、こうやって躱されたらおまえを守るものは何もないぞ」
「……初めて躱されましたわ」
「これが実践だったら死んでたぞ。一つ学べて良かったな」
「……」
睨まれる。
むすっとした顔。
シレネのこういった表情は、今世では初めて見た。
「そっちの方が可愛いよ」
素直に言葉も出るというものだ。
慌ててにこにこに戻るシレネ。
「何のことですの? 私はいつでも可愛いですわ。すわすわ」
「はいはい」
この鉄仮面を壊すのは、やっぱり相当に難しそうだ。
「今度は俺から行くぞ」
俺は木刀で上段から斬りかかった。
シレネに受けられ、拮抗。少し力を緩めると、俺の木刀は上空に弾かれてしまった。
シレネの顔が歓喜に満ちる。ぱっと輝く笑顔。俺の身体には守るものがない。嬉々として剣を振るって――
「いだいっ!」
落ちてきた木刀に頭を打たれて悶絶した。
「木刀は弾かれたからといって消えるわけじゃないぞ」
「……まさか、今のも計算で?」
「さあ、どうだろうな。一つ言えるとしたら、剣は戦う上での目的じゃないぞ。あくまで手段なんだ。敵を倒すのが目的であり、ほしい結果だろ」
ぽかんとした表情のシレネ。
霊装はそれ自体に意味はない。目的をなすための手段でしかないのだ。
俺の霊装が特殊だから、こういった考えになっただけだけど。
「もう一回!」
シレネは木刀を構える。
俺も木刀を拾う。
しばらくそうやって打ち合っていると、シレネの顔が変わっていくのがわかった。
余裕のある表情から、余裕のない表情へ。
緩慢から必死へ。
「いい表情になったじゃないか」
二人の組手は続く。
いつの間にかギャラリーが増えていたが、シレネの顔が戻ることはなかった。
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