第13話



 ◇



「レクリエーションをしましょう」


 学園が始まって三日目のこと。

 教師陣との顔合わせも終わって、これから俺たちは王国の歴史を学び、霊装のことを理解し、自分の身体の動かし方を覚えていく。それらのカリキュラムが組まれ、本腰を入れていこうかという時に。


 シレネ・アロンダイトはひと時も崩れることのない完璧な笑顔を伴って、そう言った。

 教室内、教壇の前に立って、言葉を紡ぐ。


「普通の親睦会では面白くありません。私たちをつなぐのは言葉による会話ではなく、戦闘による対話。何をするかというと、私たちは全員霊装使い、自身の身体を動かしてこその存在ですわ。ゆえに、鬼ごっこを提案いたします。本当は霊装を用いての疑似戦闘を考えていたのですが、先生の許可は下りませんでしたの」


 はあ、とため息。

 それすらも絵になる。すでに生徒のほとんどは彼女の姿に目を、言葉に耳を奪われている。


「ただの鬼ごっこと侮ってはいけませんわ。これによってお互いの運動能力を知ることができますし、意外と楽しいんですのよ。私、色々とルールを考えてきましたの。人数分のハンカチを用意しましたので、一人一枚持って行ってくださいな。これを服の一部に括りつけて、他人のハンカチを奪っていってください。制限時間内に一番多く持っていた人が優勝ですわ」


 シレネは用意していた鞄を開けて、白いハンカチを取り出した。フェイスタオルくらいの大きさで、奪うにはそれなり接近しないといけないだろう。


「先生にはすでに許可を取っていて、この建物の一階部分は使用して良いとのことです。しかし、霊装の使用は厳禁ですわ。皆さんの素晴らしい霊装が展開されれば、校舎そのものが壊れかねませんものね。自分の身体だけを使って、ハンカチを集めてくださいな」


 この後の時間は訓練もなく、自由時間として与えられていた。

 別にすることもない同級生たちは、素直にハンカチを受け取っていく。楽しそうだし、クラスの中心人物が言うのなら、と。


 不参加者は二人。

「興味ない」と言って早々に教室を出ていったスカビオサ・エクスカリバーと、無言のままに席を立ったマリー王女。


 逆に言えば、それ以外は素直にハンカチを受け取って、参加の意思を示した。

 ハンカチが全員にいきわたった後、シレネは手を叩いて笑顔を作った。


「素晴らしいですわ。ほとんど全員が参加してくれるなんて、とっても嬉しいですわ」


 二人の不参加者が出たのではなく、二人以外は全員参加してくれた。

 そういう物事を好意的に見ることができるのが、彼女の良いところ……と、思わせられる。


「では、私がこの笛を吹いたら鬼ごっこ開始ですわ。それまでは各々好きな場所に散ってくださいな。再度笛を吹いたら、鬼ごっこ終了ですの。こちらの教室まで戻ってきてください。くれぐれも危険行為はしないように。あくまでこれはレクリエーションですのでね」


 簡単なルールに全員が頷いて、ぞろぞろと教室を後にしていく。

 俺もその中に加わって歩いていく。


「負けないからな」


 こういう勝負事にすぐ熱くなるのがレドである。

 不敵な笑みを残して、俺とは反対方向に走っていった。


「僕は、えっと……どこに行こうかな」


 ザクロの方はふらふらとしている。四聖剣の持ち主とは言えど、おどおどとした佇まいは強そうには見えない。


「俺と争いたかったら一緒に来るといい」

「え。結構やる気なんだね。リンク君はこういうの、嫌いなんだと思ってた」

「おいおい、俺だって男だぜ? 勝負事には惹かれちまうよ」

「そうなの? 僕は全然惹かれないけど。でも、君と争うのは嫌だなあ。じゃあ僕はこっちに行くね」


 ザクロも俺から離れていき、俺はぼっちになる。


 さて。


 当然俺はこの鬼ごっこを過去に経験している。

 優勝するのはプリムラだ。四聖剣という規格外の霊装がなくても、単体で化け物じみた運動神経をしているのがあの男なのだ。

 勝つためにはまずプリムラをつぶさないと。そのためにはレドとザクロと協力しないといけない。


 まあ、優勝を目指すのであれば、だけど。

 ぶっちゃけ鬼ごっこの結末なんかどうでもいい。


 俺の目的は一つ。

 この場で一人の人物に説得をかけたい。

 多くの死体が積み上がっていくこれからの未来が少しでも変わる様に、働きかけないといけない。


 だから俺は誰もいない空き教室に入って、しばらく待った。

 ぴいい、と笛の音が遠くから聞こえる。


 試合開始。

 そこかしこから声が聞こえる。それなりに皆楽しんでいるようだ。


 俺は”霊装”を使用する。

 アイビーの霊装、フォールアウトの力を借りて、俺は転移する。フォールアウトを置いていたのは、元々の教室。机の中に置いてきたから、俺はそれを掴んだ状態、椅子に座った状態で教室に戻ってきた。


 眼前には、ゲームマスター兼参加者として待機していたシレネが一人。


 笑顔の鉄仮面。

 俺が急に現れたことで、流石にその顔にヒビが入った。


「……っ。えっと、リンクさん。どうしたんですの?」

「別に。あんたのハンカチを奪いに来たんだ」


 霊装を掻き消す。

 俺は立ち上がって、教壇の前に立っていたシレネに向けて歩いていく。

 シレネは一度怯えたように肩を震わせたが、それも一度だけ。持ち前の胆力で、次の瞬間にはにこにことしたいつもの彼女に戻っていた。


「どういう考えかはわかりませんが、ルール違反ですよ。霊装を使用しましたね? 使用は厳禁だと伝えておいたはずですが」

「ああ。そうだったっけ。じゃあ俺は失格でいいや」


 俺はベルト部分に括りつけたハンカチを外して、シレネに放り投げた。

 俺の礼を排した行動に、流石に彼女の眉間にしわが寄る。


「……このレクリエーション、お気に召しませんでしたか? 一応、私なりに色々と考えて催したのですけれども。こんな風に扱われるとは思っていませんでしたわ」

「いや、鬼ごっこ自体に文句はないよ。運動と高揚は似ている。俺たちの精神的距離を近づけるいい判断だと思う」

「なら、貴方のその行動はなんですの? 私個人に言いたいことがあると?」

「流石に察しがいいな。その通り。俺はあんたに言いたいことがある」

「なんでしょう? 出会って三日の私たち、何が言いたいのですか?」


 これから始まる学生生活。

 霊装使いとしての歩み。

 その中で、彼女はこのままでいてはいけないのだ。


「もしかして色恋の話ですか? 残念ながら私はその手の話が苦手で――

「考え方を改めろ。あんたは英雄じゃない」


 シレネの目が見開かれた。

 しばしの沈黙。

 彼女の脳が回転しているのがよくわかった。俺の意図を計りかねて、空回転しているのもわかる。


「……何を言っているかわかりませんわ。まだ一目惚れだと言われた方が納得しますわ」

「あんたは英雄になる。誰よりも優秀で、誰よりも綺麗で、周りもあんたを頼りにするんだから、当然だ」

「褒めてくださってるの? それの何が悪いと?」

「別にそれ自体は悪いことじゃない。問題なのはたった一つ、あんたの考えだけだ」


 言うならば、――破滅症候群とでも言うのだろうか。


「シレネ、あんたは死にたいんだろ?」

「……」


 沈黙は答えだった。

 反論も反駁もなく、シレネは押し黙る。目の中の光が消えた。


「恐ろしいのは、あんたはただ死にたいわけじゃない。”英雄として”死にたいんだ。凄惨な状況なら仕方がないと言われる状態で、何かを守ったというような意義を残して、後世に語り継がれるような、英雄的な死。それを求めてる。違うか?」


 誰もが納得する英雄的、死。

 それを求めているのが、シレネ・アロンダイトという俊英だ。


「私の何を知っているつもりですの? 私と貴方はきちんと話すのは初めてでしょうに」

「俺はあんたのことを知ってる。過去も現在も、未来もな」

「いきなりそんなことを言われても、回答に困りますわ。ストーカー宣言と受け取りますわよ」

「半年後、俺たちは王国郊外の森に行く。魔獣の討伐の予行演習だ。俺たち生徒は深くは入り込まない予定だったが、あんたはその言葉を無視して奥まで進んでいく。国のためだと聞こえの良い言葉を発してな。そこで同じ組だった生徒が死ぬよ」


 彼女は英雄的に前に進む。

 後ろは振り返らない。

 何故なら、彼女にとっての目標は目の前にしかないから。


「あんたは死なないんだ。なぜなら優秀だから。誰よりも強く、生に近いから。最期の瞬間まで生き残ってる。でも、周りはあんたほど優秀じゃない。だから付き従った者からばんばんと死んでいく。

 俺が言いたいのはこれだけだ。あんたの破滅に他人を巻き込むな」


 英雄という誘蛾灯。

 彼女に巻き込まれて死んでいった人は、俺が知るだけでも十数人にも上る。その中には霊装使いも含まれていて、魔王との決戦を待たずして死んだ優秀な人間は多い。


「考えを改めてくれ。そんなに死にたいんなら一人で死んでくれよ」


 言葉の通り。

 死にたいんなら止めはしない。それは個人の自由だ。

 けれど、彼女は人目を引く美貌と権力と能力を有している。有してしまっている。

 綺麗な花に吸い寄せられる蟲のように、人々は彼女に近づいていく。しかし、その花は咲いた場所が悪い。自ら望んで地獄の淵に咲いている。そして一緒に、地獄に堕ちる。彼女自体には棘も毒もないことが厄介だ。


 地の底に咲いた華。

 死を吸い寄せ、死者を侍らせるのに、自分は朽ち果てることはない。

 綺麗なまま、普通の人間を殺し尽くしていく。


「見てきたように言いますのね」

「実際見てきたからな。全員、あんたに文句の一つも言わないで死んでいったよ。シレネは悪くない。悪いのは弱い自分だ。英雄についていけなかった自分が駄目だったんだ、ってな。謝罪の言葉付きでさ。まったく。

 ――反吐が出るよ」


 シレネは死ぬために、無茶な行動をする。

 それを誰も知ることはなかった。誰もがその行動を英雄だからこその勇気ある行動だと勘違いした。


「ふふ。未来から来たとでも言うつもりですの?」

「ああ。俺は十年後の未来から来た。十年後の未来には魔王が現れて、この国を、人間の世界を蹂躙する。その破滅の未来から救うために、俺は行動している」

「もう少しマシなお話が聞きたいですわ」


 鼻で笑われた。

 そりゃ信じられはしないよな。


 明日世界が滅びます。

 そんな台詞を街中で大声で発していたって、誰も足を止めることはない。

 だって今、世界は普通なのだから。

 破滅の兆候もないのに、想像もできるはずがない。


「ま、そうだよな」

「貴方の言う事は間違いですわ。私はそんなこと考えてもいない。だって私は四聖剣の一つ、アロンダイトを継いでいるんですもの。この国を救うための力ですわ。その英雄が他人を死地に追いやることなんてありえませんわ」


 飄々と口にする。


「そうだよな。あんたに悪意はない。なぜなら、それが正しいと信じているからだ」


 血塗られた道なのに、シレネ本人は気づいていない。あるいは、気づかないふりをしているのかもしれない。

 ある意味、これは彼女の正義なのだ。


「俺の言葉が簡単に届くとは思っていないさ。だからこれは、忠告だ。あんたが変わらないのなら、このままのあんたでいるのなら、俺はあんたを止める。殺してでも」


 シレネ・アロンダイトの力は強大だ。聖剣の力は元より、本人の力も。

 魔王の侵略を止めるためには、いてほしい存在。

 だが、それが死にたがりの存在であるのなら、話が別だ。

 必要ない。

 むしろ、殺してしまってアロンダイトを他の人に継がせてしまった方がいい。


 ぴくりと、シレネの眉が上がった。


「……大口を叩きますわ。貴方は自分の力によほど自信がありますのね」

「じゃなきゃこんなところまで来てないよ」

「素敵ですわ。四聖剣を超える力があるというのなら、私は貴方に殺されましょう。それが世界のためになるというのなら、私に文句はありません」


 シレネは俺の放り投げたハンカチを拾うと、自身の服に括りつけた。


「ですが、有象無象がただ私にちょっかいをかけたいだけだというのなら、それは抵抗させていただきますわ。私には四聖剣としての責任がありますの」


 シレネの手元が輝く。

 次の瞬間には、彼女の手には漆黒の諸刃の剣が握られている。

 その切っ先は、しっかりと俺の首に向けられていた。


「なんならここでやっても構いませんことよ」

「霊装を出すなんて、ゲームマスターがルールを破っていいのか?」

「鬼ごっこなんか単なる遊びですわ。貴方が遊び以外を持ち込むのなら、対抗手段をとらせていただきますの」


 輝くのは剣の刀身と、彼女の瞳。

 ここで戦うつもりなんかない。

 彼女が変わってくれれば、俺には何の文句もないのだから。


 俺は肩を竦めた。

 霊装を出そうともしない俺に、シレネは背を向ける。


「それでは。私はこの鬼ごっこの責任者でもありますの。貴方とずっとお話している時間も無責任さもありません」


 霊装を消して、教室を出ていった。

 残された俺は重いため息をつくしかない。


 予想以上に話を聞くつもりがないな。

 俺の説明の仕方が原因の一つではあるのだが、理由を滾々と説明すると現実性がなくなってしまうし、現実性を求めようとすると言葉は弱くなる。中々に難しい。

 これも俺の話が下手なせいなのだろうか。コミュニケーション能力の欠如の結果か。

 アイビーでも隣に置いておけば違ったかもしれないが、彼女を連れ回すのは憚られる。


 まあしょうがない。

 俺の言葉一つで変わるようなら、どこかで変わることができていただろう。

 変われないのなら、最悪は武力行使。本当にシレネと戦う未来があるかもしれない。

 それまではしっかり鍛錬をしていかないと。


 というわけで、俺の鬼ごっこは失格終了でした。一応、初っ端でシレネと出会ってしまい、敗北したことにしておいた。


 ちなみに優勝は予想通りプリムラ。

 レドは一時期二位まではいったようだが、プリムラに敗北。ハンカチを全部失ってしまった。

 シレネは俺との会話によって参加が遅れ、三位。それでもハンカチを集めきったのは素晴らしい。


 クラスの皆の仲は確かに良くなった。

 俺以外。

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