第9話





 ◇



 そんなこんなで熱い会話をした後で恐縮ではあるのだが。

 俺は二人にはまだ言っていないことがある。


 嘘と打算で積み上げられた俺。そんな俺に似つかわしい、霊装『ホワイトノート』の能力。

 本来の姿はただの真っ白な布切れ。

 しかしその実、他人の能力を模倣する力を持つ。ぐるぐると渦を巻き、他者の持つ霊装の形を創り出すのだ。


 その条件が問題だ。


 ――俺に強い感情を向けてくる相手の、能力を模倣する。


 親密になれば、その相手の霊装は俺のものとなる。

 親密になった、というのは、具体的に言うと、異性なら抱かれても良いと思えるくらい。同性なら死地において背中は預けられると思わせる程度。前世で確認済みだ。


 今、俺の手にはアイビーの霊装『フォールアウト』が握られていた。指を鳴らすと、それは一瞬で姿を変え、霊装『バルディリス』を形作る。


 俺が打算で固められている、というのは、その通りだよ。


 俺は人と関わり合うことで強くなる。訓練するのと同じように、人間関係を構築する。


 意図的に。


 利己的に。


 そうすることが、俺の力を向上する一番の近道なのだから。


 この窮地、利用させてもらう。

 アイビーを助けるという意味合いで俺たちは結束した。

 アイビーの俺に対する好感度を上げることができたし、レドもレドで俺との熱い友情を感じてくれているだろう。


 それらは嘘ではない。

 かといって、純粋でもない。

 考えに考えられて作られた関係、感情、環境。それらは果たして、どこに向かっていくだろう。


 俺の打算に気が付かれたとき、どんな反応をされるのだろう。


 俺は大きくため息をついて、立ち上がった。

 約束の時間まで、もうすぐだ。トイレの中で緊張しているであろうアイビーに一言かけてやろう。


「長いぞ。大きい方か?」


 流石のアイビー相手でも思いっきりドアを叩かれた。



 ◇



「これは仕事なのですよ。だからこなさなければならない。障害があれば除外し、目標までの最短を走る。これを成した人間にのみ、次の仕事がやってくる。その歯車に組み込まれることで、ようやく人間と認められるというものです」


 約束の場所に行くと、アステラはそこに立っていた。

 俺たちの顔を見て滔々と語る彼の周囲に、人の気配はない。

 俺がアステラの言う事に納得したように、アステラも俺の言う事に納得していた。

 だから互いに他者を交えず、当事者同士で向かい合うに至る。


「これは仕事なのです。だから貴方たちの命を奪う事は正義となる」


 それらの言葉は自分に言い聞かせているようだった。彼は俺たちから何の反応ももらわなくとも、首肯する。

 台詞はどこか聖職者を思わせるのに、内容は人間そのもの。

 めんどくさい。


 俺たちは三人で彼と向かい合った。

 俺を先頭に、アイビー、レドの順で並ぶ。


「……まさか本当に来るとは思いませんでしたよ。逃げた彼女をどう追いかけようか、そればかりとを考えていました」

「俺も本当に一人で待っているとは思っていなかったよ。仲間を呼んで取り囲めば、あんたの言う無駄な殺生はしないで済んだはずだ。俺たちは子供。数で掴みかかれば、簡単に捕まえられる」

「そんなことはないんですよ。私は貴方たちを見くびってはいない。有象無象を集めたところで貴方たちは意に介さない。むしろ私の邪魔になります」


 舌打ちを返したくなる。

 子供が大人に勝つ方法なんか油断を誘う事しかありえないのに、毛ほども油断していないというのはどういうことだ。


 こっちは十四歳の子供が三人並んでいるだけだぞ。


「それほどまでに、霊装使いは油断ならないということです」


 俺たちが霊装を持っているということは事前に確認しているのだろう。この街に住んでいる人間であれば、アイビー、レドについては霊装使いであることは容易に聞き出せる。

 俺が霊装を持っていることを知っているかどうかが一つの鍵だったが、どちらにせよ、イージーゲームにはできなさそうだ。


「殺し合う前に一つ質問だ。あんたはどうしてアイビーを狙う? 彼女の霊装が狙いか?」

「私は雇い主から理由の如何は聞いていません。聞くことも許されていない。……まあ、恐らくは貴方の言う通りなんでしょう」


 肩を竦めて見せる。

 興味なんかなさそうに。


「な、納得してないのに狙うのかよ。人の命を何だと思ってるんだ」


 とレドが援護射撃。


「そういうものです。貴方も大人になればわかりますよ。やりたくもないことを積み上げて、純粋な心を摩耗させて大人になるのです。まあ、貴方たちは大人になることなくここで死ぬ運命ですが」


 アステラの目が細まり、レドを射抜く。

 ごくりと息を飲む音が背後から。

 アステラは有象無象の類ではない。そんな男から敵意を向けられればそれはそうなるだろう。


「レド。怖かったら逃げてもいいぞ」

「は、はあ? ここまで来て? 本気で怒るぞ」

「冗談だよ。あいつを倒せれば、間違いなく成長できるぜ。魔王を倒す足掛かりにしてやろう」


 軽口をたたきながら。

 まあ、レドの役割はそういった”普通の子供”然とした態度で終わっている。一歩も動けなかったとしても、誰も責めることはない。


 基本的には俺とアイビーとでなんとかする。

 会話もそこそこに。俺たちは臨戦態勢に入る。俺とアステラは仲良しじゃないんでね。


 開戦の狼煙は、アイビーのナイフの投擲だった。

 ナイフをアステラ向けて放り投げる。アステラは身体を捻らせてそれを避ける。ちょうどナイフがアステラの脇を通り過ぎ、彼の背中側に回ったとき。

 アイビーの姿が俺たちの近くから掻き消えて、アステラの背後に回っていた。投擲したナイフを掴んだ状態で、宙を舞う。


 霊装『フォールアウト』の能力。ナイフの位置に自分の身体を移動させる。

 右手でナイフの柄を掴み、それをそのままアステラの首目掛けて振り下ろす。迷いのない一撃は、彼の首から上を落とすに十分足る勢いだった。


 俺の目測は間違っていなかった。

 だから。


 アステラは振り返って自身に向けられているナイフを確認すると、それを素手でつかみ取った。

 勢いは乗っていたが、そこは大人と子供の力のせめぎあい。アイビーのナイフはアステラの掌の表面を削っただけで止まってしまった。


「その霊装の能力は知っていますよ。私だって事前準備はしましたからね。誰もが迷惑そうに貴方のことを教えてくれましたよ」

「……っ」


 アステラの目の色が変わる。敵意から、殺意へ。

 自身の腰から引き抜いて携えた剣を握りなおして、空中で動けないアイビーに差し向けようとする。

 離れた位置にいる俺とレドのことは文字通り、眼中に入っていない。それはそうだろう。眼前に目的が何の考えもなしに現れたのだから。彼女を殺してお仕事は終わり。


 だからこそ、”俺の目測通り”だ。

 霊装『ホワイトノート』。俺はそれを発現させる。

 ここに来る前、確認のために見せていたとはいえ、レドは再度俺の霊装に目を見張っていた。


 今手元にあるのは、霊装『フォールアウト』。先ほどアイビーが使用したものと寸分違わぬナイフ。


 それを、アステラに向けて放る。

 目的が簡単に手元に現れて、後は殺すだけの隙だらけの背中。その前に俺は転移する。


 躊躇いはなかった。

 俺はアステラの首裏目掛けてナイフを振り下ろす。

 ナイフは首に突き刺さり、真っ赤な血が噴き出して、終わり。


 アステラの恐ろしいところは、俺のナイフを、”殺気”だけで避けたことだ。背後に何かが迫っていると感じるや否や、アイビーに向けていた剣をすぐさまに引いて、体を捻らせる。おかげで俺のナイフは彼の肩口に突き刺さっただけだった。

 加えて、全体重を乗せたといっても、俺はまだ子供であり、空中にいる。勢いなんて大して乗れていない。致命傷にはなりえない一撃だ。


 ごり、と骨とナイフの当たる音がしたので、俺はすぐさまナイフを引き抜き、アイビーの方に投擲。今の一件でアステラから離れた彼女の隣に立った。


「……だから霊装使いというのは、厄介なのです」


 傷を負った左肩を押さえながら、アステラは息を吐く。

 右腕一本で剣を持ち直すと、俺たちの顔を見た後、視線をレドに投げた。

 この場にいる子供は全員霊装使い。全員に気を張っている。


「超常能力はいかなる法則をも打ち負かす。何が起こるかわからない。二人が同じ能力を持っていたとしても、それが起こりえないとは断定できない。子供だとか大人だとか、男だとか女だとか、まったく関係がないのです」


 霊装使いの介入した戦闘に起こりうるのは、普通では起こりえない決着。

 どんなに研鑽を積んだ剣士が相手でも、何が起こるかわからない。

 だからこそ俺はこの男を踏み台にする。これから多くの戦闘が起こる、その一歩目だ。


 アステラに油断はなかった。慢心はなかった。

 しかし、配慮はあった。俺たちを殺すか否かの迷いはあった。

 そこに付け込むことができたのは、すでに過去の話だけれど。


 今、それが剣の一閃で振り払われる。もう小細工は通用しない。

 やはり一撃で決めたかった。


「アイビー。ビビってないよな」

「誰が? リンクこそついてこれるの?」


 売り言葉に買い言葉。アイビーはこんなときでも平素同様に笑っている。

 こいつの胆力は一体どこで磨いてきたのやら。

 反してレドは戦闘に参加できていない。青い顔で俺たちとアステラとを交互に見つめていく。それはそうだ。これが普通の十四歳の反応だ。


 俺とアイビーは互いに『フォールアウト』を構える。

 目配せを交わして、事前の打ち合わせ通りに。

 まずは俺が投擲。ナイフはアステラに向けて一直線に走っていく。

 アステラには掴んで止められた。

 刃先の部分を掴んでいるからノーダメージではないが、それだけ。


 この霊装の弱点はこれだろう。

 ナイフを使って縦横無尽に移動できる。が、逆を言えばナイフが止められてしまえば選択肢はない。後は詰め寄られてさようなら。


 これが霊装でなければ、ここで俺は詰んでいた。

 逆に言えば、これは霊装なので、俺は全然詰んでいない。

 霊装の居場所は持ち主の精神に宿ると言われている。血に根付いた霊装の所有資格を手繰り寄せて、その武器は持ち主の下に戻ってくる。


 俺は再び『フォールアウト』をその手に握った。

 手のひらから消えたナイフを見て、アステラは渋面を作る。


「これだから。……しかし、その霊装の対応方法はわかりました。これからどうするのですか。このまま時間が過ぎるのを待つだけですか?」

「本当に対応方法がわかったのか?」


 俺は嗤って見せる。

 この霊装『フォールアウト』は単純な能力を持つ。しかし、だからこそ扱い方は千差万別。

 俺とアイビーは同時にナイフを投げつけた。それを掴もうと構えるアステラだが、二つのナイフは彼の手の届かない空中――何もないところでぶつかり合い、地面に落下した。


 投擲のミス。

 そう誰もが思った。


 瞬間。


 俺はその場所に飛んで、二つのナイフを回収する。”アイビーの”ナイフを至近距離からアステラに投げつけた。

 アステラは面食らっていたが、この距離では流石に受け止めるという選択肢はなかったようで、軌道上から体をずらす。


 移動したアステラに向けて俺は”俺の”ナイフを投げる。

 舌打ち一回。アステラは剣でなんとかナイフを弾いた。が、何か忘れてはいないか。

 アステラの背後。俺の投げたナイフによって転移したアイビーが、再びナイフを投げつける。前方のナイフを受けることだけを考えていたアステラは、ナイフの刃を背中に受けた。


「ぐ」


 俺たちは自身のナイフを手元に回収。

 互いに反対方向から、目標に向かってナイフを投げつける。


 アステラはさっきと同じように、片方を弾いて、片方を避けた。

 俺のナイフを避けていたので、地面に転がったそれを対面にいたアイビーが回収。それを見届けてから、俺は走り込む。弾かれたナイフを手に取って、アステラに斬りかかった。

 キン、と剣とナイフの交錯する金属音。


「致命的なダメージを与えられないのが欠点ですね。本人がこうして斬りかかってこないことには、私を殺すことはできない。そして、こうして鍔迫り合いになってしまえば、貴方はそのナイフを放れない。惜しかったですね」


 確かにこの状態ではナイフを放り投げられない。かといって身を引けば真っ二つだ。

 単純な力の比べ合いでは、こちらに分はない。

 まあ、最初からそういう勝負はしないつもりなんだけど。


「これ、どっちの霊装だと思う?」


 俺は手にしたフォールアウトを見て、口角を吊り上げる。

 状況を察して息を飲んだアステラ。その顔を見た後、俺は転移する。


 アイビーの持つ、”俺の”フォールアウトの下に。

 そしてそれは、すでにアイビーによってアステラの背中に向けて投擲された後。完全にアステラの背後を取って、その背中に振り下ろした。


 ざくり、と。

 先ほどよりも深く傷を負わせた感覚がある。


「ぐ、お、」


 反撃が来る前にナイフをアイビーに向けて投げる。軽く放ったそれをアイビーはキャッチして、俺は逃げの構え。


 ヒットアンドアウェイ。

 これが霊装『フォールアウト』を最大限利用した戦闘方法だ。


 アイビーに視線を投げると、こんな状況なのに快活に笑っていた。

 やっぱり惜しいな。

 こんなところで死んでしまうにはとても惜しい。

 アステラとの戦いには、とても大きな価値があった。


 肩口と背中から血を垂れ流す優男。

 その顔は、なんとも言えない表情に仕上がっていた。


「……なるほど、これは優秀な霊装だ。私では追い切れない」


 諦めたような、吹っ切れたような。


「長年の付き合いですか? コンビネーションが素晴らしい」

「いや。まだ一年かそこらだ」

「そうですか。子供の成長というのは素晴らしいですね」


 こいつは嫌な男ではない。

 それは俺だってすでにわかっている。

 彼には彼の生活があっての、この仕事なのだろうから。

 だから、その手は最後の手段としていたのだろう。


「貴方たちを正面から相手するのは骨が折れる。ですので、少し卑怯な手段を取らせてもらいます」


 アステラは駆け出した。

 俺とアイビーの方ではなく、いまだ震えて動けないレドの下へと。

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