第8話
◇
「君は何を知っているんですか?」
再びの邂逅。
アステラは軽薄な笑みを張り付けながら、再度道場を訪れた。
またしても俺の応対となる。
「何を、とは」
「いえね。出会ってからこっち、君が離れないせいで私は”仕事”がこなせないのです。寝るときも一緒というのは、中々に警戒されている様子。そこまでして守るという事は、何か事情を知っているはずでは?」
こいつが来てから数日間、俺はアイビーの近くから離れなかった。訓練時や食事時、寝るときも一緒。用を足すときでさえ、扉の前で出張っていたくらいだ。
それにより、俺の道場内の評価は変人から変態になった。
まあ、それはどうでもいい。
この言い方。仕事、とは、そういう暗喩だろう。
俺の直感と行動は間違ってはいなかった。
「何も知らないよ」
「駄目ですよ。知っている優秀な人間は、知らないという下層に落ちてはいけないのです。無知の知という言葉がある様に、知の知という言葉もあるべきなのです。知っている人間は、知っていることを知るべきだ」
回るくどい言い方だ。
そこまで迂遠に言わずとも、俺はこの状況を何もわかっていないのだが。
「じゃあ、あんたは何を知ってる? まずはそれを教えてくれよ」
「まあ、私も何もわかってはいないのですが。私の場合は本当に無知の知です」
鼻を鳴らして肩を竦めるイケメン。
「……」
まさかの二人ともわかっていないという状況。アイビー自身も狙われる理由がわからないと言っていたし、どういう状況だよ。
この件に関わっている誰も、アイビーが死ななくちゃいけない理由がわかっていない。
嘘だろ。
なんだこれ。
「じゃあ帰ってくれよ。あんたは理由もなく少女を追い回す仕事をしてるのか?」
ギャグにしたいところだが、アステラの目つきは以前として鋭いままだった。
「ただ、お仕事はお仕事なのです。私は言いつけられた仕事をこなさなければいけません。私は結果だけを求められている。これを達成しないと、私は仕事のできない無能な人間になって、給金をいただけません。それは良くない」
「で、何が言いたい?」
「一日、アイビー・ヘデラの傍から離れていただきたい。それで事は終わります」
殺人者からのラブレター。邪魔だから二人きりにしてくれと来た。
ここで俺が複雑な心境になったのが、目の前の相手がごろつきや悪の類ではないということだ。
俺や他の訓練生には手を出さないから、それで手を打ってくれ。そんな意志が言葉にはこもっている。
反転して。
これ以上邪魔をするのなら容赦はしないと、猛禽類の瞳は語っている。
この綺麗に揃えられた身なり。それなりの地位にいる人間だ。彼を取り巻く環境は盤石なのだろう。
ああ、嫌だ。
これならごろつきが相手の方が良かった。
とんでもない面倒に巻き込まれている。
「断る」
俺が打算的だって?
よく言う。魔王を倒すことが目的なら、こんな寄り道をしてはいけないというのに。
「……ふむ。それは困りましたね」
優男は首を傾けた。
「これは仕事です。ゆえに失敗は許されない。私は失業者にはなりたくない」
「まだ若いもんな」
「かといって、ここで事を起こすのもよろしくはない。私は殺戮者ではないのですから」
「人殺しは良くないぞ」
「しかし標的以外に手を出さなければ仕事を終えることはできない」
以下、無限ループ。
ただ、どちらにせよ。
相手の目的は把握している。
こいつは絶対にアイビーを狙う事を辞めないだろう。だったら、俺の目的も確定した。
人殺しは良くないとさっき言ったが、状況によりけりだ。
殺さないといけない相手っていうのは、存在している。
「良い目ですね」
近い未来、殺人犯になるかもしれない者はそう言う。
「あんたほどじゃない」
近い将来、殺人犯になるかもしれない俺は応えた。
互いに自分を加害者、相手を被害者として見つめる。
「いいでしょう。では、”死んでもよい人間”だけを集めて、……そうですね、本日の丑三つ時、向こうにある広場で落ち合わせましょう。それが互いの利になるでしょうから」
俺とこいつとで共通しているのは、他人を巻き込みたくないという事。そして、当事者を殺したいということ。
「わかった」
「安心してください。臆病風に吹かれようとも、誰も君を責めはしません。ああ、アイビー・ヘデラを逃がしても意味がないですよ。私はこう見えて結構しつこいので」
去っていく背中を見送る。
さて、困ったことになった。
あいつがどれくらい強いのか皆目見当がつかない状態で、殺し合いの約束をしてしまった。
わかってるのは、俺の力が全盛期には遠く及ばないという事。
でも、このまま指をくわえているのでは、未来がない。アイビーが死ぬという未来は変えられない。
道場内に戻ると、玄関口にはアイビーとレドが立っていた。その沈痛な面持ちを見るに、話を聞いていたらしい。
「押し売りだったよ。売らないと帰れないと五月蠅かったから、今度話だけは聞いてやることにした」
「嘘つき」
アイビーの目は潤んでいた。
「最近変だと思ってたら、そういうことなんだ。私はてっきり……」
「てっきり?」
「私のこと、滅茶苦茶好きなのかと思ってた」
かあ、と音が出そうなくらいに赤くなりながらそんなことを言う。そんなになるなら言わなければいいのに。
「おまえのことは好きだぞ。努力家だし、優秀だし、要領がいいし」
「そういう好きでは、……はい」
顔を俯かせて静かになってしまったアイビー。
「おまえ……」
レドは困り顔でおろおろとしている。
なんだ。さっきよりも空気が悪化している気がするぞ。殺人者が帰った後の方が空気が重いってどういうことだよ。
地獄のような空気を打ち破ったのは、レドの空咳だった。
「まあ、それは置いておいてだな。なんだ。話は聞かせてもらった。最近のおまえの過保護ぶりは、あれが原因だったわけだ。あいつは誰なんだよ一体」
「知らない」
「はあ?」
「そんな顔するなよ。本当に知らないんだって。唯一知っていることは、あいつがアイビーを狙ってるってことだ」
そして、”前回”もあいつがアイビーを殺したのだろう。
ごろつきが殺したかのように見せかけて。
なんで、とか、どうやって、とか。色んな疑問が湧き上がるが、答えは今ここには存在していなかった。
「なんで?」と当然のようにレドから質問が来る。
「だから知らないって。俺も知りたいくらいだ」
「アイビーは知らないやつに知らない理由で狙われてんのか?」
「そういうこと」
「それでおまえはそんな相手の申し出に応じて決闘に行くのか」
「そうだ」
「……」
「……」
「睨むなよ。俺だっておまえと同じ心境なんだから」
ここにいる誰も、何もわかっていない。
わかっているのは唯一、このままぼうっとしていたら、アイビーは殺されるということ。
「アイビーは相変わらず、あれが誰かもわかってないんだろ?」
「うん。会ったこともないし、狙われる理由もわからない」
まさか一年以上前にいざこざがあって、あんな本気の刺客が送られてくるとも考えづらい。
何かがあるのだ。その理由はアステラの依頼主だけが知っているのだろう。
沈黙する中。
「私、一人で行ってくるよ」
アイビーは一人、笑顔を作った。普段通りの溌剌とした笑みだった。
「何言ってんだよ。何されるかわからないぞ」とレド。
「それでも。彼の目的が私なら、私がどうこうする話だしね。話してみるよ」
「話を聞きそうになかったぞ」
「それでも。じゃないと皆に迷惑がかかるし」
俺は二人の会話を黙って聞いていた。
そして一つ、懺悔をすることにした。
「実は俺はアイビーが死ぬことを知っていた」
二人して、こちらに振り向いてくる。
「俺は未来から来た……と言っても、捉え方次第だけどな。魔王によって滅ぼされた未来から来た、っていうのが正しいのか。そこでは、ちょうどこの時期、アイビー・ヘデラの死体が路地裏に転がっていたんだ」
見つかったとき、すでに血は固まっていた。赤黒に包まれ、彼女は息を引き取っていた。
孤児院の大人たちが真っ青な顔をしていたことを覚えている。
「ま、待て。それはどういう……」
困惑するレドとは対照的に、アイビーは冷静沈着。
「だから私に霊装を使うなって言ったんだ」
「ああ。俺はおまえが街のごろつきに目をつけられたと聞いていた。だからこの道場に誘ったんだ。これ以上目をつけられないように性根を直させて、有象無象くらいなら返り討ちにできるように訓練させて」
「そう」
俺は打算的だ。
俺の行動にはすべてに理由がある。
そしてその打算が、相手を傷つけてしまうことも、知っている。
人は計算づくの未来が嫌いだから。仕組まれた明日はほしくないから。
「ただそこに救える命があったから手を差し伸べただけだ」
あえて低く言葉を発すると、二人とも息を飲んだ。
「俺には達成しないといけない目的がある。絶対にやり遂げないといけないことがある。だから、こんなところで死んでなんかいられない。分の悪い賭けにはベットしないんだよ。アイビーは簡単に救えそうだから声をかけただけだ」
だから――。
救うメリットと失敗するデメリットが吊り合わなければ――
「じゃあ何か。おまえ、アイビーを見捨てるっていうのか」
俺が打算的なら、レドは感情的だ。
俺の胸倉を掴む男は、震えながらも熱い。
「落ち着けよ。もっと理論的に考えろ。レドだってこんなところで死にたくないだろう?」
「……当たり前だろ。だけど、それどこれとは話が別だ」
自分が崖の上にいて、崖下にいる人間に手を差し伸べるか?
どこまでだったら、誰までだったら命をかける?
何にだったら、自分の命を賭けられる?
それは結局、利己的な判断になる。
「誰だって路傍の石ころに命を賭けたくはない。違うか?」
「てめえ!」
顔を真っ赤にしたレド。
拳を握りしめて俺に殴りかかってくる。
「待って、レド」
アイビーの声が、それを止めた。
「私は、わかってるから」
にっこりと、アイビーは笑う。
俺の方に向いて、綺麗に笑う。
「リンク。貴方が打算的だってこと。常に利潤を考えて行動するということ。理由と原因をもって行動を起こすということ。全部全部、知ってる。だから私は貴方に助けてとは言わないよ。貴方には死ねない理由があるし、生きる目的があるものね」
「俺とおまえとの付き合いは、ほとんど一年間だ。そんな短い中で俺を知ったなんて、それは少し傲慢が過ぎないか」
「一年間も、だよ。私は貴方を見てきたもの。――だから私はこう言うの」
アイビーは俺の手を取った。
死に怯える冷たい手ではなく、未来を見つめる暖かい手だった。
「リンク。私を”助けた方がいいよ”。貴方の傍に、私を置いていた方がいい。私は路傍の石なんかじゃない」
真っすぐに俺を見つめる瞳。
そこには揺ぎ無い、生への執着が存在していた。
打算的に、自分の命を天秤に乗せる悪女がいた。
「私は役に立つよ。霊装を使えばどこにでも忍び込めるから諜報もできるし、道場で鍛えたからある程度腕も立つ。護衛もできる。顔も悪くないしコミュニケーション能力もあると思うから、人の中でも溶け込める。貴方が望むならどんな手段を使ってでもお金を稼ぐ。貴方が命じたことに恭順する意志もある」
打算的に。
俺の中に利益を積み重ねていく。
「貴方が魔王を討伐する一翼を担えると、自負しているよ」
「そうかい」
確かにアイビーは役に立つだろう。
ここで殺すには、勿体ない。間違いない。
そう、すべて彼女の言う通り。
そこまで利益を乗せられてしまっては、肩を竦めるしかなかった。
「じゃあ、救うしかないな」
「でしょう?」
アイビーは歯を見せて笑った。
そこには、布団の中、生きる意味を見いだせなかった少女の姿はなかった。
死にたがりは必要ない。
しかし、アイビーという笑顔の眩しい少女はほしい。
そのためになら命を賭けるのは惜しくない。
「俺におまえを救わせてくれ、アイビー。俺の目的のためにな」
「了解!」
「……なんだよ、おまえら。何が打算だよ。くだらねえ。最初からそういうつもりだったくせに」
つまらなさそうに口を尖らせるのはレドだ。
「熱くなった俺が馬鹿みてえだ」
「馬鹿じゃないだろ。おまえの方が人間らしい。俺のような捻くれなんかよりもよっぽど偉いさ」
「自分で言うな。で? 親友に言う事はないのか」
レドは挑むような眼を向けてくる。
正直、レドがいてくれた方が心強いのはある。アイビーが生き残る可能性は上がるだろう。
しかし、レドを巻き込んで良いものか。
アイビーは元々死ぬ運命にあったから、巻き込むことが少し気楽なんだが。
なんて、畜生の意見。
レドは死ぬ運命でもない。俺が介在したせいで彼の未来を摘み取ってしまうのは忍びない。
「おいリンクよお。色々と考えてるみたいだけど、ここで尻込みしてるような人間が魔王を殺せるのか? 迷いや不安を打ち払っての、勇者だろうが」
色んな考えで迷っていると、熱い言葉をいただいた。
俺だったら決して出ない言葉だ。
だが、それで腹は座った。
人類を救おうと思ってる男が、一人の少女を救う事に対して、もしも、なんかを考えている時点でナンセンス。
二度目の人生に失敗はあり得ない。
レドがいてくれることで少しでも可能性が上がるなら、その手を掴まない手はない。
「ついてきてくれるか、親友」
「当たり前だろ、馬鹿」
俺たちは自然と拳を重ね合わせていた。
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