第7話




 ◇



 窓枠にナイフが突き刺さった。

 その柄の部分には人間の手が握られ、窓枠にしがみつく人影が宵闇に現れる。

 俺は現れたそいつの手をとって、引っ張り上げた。「わ」バランスを崩して床に転げ落ちる俺とそいつ。物音がしたが、日々の訓練によって疲労が溜まっている同部屋の少年たちは反応一つ見せなかった。


 誰にも見られないように窓を閉めて、俺はそいつを俺のベッドの中に放り投げた。毛布を上から被せて、きょろきょろと状況を確認。誰も見てないことを見て取ると、俺もベッドの中に入り込んだ。

 毛布の中で、アイビーと目が合った。


「なんか、どきどきするね」


 毛布の中でも、月光を受けた顔が少しだけ紅潮しているのがわかった。

 俺は深く毛布を被って、アイビーの顔が見えないようにした。

 相手が月光であっても、今は彼女を映してほしくなかった。


「俺もどきどきしてるよ」

「ほ、本当? えっと、あのね、リンクってそういうの、まったく興味がないと思ってた」

「ないわけないだろ、あほ」


 俺だってそこまで薄情じゃない。

 一年間一緒にいたのだ。同じ目標を掲げて、俺の話を聞いてくれて。彼女の人柄、霊装、有用性を理解した。簡単に放り投げられるものか。


 アステラのあの目。

 あれは普通の人間ができる目じゃない。

 目の前の相手を、”生者”として認識していない。屠るべきターゲットとして定めた、狩人の目だ。


 つまり――アイビーは、命を狙われている。

 どういうことだ。

 アイビーの死はこの一年間で回避できたんじゃなかったのか。悪事を働くことをやめ、ごろつきとの付き合いもやめさせた。霊装の使用も控えさせているし、そもそも最近、彼女を誰かが狙うようなそぶりもなかった。私怨なんか発生するはずがない。


 それとも何か。

 アイビーが殺されたのには、別の理由があるのか? 例えば、この子は貴族の忘れ形見で、その貴族が保有する霊装を持ってしまったから、元あるべき場所に返すよう、刺客が来た、とか。


「アイビー。おまえ、孤児院に来る前はどうしてた?」

「覚えてないよ。一番昔の記憶もぼろい家の中で毛布にくるまって震えてたものだし」

「実は貴族の令嬢でした、とかやめろよ」

「そんなわけないじゃん。この私のどこが貴族なのよ」


 俺の前回の記憶でも、そんな話はなかった。

 アイビーはアイビー。それだけのはず。


「そうか、それは良かった」

「そ、そう? まあ確かに、もしも高い身分だったら超えなくちゃいけない壁が増えちゃうしね。良かったよ、私たち二人とも、そういうしがらみがなくて」

「本当だぞ。俺とおまえ、一緒にいられなくなるかもしれない」

「い、一緒に? リンクは私と一緒にいたいってこと?」

「当然だろ。ずっと一緒だ」

「あ、あはは。今日のリンクは素直だなあ。あ、いや、別の意味では常に素直なのか」


 毛布の中が熱い。

 それはそうか。二人が入り込んでいるし、子供の体温は高いし。


「あ、あのね、私もその、リンクとずっと一緒にいたいというか、そういう感情がないわけでもない、というか」

「何言ってんだ。その気持ちがなくてどうする」


 まさか、と思う。

 アイビーが殺される事件。


 一個だけ謎があるとすれば、彼女の行動だ。

 アイビーの霊装『フォールアウト』。さっき二階のこの部屋に入るために使ったナイフ。

 あの霊装の真価は、逃走にある。屋根上に投げれば人の手の届かないところに逃げられるし、人の足より速く移動できる。


 それなのに、何故彼女は殺されていたのか。

 もちろん、相手が上手だった可能性も、複数で囲まれて逃げきれなくなった可能性もある。

 しかし大事なのは、もっと根本的な問題。逃げようと思ったかどうか。彼女の生きる意志なのではないか。


「なあ、アイビー。おまえ、……」

「なあに?」

「生きていたくないのか?」


 皆が寝静まった宵闇。

 音なんか寝息と寝返りを打つ音くらい。

 今の静寂は、きんと耳に響いた。


「……そんなこと、ないよ」


 返ってきた声は小声。

 常より飄々として生きていた彼女の、本心を掴んだ気がした。


「だって毎日楽しいもん。訓練して、話して、ご飯作って。皆優しくて、楽しくて、大変だけど、充実してるんだよ」

「アイビー。おまえはどうしたい?」


 俺は当然生きていたい。

 やることがある。

 やりたいことがある。

 やらなくちゃいけないことがある。

 だから正直、眼を伏せるアイビーの気持ちはわからない。


 俺の知らないところで、俺は余計なお世話をしているのかもしれない。本当はアイビーは俺の知らないところで苦悩していて、この世からいなくなりたくて、ただ流されているだけなのかもしれない。

 勇者になんか、なりたくないのかもしれない。


 アイビーは息を吐いた。至近距離だからその息は俺にかかってくる。暖かくも温くもあった。今生きている人間のものだった。


「……ずるいと思うけど、逆に、聞かせて。貴方は、どうしたい? 私に、どうなってもらいたい?」


 逆に質問。

 その質問はある意味、アイビーのすべてだったのかもしれない。

 迷う事なんかなかった。

 俺がこの一年間、なんのために悩んできたと思ってる。


「馬鹿かおまえは。生きていてほしいに決まってるだろ」

「どうして?」

「おまえはもう俺の魔王討伐の戦力に入ってるんだよ。抜けられたら計算が狂うだろうが」


 せっかくここまでやってきたのに、俺の行動が無駄だったなんて思いたくない。

 救えるものを取りこぼしたくなんかない。


 単純に、アイビーに生きていてほしい。

 打算と感情が入り混じる。しかし俺は、打算しか口に出すことができない。それが一番相手に届くものだと思っている。


 ふふ、という笑い声。


「私の力が必要なの?」

「そう言ってるだろ」

「それだけ?」

「知らねえよ」


 アイビーが生きていてくれれば良いのは間違いがない。彼女の霊装は有用だし、彼女自身も有能だ。魔王を倒すのに一役買ってくれるだろう。


 だが、それだけではない。

 なるほど、確かに間違ってはいないが、正しくもない。

 それは一つの答えで、答えは一つとは限らないのだから。


 アイビーは俺に抱き着いてきた。

 熱かった。

 とりあえず、抱きしめ返しておいた。


 これが正解かはわからないけれど。

 きっと不正解ではないはずだ。



 ◇



「君は何を知っているんですか?」


 再びの邂逅。

 アステラは軽薄な笑みを張り付けながら、再度道場を訪れた

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