第2話
それぞれが机にある仕事道具を使って、作業を始める。
藤野がGペンで、漫画の下描き原稿に絵を描きこんでいく。口元を緩ませ、楽しそうにしながら。
大好きなものに夢中なその表情は子供みたいで、魅力的だ。
彼女の様子にこちらも、やる気を出すと、話のプロット作りを始める。
空白のノートに、頭に浮かんだたくさんのアイデア、キャラの設定や物語の進め方を書きこんでいく。
その作業は途中で詰まることがなく、順調に進んでいく。
どういう話を作ればいいか、頭の中でイメージが固まっているからだ。
作業中、Gペンとシャーペンを走らせる小気味のいい音が静かに響き続ける。
この心地の良い静けさを僕は気に入ってる。
そう思うのは、一緒にいて、安心する相手と同じ時間を過ごしてるからだろう。大切なものを育くんでいく感覚があるからだろう。
藤野とはもうずいぶん長い仲にある。
小学校からの幼馴染で、漫画好きという同じ趣味を持っていたから、いつも漫画の話をしていた。
その漫画好きが好じて、一緒に漫画を描こうという話になった。
僕はお話を考えるのが得意だから、原作を担当した。藤野は絵を描くのが得意だったから、作画を担当した。
そこで、創作することの醍醐味を知った僕らは、熱中するように、漫画を作り続けた。小、中、高と暇な時間を縫うように、漫画を作り続けた。それが僕らの青春時代だった。
完成した漫画は賞に応募していた。中学までは賞にひっかかることがなかったが、高校時代に大賞をとり、才能を評価され、在学中に連載、プロデビューを果たした。
その時に気持ちが高ぶったのだろう。僕は藤野に告白した。
ずっと一緒の時間を過ごして、彼女のことをいつの間にか好きになっていたのだ。
告白を受けてくれるか不安だったけど、彼女は快くオーケーしてくれた。
どうやら、彼女も同じ思いだったようで、晴れて僕らは恋人同士になった。
それはすごく幸せなことだったけど、初めての連載はあえなくすぐ、打ち切りになってしまった。非常に残念なことに。
でも、多くの読者に自分達の作品を読んでもらい、感想をもらう喜びをしった僕らは、プロの漫画家として生きていくことを決意した。
高校を卒業すると、僕らは商業で漫画を描きながら、一緒に暮らし始めた。
家族として暮らし始めた。
付き合ってからの僕たちは、止まることをしらないかのように、愛情を深めあっていた。毎日、キスをして、肌を触れ合わせた。溺れる程に、愛をささやきあった。
だから、高校卒業を機に、結婚した。夫婦になった。
夫婦生活は円満に続いて、二十歳になった今も、互いを好きだという気持ちは変わることがない。
それだけに、歯がゆい気持ちがあった。彼女と作る漫画が今ひとつ、結果が出せてない現状に……。
高校を出てから、すぐ始まった漫画の連載は半年で打ち切りになった。人気が出なかったのだ。
その後も、いろいろ苦労してまた連載になるけど、それも半年と続かなった。
だから、漫画家としての収入は少なく、貧乏生活が続いている。
そのことに、妻は不満一つもらさない。だけど、もっと楽な生活をさせてあげたい思うのが夫としての心情だ。
そして、大好きな漫画で藤野と一緒に成功したいという思いがあった。
それだけに、今連載してる漫画「不道徳恋愛シチュエーションズ」は今まで以上に、力をいれて作っている。
この漫画は社会的、道徳的に許されない様々な恋愛を、オムニバス形式で描いた作品だ。
それこそ、兄妹恋愛、不倫恋愛、教師と生徒の恋愛となんでもありだ。
その恋愛を、リアリティあふれる生々しい感情を描写することで、より背徳的にしようとした。
本当に許されないことをしてるんだと読む人に、思わせようとした。
してはいけないものほど、人間はひかれてしまうのだから。
とはいっても、肝心のリアリティを出すにあたって、当初はいろいろと苦労した。ネームを何度も描いては没の繰り返しだった。
変わったタイプの作品だったから、作品のイメージを膨らませるのが難しかったのだ。
そこで、実際にキャラクターの気持ちになって、恋愛を疑似体験すれば、イメージが膨らむかもしれないと考えた。
そこで作画担当である藤野の協力をあおいだ。僕と彼女で、禁断の恋をする主人公とヒロイン役になりきった。
決められたセリフや物語の進行もなく、作られたキャラ設定だけを元に、アドリブでセリフを考え演じてみせた。
それは新鮮な感覚があった。役に没頭してたからかもしれない。相手が好きな人だからかもしれない。生まれ変わった、僕と彼女がまた出会って、恋をしてる気分に陥った。
そして、その演技を通して、キャラクター達が何を考えて、どういう人なのか理解を深めることができた。
それを足がかりに、リアリティあるお話を作ることができた。
それ以降、僕はこのやり方で、漫画のお話を考えている。
その甲斐あって漫画はまだ打ち切られてない。半年以上続いてっる。
かといって、人気がめちゃくちゃあるというわけでもない。
雑誌のアンケート順位は、毎回、真ん中か、それよりちょっと下レベルだ。
今すぐ、打ち切りの心配はないが、数ヶ月先のことはわからないといった感じだ。
だからこそ、今が正念場でベストを尽くす必要があった。
二時間ほどして、プロットを完成させると、心地の良い疲労感が広がる。
作業で凝り固まったところを軽くほぐすと、コーヒーを入れ、一息つく。
一仕事おえた気分だが、まだまだやることはいっぱいある。
スマホに手を伸ばし、編集に電話をかけ、漫画の打ち合わせをする。そこで、プロット通りに話を進めて、問題ないとお達しをもらう。
よかった、ここで、ゴーサインが出ないと、ネーム作業に移れない。
ネーム完成が大幅に遅れると、作画にあてられる時間が減ってしまう。
そうなると、藤野に迷惑がかかってしまう。
それはなるべく、さけたかった。切迫した時間では、のびのびと漫画を描く余裕がなくなってしまう。商業とはいえ、藤野には、なるべく楽しそうに漫画を描いて欲しい。
だから、僕はなるべく、早めに、話を完成させるように、心がけてる。
ネーム作業に取りかかり、真っ白な原稿用紙にGペンを走らせる。
どういうキャラクターが出てくるか、どういう構図にして、どういうコマ割りで、どういうセリフを話すか、漫画の設計図を作りあげていく。
この時間が何より好きだ。物語を実際に作っているという実感があるから。
作業を深夜一時まで続けると、藤野に「そろそろ遅いし、寝よっか」と声をかけられ、一緒に床の間に入った。
もそもそと布団の中で動く音。
藤野が身体を丸めて、抱きついてくる。ゆるみきった顔で、胸元に頬を擦り寄せてくる。足と足を絡めてくる。
彼女は好きな人の匂いと、ぬくもりを感じながら、寝るのが好きだそうだ。
「やっぱり、この瞬間が一番落ち着く、至福至福」
そんなことを毎日してくる彼女に、毎回かわいいなーこいつと思ってしまう。
何百回も飽きずに、愛おしいと思ってしまう。惚れた弱みというやつだろう。
僕は彼女の背中を優しくなで、ゆっくりと心地の良い眠りに入っていった。
翌日、朝起きて、寝室を出ると、僕と藤野はいつものように食事をする。
食事中、テレビをつけていたが、そこでは売れないプロ漫画家が、自殺をしたというニュースが流れていた。なにやら、貧乏生活を苦に自殺したという。
藤野はそれに気にした素振りを見せず、美味しそうに、卵焼きを食べている。
僕としては、ひとごととは思えず、食事中、そのことが頭から離れなかった。
でも、僕と藤野が仕事机に座り、昨日の作業を再開すると、頭が切り替わり、そのことを忘れてしまった。
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