第14話 牧師、ケリをつける
暗闇が迫りつつある街。ポツポツと灯りを灯した家々が見える。小さな、そして確実な人の営みがあった。
カインは思う。聖騎士とは、本来は主の教えの名の下に人を守り人を救うあらゆる権力と独立した武力であったはずだ。
派閥や主義に捕らわれず、人類に牙を向く魔を打ち払う聖なる騎士は、いつしか教会の権威のために働く走狗の代名詞となっていた。
極限の鍛錬と高潔なる意志をもって、超人の域に達し初めて聖騎士と認められるはずが、教会のいうことを忠実に聞く傭兵や夜盗紛いさえ聖騎士として取り立てるようになった。
こんなはずではなかった。聖騎士が守るべきは、教会の権力ではない。
守るべきものは、この場所から見える、小さな人の営みと平穏であるはずだ。神の奇跡とは、そのためにあるはずのものだ。
ロデムは、そうカインに教えてくれた。
吹きすさぶ風の中で、火花が散る。薄い暗闇の中に、乱舞する光。城の屋根を踏み割りながら、衝撃破と甲高い剣戟音。
やがて、カインが足を止めた。城の尖塔の上、避雷針の上に立つ。
「ここで、決着をつけましょう」
「ああ、いい眺めですね。アベル、ここを死に場所にしたいのですか?」
並び立つルデイガロンを先頭とする七騎士。重油のようにどろりと殺気が匂い立つ。
カインの光放つ両眼。神聖の輝きは、薄い闇を穿ち照らす。痛々しい傷跡は、いまだ血が滲んでいた。
「僕はアベルではありません。カインです。アルムス村の、牧師見習いのカインだ。世話焼きな吸血鬼にいつも叱られる、ただの間抜けな男です」
「アベルは死んだ。そう思えば逃れられると思っているのですか、アパルマの虐殺者?」
「逃げるつもりはありません。多くの罪なき異教の人々を殺した罪からは……」
「あなたの罪状は、同朋騎士の殺害です。はて、異教徒などいくら死のうとなんの罪に問われるのか……?」
「異教の都アパルマへ、教会からの派兵による武力占拠に僕は参加した……陥落と同時に、そこでは聖騎士による略奪と暴行が始まった。アパルマの兵に指示を下していたのはあなたですね、ルデイガロン……あなたが兵に許可と命令を下した」
カインが語る。かつてアパルマの都でなにが起こったのか。
「真の神を知らぬ異教徒に人の礼を払う意味などないのですよ、アベル? なにより略奪は兵の収入となるのが戦場の習い、下らぬ慈悲をかけましたね」
「異教といえどあの場所には罪無き無辜の人々がいました! 奪われる理由も傷つけられる理由もなかった!」
「ならば、なぜその罪無き人々があなたの眼で焼き払われたのか……? その眼は罪あるもののみを焼き払う神聖の光なはずでは……? あなた、その眼の制御を失っているのでしょう? だから略奪に参加した兵以外に、異教徒も焼き尽くしてしまった」
ルデイガロンの推理に、カインは沈黙で答える。両眼に走る傷跡は、カインから奇跡の舵を奪っていた。
救おうとして、救えなかった。それゆえに、アベルはカインとなる。
「
「この傷は、同じ聖騎士の同僚からつけられたものだ……それもあなたの指示だろう……!」
「仕方ありませんよ。あなたの才は推し量れぬほどのものですが、他ならぬ、
カインの持つ『バサラ』を初めとする奇跡を内包する聖偉物と呼ばれる武装は、聖人とされたものの遺体を使用して作成される。狙われたのは、アベルの奇跡を内包する両眼だ。
シャディールの名を聞き、カインの顔に苦痛が浮かぶ。懐かしく、そして忌まわしい名。
「……シャディールか。やつの命令ならば、どんなこともするというのですか」
「無論です。私の命も愛弟子の命も、主の教えと栄光のために喜んで捧げましょう」
ルデイガロンの言葉に、嘘はないとカインは思う。この男ならば平然と捧げるだろう。自らの命も他人の命も、教会という大儀のためならば等しく価値はないと思っている狂った男だからだ。
「あなたはアベルは死んだのか、と言いましたね」
「ほう」
「違いますよ。アベルはまだ生きている」
「ほう、我らの所に戻ると?」
「いいえ、アベルは今から死ぬんです。あなたと共に!」
カインが跳躍。月の光に照らされながら、腰だめに構えた聖杖。解き放つ斬撃、衝撃の刃が空間を飛ぶ。
ルデイガロン達も動く。弟子三人が剣で衝撃破を受け止め、残り三人がカインを左右と頭上から取り囲む。
「『オルガの章、第二節、3の5、我らを繋ぎ止めようは神の意志なりてと羊飼いは言った』」
聖句を唱え、奇跡を発動。二方から飛ぶ光の鎖。着地際のカインを狙う。
「見えている!」
着地と同時に転がるカイン、背を地面につけて一回転しながら抜刀。鎖を切り払い、頭上からの兜割りを避けた。カウンターで蹴りを入れ目前の一人を突き放す。
「『マグの章、第八節、3の7、箱船に来るは枝葉を持つ椋鳥。其は主の許しの御印なりてとマグは語る』!」
カインが聖句を発動。目前に現れる光、形作られる三羽の椋鳥。
「いけ!」
カインの声と同時に光の鳥がそれぞれの目標へ飛び立つ。逃げる騎士を自動的に高速追尾。輝く軌跡を空間に描きながら、着弾。衝撃と小爆発が起こる。
「奇跡の効果を三重にして発動できる『
煙をかいくぐり、弟子が突撃する。ひび割れた鎧。外れる兜からは少年の顔。カインよりも若い。
少年は決死の刺突を繰り出す。しかしカインの動きのほうが速い。交錯する二人。カインの逆手の抜き胴が入る、バサラの切れ味は鎧さえも切り裂く。
腹部から血を吹き上げ膝を付く少年。
「治癒奇跡を使い戦列から離れて! 今なら助かる!」
カインの言葉を無視し、少年が別の奇跡を展開。光の鎖を放つ。
「やめなさい、本当に死にますよ!?」
剣ではじくカイン、一瞬足が止まる。
「そう、それでいいんですよフェルナン。人にはそれぞれ役割がある。それがあなたの役割です」
ルデイガロンの声。掲げられた剣に光。大技が来る。
「……これがあなたのやり方ですか!」
カインの両眼が大きく光る。発動する神代の時代の神秘。現出する神罰の光。
犯した罪の多さと重さにより人を焼き払う奇跡が、ルデイガロンに直撃。
「そう、これが私のやり方です」
しかし、
まるで光の翼が生えるが如く、背部二方向へ広がる光の粒。
「なん、ですか、その鎧は……!?」
「これは駆動鎧と呼ばれる新装備の一種。その中でもあなたのメギドを初めとする奇跡を防ぐことに特化させた代物ですよ、アベル。まさか我々が全くの無策であなたの前に現れるとでも?」
掲げた剣の光が強まる。ルデイガロンの笑いが残酷なものに変わった。
「殺した罪、傷つけた罪、盗んだ罪、騙した罪、姦淫した罪、それらを犯したものはメギドで焼かれる……しかし今までそのような罪を一度も犯したことがない者などいるわけがない。人はみな罪人です。この私とて」
司祭者の言葉は、神をひたすらに信じる者の声だった。神を信じ、それゆえに己の罪を恐れている。
アベルの眼を、ルデイガロンは恐れていた。焼かれ死ぬからではない。それは自らの罪の証明だから。神が自らを裁こうとする意志だから。だから、その才を知りつつも殺すことに後悔はなかった。
だが、もうその恐怖はない。
「それゆえにあなたの奇跡は恐ろしいものだった。しかし、それももう必要はなくなる。
ではさようなら、惜しむべき才能よ。『ケイリムリュオンの手紙。第二節、5の14、天使は我らの愚かさを嘆きたもう。我らの罪を嘆きたもう。我らは罰を受けたもう。その裁きの剣にて』!」
聖句により奇跡が発動。ルデイガロンの剣から天へ長大な光が伸びる。まるで星空を突き刺す柱。
上位奇跡と呼ばれる、必殺の一撃。
「『
フェルナンと呼ばれた少年が、カインの足首を掴んでいた。それまでの無表情から笑みが浮かぶ。なにかを達成できたという、安堵の笑み。
極大の破壊が振り下ろされる。
「……く!!」
咄嗟の判断、少年の手首ごと刀で切断。その場で高速化する奇跡を発動、跳躍。屋根や城の一部を巻き上げて、奇跡による破壊が迫る。
すぐ足元を、笑顔の少年が熱衝撃で消滅する光景が見えた。
「ルデイガロオオオオオオンッッ!!」
カインの怒りの絶叫。しかし遮る残り五騎の騎士。取り囲む。
攻撃が始まるより速く、カインの防御が発動。
「『アルカ人の手紙、第二十五節、天の国は近く、扉は遠く、その壁は破れず、ただ重く道を歩み入れ』」
光の障壁が騎士達の剣を防ぐ。そのまま奇跡の壁を蹴って、カインが軌道を変更。一人を交錯時に斬り伏せた。
着地と同時に、背後に迫るもう一人もカウンターで斬る。
「人にはそれぞれ役割があります。才の有無や優劣に限らず、人は出来うることをやればいいのです。才無き者とて、十全に役割を果たせば恐れることはありません。なによりこの私がその才無き者であるからです」
ルデイガロンが呟く。それはカインがルデイガロンに初めて師事された時に聞かされた言葉だった。
この言葉が、聖騎士を目指し始めたカインを支えた、力有る言葉だった。
今はもう、違う。
「さあ弟子達よ。あなたたちの生まれた理由、その役割を果たすのです。それが主の御心なのですよ」
構えたカインの刀に、一人が自らを突き刺させた。
「な!?」
「主の御心のままに!」
叫びながら、刀を自らの肉に固定させる。
動きを止めた二人もろとも刺し殺すべく、飛び込む騎士。間一髪で刀を手放して避ける。
カインは武器を失った。それでも、戦う。勝たねばならない。
「死を強いることの何が神の教えなのですか……だからあなたは人の命を躊躇無く犠牲にすることしかできない!」
無手、両眼の
「先生は僕に、生きるべきだと言ってくれました! 過ちを抱えても、戦わなくても、生きて人を救うことを諦めるなと教えてくれたんです!」
アパルマの虐殺、制御できぬ自らの光で、自らを焼き滅ぼす寸前のアベルを救ったのは、ロデムだった。
自らの行いに絶望するカインに、それでも師は生きることを解いた。村の人々が、カインに生きる意味をくれた。
「異端の世迷い言を……ロデムは所詮、手駒が欲しかっただけですよアベル。結局はあなたは戦うことを選んだではないですか」
「……ラライは一人で戦ってきました。どんなに傷ついても、人に戦うことを強いたりはしませんでした。彼女に全てを背負わせるくらいなら、僕も彼女と罪を背負うと決めたんですよ」
恐怖はある。だが後悔はない。彼女のように、もう一度戦おうと思った。
「僕が受けた先生の教えは二つです。一つは『生きよ』ということ。そして」
構える。無手でなお、聖者の光は増していく。果てない夜を照らすほどに、覚悟の輝きが全てを切り裂いていく。
「そして、もう一つは、『
「な……!?」
ルデイガロンは耳を疑う。言葉と同時に、カインが足元に転がる剣を蹴り上げた。
とっさにはじき落とすルデイガロン、しかしカインはすでに彼の目前に飛び込んでいる。
「奇跡も通じぬこの鎧に、素手で何を!?」
速度を落とさぬまま、カインは構える。
「『兵士の言葉、第十一節、14の7、主よ、我に力を、困難に打ち勝つ力を』!」
放たれる左拳。奇跡による筋力の強化。カインの特質による
狙うはルデイガロンの首。
鈍い音を立てて、装甲が盛大に割れた。しかしカインの腕も過度に増幅された筋力に耐えきれず折れる。飛び出る骨、複雑骨折。
常人ならば気絶する激痛に、カインは歯を食いしばって耐える。
「お、のれえええ!」
絶叫と共に剣を振るう。カインのわき腹に刃が食い込んだ。溢れる血。重なる激痛。
「『オルガの章、第二節、3の5、我らを繋ぎ止めようは神の意志なりてと羊飼いは言った』!」
カインの右手から伸びる光の鎖が、ルデイガロンの刃を止める。そのまま振りかぶり伸びた鎖がルデイガロンの首に巻きつく。鎧が損傷した箇所なら奇跡が届くはず、そのカインの予測は当たった。
「ぐ、うううう!!」
構わず剣を横なぎする、しかし既にカインはいない、
ルデイガロンの股下に、滑り込んでいた。
「しまっ……!」
「うおおおおおおお!!!」
気合いと共に全力でルデイガロンの胴を蹴り上げる。奇跡による筋力増幅により、足形にへこむ鎧。空高く舞い上がる聖騎士。
同時に光の鎖が張り詰める。一点に高まった力に耐えきれず、鈍い音を立ててルデイガロンの首の骨が折れた。
「ご、ご、おおおお!!」
血泡を吹く。途切れそうな意識の中で必死に治療用の奇跡を発動させようとするも、
「『使途アバクの遺言、第三節、2の21、汝らに神の御名において永久の安らぎがあらんことを──』」
カインの唱える聖句のほうが速い。折れた腕に光が灯る。
薄れゆく景色の中で、ルデイガロンはかつての弟子が自らの予測を超えて更なる高みへと至ったことを知った。
──
そこには師としての、教えることを生業とする者の奇妙な喜びがあった。迫り来る死の恐怖さえも、遠くへ薄れるほどに。
「──『
折れた腕を鎖へと叩きつける。光の鎖を伝い、小爆発が炎を上げて走る。
やがて、ルデイガロンの首へ到達。さらに大きな衝撃と共に爆発した。鈍い音を立てて、体と、千切れた首が屋根に落ちる。
「さようなら──ルデイガロン先生」
これが、
奇跡には魔術と違い消費される代償がない。それゆえに治療用の奇跡さえ覚えていれば、体力の続くかぎり戦闘を続行できる。
それゆえに熟練した聖騎士を戦闘で殺す方法は限られている。しかし、派閥や主義の違い、または敵へと落ちた聖騎士との戦いの必要性により、聖騎士を確実かつ迅速に殺す方法論が確立されることとなる。
治療用奇跡を使わせず、または使えなくし複数または単独の攻撃で確実な殺害を達成する
しかし、現在この技術は教会から失伝したとされる。
「はあ、はあ、はあ、『使徒キリクの言葉、第一節、1の1、主よ我らを癒やしたまえ』」
洗い息を吐きながらカインが発動。治癒の力によりわき腹の傷や左腕の複雑骨折が完治していく。
晴れていく痛み。しかし消耗した体力は戻らない。
転がる少年騎士の死体から刀を引き抜く。周りには呆然とする生き残りの弟子達。
あれは、かつての自分だとカインは思う。
「もういいでしょう。ルデイガロンは死んだ。君たちに死ぬことを強いる人間はいないのです」
彼らを殺したくはなかった。同じ師から教えを受けた、兄弟ともいえる彼らを。
しかし、ひとりが剣を構えた。残りも次々と剣を構える。師の呪縛は、死してなお、いや、死んだからこそ弟子を強く縛る。
カインでは、彼らを救えない。
「──そうか、わかった」
カインの両眼の光が強まる。今彼らと戦闘をして、カインが生き残れる確実な保証はなかった。カインが死ねば、次に彼らはラライを狙う。
それだけは、させない。
この命に替えても。
「──『創世の章、第一節、1の1、神は言った』」
それは、カインだけが使える力。自らの眼に宿る
「『光あれ』」
神罰が、少年たちを焼き払う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます