第12話 牧師、斬る
「──
ラライがかざした手から、魔力がほとばしる。空間が歪み、不可視の刃の群れが発生。兵士の群れに激突。鎧ごと肉体を切り刻む。吹き飛ぶ手、脚。
夕暮れも過ぎて、闇が追いつきつつある城の正面広場。そこには無数の兵士たちが待ちかまえていた。その数は二百以上。かなりの武装戦力。
しかし、ラライにはただの二百の餌だ
「化け物が!」
かかんに魔術をかいくぐり、ラライの目前を進む双剣の剣士。踏み込もうした刹那、その両手が吹き飛ぶ。背後へ転がる双剣と腕。
「え、あ」
呆然とする。吸血姫の横凪ぎした剣に、瞬く間に斬られたのだ。
「はい邪魔」
ラライの細い腕が伸びた。りんごをもぎ取るように首をへし折る。吹き出る血を飲み干しながら、前へ進む。眼前を矢の群れが埋め尽くした。避ける様子もなくさらに魔術を発動。
「──
伸ばした指を掴むように歪めると、目前の空間が矢と兵士ごと歪む。歪むように見えているのではない、本当に実体が歪んでいるのだ。
「ひいいいいいいい!!! ああああ!!」
屈強な兵士たちが子供のように泣き叫ぶ。腕や胴体を子供がおもちゃで遊ぶように捻り折られていった。
「ふんっ!!」
ラライが腕を振り切ると、矢は折れて落ち、多数の兵士たちが血反吐を吐きながら倒れていく。腰から上が真後ろへ回っている。
「チクショオ!
魔術師らしき一人が魔術を発動。杖の先から人一人分はある火球が形成。ラライへと襲いかかる。近くには動けない味方もいるが、巻き添えも構わない。
「あらあら」
着弾。盛大に上がる爆風と煙。
「いやったぁ! 化け物でもこれでがご!」
煙に穴を開け、飛来した何かが魔術師の頭に直撃する。先ほど千切られた剣士の頭だ。
「そういうのって死体を見てからいうものよ?」
続けて衝撃。煙の中から超高速の踏み込みで突撃したラライ、全くの無傷。勢いを利用した蹴りが、魔術師を後方へ吹き飛ばす。首が折れたまま、後ろに飛んでいった。空間を長い銀髪が泳ぐ。夕闇に光る、赤眼の光。乱舞するは人外たる存在の暴虐。
これがラライ。これが
「どうしたの? 老いぼれどもを楽しくぶち殺すのはできても私にはできないのかしら? あはははは!! じゃあ楽しくぶち殺されなさいなゴミ共!」
高笑いを上げながら殺戮をこなすラライ。しかしその顔に笑顔はなかった。無力な老人たちを殺したものたちに最大の恐怖と後悔を与えるためだ。それを味わわせてから殺すと決めた。
「あれ、が、
リリベルを抱きしめながら、マルリリスが恐怖に震える。カイン達を助けたという彼女は、やはり化け物だった。
しかし、彼女は無残に殺された老人のために怒り、リリベルを助けに来た。
人のために、
「ああこれはおぞましい化け物だ。こんなものを女性や子供に見せてはいけません。マルリリス様、後ろへ下がりましょう。さあ君もこっちへ」
にこやかな笑顔のまま、鎧姿のルデイガロンがリリベルへ手を伸ばす。二等辺三角形が組み合わさったような奇妙なデザイン。
震えながら、リリベルはマルリリスから離れない。
「大丈夫ですよ。あなたは間違ったことを無理やり教えられただけなんですから」
手を伸ばしたまま、語りかける。
「だから正しい教えを知ればいい。正しい言葉で、正しい行いで、正しい教義で、正しい神を知ればいいのです。
そうすれば今までの間違った教えがいかに醜悪か、よくわかるはずです。子供は素直で純粋ですからね。大丈夫、きっと君は正しい良き信徒になれる」
「や、やめなさい!」
「ま、マルリリス、余計な反抗はやめるのだ」
娘を止めるガデオン。ルデイガロンの危険性に、娘を近づけさせたくない。
「おやおや」
マルリリスがリリベルを神父から離す。
ルデイガロンは、ラライとは別種の恐怖とおぞましさがあった。ラライにはまだ人間らしい根底があったのに、この男はもはや教義を広め厳守するだけの機械のようだ。
「マルリリス様、私はこの娘を救いたいのですよ。愚かなロデムや祖父達に騙された存在を、神に仕える我らが救わず誰が救えると」
「お、おじいちゃんを殺したくせに! ロデム先生は優しい人だった! あんたなんか死んじゃえ!」
泣きながら、リリベルが叫ぶ。こんな子供に、ここまでの憎しみが宿っている事実に、マルリリスは言葉を失った。
「──全く、やはり異端はどこまでも異端。救えぬとは悲しいものです」
ルデイガロンの表情はやはり変わらない。しかし、眼の奥にある殺気は確実に尖っていく。
「まあ、まずはあの目障りな化け物を大人しくさせますか。これは後でいい。やれ」
ルデイガロンの言葉と同時に、ラライの周辺にうごめく影、六つ。ルデイガロン直属の弟子達。
「……ちっ!」
舌打ちと共にラライの動きが変わる。やつらは明らかに動きが速い。今までの兵士とは違う。天と地ほどに違う。
ラライの斬撃。しかし避けられる。カウンターの斬撃がラライの髪をかすめた。
空中で回転する吸血鬼。斬撃を受け流しながら蹴りを放つ、しかし空振り。体勢を沈ませた鎧の騎士が立ち上がりからの切り上げを見舞う。
ラライが剣で受け止めたと同時に、今度は背後と真横の三方向からの斬撃。二撃をはじくも、一撃を食らった。
「ぐ、あ!」
──これは……!
人間を越えている速度、計算されたコンビネーション。これは、まさか。
「『オルガの章、第二節、3の5、我らを繋ぎ止めようは神の意志なりてと羊飼いは言った』」
「まさか……」
「『オルガの章、第二節、3の5、我らを繋ぎ止めようは神の意志なりてと羊飼いは言った』」
「まさか……!!」
「『オルガの章、第二節、3の5、我らを繋ぎ止めようは神の意志なりてと羊飼いは言った』」
次々と重なる聖句、六重。やつらは、奇跡を使う。
六本の光の鎖が、ラライの体を拘束する。
「うああああああああああ!!!」
激痛に傲岸不遜だったはずの吸血姫が悲鳴を上げた。光の鎖が触れている箇所が、焼けていく。
これが、不死者が奇跡に触れるという意味。神の存在を実証する現象、奇跡触れれば不浄なるものは焼かれるのみ。
六人の騎士たちにより振り上げられる鎖。引っ張られてラライが地面に叩きつけられる。何度も、何度も、何度も。
「ご苦労。吸血鬼とは久しぶりに見ましたよ」
ルデイガロンの脚が、倒れるラライの頭を踏みつけた。
「やはり、聖騎士、か……いたのね、本物が」
「おや、我らのことを知っていたのですか?」
「屋敷の商人を、躊躇なく殺した……あれは私ら不死者のやり口を知ってる人間がやる行動よ……」
「一度催眠がかけられている相手は、どのようなスイッチで動き出す後催眠をかけられているかわかりませんからね。殺すのが一番安全です。
我らが聖女、シャディール様の教えはやはり確実かつ迅速ですよ」
「シャ、ディール……剣、英雄の……!?」
目を開くラライ。ルデイガロンの言葉を信じられない。シャディール、ラライをかつて封じた奇跡を身に宿す英雄の名。ラライの友の名。太陽のように、笑う少女。
この時代より、恐らくは数百年前にいたはずの人間。
「ははぁ、吸血鬼も四百年教会を守り続ける聖女の威光にはひれ伏すと見える」
「あのクソ田舎娘が、聖女!? 四百年も!? はは、あれが聖女なら馬や牛でも教皇ができるわよ! 中央教会は農場の別名になったのかしら!」
「聖女シャディールを侮辱するな化け物が!」
蹴りがラライを打ち据えた。しかしラライの笑いは止まらない。
「はははは! こりゃいいわ、何百年たったか知らないけど、アイツ、ただの人間でいられなくなったのね。あれだけ私に人である意味を説いたあの女が! はははは! じゃあ、約束通りこの私がやつを殺してやらないとね!」
笑いながら、ラライの目に涙があった。かつてあった美しい思い出が、今はもう跡形もなく失われてしまった痛みがあった。
「その前にお前が滅殺されるのだ、汚らわしい化け物が」
「いいや、それはさせない」
混沌の場に、声が響いた。
いつの間にか、彼はいた。
夕闇の中に、静かに、ただ静かに彼は立つ。鮮やかな金髪。黒い礼服。白木の聖杖。そして、両目を覆う包帯。
「カ、イン……?」
ラライの声に、カインが顔を向けた。大丈夫だ、そう言っているように微笑む。
「バカかおまえは! 殺されるだけでしょ!」
「そんなに怒鳴らないでくれ。自分のバカさ加減はよく知ってる」
「うるさい無能牧師、っておい後ろ! 後ろ!」
牧師の背後に兵士がいた。剣を掲げ足音を出さないように近づいていく。
「主よ、我らの罪を許したまえ。我らの行いを導きたまえ。我らの明日を与えたまえ。主よ」
祈りの言葉を呟く牧師。うすら笑いを浮かべ、剣を振り下ろす兵士。それよりも早く、牧師が振り向いた。
「主よ──僕の罪を、どうか見守りたまえ」
聖杖より放たれた一瞬の閃光。そのまま一回転して向き直るカイン。兵士はぴたりと動きを止めた。
「ほほう」
ルデイガロンが感心した声を上げる。六人の弟子達にも言葉はないが驚愕が見えた。
ラライは、言葉を失っている。
兵士の胴に、斜めの切断線が走る。ゆっくりと、崩れ落ちた。鎧ごと二等分された体。切断面の鋭さに、血さえも零れない。
白木の聖杖から、刃が解き放たれていた。黄金の輝きを放つ、片刃の刀。
「聖遺物『バサラ』……やはり、この地にいたかアベル!」
ルデイガロンの笑顔が、やや引きつったように見える。
無言で、カインは刀を逆手に構えた。次の瞬間、消える。
「!?」
ラライの真横に移動。縮地の如き高速移動から、閃光の如き斬撃を放った。光の鎖が切断され、霧散し消える。
即座にカインから距離を取る六騎士とルデイガロン。
「立てるか、ラライ」
「ぐ、な、によ、これ……インチキすぎじゃないアンタ……?」
「すまない。事情があってな」
「会いたかったよ、アベル。かつての教え子とまた顔を合わせる時を本当に楽しみにしていた」
言葉と裏腹に、ルデイガロンの殺気が膨れ上がっていく。
「会いたかったのは、僕じゃないだろルデイガロン。会いたかったのは」
カインが包帯に手をかける。解かれた布には、びっしりとした文字が書き込まれていた。
「この眼だろ?」
清浄な光があった。輝くエメラルドの光を放つ、両目がそこにある。左右それぞれに、まぶたを縦に走る傷があった。
「そ、れは……
ラライはそれを知っている。かつて戦った過去の聖騎士が使い手だったから。
シャディールの右目には、その奇跡が宿っていたから。
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