第11話 吸血姫、約束する

《主様、聞こえていますか》


《聞こえているわよゼゼル》


 燃え盛る廊下を、吸血姫は歩く。脳裏で、少女の声が聞こえる。涙をこらえて、必死に状況を正確に伝えようとしている。

 ああ、ゼゼルは優しくて強い、この娘を眷属にして良かった。そう、ラライは思った。今まで、何度もそう思った。


《脱出路が狭く、全員を一度に移動させることは難しかったんです》


 聖剣は血に濡れて、ドレスは赤黒く染まり、頬を血しぶきが彩る。それは戦闘の証。殺到する兵士達を全て殺して殺して殺し尽くして己が魔力へと変えた。

 だがそれにはやはり相応の時間がかかった。相応の時間、その代償がこれだ。


《ええ、知ってるわ》


 廊下を止まる。地下室の入り口、もはやドアは崩壊し、壁には無数の刃物の痕跡。兵士達はここを去ったのか。


《子供達を優先して避難させたところ、リリベルが逃げ遅れて追いつかれていることにギドさんが気づいたんです。それで助けに戻り始めて》


《そう、あのじいさんらしいわね》


《他の老人たちも、ギドさんの後に続いて戻っていきました》


 そして、大量の死体と、床にこぼれるおびただしい血。ラライはしゃがむと、その血に手を漬けた。まだ、わずかに体温を感じる。その熱も、失われていく。


《彼らは、入り口を、自分たちの身体で》


《ええ、全部、知ってるわ。目の前にいるもの》


 ラライは、静かに語りかけた。


「だから言ったじゃない。どうなるかわからないから礼は後でもいいって」


 老人たちの死体は、狭い入り口に折り重なっていた。めったぎりにされたもの。踏みにじられた跡があるもの。しかし、祈る姿で死んでいるものはいなかった。彼らは、折り重なって死んでいる。

 自分たちの身体でルートを塞ぎ、子供達への追跡を防いだのだ。

 重なる死体の中に、リリベルの祖父、ギドがいた。


『でも言ったじゃねぇか、どうなるかわかんねぇから先に言っといたほうがいいって』


 ギドの背に、紙がナイフで突き刺されていた。「アベルよ、城で待つ」という一文。


「酷いもんね。それに誰よこのアベルって?」


『さあ、知らねえだ。でもよぉ、ひょっとしたらカインさんのことかなあ。あの人、いつも自分を責めちまう人だから、昔なにか辛いことあったのかもなあ』


 ラライの能力、死に瀕したものや死して間もないものとも対話ができる霊魂対話スピリット・トークンによりギドの意志と会話を重ねる。悲壮な光景の中で、それでもラライに動揺はなかった。

 その表情に、怒りも、無念も、悲しみもない。

 こんなものは、数百年の時間の中でいくらでも見ているから。

 無力なものが皆殺される光景など。

 何かを守るために犠牲となっていく姿など。

 痛みと苦痛だけの救いのない死など。

 ただ不条理だけがある運命など。

 別れるためだけにあった出会いなど。


 いくらでも、見てきたから。


「ねぇ、なりたい?」


『なんにだよ、ラライさん』


吸血鬼バケモノってやつによ」


 そんなものをいくらでも見て、何度も踏みにじられて、それでも諦められなくて、ラライは吸血鬼となった。永劫に夜と闇を這いずる存在となった。

 彼らもまた、自らや眷属と同じく何も諦められない者であるのなら。諦めを踏み越える邪悪さと強さがあるなら。

 呪いという名の、祝福を与えてもいいはずだ。


『ありがてぇなあ。でもやめとくわぁ。そろそろ婆さんに会いたいんだよ。人間らしくここで死んでおくわ』


「……そりゃそうね、やっぱりそれが一番いいわ」


 心の中で、安堵があった。人が、人として人らしく死んでいくことに、羨ましさと憧れがあることを、ラライは否定できない。

 彼らは、弱くて、そして良き人々だった。

 それは、ラライにはできない生き方だった。


『なあ、ラライさん、頼み聞いてくんねぇかな。孫がさあ、さらわれちまっただ。あのマルリリスって娘さんと一緒にさあ』


 ギドの声が、消え入りそうになる。もう本当の終わりが近い。


『孫をさあ、リリベルを、カインさんを助けてくれよ。頼むよ。マズいかもしれないけど、オレの血も、ここにいるみんなも血も、全部あんたにやるからさ。みんなもそう言ってるんだ』


 ラライが触れる血だまりが、どんどんと小さくなっていく。溢れる赤が、彼女の体内へと流れ込む。

 ラライの中に、ギドたちの怒りが、悲しみが、無念が、優しさが、思いが、吸い込まれていく。


「ほんと、マズい血ね。こんなにマズい血、久しぶりに飲んだわ。マズすぎて二度と忘れられないじゃないの、こんなの。──これじゃあ、約束を忘れたふりもできないわ」



 △ △ △


「ああ、クソ、なんで、こんな!」


 日が暮れ始めていた。黄昏の朱が、街を染めていく。都市の外れ、墓所に脱出路は繋がっていた。

 ゼゼルからことの詳細を聞いたカインは、そのまま膝から崩れ落ちていた。何度も墓所の石畳を殴りつけながら、ただ己の無力さに怒ることしかできない。


「もう止めてください、カインさん」


「ごめんなさい、ギドさん、ゼベルクさん、アダトさん、ログマさん、僕は、誰も守れなくて……」


 老人たちの名前を呟く。カインにとって大切な人々の名前。そして、無意味に殺されていった人々の名前。

 包帯の隙間から涙がこぼれ落ちる。


「なにが、先生の意志を継ぐだ……誰も救えないじゃないか、このおめでたい役立たずが!」


「カインさん」


「僕は、やはりあの時死ぬべきだったんだ……先生が、命をかけて助ける価値なんか最初からない人間だった……!」


「カインさん、子供達が見ていますよ」


 ゼゼルの声にはっと顔を上げる。背後にいる気配。泣き声さえ上げられない子供達の前で、不用意に取り乱すことはやるべきことではない。


「せ、先生……」


「リリベルがいないよ……」


 今にも泣き出しそうな声。子供達でさえ絶望をこらえていた。


「リリベルが……? そうだ、ラライは? ラライやマルリリス様はどこに」


「主様はさらわれたリリベルとマルリリスを助けに城に向かいました。私には子供達とカインさんのことをみていろと指示されて」


「城へ……!? ダメだ、ラライ一人では無茶だ、僕が行かなければ!」


「あなたが行ってどうなるというのですか! 多少の人間など主様の前では蹴散らされるだけの……」


「城には聖騎士がいるんだ! 夜盗崩れでも傭兵上がりでもない、奇跡を使える本物の聖騎士が何人もいる! 吸血鬼のラライでは不利すぎるんだ! 僕が行かないと!」


「な……! 本物、の、聖騎士……!?」


 ゼゼルに走る狼狽。立ち上がるカインが、子供達と彼女に背を向ける。行かなければいけない。最後の決着は、自らがつけねばならない。


「ダメです!」


 ゼゼルの袖から伸びる縄。生き物のようにカインに巻きつく。


「わたしとて未熟でも不死者アンデッド……戦いは苦手ですが、できないわけではありません。眷属に主命は絶対、あなたを行かせるわけにはいきません」


「ゼゼル、頼む 行かせてくれ」


「だめです! 死ににいくだけではないですか!」


 初めて、ゼゼルが声を荒げた。


「だめだ先生! いったら死んじゃうよ!」


「やめて先生!」


 子供達が叫ぶ。盲人が死地にいけばどうなるか、子供でさえ想像がつく。


「……ゼゼル、僕も、君と同じなんだ。戦うことは怖くてイヤなこどだけれど」


 カインが白木の聖杖を掲げた。飾り気のない直線的なデザインの杖。

 杖から、光がほとばしった。


「──けれど、戦えないわけじゃない。愚かしくて悲しいことにね」


 絡みついていたはずの縄が、バラバラと崩れ落ちる。


「な、それは!」


 なにを、した? この牧師は、なにをしたのか。


「待って!」


 ゼゼルの言葉より速く、牧師が駆け出す。


「さようなら、ゼゼル。──『ロマイの手紙。第二十八節、14の8。主は風と共にいませり。光と共にいませり。我らに天命を伝えたもうなり』」


 聖句が唱えられる。牧師の体が加速。一瞬でゼゼル達の前からかき消えた。


「こ、れは」


 驚愕する少女。紛れもなく、これは聖騎士が使える力。


 カインは、奇跡を使ったのだ。

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