第8話 吸血姫、子供と戯れる

「そのように捨て鉢に生きてはいけませんよ。主はあなたの行いを見ています。あなたが正しく立ち直る姿を主は見ようとしているのです。あなたはけして一人ではありません」


「う、うぅ、あ、ありがてぇな、こんなオレでも生きてていいのかなぁ」


 盲目の牧師見習いの言葉に、大柄な中年が子供のように泣きじゃくっていた。裏路地に鼻を啜る音が響く。


「生きていていいんですよ。あなたはただ真面目にやろうとして疲れてしまっただけなんです。さあ、故郷に娘さんがいるんですよね? こんなところで立ち止まっていてはいけません」


「こんなオヤジでも、受け入れてもらえるのかなあ、もう十年も会ってねぇのに」


「勇気が必要なことだと思います。けれど家族ではないですか。どんな形でも向き合いましょう。主もあなたを見守ってくれています」


 やがて、中年が牧師に頭を下げてトボトボと歩き出した。背中には心なしか張りのようなものが見える。


「あ、終わりましたかカインさん?」


 座っていたマルリリスが立ち上がる。なにせ牧師見習いの説法が始まってから二時間近く経過していたからだ。地面に落書きをしたり落ちている小石を数えて暇を潰すのも限界だった。


「ええ、向こうも人生をやり直す決意ができたようです」


「あのような暴漢も諭して改心させるなんて、さすがロデム先生のお弟子さんですね!」


「いえマルリリス様、あのおじさんは酔っ払っていて言動が粗野に見えるだけで単にあなたを心配して声をかけただけのただの良い人ですよ」


「あ、そうだったんですか……」


 マルリリスがカインと知り合ったのは、ガデオン伯の城で行われたミサだった。ロデム牧師の助手としてミサの準備を行うカインを見かけたことがある。


「しかしなぜ領主のご息女であるあなたが、このような場所に供もつけず……?」


「実は、城から逃げてきたのです。父から無理やり宗派を変えるまでは出さぬと部屋に閉じ込められて……そこでロデム先生にお助け願えないかと意を決して出てきました」


「それは……大胆なことを」


 そういえばガデオン伯も娘が少々おてんばが過ぎて困るとこぼしていたな、とカインは思い出す。しかしここまで行動力があるとは。


「カインさんがここにいらっしゃるならばロデム先生も街に来ているのですか? どうか会わせていただいても……」


 マルリリスの懇願に、カインは押し黙る。

 やがて、事実を告げた。


「先生は……亡くなりました」



 △ △ △


「暇ねぇ」


 ベッドに横たわりながら、ラライはため息をつく。

 なにかを返したいとあの牧師見習いは外にでていったが、一体何をしてくるつもりなのか。

 とりあえずは何人かの商人から資金を巻き上げ拠点を固めてから、常駐する聖騎士とやらを内部から解体させつつ喰らう算段は固めてある。あとはついでに領主も手中に収められればこの土地一体は手に入る。

 その準備のためにはやはり時間をかけたいのだが、今はどうにもやることがない。


「さてさてどうするか」


 ガチャ


「……ん?」


 僅かに開いたドア。その隙間から子供、恐らく男児の顔が見えた。

 『あ、ヤバいやつがいる』という表情。慌てて逃げ出そうとする。


「こらこら」


 横になったままやるきなくラライが呟く。伸びた銀髪が床を伝い、逃げようとした子供の足首に絡みついた。


「うわわわわ!! やだ! やだあ!」


 わめく男児──たしかアパムとかいう名前だったとラライは思い出す──を逆さに持ち上げて自らの近くに引きずりだす。


「大方、暇だから屋敷の探検にでも出てきたって所でしょうねえ。ひとんちなんだから大人しくしてないと恥かくじゃないの。それから、ドアを開くときはノックしなさいよ。レディの部屋なのよここは? ゼゼルのやつはなにをやってるのかしら」


「た、たべないでくれー! やだあー!」


「あんたみたいな食いでがなさそうなのはどうでもいいわ……と思ったけどそんなに生きがいいと気が変わりそうねぇ。おやつにはちょうどいいかしら」


 ベッドに横たわりながらやる気なくラライが笑く。覗く牙。どうにも暇だからこうやってチビをいじって遊ぶしかない。


「やめてえ! アパムを離して!」


 他の子供達が集まってきた。先頭にはリリベル。さらに室内が騒がしくなる。


「おやおや見捨てないできたのは感心ね。じゃあそれに免じて許してあげましょうか。これにこりたら少しは行儀を覚えなさい」


 アパムを降ろす。腰が抜けたようで立てないらしい。


「お、おねぇさんは悪い吸血鬼なの……?」


 リリベルの恐る恐るな問いに、ラライは笑いながら答える。


「吸血鬼はみな悪いものに決まってるでしょ? 人でなしの化け物だもの」


「でも、私たちを助けてくれたよね……? じいちゃん達は危ないから近寄っちゃいけないっていうけど、カイン先生は助けてくれたことには感謝しようって言ってたよ」


「あんたらのじいさん達のいうことが正解ね。少しくらいいい顔しててもホイホイ信じちゃだめよ。ましてや化け物なんだからね。あのお人好しの牧師の言うことはほどほどに聞いておきなさい」 


「でも、じいちゃん達も助けてもらったことはありがとうって言ってたよ。だから、あの、これ、お礼」


 リリベルの手にはラライの見たことのない紙細工があった。古い紙を使って折ったものらしい。


「なにこれ、紙を折り曲げたものかしら? 鳥……の形?」


「カイン先生が教えてくれたけど『ツル』っていう鳥なんだって。カイン先生が東の国の人と仲良くなった時に教わったって言ってた」


「ふぅん、ま、貰っておきましょうか。初めての貢ぎ物としては、まあ悪くないわね」


 珍しい、とは思うがそれほど食指は動かない。しかしカインは東国とも知り合いがいたというのか。田舎の聖職者と思っていたが交友は広いタイプなのだろうか。


「おい、なにやっとるか! 部屋から出ろ!」


 がなりたてる声。白髪頭の老人が入ってくる。子供たちを外に追い出そうとした。

 表情に必死さ。子供を守ろうとしているのがわかる。蜘蛛の子を散らすように子供たちが逃げていく。


「心配せずとも、食いでがないガキも干からびた老いぼれにも食欲はわかないわよ。それからお前もノックぐらいしろ」


 この老人はギド。たしか一番にカインの代わりに自分の血を吸えと迫ってきた男だ。リリベルの祖父らしい。


「……あんたには感謝はしている。だが子供たちと関わるのだけは勘弁してくれや。ワシの身になにかあっても諦めはつくが、孫どもになにかあるのはキツいんだぁ」


「それは過保護でいいことね。ねえ、なんであんたらの村は老いぼれとガキがやたら多いの? あのリリベルとかいうあんたの孫、両親はいないみたいだけど」


「数年前に教会の起こした戦争で男手が取られてな。その間に流行り病があって、人口が減った。そこを助けてくれたのがロデム牧師様でなぁ、村人みんなでパプテスタントに宗派を変えたんだ」


 ロデムが村人に頼りにされていたのがそういう経歴からか。


「カインのやつもそのときに村にきたの?」


「いいや。たしか二年ほど前、カインさんは牧師様が従軍から帰ってきたときに連れてきたんだ。その時は二人ともえらいボロボロになってて驚いたよぉ。村人みんなで手当てして助けたんだ」


「……なにやってたのかしらあの牧師見習いは?」


「ロデム様は『これも神の思し召しである』としか言わなかっただ。カインさんはあんまり昔のことは喋らねえだ。でも優しいし真面目な方だしみんな頼りにしてるんだ。小さな村で悪いこというやつはいねぇよ。

なぁ、吸血鬼さんよぉ。正直いえばあんたは怖いよ。でもなぁ、助けてもらったことにはみんなありがたいって言ってる。なんも礼なんかできねぇけど、それだけはありがとうなぁ」


 老人が静かに頭を下げた。老人は正直な人間なのだろう。嘘を言わない。そして怖いものは怖いのだ。だが、子供たちのために勇気を出してラライの部屋に入ったことも理解できる。


「この先どうなるかまだわかったもんじゃないから、礼をいうのはもう少し後でもいいわよ?」


「それでも生きてるうちにいっとかんとなぁ。老い先短いしよぉ。

なあ、あんたやっぱりそんな悪い吸血鬼には見えんなあ。裸で出てきたときは頭のおかしい女が現れたと思って恐ろしくて震えたもんだが」


「その話はしないで……しかしカインのやつは帰ってこないわね。どっかでとっつかまってるんじゃないの?」


「牧師様はなかなか顔がいいからなぁ。ナンパでもしてるかもしんねぇ」


「はは、あの朴念仁のお人好しがナンパなんてして女連れ帰えるなんてできるわけが」


「ラライ様!」


 ドアを開け放つ黒髪に羊角の少女。ゼゼルが駆け込んできた。


「だからお前もノックしなさいよ」


「か、カインさんが、女性の方を連れて帰ってきました!」


「え」



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