第7話 『愛羅武優』

「つまらないですね。何なんですか、この小説」

丸は愛羅武優という題名の本を閉じてそう言った。

7月の暑い日のことだ。休憩室のテーブルを挟んで、丸と河野が向かい合って座る。

「嘘つけよ。俺が自信を持って進める本だぞ」

「つまらないものはつまらないです」

丸は河野に愛羅武優を突き返した。この本を勧めたくないという断固たる意思表示だ。

愛羅武優は7月に発売されたばかりの本だ。

内容は男子校の教師である優が、受け持ちのクラスの生徒の羅王らおとオカマバーの店主のオカマ・武との三角関係に悩むという内容の小説である。著者は奈良木雄大。2年ほど前にオススメ本大賞にノミネートされている中堅作家だ。その時の結果は惜しくも2位。

河野はこの愛羅武優を多めに発注して、ガンガン推していこうと考えていた。狙いはゆいおっぷのオススメ本大賞受賞阻止だ。あんな日本語としておかしい文章がある小説がオススメ本大賞を取った日には、日本の書店員の品位を疑われてしまう。ましてや、賄賂を配りまくっている出版社なんてオススメ本大賞を出禁にしてほしいくらいなものだ。だが、愛羅武優を読ませた丸の反応が思いの外よくない。

「河野主任、小説家志望の人が新人賞に応募してはいけない題材って何かわかりますか?」

「さあ? それがどうかしたのか?」

「未成年者の非行(喫煙・飲酒・暴走族)、リストラ離婚、いじめ、セクハラ、パワハラ、引きこもり、自殺未遂、不倫、ストーカー、オタク、フリーター、ホームレス、売春、水商売、オカマ、同性愛、うつ病、統合失調症、性同一性症候群、カルト宗教です。河野主任がおすすめした本はこの中のオカマ、水商売、同性愛、未成年者の非行が入っています」

「丸。これは中堅作家が書いてる作品だ。新人じゃない。何を言ってる」

「それでも、新しく世に問う作品らしい目新しさがありません。同性愛の三角関係なんて話、どこかで見たことあるものばかりです」

「うるせえ! お前に何がわかる!」

河野はテーブルを勢いよく叩いた。

丸はテーブルを叩く音に動じず平然として言った。

「河野主任、今までどれくらいの本を読んだことがありますか?」

「え…そりゃ…たくさん…」

「僕は5000冊はくだらないですよ。その中には河野主任が好きな三島由紀夫の仮面の告白もあります」

「お前、三島由紀夫嫌いじゃなかったのか?」

「読んだ上で嫌いになったんです」

「なんだそれ」

「話を戻します。仮面の告白は同性愛の話ですよね? それに、女性の姿の男性は吉本ばななの小説のキッチンに出てきます。まあ、オカマと言えばオカマですね」

「何が言いたい」

「要するに色々被ってるってことです。この愛羅武優は」

河野は無言になった。具体的な本の名前を出されると、痛い。

「この本には、読者をあっと言わせる要素がない。読んで驚きと発見がなければ、小説は読まれません。中堅作家だとかは関係ないですよ」

丸は河野に淡々としゃべった。感じたことを、ストレートに。率直すぎるが故に、痛い。

河野はため息をついた。

「お勧めするなら、もっと他の本にしたほうがいいですよ。河野主任」

丸はそう言って、傍にあるカバンからタブレット端末と無線のキーボードを出して、小説の執筆を始めた。愛羅武優を読んだ時間は無駄だったとばかりに、猛烈にキーボードを打っている。

俺は間違っているのか?

気を滅入らせた河野は休憩室を後にした。


さしす書房セントラル矢戸東店の出入り口付近に、ゆいおっぷの拡材のポスターが数枚貼られている。そしてその近くにゆいおっぷが大量に平積みされている。その周囲には今日発売の新刊の文芸書が平積みになっている。その中には河野が推している愛羅武優もある。

何気なくゆいおっぷの平積みを見た河野は違和感を感じた。

おかしい。

なくなっている。

特設コーナーの中心部にゆいおっぷは20冊ほど平積みになっている。平積みの本は5冊ごとに天地を逆さまにしている。そうしているのは平積みの本のバランスを取るためと、一目で在庫を確認するためだ。その平積みのゆいおっぷの山がきっかり5冊、少なくなっている。

ゆいおっぷの隣では平積みの愛羅武優が微動だにしていない。動かざること山のごとしだ。

そんなバカな。

河野が呆然としていると、その横から女性客がゆいおっぷを手に取り、レジへ向かった。これで更にもう1冊。バカな。

河野はゆいおっぷコーナーのすぐ横のレジに向かい、カウンター内のスリップを回収する箱の中を見た。スリップというのは本に挟んである二つ折りの伝票のことで、売上の調査や注文に使う。最近はバーコードを読み取るとデータが自動的に取次会社に送られるため、スリップは最近少なくなりつつある。ゆいおっぷは数少ない紙のスリップの本だ。

回収箱の中を覗くと、ゆいおっぷのスリップが見つかった。今しがた来た分も含めてきっかり6冊分。嘘でも幻でもない。間違いなくゆいおっぷは売れている。

「あ、あった」

二人組の女性客がゆいおっぷの平積みの山の前で声を上げた。二人はそれぞれゆいおっぷを手に取るとレジへ持っていった。

信じられない。

何が起きているんだ?

河野は困惑を隠してレジ応対をした。

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