ゆいおっぷ(2)

月のない夜だった。森の中は、フクロウの声以外の音は存在しない。金属のテーブルの形をした大きな焚き火台の炎以外の光も存在しない。青いジャンパーの男・藤田が奥の大きな石の上に座って焚き火を眺め、赤いジャンパーの男・加藤はキャンプ用の椅子に座り、ステンレス製のマグカップで冷めたコーヒーを飲んでいる。そして、緑のジャンパーの上から焚き火用の茶色い帆布のエプロンを着た男・本多は、トングを焚き火の中に突っ込んでいる。弛緩した表情で焚き火の炎を眺める三人の男以外の人間も、この森にはいないようだ。

「なんも出ねえな。クェっちゆ!」

加藤がマグカップを傍のミニテーブルに置いて口を開いた。

「当たり前だ。ここはキャンプ場。整備されてる。イノシシやクマもでない。クェっちゅ!」

本多は、燃え残りの薪をトングで掴み、向きを変えて火の中に突っ込みながら口を開く。

「ましてや、イエレンなんて」

 イエレン。それは中国湖北省神架農近辺で目撃証言が相次いでいるという毛むくじゃらの獣人のことである。足跡や糞とされるものが多数見つかっているが、実際のイエレンそのものは捕獲されていない。いわゆるUMA、未確認生物である。

「夢がねえなあ。ツチノコだって河童だっているよ。だって、持ってるんだぜ」

「何を」

「河童の捕獲許可証」

「バカバカしい」

本多はため息をつきながら、トングを地面に放り投げた。

「ここは広島だぞ。日本だ。神架農ですらないんだ」

「いや、広島って昔ヒバゴンっていうのが…」

「それも『見た』というだけで実在はしない。誰かの悪戯だ」

「なんだよさっきから。もっと夢を語れよ」

「俺は焚き火と飯で十分だ」

本多は地面に落ちたトングを拾い、緑のテントの側に敷いてあるブルーシートの上に、剣鉈と並べて置いた。剣鉈の刃は炎の光を鈍く照り返している。

「俺の今の楽しみって、コーヒーだけ?」

加藤はミニテーブルの上のマグカップを口に近づけるが、マグカップの中のコーヒーは一雫だけである。

「ねえじゃん。俺の楽しみ終わった」

加藤は、そう言ってマグカップを持った手を力なく下ろした。

「コーヒー、入れましょうか」

静かに焚き火を見つめていた藤田が口を開く。

「おお救世主よ! クェっちゆ!」

藤田は加藤からマグカップを受け取ると、奥のの赤いテントのほうへ歩いて行った。

突然、ガサガサと草が揺れる音が響き渡った。

「なんの音だよ」

「イノシシじゃないのか」

「さっき整備されてるから熊もイノシシも出ないって言ったじゃん」

「屁理屈を・・・」

本多が続くセリフを言いかけた次の瞬間、藤田の体が吹き飛び、テントの近くの大木に叩きつけられた。

「え?」

本多も、加藤も何が起きたのか咄嗟に理解できず呆然としている。藤田は頭から血を流した状態で大木にもたれかかったまま動かない。

大木の横に立っているのは、右手に太い木の棒を手にした全身毛むくじゃらの獣人だった。獣人の肩も、厚みのある胸も、六つに割れた腹も5センチ弱の毛で覆われている。頭からは長い髪の毛が肩までかかっており、顔だけが毛に覆われていないが、口からは長く伸びた犬歯が二対生えている。そして、自らの体毛以外、一糸も身には纏っていない。

加藤はスマートフォンのカメラを獣人に向けて静かに構えた。

「何をしている」

「撮るんだよ」

「逃げるのが先だろ」

本多は加藤の肩を掴んで揺さぶるが、加藤は、まるで夢遊病のようにスマートフォンのカメラのシャッターを切り続けている。

獣人は加藤に向かって歯を見せて、「クェっちゆ!」

7月2日 スーパーで買うもの

卵 12個パック一つ

ほれんぞう 2束

ういんなー 一袋


7月31日 本屋で買う予定のもの

頭が良くなる本 馬鹿場花緒著 


8月3日

朝起きた。刃を磨いた。

あ、間違えた。歯を研いた。

違う。

8月4日 今日すること

お風呂掃除

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