第2話 恐怖の大王

セルシオの後部座席に、たける龍樹たつきと座った。


身体の大きな上葉うえはは助手席に座ったが、シートベルトをかけるのにまごついている。


「お前、案外トロいのな」トオルは言って、上葉のシートベルトを引き、ロックする。


上葉は「うっす」と小さく言い、頭を下げた。


「トオルさん、四輪は真ん中を走るんですよね?」

龍樹が前のめりになって嬉々としている。


「ああ、サツが来たら前と後ろのやつらが逃がしてくれる」

言いながらエンジンをかけた。


セルシオの後方、ずらりと並んだ単車のそれぞれが、ゆっくりと走り始めた。


空ぶかしの爆音が駐車場を埋め、それから順にセルシオの横を通過していく。


親衛隊が見えてくる。


親衛隊長の宅間たくまがセルシオの横で単車を停めた。


トオルはウインドウを下げ、「どうした」と低い声を出した。


「トオルさん、初参加の中坊、後ろに乗せて良いですか?」


宅間は言い、眼鏡を指でずらしながら、後部座席の猛を見た。


「猛、良かったじゃねえか。行って来いよ!」

トオルが後部座席に振り向き、猛の膝を叩いた。


龍樹が、ぽけっと口をあけたまま、猛の横顔を見ていた。


上葉は横目で睨んでいる。


「い……良いんですか。俺、後ろに乗るの初めてで」


猛の身体は震えていた。


猛自身、その震えの原因が何であるか把握できていなかった。


不安なのか恐怖なのか、嬉しさなのか興奮なのか。


「なんだ、嬉しくねえのか」トオルが言って、宅間を見た。


「震えてんのか、てめえ」

宅間は半ば脅すように言ったが、その反面、口角は上がっていた。


「それな、武者震いってんだよ。おら!来いよ中坊!」


宅間がGSXのハンドルを回すと、爆音が空間を揺らした。


「は、はい!」


まだ単車に跨ってもいないのに、猛は身の内からの騒めきを肌に感じていた。


粟立つ前腕を一撫でして、セルシオから飛び出した。


GSXの、アンコ抜きしたリアシートに跨ると、エンジンの振動が直に響いてきた。


全身が浮き上がるように感じ、気を抜くと尻が落ちてしまいそうだった。


隣を抜けていく夜魔レイスのメンバー達が、猛をちらりと見る。


その視線は子供をからかっているような、しかし、それよりも仲間として歓迎されているよな気がして、猛は星の煌めく夜空を一度見上げた。


「おい。それだと危ねえぞ、俺のベルト掴んでろ。ぜってえ離すなよ」


宅間が猛の腕を掴み引き寄せる。


ごついベルトを猛は力いっぱい握りしめた。


瞬間、タイヤの焦げ臭さを残し、GSXは夜魔の間を抜けていった。


「宅間の野郎、張り切ってるな。余程気に入ったらしい」

トオルは言い、ハンドルに手をかけた。


「ずりいなあ。俺も乗りたいっすよ」

龍樹がフロントシートの背面に懇願するように頭を下げて言う。


上葉がウインドウを下げると、駐車場に流れる生暖かい風が、漂う排気ガスと共に車内に入ってきた。


「こいつらの次だ、行くぞ」

ロケットカウルの単車が四台通り過ぎてから、トオルはその後に続くようにセルシオのアクセルを踏み込んだ。


親衛隊は普通、先頭を走らない。


だが、猛を乗せた宅間のGSXは先頭集団の中に位置し、並列するメンバーとアイコンタクトを交わしながらスラロームをしている。


車体が横になびく度に、猛の身体は振り落とされそうになった。


「宅間ぁ! その中坊どうする気だよ!」


特攻隊の錦戸が叫ぶように言う。


「ちっと、鍛えてやろうかと思ってな」


スラロームを止めたGSXがスピードを上げていく。


猛は宅間の背から肩越しに前方を見る。


信号機の赤い点滅が一瞬で後方へ過ぎて行った。


「後ろ、着いてきてるか?」


宅間が少しだけ顔を横に向けて言い、猛はその言葉に従って振り返る。


四つのヘッドライトが左右に揺れて、その後ろからは光の塊が追ってきている。


「少し離れていますけど、全然目視出来ます」


「そうか、ならこのまま小山を抜けて結城辺りまで行くか」


風は生暖かいはずだったが、GSXが風を切るほどにスピードを上げると、すぐに寒さに変わった。


特攻服の厚い生地は、こういう時のためなのか。と、猛は宅間の特攻服の背中を見て思った。


夜魔。と、金色に刺繍された特攻服には、歴代の親衛隊長の名前も刺繍されている。


受け継がれてきた特攻服である事がわかる。


宅間の背から顔を上げて、前方を見る。宅間が頭を下げたのが分かったからだ。


「おい、顔下げろ!」


「えっ」


「サツだ、抜けるぞ! 絶対上げるなよ、顔の写真撮られたら言い逃れ出来ねえからな」


その言葉に猛は、咄嗟に宅間の背に頭を下げる。


パトランプの赤い光がアスファルトに映り、風切り音が耳のすぐ横で鳴り、エンジンオイルの匂いが鼻を衝く。


猛は目を細め、それらの感覚を身に刻みながら、両腕の間に顔を沈めた。


「ぜ!……ぽうのバイク!とま……」


一瞬、拡声器の声がしたかと思うと、その声はもう聞こえなかった。


背後から白いフラッシュが焚かれたのを、猛は見逃さなかった。


「止まれ!おい!止まれええ!」


大声の方向が、前方からである事が分かった。


GSXがグンッと右に揺れたかと思うと、左の視界端に、赤く光る誘導棒を持った警察の姿を見た。


本当に、警察の間を抜けているんだ。


猛はその現実を目の当たりにし、震えをごまかすように、ベルトを握る手に更に力を込めた。


警察の包囲を抜けたのだろう。


周囲はしばらくの間、GSXのエンジン音と、風を切る音だけが続いた。


周囲の様子を窺いながら、猛が顔を上げようとした時だった。


「やばい」

宅間の声がした。


何が? やばい?


猛は、声に出さず、宅間の次の言葉を待った。


GSXは、国道50号をずっと直進している。まだ一度も、右左折していなかった。


スピードは衰えることなく、たまにタイヤが小石を弾くと、車体が小さく揺れた。


猛はその揺れが怖くて仕方が無かった。


自分は、度胸があると思っていた。


でも、まだ子供なのだ。


宅間とは、ほとんど歳は変わらないはずだ。


夜魔のメンバーは、十六歳か十七歳だ。


十八歳になれば引退パレードがあって、終着地である大洗の海で日の出を見るのだ。


それは有名な話だった。


だから、猛と宅間は一、二歳しか変わらないはずなのに、宅間は自分よりもよっぽど大人に見える。


「中坊。近くのコンビニで降ろすから、一人で帰れ。お前、携帯持ってるか?」


GSXのスピードが緩やかに落ちていく。


宅間の声が、しっかりと聞き取れるほどに。


「え、どうしたんですか? 持ってないです」


「金は?」


猛はスラックスのポケットを探る。硬貨の二枚に触れた。


「少しだけ」


「よし。……コンビニに公衆電話あんだろ? そこからタクシー呼べ。22時半なら、まだタクシーを呼べるから」


「いや、でも金……」


「親に払ってもらえ」


「えっ」


「親、居るだろ、家に。タクシー代、払ってもらえ」


宅間は、何を言っているのだろう。


俺は、親に何て言えばいい。親。


あんな親などに、頼れるわけが無い。


猛は、喉の奥から声を振り絞った。


「俺、親いないんですよ」


少しの沈黙があった。


「……そうか、悪ぃ」


宅間はそれきり言葉を発さず、GSXはコンビニの駐車場に停まった。


「降りろ。帰れ」


猛は苛ついていた。


「宅間さん、俺、何かしました?」


「あ?」


「いや、いきなり帰れって、どうして……」


「うるせえ、とにかく今日はここまでだ」


宅間は言うと、GSXを空ぶかしした後、駐車場から出て行った。


テールランプが視界から消え、GSXの爆音も、徐々に遠ざかっていく。


周囲は暗闇だった。いや、背後にはコンビニの光が煌々と駐車場を照らしてはいるのだが。


この暗さは虚しさだと、猛は気づいた。


それから、両の手のひらを見ると、力を込めすぎていた手は、まだ震えていた。


公衆電話は、コンビニの脇に確かにあった。


しかし、猛は駐車場の縁石に座った。


「俺、何かしちまったのかな……」


国道50号が少し先に見えている。


トラックやダンプが、信号機に列を作っている。


列を成す車を抜けて赤信号を超えていく、GSXのリアシートの感覚が、まだ尻から離れない。


夜空に星は見えなかった。ボウリング場では見えていたはずなのに。


白いスクーターが一台、駐車場に入ってきた。


朱い特攻服の女が、雑に駐車して、店に入っていく。


猛はその姿をぼうっと見ていた。


宅間は、どこに行ってしまったのだろう。何が、やばい、だったんだろう。


猛の頭の中は、魔利亜マリアの事など考えている余裕が無かった。


またスクーターが来た。二台目。


前の女と同じように、雑に駐車して朱い特攻服が店に入っていく。


女が一人出てくる。手に携帯電話を持っている。


「早くこっち来な。も何ともない?」


女は、「うん……うん…」と、神妙な顔で相槌をしている。


二台目のスクーターの女が店から出てきて、携帯電話の女の隣に座る。


「あきちゃんはダメだったみたい」


何が、ダメだったのだろう。


猛は、ボウリング場での魔利亜のメンバーの人数を覚えていた。


スクーターが6台あって、その前には8人のメンバーが座っていた。


全員が参加したのなら、二人乗りしていたバイクが、二台あるはずだった。


猛は立ち上がっていた。


ボウリング場の駐車場で見た、楽しそうに馬鹿騒ぎしていた人達。


それは、自分の仲間達なのだ。


「あの」


「え? だれ?」

ショートボブの、座っていた方の女が言う。


携帯電話で話し中の女も、猛に視線を向けた。


「あの、俺、宅間さんの後ろに乗せてもらってここまで来たんですけど、何かあったんですか?」


「宅間? 夜魔の?」

ショートボブが睨みつけるような眼差しで猛を見る。


「はい、魔利亜の方ですよね?」


「宅間、どこにいるの?」


「ここには居ないです。……その、ここで降ろされてしまって。一人で帰れって」


「ああ、そういう事か」

ショートボブは言って、立ち上がると、話し中の女から携帯電話を受け取る。


「宅間だって」


ショートボブが言うと、電話口から「宅間!?」と声が漏れて聞こえた。


「お前、名前は?」

金髪ロングの女は、真っ赤な口紅を引いて、アイシャドウも赤だった。


「猛です」


「苗字は」


「牧野」


「不運だったね」

金髪ロングは言うと、猛の肩にポンッと手を置いた。


その手は小さくて、女の手だった。


「何がですか?」


「宅間、先頭走ってたんだろ?」


「はい」


「警察の間を抜けたよな?」


「はい」


「そのせいで、魔利亜の一人が事故った。今、病院。で、警察が来てる」


「え、でも、宅間さんのせいなんですか?」


「ああ? 決まってんだろ。隊列が乱れて警察の車両が目の前に来て、避けようとして横転したんだ」


「でも、宅間さんと俺はずっと先に居ましたよ」


「どうせ後ろ見てなかったんだろうが」


「何人捕まったと思う?」

ショートボブが電話を終えて会話に入る。


「え、捕まった?」


「16人だって。分かってるだけでね」


「16……」


に何かあったら、お前、ただじゃおかないからな」

ショートボブが言いながら、猛の腹を殴った。


その拳は、圧力も痛みも、ほとんどなかった。


魔利亜の二人は疲れ果てたようにため息を漏らし、アスファルトに座り込んだ。


「逃げんなよ」

ショートボブが猛を睨んで言う。


「逃げませんよ」


「コーヒーとタバコ」


買って来い、と言っているのは分かったが、「金がありません」と言った。


「クソ使えねえな」

ショートボブは足元の小石を猛にむかって投げつけた。


「すません」


猛は二人の隣に座った。


「何座ってんだよ、立ってろ」


ショートボブが言って、猛の肩を殴った。


その力がさっきと同じようにあまりにも弱弱しく、猛は笑みを零した。


「笑ってんなよ、ガキが」


「すません」


携帯電話の着信音が鳴って、金髪ロングが出る。


「うん……まだコンビニにいるよ。うん、もう着く? うん、待ってる」


携帯電話を切った金髪ロングが、「まゆみ、そろそろ着くって。すず、泣いてたけど、大丈夫だって」


「……良かった」

ショートボブが言い、アスファルトに大の字になった。


「宅間のやつ、絶対許さない……」


どちらかが言うのと同時に、猛の目は駐車場に入ってきた車を見ていた。


黒のシーマで、側面のウインドウにはスモークが貼ってあった。


車内の音楽が外まで漏れ聴こえている。


運転席から、痩せた男が出てくる。


黒のレザージャケットにブーツ、ギラギラしたアクセサリーがコンビニの光を反射していた。


「あれ、魔利亜?」


その声に、魔利亜の二人が振り向く。


「おお、よっち、みーちゃんも。何してんの? 今日、集会?」


男を見た二人は、さっと立ち上がって、お辞儀をした。

「センパイ、お疲れ様です」


「だれ、そのガキ」

男は猛を見て言う。


「あ、いえ、たまたまここで遭って、少し話をしていただけです。塾の帰りで、親が迎えに来るそうです」


ショートボブは言いながら、へこへこと腰を折っている。


「じゅくぅ~? んなもん辞めちまえよ。つまんねーだろ」


男は魔利亜の二人の間を割って、まだ座っている猛の前に立った。


猛は男を見上げて思った。痩せている、と。


「な? 辞めるよな? 遊びに行こうぜ」

男は満面の笑みだった。


「誰ですか、この人」


猛は魔利亜の二人に向けて言った。


瞬間、視界に映ったのは、星の無い夜空だった。


鉄の匂いがする。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る