はらから

谷間川珍敏

第1話 始まりの夜

「中途半端がいっちばん悪ぃんだ」

そう言って、センパイは材木屋の倉庫の中に入っていった。

たけるはセンパイの背中を目で追うより、後ろ手に手首を縛られた龍樹たつきが小便を垂れ流すのを見下ろしていた。

月明かりが周囲を良く照らしていた。その分、陰は余計に暗く見えた。

わずかに震えている龍樹の身体を、どうにかして解放してやり、そして逃がしてあげたい。

いくつかの案が頭の中に浮かんだが、センパイの報復を考えると、龍樹もこの場から逃げる事には賛成しないだろう。

「やばいんじゃねえのか」

隣に立つアゲハが小声で猛に言った。

身長の高いアゲハの横顔を見るには、猛は見上げなくてはならなかった。

「殺しはしないだろ。さすがに」

猛は言い、その言葉に振り向いた龍樹が首を横に振った。

トタン壁の倉庫から、木材の数本が倒れる音がした。

その後で、センパイが70センチほどある角材を手に戻ってくる。

倉庫の上部に設置されたセンサーライトがオレンジ色の光を放った。

その光の下で、まだらにブリーチしたセンパイの長い髪が、左右に揺れた。

「なあ、猛。これで頭ぶっ叩いたら、龍樹は死ぬと思うか?」

センパイは剣道の素振りをするように一振りする。

「死ぬっすよ。確実に」

センパイは、きひゃっと甲高い笑いをして龍樹の前に立った。

「あの、センパイ」

アゲハが声をあげる。

「あ?」

アスファルトの肌で角材の先を削るように、センパイはガリガリと擦っている。

頬のこけたセンパイのその姿は、どこか妖怪じみて見えた。

「角材で殴ったら、それで終わりすか」

アゲハは直立し、決意を固めたような表情で背筋を伸ばした。

「なんだお前、俺様を馬鹿にしてんのか?」

センパイはつかつかと歩いてくると、角材の先でアゲハの大腿をなぞるようにする。

「そんなんで、許すわけねえだろう。殺すから、お前ら二人で埋めんだよ」

センパイの上腕二頭筋は筋張って細い。

猛とアゲハ、龍樹の視線は、自然と角材を握る手に移る。

小指と薬指が短い。

その理由は、まだ顔つきに幼さの残る三人にも、容易く想像できた。

俺たちまだ中3だぞ。特攻服を着るようになってまだ2か月だぞ。

死ぬ? 誰が? 龍樹が? まさか。

猛は、アゲハの腹に頭頂部を当てて身体をくねらせるセンパイの、奇妙な動きを見ながら思い、頭の片隅でこの男に従っている理由を思い起こした。


夜魔レイスの集会に初めて参加したのは、日中の日照りの暑さの残る、夏の夜だった。

「夜、暇なんだろ? 女も来るからさ、お前も来てみろよ。案外面白いぜ」

プールの授業を二人で眺めながら龍樹が言い、猛は何となく集会に興味を持った。

つまらない日常を、暴走族という非日常はどのように彩ってくれるのだろうか。

「このゴミどもが! 授業を何だと思ってやがる、沈められてえのか!」 

体育教師の恫喝に、猛はプールサイドに干してあったアルミのバケツを手に取って投げつけた。


同世代の若者が集まる集会の場所は、隣町のボウリング場の駐車場だった。

夜の9時。ボウリング場にはまだ明かりがあって、客の入りも良い。

ほとんど車で埋まった広々とした駐車場の隅に、単車が何台も連なって整列し、駐車されている。

それらの単車は、ロケットカウルや三段シート、直管マフラーに下を向きすぎた風防、五、六、七連ラッパに絞ったハンドル、激しく改造され装飾が施されていた。

猛は、それぞれのバイクを見回しても、何が恰好良いのかが分からなかった。

物は知っていたが、実際に目の前にして見ると、「乗りにくいだけじゃないか」そう思った。

でも、黒の特攻服に身を包んだ夜魔のメンバー達は、どことなく様になっている。

一つの群れが結束してそこにあるという光景は、猛に格好良いと思わせた。

「お前、中学生か?」

坊主頭の痩せた男が猛に話しかけた。

「はい、龍樹に誘われて」

「龍樹? ああ、猪瀬の弟か」

坊主頭はそう言うと煙草を一本咥え、火を点けた。それから、新たに手に取った一本を差し出してきたが、猛は首を横に振った。

眉間に皺の寄った坊主頭の特攻服を見て、猛は、はっとして「すみません」と頭を下げた。

「いいよ、煙草なんて本当は吸わねえ方が良いんだ。俺も辞められるなら辞めてぇ」

坊主頭は煙草の箱をポケットにしまうと、ふうっと煙を吐いた。

坊主頭に眼鏡。弦から首元に垂れる金色のチェーンは、なんだかオバさん臭い。

バイクの改造、アイロンパーマに剃り込みもだが、暴走族特有のセンスはいまいち良く分からない。

坊主頭の男は、何も言わずに周囲のメンバー達を見て、ただ煙草をふかしている。

猛はその隣で同じように辺りを見回して、坊主頭の言葉を待っていたが、結局、坊主頭は溜息をつくように何度か煙を吐くだけで、会話らしい会話は無かった。

「そろそろ始まるからよ、まあ、楽しんでいけや」

猛の肩をタップして、坊主頭は馬鹿騒ぎしているメンバー達の元へ歩いて行った。

優しいんだな。と猛は思い、それからまたバイクを見て回った。

単車がずらりと並んでいたが、端の方にはスクーターが6台停まっているのが見えた。

その前で、朱い特攻服を着た女達が座り込んで話をしていた。

「でっさあ、あいつが股に顔を突っ込んできてぇ……きもっ!さむっ!」

「ジュン君なら良かったのにねえ!」

女達はそれぞれに笑みを浮かべながら、どうやら男の話をしているようだった。

金髪の女と目が合ったが、軽くお辞儀をして、その場を離れた。

悪名高い、魔利亜マリアの人達だ。こころなしか、猛の歩きは早くなっていた。

「うおい。猛、やっと見つけたわ。お前初めてなんだから離れんなよ」

龍樹が額の汗を拭いながら言う。

「ああ、ごめん」

「今日は、とりあえずトオルさんの四輪に乗せてもらうから」

「四輪?」

「セルシオだよ」

「ああ、車か」

「なんだ、単車が良かったか?」

「暴走族だろ。暴走族なら単車だろ」

ハンドルを切る仕草をしながら言うと、龍樹は笑って「その調子だ」と言い、猛の肩に腕を回した。

トオルと言う人のセルシオに向かって歩いていると、ボウリング場に面した二車線道路の方からバイクのエンジン音が近づいてくるのが聞こえた。

それは幾台もの音が重なり合っていて、周囲の騒めきを飲み込むほどだった。

座り込んで、あるいはふざけ合いながら話をしていた皆が、言葉と動きを止め、同じ方向を向いた。

駐車場に雪崩れ込んでくるヘッドライトの数は20を超えていた。

猛はその光達から目を逸らさないまま、龍樹に聞いた。

「あれは、どこのチームだ」

集団の先頭を走るバイクは、駐車場の外周を巡るようにしてこちらに近づいてくる。それに連なるバイクの群れも、同じように巡り、空間が破裂するようなすさまじい音をまき散らしながら向かってきた。

「あれは、紫天狗してんぐだ」

龍樹がぼそっと言って、猛の肩から腕を解くと、前方に停まっている黒いセルシオに向かって走って行った。

紫天狗の先頭を走るバイクが、夜魔の皆から少し離れた位置で停車し、紫色の特攻服にヘッドライトの光を受けた男が歩いてくる。

猛に煙草を差し出した坊主頭の男が、それに応えるように近づいていく。

「お前が猛か?」

後ろから声を掛けられ振り向くと、白シャツの男が龍樹と立っていた。

「はい。初めまして」

「トオルだ。よろしくな」

「トオルさんは夜魔のOBで、現役の時は特攻隊長だったんだ」

龍樹は言いながら駐車場の端の様子に目を向けた。

「あれは、宅間たくまか? 坊主にしたのか」

トオルが笑みを零しながら言う。

笠原かさはらさんにやられたそうです。……トオルさん、宅間さん大丈夫なんですか?」

「坊主で済んで良かったじゃねえか。髪ならすぐに生えるが、指は生えて来ねえんだからよ」

「トオルさんも、俺らがヘマしたら同じように詰めるんですか?」

「ガキ同士の問題に口出すほど俺は暇じゃない。宅間はそのうち笠原なんかでは届かない男になるだろうさ」

「宅間さんも、考えてんすかね。そっちの道」

「わからねえ。あいつは頭が良いからな。もしかすると銀行員とかになるのかもしれねえな」

トオルは言って、龍樹に笑顔を向けた。

猛は、夜魔のバックに暴力団が付いている事は知っていたが、トオルと言うこの誠実そうな男が、暴力団の構成員である事がとても信じられなかった。

「笠原って人も、木島組の人なんですか?」

猛が聞くと、トオルと龍樹は二人してちらっと猛を見ただけで、すぐに視線を宅間と紫天狗の方に戻した。

「いや、笠原は元構成員だ」

トオルは少しの間を置いてから、「もし会う機会があったとしても、近づくなよ」と付け加えて言った。

木島組は、元々は大きな的屋グループの元締めであり、それから祭事でのいざこざを収める役を担うようになった。

戦後から続く歴史を持ち、時代が移るにつれて様々な裏稼業に手を出していたが、指定暴力団に位置づけられる存在となってからは、更にその激しさを増していた。

構成員の数は200人ほどおり、この頃は、主に金貸しを生業としていた。

「喧嘩になるんですか? これから」

龍樹の言葉に、猛の手のひらに汗が滲んだ。

「ならねえよ。紫天狗のバックもうちだから」

トオルはそう言うと、宅間と紫天狗の元へ歩いて行った。

夜魔と紫天狗、それと魔利亜が集まっているこの場所に自分がいるという事。

その事に、猛は不思議と違和感を覚えなかった。

むしろ必然に、自分はここに来ることが前々から決まっていていたのだという、そのような感覚に包まれていた。

「龍樹、今日、誘ってくれてありがとな」

60人を超える若者たちが、互いに声を掛け合っている。

バイクを自慢したり、異性の話をしたり、喧嘩の話をしている。

その光景をしばらくの間、猛と龍樹は眺めていた。

「夜はこれからだぞ、猛」

龍樹は言うと、猛の肩に拳を当てた。


ボウリング場から、夜魔の一人が出てくると騒めきが止んで、皆がその男に注目した。

「北沢ジュンさんだ……。猛、あの人が夜魔のアタマだ」

「あの人が」

龍樹が猛の目を見てうなずいた。

遠目でも北沢の容姿が優れているのが分かった。それはいわゆる喧嘩が強そうとか、ガタイが良いとかではなく、少し幼さの残る中性的な顔立ちをしていた。夜魔のメンバー達がしっかりと暴走族特有の顔つきや髪型をしているのに対し、北沢は、どちらかと言えば都会のお坊っちゃんという感じであった。

髪型にしてもボウリング場の光で天使の輪が出来るように、さらっとしたセンターパートだった。

猛は、あんな人もいるんだな。と、どこかほっとした気持ちになった。

必ず剃り込みやふわふわなパーマを当てなくても良いのだと、安心したからかもしれなかった。

上葉うえはぁ! 上葉はどこにいる!」

北沢がボウリング場の入り口から叫んだ。

その声に、紫天狗の集団の中から一人の男が立ち上がった。

北沢に名前を呼ばれたその男は、他の誰よりも飛びぬけて背が高かった。

「あれが、上葉か」

龍樹が呟くように言った。

「知ってるのか?」

「いや最近、名前を聞くようになった奴で、俺らと同じ中3らしい」

「マジで? 中3であんなにでかいのか」

「ああ、しかも帰国子女だってよ。変わってるだろ。県内にいくつもある族、ギャング、愚連隊。色んな所からスカウトが来たらしいわ」

「ふうん。でかいだけでそんなね」

「でかいだけじゃないんだよ。あいつ、ここに居る誰よりも喧嘩が強えんだ」

「どうしてわかるんだ」

「格闘技の経験が長くあるらしくてな。ボクシングにフルコン空手、ムエタイ。本当かどうかは知らないが、日本に来る前からやってんだと」

「でも、喧嘩は別じゃないか? 格闘技にはルールがあるだろ」

「まあ、そりゃあバットで闇討ちすりゃ勝てるだろうけどよ。もし格闘技をやってないにしても、素手のタイマンであの体格の男に勝てると思うか?」

「やってみなきゃわかんねえよ。そんなの」

猛は、龍樹の後ろ向きな発言が気に食わなかった。

身体の大きさで喧嘩の勝敗が決まるのなら、龍樹は鼻から諦めるのだろうか。

親友になれそうと猛に思わせたこの男は、実は腰抜けなのだろうか、と。

上葉が北沢の前に出て頭を下げている。

北沢が何かを上葉に伝えるように話している。

「トオルさん! ちょっといいすか!」

北沢が声をあげ、腕組みをしたトオルが近づき、それから三人で話をしている。

「奴は特別か?」

猛が言うと、龍樹は口角をあげて、「そうかもな」と薄く笑った。

話を終えた上葉が北沢の隣に立ち、トオルが戻ってくる。

「お前ら! こいつは上葉ってやつだ! まだ中坊だが、見込みがある!」

北沢は言いながら、上葉の肩に腕を回し、引き寄せる。

上葉が少し膝を折って、北沢の背に合わせている。

「今日は、五十号を茨城方面に流すからよ! いいか! このデカブツを後ろに乗せて走れる奴! 手をあげろ!」

「北沢ぁ、お前そいつを夜魔に取る気かよぉ! そいつは俺らの弟分てことを忘れんなよなぁ!」

紫天狗の集団の先頭に立つ男が言う。

鎌田かまたに繋ぎ止められるかな。あの上葉が」

戻ってきたトオルが言いながら、龍樹の横に立った。

「あれが紫天狗の鎌田……。北沢さんとどっちが強えんですかね」

龍樹が言うと、トオルは「そんなの、どっちでもいい」と笑った。

「喧嘩が強えってのは、膂力があるってだけじゃダメなんだからよ。結局はやり遂げられる奴が最後に立ってる」

「そう……っすよね」

龍樹は不服そうにしていたが、トオルには言い返さなかった。

猛は頭の中で(そういう事だぞ、龍樹、びびってんじゃねえよ)と言った。

「トオルさん! 決まらねえから! こいつ頼んでいいすか!」

北沢が言い、トオルが小さく頷いて見せた。

上葉は何度か北沢と鎌田に頭を下げてから、トオルと龍樹、猛の元に走ってくる。

近づいてくるにつれて、上葉の身体の大きさが明瞭になってくる。

背後から無数のバイクのヘッドライトと、ボウリング場の光を受けて。

猛の視界から、それらの光が徐々に上葉の陰に消えていく。

「うすっ! 上葉す! よろしくお願いします!」

上葉は指の先までしっかりと伸ばして背筋を伸ばし、その後で深々とお辞儀をした。

「上葉、そんなに硬くなられても困るよ。こいつらお前とタメだからよ、仲良くしろよ」

トオルが言う。

「本当にでけえな。俺は龍樹だ、よろしくな」

龍樹が言って、二人は握手をする。

上葉は龍樹との握手を終えると、猛の方に身体を向けた。

「猛だ、よろしく」

見上げるほどでかい。猛は差し出された上葉の手を見た。

握手に向かう自分の手と比べてみる。関節の一つ分、上葉の方が大きかった。

握手に力を込める。

見上げて、上葉の顔を見る。眉間に皺が寄っている。

猛の「お前に負けるつもりはない」という気持ちは、上葉に伝わったようだった。

「ところでさ、お前、身長いくつあんの?」

トオルが言うと、上葉は猛の手を離し背筋を伸ばした。

「自分、先月測った時は192ありました!」

「お前……、族なんか辞めてバスケかバレーやれよ」

トオルは笑った後、「乗れ」と言いセルシオに歩いて行った。

上葉は頭を掻いて、龍樹と小走りでトオルの後に続いた。

猛は背後を振り返る。

特攻服の若者たちは各々の単車に跨り、エンジンをかけ始めていた。

空ぶかしの音が、ボウリング場の駐車場に響いている。

後頭部から、一筋の汗が背中に流れた。

「おい、早く来いよ!」

龍樹の声がして、「うん」と猛は返事をし、セルシオに乗り込む三人を見て、歩み始めた。




 

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