お手伝い

増田朋美

お手伝い

昨日風が吹いて、すごい荒れた天気だなと思ったが、今日はのんびりとした明るい日であった。そんな中で、製鉄所では、今日も着物にまつわる会議が行われていた。

「はあ、なるほどね。つまるところ、おはしょりを縫って、ガウンみたいに着られるようにすればいいわけね。」

杉ちゃんは、利用者が持ってきた訪問着をながめて言った。利用者の依頼内容は、こうだった。着物を着てみたいが、おはしょりの処理など一人では着られないので、なんとか一人で着れるようになりたいと言うものであった。確かに、着物の着付けというものは、やって見ると意外と簡単でもあるのだが、なんとなく難しいなと思われるところがある。

「よし、わかったよ。じゃあ、おはしょりを縫って、対丈みたいにして、着物を着られるようにしておくよ。そうだなあ、一週間位待っててくれればそれでいいよ。」

「ほんと?ありがとう。じゃあ杉ちゃんお代はどれくらい?」

利用者がそうきくと、

「大した作業じゃないので、3000円程度でいいや。」

と、杉ちゃんは言った。

「わかったわ。じゃあ、それを用意して持ってくるから、よろしく頼むわね。良かった。着物を一人で着られないんじゃ、恥ずかしくて、外へも出られないわよ。」

「そうか。お前さんは確か、茶道習っていたよな。それじゃあ、着物だって必要になることだろう。それでは、一人で着られないのは恥ずかしいようね。おはしょりを縫って、紐をつければ、かなり楽になれると思うから、しばらく待っててね。」

杉ちゃんはカラカラと笑って、その女性に言った。

「ねえ杉ちゃん。」

不意にその女性はそういった。

「杉ちゃんって、着物関係は何でも直してくれるけど、どうして和裁なんかやろうと思ったの?」

「は、はあ。そうだねえ。別に大してすごいことやろうと思ったわけじゃないよ。なんだろう。周りのやつが、みんな着物着てたから、それを何とかするやつがいてもいいと思ったからじゃないの?」

杉ちゃんは、そう答えた。

「でもさあ。そうやって、人の役煮立てるんだったら、いいじゃない。着物をこれからも直して欲しい人はいっぱい出るでしょうしね。だって、私、聞いたわよ。こないだ、成人式の着物を、二部式に直してあげたんでしょ。それは、すごいことじゃないの。杉ちゃん、着物を着られない人が、着物を着られるようにさせてあげられるんだし。」

利用者は、羨ましそうに言った。

「あたしなんて、仕事は、何もできないし、できることも何も無いわ。そんな人間が、ここにいてもいいのかなって思っちゃうわよ。いくら、精神疾患があるからって、私は社会参加できないのかなって、落ち込んじゃうわよ。」

「そういえば、お前さんは、右手がやたら痛いということで、精神科で見てもらってたんだっけな。」

杉ちゃんは彼女に言った。確かにそれはそうなのだ。いくら腕を検査しても、痛みが取れないので、精神科を受診するように言われたのだ。血液検査をしても、画像検査をしても腕に異常は見つからなかった。そうなると、線維筋痛症とか、神経障害性疼痛とか、そういう病名がつくことになっている。でも、そんな物、どうでもよく、困ることは、彼女がその腕の痛みのせいで、仕事にも何もいかれないということだ。

「そうなのよ、全くね、腕に異常は無いからって言われても、爪を切るのだって、難しいくらいの痛みだし。なんで、医者って何もしてくれないんでしょうね。」

利用者は、嫌そうに言った。

「まあそうだ。それで、お医者さんに新しいことを始めようって言われて、それで茶道始めただよな。痛みが取れないわけじゃないけど、前向きには。」

「なれないわ。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は、すぐに言った。確かに、彼女は社会に居場所がない。文字通り、痛みのせいで、何もできないのである。

「この間、インターネットで、仕事をもらおうと思ったんだけど、結局相手の人が、心変わりしちゃって、仕事はもらえなかった。ライディングというのかしら。エッセイみたいなのを書く仕事だったんですけどね。それも、私のせいよね。あーあ、何処にも私は、いる価値が無いのかな。」

と、彼女は言った。

「そうなんだね。まあ、それも辛いよな。仕事やりたい気持ちは、誰でもあることだし、社会参加したい気持ちは誰でもあるよねえ。」

杉ちゃんは、一応彼女の発言を受け止めるように言った。それは行けないとか、命をどうのとか、そういう発言よりも、まずはじめに辛いんだねと言って上げることが大事だった。

「ライディングの仕事も、大変だと思うけど、地道にやって行くしか無いだろ。まあ、過去にどうだったとか、未来が心配だとか、そういうことは、考えないでさ。現在をどうしたらいいか、それを考えるべきじゃないのかな。どうせね、人間なんて、できることは、本当に小さいことしかできないのかもしれないよ。できなかったことはもう考えないことにしてさ。できることに目を向けるのが一番なんじゃないのかな。」

「そうかあ。」

と、利用者は、小さい声で言った。

「まあ、杉ちゃんの言うとおりよねえ。過去のことは、実際におきたことでも、忘れようって言ってもできるものでもないしね。まあ、放置するしか無いのかしらね。それより、今の事を考えることかあ。あたしにできるかなあ。」

「とにかくねえ。できなかったことは、忘れろということもできないでしょうから、それよりも、今どうするかを考えることだな。ときには、思いっきりすごいことに挑戦してもいいかもしれないし、今の生活を続けてもいいかもしれないよ。とりあえず、考えてばかりいると日が暮れちゃうでしょうから、すぐに体を動かすことが大切だぜ。」

「体を動かすことか、、、。杉ちゃんいいわねえ。そういう事、言えるんだから。それは、すごいことだと思うわ。あたし、そんな事何も思いつかなかった。」

利用者は、杉ちゃんの話に感動したように言った。

「まあ、仕事ができないというけれどね。まず、お前さんにできることは何なのか考えてさ。お前さんのできることでどうするかを考えろ。それは意外に身近なことでできるかもしれないよ。」

「意外に身近なことねえ。」

利用者は、考え込んでしまった。

「ほらほら、そうやって、すぐに頭で考えようとするから悪いんだ。それよりも、体を先に動かしてから考えるの。」

「わかったわよ。じゃあ、着物のお直し、お願いしますね。」

利用者は、杉ちゃんに言って、大きなため息をついた。確かに若い女性に、自分のことを考えさせるのは、難しいことでもあった。だけど、いつまでも悩んでいて、進路が決まらないでいたら、永久に彼女は立ち直れないと思う。頭を使うより体を使う。これは意外に忘れられているが、大事なことでもある。

それと同時に、四畳半の方から、水穂さんが咳き込んでいる声が聞こえてきた。またやってら、と杉ちゃんが言うと、利用者も大丈夫かしらねと呟いた。杉ちゃんが、ちょっと様子見に行ってくると言って、四畳半に行った。ちょうど、ブッチャーが、水穂さんにお昼ごはんを食べさせようと、奮戦力投していたところだったらしい。ブッチャーが、水穂さんの口元をちり紙で拭き取りながら、

「もう、いい加減にしてくださいよ!なんでご飯を何も食べてくれないんですか。食べさせるたびに咳き込んで吐き出して、たまには食べさせている俺の身にもなってください!」

と水穂さんに言ったのであるが、水穂さんは答えなかった。ブッチャーは、水穂さんの背中を擦ってやりながら、

「水穂さん、よろしければ、マークさんたちのところにいったらどうですかね。向こうは、のんびりしていて、こっちより暮らしやすいって、杉ちゃんが言ってましたよ。それに、向こうでは同和問題で人種差別されることも無いでしょう。マークさんたちはいつでもいいって言ってくれているんだったら、もう行ってきたほうがいいんじゃありませんか。ずっと咳き込んで吐き出すんじゃ、俺たちはご飯を食べさせている意味が無いですよ!」

と思わずぐちを漏らしてしまった。

「まあねえ。ブッチャーの言うこともわからなくは無いよなあ。」

杉ちゃんは、腕組みをした。

「確かに、何も食べてくれないのは、困るねえ。それが毎日だから、困るんだよな。介護というのは、そういうもんだよね。たまに嫌になっちゃうこともあるよね。」

「そうですよ。水穂さんが、何も食べないんじゃ、俺は、嫌になりますよ。進歩がないっていうか、何も変わらないんですもん。いい方に行くことも殆ど無いし、だから俺は介護の仕事には向かないんだと思うんですよね。」

ブッチャーも杉ちゃんの話に応じた。

「女中さんを雇おうかと思うが、みんな水穂さんに音をあげて辞めちゃうんだよな。長くても、一月しか続かないよ。短い人で3日、長い人で、一月。」

確かに、杉ちゃんの言うとおりでもあった。それと同時に水穂さんが、これまで以上に咳き込んで、とうとう内容物を吐き出した。ブッチャーが嫌だなと言いながら、水穂さんの口元を吹いた。

「まあ仕方ない。とにかく、薬飲んで、様子を見るしか無いよ。ほら、これのみな。」

杉ちゃんは、水穂さんに薬の入った水飲みを渡した。水穂さんはそれを受け取って、中身を飲んでくれた。

「良かった良かった。薬飲んでくれたらなんとか大丈夫だよ。」

「まあ、いつものパターンですけどね。」

ブッチャーは、そう言って、水穂さんを布団に寝かせて、掛ふとんをかけてやった。

「あの。」

不意に、女性の声がしたので、杉ちゃんたちはびっくりする。

「なんですか。貴子さん。」

ブッチャーが、先程の利用者に言った。貴子さんと言われた利用者は、

「あの、もしよろしければ、私が、水穂さんの世話をしましょうか。あたし、住み込みではないけれど、こちらにいるときは、水穂さんのそばにいたいです。」

「しかしねえ。お前さんは、勉強するためにここを利用しているんだろう?それ以外のことをさせちまったら、ルール違反でもあるんだぜ。」

そう言うが、杉ちゃんが、一応反論した。

「でも、あたしは大丈夫です。少なくとも、嫌な思いをすることは無いです。だって、水穂さんには、本当に散々お世話になりましたし。あたしが、ここに入ったとき、水穂さんは、私の話を聞いてくれて、嬉しかったですよ。だから、水穂さんの世話は何でもできます。」

「でも、お前さんは女中さんでは無いしねえ。」

杉ちゃんがそういうが、貴子さんは、水穂さんの口元を宝物を拭くように丁寧に拭いた。そして、自らのスマートフォンを出して、

「畳屋さんの番号を教えてください。」

というのだった。ブッチャーが、いつも畳を張り替えてもらっている畳屋の番号を言うと、

「もしもし、望月畳店さんですか?あの、畳の張替えをお願いしたいです。場所は、富士山エコトピアの近くにある、」

なんて、貴子さんはしっかりと話し始めるのだった。

「はあ、意外に頼りになりそうな女だな。」

杉ちゃんが意外な顔をして彼女を見た。

「畳屋さん、明日来てくれるそうです。明日、畳を剥がして、お願いしましょう。」

畳屋さんがすぐに張替えに来てくれるのが救いだった。貴子さんは、水穂さんの血液で汚れてしまった着物を取り替えたいといった。ブッチャーが、水穂産の帯をほどいて、着物を脱がせ、別の着物を着せてやっているのを、貴子さんは手伝っているのか邪魔しているのかわからないけど、手伝った。どの着物も、なかなか洗えるものではないので、胸元は赤く汚れてしまっている。

「着物の生地はあらえないし、銘仙の着物であれば、クリーニング屋も洗ってくれないから、そのままにしておこう。」

と、杉ちゃんに言われて貴子さんは、

「ポリエステルの着物を着ればいいのに。」

と小さい声で行った。

「ああ、そうだ!私、買ってきましょうか。ポリエステルの着物であれば、地元の呉服屋さんでも売っているんじゃないかしら。」

「だけど、ポリエステルはなかなか売ってないぜ。」

杉ちゃんに言われるが、貴子さんは私買ってきます!と言って、カバンを持って、製鉄所から出ていってしまった。彼女は運転免許をもっていなかぅったので、バスに乗るか歩いて行くしかなかった。その日は、曇っていて、雨が降りそうだったが、貴子さんは気にせず歩いていった。確かに、ショッピングモールにある呉服屋さんで、ポリエステルの着物は、3000円程度で入手できた。それに、水穂さんは背が低いので、すぐに見つかるのだった。貴子さんは、店員に何をされても構わない態度で、お金を払って、店を出た。店を出ると、雨が降っていた。傘を持っていなかったが、貴子さんはそれでも、雨の中を走って製鉄所に戻った。

「貴子さん大丈夫かなあ。」

杉ちゃんが、雨脚の強くなった外を眺めながら、そう言うと、

「ただいま戻りました!帰ってきたわ!」

と、貴子さんの声が聞こえてきた。ブッチャーが玄関先に行ってみると、彼女は全身びしょ濡れになっていた。ブッチャーがタオルを出そうかというと、

「大丈夫です。それより、水穂さんに新しく着物を着せてやってください。」

と、貴子さんは買い物袋から、着物を一枚取り出した。

「抱えて持ってきたから、濡れてないはずです。」

確かに濡れていなかった。ブッチャーがじゃあ、着替えさせましょうと言って、眠っている水穂さんの着物を脱がせて、新しい着物を着せてあげた。水穂さんは、お礼も何も言わなかったけれど、きっと銘仙の着物ではないものを着て気持ちがいいのではないかと、貴子さんは言った。そして、再び布団をかけてやった。あとは、夕食の世話をしたいと貴子さんは言ったが、それはやらなくていいと杉ちゃんは言った。利用者にあまり水穂さんの世話をさせてしまうのは良くないと杉ちゃんもブッチャーも思ったのであった。

とりあえず、貴子さんには、バスに乗って濡れたまま自宅へ帰らせた。バスの運転手も彼女がなぜびしょ濡れなのか変だなという顔をしていたけれど、気にしないで乗せてやってくれと杉ちゃんは言った。

その次の日。貴子さんは、製鉄所に現れた。そこまでは良かった。でも、なんだか、疲れているようなそんな顔をしている。

「さて、今日も、水穂さんの世話をしてもらおうかな。新しいきものは、タンスに仕舞っといたよ。水穂さんが、あのあと、こんな高級な着物は着てられないと言ったもんでな。」

と、杉ちゃんが言うと、彼女はとてもがっかりした顔をしたが、一応、四畳半に入った。

「おはようございます。」

水穂さんが貴子さんに声をかけると、彼女はつかれた顔をしただけで、何も言わなかった。

「それでは、今日は、水穂さんの体を拭いてもらおうかな。お風呂に入れないので、体を拭くのは大切だぜ。」

と、杉ちゃんが、濡れタオルを持って、四畳半にやってくると、貴子さんは、

「今日はとても腕が痛くて。」

と言った。

「なんでえ。お前さんが、一生懸命やろうと言ったんだぜ。それならお前さんにも手伝ってもらわ無いと困るぜ。ほら、お湯を持ってきてくれよ。」

杉ちゃんがそう言うと、彼女は、わかりましたと言って、すぐに洗い桶を持って、食堂に行くまでは良かったのであるが、あまりに腕が痛かったのだろう。彼女は、お湯の入った洗い桶を落としてしまって、下半身をびしょぬれにしてしまった。

「あーあ。またやる、昨日やりすぎたからだよ。そうじゃなくて、お前さんもちゃんと、病気があるんだってこと、わからないとな。」

杉ちゃんがそれを眺めてそう言うが、貴子さんはとても悲しそうというか、悔しそうな顔をして、

「なんで私は、普通の人みたいにお手伝いができないんだろう。」

と言って泣き出してしまった。

「なくもんじゃないよ。しょうがないことじゃないか。それは、お前さんの特性でもあるんだから、あんまり気にしないで、できることだけやってくれればいいの。」

杉ちゃんだから、そう言ってくれるのかもしれないが、一般企業だったら、間違いなく叱られるところだろう。一般企業というのは、継続的に仕事ができる人材でないと雇ってはくれないから。

「気にしないで、一生懸命やってくれたんだから、いいじゃないですか。僕は、あの着物を買っていただいて、嬉しかったですよ。ですが、あんな高級すぎる着物、僕は着られません。そんな高級な着物が着られる身分じゃないので。」

水穂さんが布団から出てきて、そういうことを言った。杉ちゃんが、水穂さんは寝てなくちゃだめだと言って、すぐに布団へ戻そうとするが、泣いていた貴子さんはそれを聞いて泣くのをやめてくれた。

「でも、そのお気持ちはとても嬉しかったです。ありがとうございます。」

「どうして私は、普通の人みたいに、仕事できないんでしょうね。」

貴子さんは、涙をこぼしてそういったのであるが、

「それも、病気の症状だからさ。それは、のんびり付き合って行くしか無いわな。」

と、杉ちゃんが言った。

「それもお前さんの個性というか、そういうことに近いのかもしれないよ。」

「なんでそんな事。」

貴子さんは、悔しそうに言った。

「だけど、そうなってしまうこと、つまり、腕に痛みがあることは、貴子さんならではだぜ。それは、もうしょうがないことだと思うことも大事だよ。じゃあ、お湯を用意する作業はいいから、タオルを風呂場から出して、一本持ってきてくれるか?それくらいなら、お前さんもできるのでは?」

と、杉ちゃんが言うと、彼女はハッとして、なにか感じ取ってくれたようだった。そして、風呂場へ向かって走っていった。多分、腕が痛いと思うけど、それも忘れてくれたら最高だった。

杉ちゃんは、水穂さんに、布団に戻ってもらうように頼んだ。水穂さんが、そのとおりにすると、

「タオル持ってきました!」

と貴子さんがやってきた。水穂さんは、一言、

「ありがとうございます。」

と言った。

外は、春らしく梅の花が咲いていた。もう、春本番と言ってもいいくらい、暖かい天気だった。




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お手伝い 増田朋美 @masubuchi4996

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