第4話

「素敵な手ぬぐいですね」

 昼休み、緑に繁った土手の上。

 振り向かずとも、声の主は同定できる。同じクラスのあの子に違いない。

 言葉づかいが丁寧なだけではなく、語尾が柔らかい。彼女は、春の陽気のような人だ。

 早速、隣に座り込み、手許の手ぬぐいに集中している。いつになく、表情がぴかぴかして見える。ちょうど真新しいランドセルを背負った一年生のようだ。

「見る?」

 さすがに、そう言わざるを得ない雰囲気であった。これが教室内の出来事で、たった二文字を発声しなかったら、僕はきっとクラス中の女子から「ろくでなし」と罵倒されていたことだろう。想像に難くない。

「ありがとうございます。天馬てんまさん」

 瞬間、何かの花がほころぶのを見た思いがした。この子は、花澄子かすみことは違う。どういう訳か、胸が痛んで目をそらした。

「天馬さん?」

「いや、なんでもないよ」

 と言いつつ、目は合わせない。なんだかもやもやする。そうだ。花澄子は、僕を「たっくん」と呼ぶし、僕は僕の信念で成長してからも、年上である彼女を呼び捨てにする。隣に咲き誇るその人とは、そぐわないのだ。

「君は、誰でもかれでも、さんづけするよね。それって、小学校の先生がそうしなさいと教えたから?」

 僕らが小学生だった当時、男子も女子も、下の名前にさんをつけて呼び合うことになっていた。ルールだった。あだ名で呼ぶなんてもってのほか。下らないいじめ対策とやらだった。

「私は、家族であっても、下の名前にさんづけします。両親も、私の名前にさんをつけて呼びます。だから、小学校に上がる前からの習慣といいましょうか。天馬さんは、いつも私を見ては、その先の誰かを想ってらっしゃいますよね。きっとその方と私とでは、何もかもが違っていて、気に食わないのでしょう」

「気に食わないなんて、そんなこと」

 はっとして、振り向く。深々と、頭を下げる。

「ごめんね、小学校に入る前からそうなら、僕が嫌がるいわれもない。本当にすまなかった」

 やつあたりされた相手は、気分を害するでもなく、いえいえと首を振る。

「天馬さんは、読書がお好きですよね。その歳には、いつも手ぬぐいをブックカバーとして使っていらっしゃるでしょう。それも、いろいろな柄をお持ちのようです。私、いつか天馬さんと手ぬぐい談義をしたいと思っていたのですが、男子と女子ですものね。あらぬ疑いをかけらても、天馬さんがご迷惑でしょうと今まで遠慮をしていたのです。でも、どうでしょう。今日に限って、天馬さんはおひとりのご様子。そして、手許にはたくさんの手ぬぐいです。私、教室の窓から天馬さんを見つけて、急いでここまで走ってきたのです」

 圧倒されていた。とにかく、手ぬぐいを愛していることだけは、理解できた。

「新しいブックカバー用の手ぬぐいをお探しですか。ミステリーですか、伝記ですか、それとも恋愛小説など?」

「いや、違うんだ」

 しゅんとなった。そんな擬態語が、実際に見えてしまいそうだった。

「私、天馬さんのお役に立てるかと思ったのですが、残念至極です」

 どう対応すればいいのか、まるで解らない。

「ですから、天馬さんが私を見ることで、嫌な思いをしているのならば、そのお返しと言ってはなんですが、ということだったのです」

「ああ」

 ようやく理解して、溜息を吐く。

「これはね、服にするんだよ」

「お洋服ですか? お人形さんのものでしょうか。そうですね、それなら、天馬さんが屋外に居た理由も理解できます。天馬さんも、気恥ずかしいでしょうからね。あ、それなのに、私」

「いや、いい」

 手を差し出し、止める。女の子は、かしましい。

「ええと、妹さん?」

「そのようなものかな」

 確かに、花澄子の妹と言えば、そうかもしれない。僕がいつもの様子に戻ると、相手は元気を取り戻したようだった。

「天馬さん、私、手芸部です」

「はい?」

 予鈴が鳴り響く。

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