STORY 5

[1]

 ある日の午前中、羽華はばな第三小学校の体育館では、羽華警察署刑事課の署員による防犯教室が開かれていた。体育座りをしている大勢の小学生の前で、署員たちが仮装して寸劇を披露している。

「不審者はいかにも怪しい格好はしていません。見た目は普通の格好をしています。ですが、今みんなが見たように、必ず変な行動を取るものなんですよー」

そのそばで、警察官の制服を着た杠葉舞ゆずりはまいは進行役としてマイクを持ち、小学生たちに呼びかけた。

「最初に言った「いかのおすし」、覚えてますかー?」

笑顔の舞が左手を挙げ、大声で訊いた。

「はーい」

すると小学生たちも同様に手を挙げながら声を張り上げ答えた。

「以上を持ちまして、羽華警察署防犯教室を終わります。ありがとうございましたー」

締めくくった舞をはじめ、署員たちが横一列となって深く一礼した。館内に拍手が沸き起こる。舞が笑みの表情で頭を上げると、小学生たちの後ろで教師に交じり、ダブルのスーツを着た丸渕眼鏡の男が立ったまま、にこやかに拍手をしているのが見えた。鴨志田勇かもしだいさむであった。

「なんで?」

途端に笑みが苦々しさに変わった舞が呟いた。


 署員たちが撤収作業をしているなか、控室代わりの教室で、先ほどの笑顔とは一転、やや疲れた顔の舞がまたも呟いていた。

「あー。久しぶりだー。この仕事」

舞がマイクを机に置き、椅子にへたり込んだ。舞のあの笑顔は一生懸命に作った営業スマイルであった。羽華町に隣接する堂覇(どうは)町を管轄している堂覇警察署の交通課にいた頃も、この手の教室は散々やってきた。まさかここでもやらされるとは思ってもいなかった。そこへ引き戸のドアをノックする音がした。舞が音のした方向を見遣ると、開いたドアの外に勇が立っていた。

「署員の方がここにいると言っていたので」

そう言うと、勇が室内に入っていく。

「さっきの防犯教室、素晴らしかったですよ」

微笑んだ勇が称賛の言葉を贈ったが、舞にはお世辞にしか聞こえなかった。

「なんで鴨志田さんがここに?」

なぜかと不思議がる舞の疑問に勇は答えた。

「この学校、実は僕の母校なんです」

その事実に舞はささやかな驚きを感じた。

「えっ、そうなんですか?」

うなずいた勇は小学校を訪れた訳を話し始めた。

「僕の担任だった恩師の先生が定年退職されると聞いたので、ご挨拶に参りましたら、体育館で催し物をやっていると伺ったので、興味本位で覗いていました」

「催し物って・・・」

「そしたら、舞さんがいたのでびっくりしましたよ」

「こっちだってびっくりしましたよ」

こんなこともあるのかと思いながら言い返した舞は、ハッと腕時計を見た。

「あっ、そろそろ行かないと。着替えるんで鴨志田さんは出てってください。ほら、出てって出てって」

舞は勇に向かって追い立てるように手を払った。何事かわからず勇が教室の外に出ると、舞は引き戸のドアを閉めた。

「行くって、どちらへ?」

室内からガサゴソと音がするなか、ドア越しに勇が訊ねた。

「ラジオ局です。<三ツ輪みつわ放送>っていう」

向こう側で舞が答えた。

「ラジオ?」

勇が聞き返した。

「生放送の番組に出ることになったんです。署長の指示で。私は断ったんですけど、土下座までされちゃって仕方なく」

獅央しおうさんが土下座・・・」

獅央誠司せいじは勇の警察官時代の上司であり、現在は羽華警察署の署長を務めている。その獅央が土下座までするとは、よほどのお願いだったのだろうと勇は考えた。

「最悪ですよ。もうマスコミ関係なんかには出たくないって、あれほど言ったのに」

舞の頭に思い出したくない過去が嫌でもよみがえる。そのせいで堂覇警察署にいた頃は一時、蚊帳かやの外に追いやられたからだ。つまり、舞にとっての“黒歴史”なのである。

「そのラジオ局。僕もご一緒していいですか?」

突然に勇が申し出てきた。

「なんでですか?」

舞が理由を問う。

「ラジオ局なんてめったに行けませんからねえ。この際ですから見学を」

どうやら勇の関心を惹いたようだった。

「恩師の先生はいいんですか?」

「ええ。挨拶は済ませましたから。それに<ハイカラ>は今日、休館日でして暇なのもありますし、小説に使えそうなネタが見つかるかもしれません」

<ハイカラ>は、勇が居候している写真館の名称である。そう勇が答えた直後、引き戸のドアが開いた。プリントTシャツに袖をまくったオーバーサイズのテーラードジャケット、ブルージーンズにハイカットスニーカー、そして背中にはリュックと、いつものカジュアルな姿となった舞が、テーラーバッグと一足の黒いパンプスをそれぞれ両手に持ち、勇を見て言った。

「来たいならご勝手に」

どうせ断っても無理について来るかもしれない。それならば。舞はにべもない声を発して教室を出た。まるで社会科見学に行く子どものようなワクワクとした顔になった勇は、歩みを進める舞の後をついて行った。

松本まつもとさん」

その途中で、舞は荷物を運んでいた刑事課の同僚である松本にひと声かけた。

「私、これから行くところがあるので、今日は失礼します」

「聞いてるよ。ラジオだっけ。わかった」

「あとはお願いします」

舞は軽く礼をするとスタスタと歩き出した。それから勇も続けて松本に礼をしたあと、舞の背中を追った。


 舞と勇は覆面パトカーでラジオ局へと向かっていた。それ以外の車両が警察署になかったからだ。

「なんの番組に出演されるんですか?」

助手席の勇が訊ねた。

「えーと。たしか、チャッキー浜浦はまうらとか言う人がやってる番組です」

ハンドルを握る舞がおぼろげに答えた。しかし、その名を聞いた勇には覚えがあった。

「おお。チャッキー浜浦さんの。それはすごい」

「知ってるんですか?」

「テレビにはほとんど出ませんが、ラジオの世界では有名な方ですよ。彼は愛妻家でして、去年は円満な夫婦に与えられるマリッジ・オブ・ザ・イヤーに選ばれたほどです」

「へえ・・。そんな人なんだ」

舞が勇の博識に妙に感心していると、羽華町内にある一棟の建物に到着した。民放のAMラジオ局、<三ツ輪放送>のビルだった。


 ひととおり打ち合わせを終えた舞が勇と共にスタジオの副調整室に入ると、ちょうど放送が始まろうとしていた。勇がガラス窓の向こうにあるスタジオ内を覗くと、白髪交じりのショートヘアに、半袖のTシャツとアンクルパンツを身に着けた四十代後半といった印象の男がスマートフォンを耳に当てて立っていた。チャッキー浜浦であった。誰かに電話しようとしているようだが繋がらないらしい。テーブルにはマイクやヘッドフォン、台本と思しき原稿用紙にカバーが開かれたノートパソコン。そして、「カフスイッチ」と呼ばれる音声の切り替え機器が置かれていた。

「まもなく本番始まりまーす」

岩下の声がかかる。浜浦はスマートフォンの画面をタップしてテーブルに置き、スタンバイに入ろうと席に着くと、ヘッドフォンを頭につけた。

「鴨志田さん。邪魔になりますから」

舞が勇の腕を強引に引っ張り、室内の奥にある椅子へと誘導した。ふたりが椅子に座ると放送が始まった。

―正午になりました。チャッキー浜浦の「グッデイ・ハイヌーン」。

浜浦の快活なタイトルコールに併せてBGMが流れる。

―今日も夕方四時まで生放送でお送りいたします。

好奇心に満ちた表情の勇に対し、舞は久々のメディア出演に緊張の色を見せながら、副調整室で浜浦のフリートークを聴いていた。五分ほど経過したあと、浜浦が曲紹介に入る。

―ではここで、私がチョイスした曲をお聴きください。サラ・マクラクランで「Angel」です。

それを合図に洋楽が流れ始めた。浜浦はカフスイッチのレバーを提げてオフにすると、ヘッドフォンを外して席を立ち、スタジオから出てきた。

「浜浦さん。どうしました?」

水色のワイシャツの上にベージュのジャケットを羽織り、白いズボンを身に着けた中年層の男、ディレクターである亀井宏(かめいひろし)が浜浦に訊いた。

「ごめん。ちょっと控室戻っていい?忘れ物しちゃったみたいで」

「曲、五分なんで、それまでに戻ってきてください」

勇はふたりが会話している様子をじっと眺めている。

「わかった。ほんとごめん」

浜浦はドアを開けて駆け出すように外へ出て行った。


 それから五分が経とうとした頃、息を切らせて浜浦が戻ってきた。

「もうすぐ曲終わりますよ」

亀井が声をかけると、浜浦が一旦立ち止まった。

「OK、OK」

笑顔で亀井の肩をポンと叩いた浜浦はスタジオに入っていく。勇がそれを傍観しているなか、出演が近くなった舞は再度、台本を読み込んでいた。


 曲が終わると、浜浦は開口一番に言った。

「この曲の歌詞、とてもセンスを感じますが、さっき捕まったコンビニ強盗の格好もある意味センスありますよね。ウサギの着ぐるみで強盗に押し入るなんて前代未聞ですよ」

浜浦が苦笑しているなか、勇は腕時計を見た。

「そろそろ、ですかね」


 数分後、ついに舞の出番がやってきた。CMの間にスタジオに入った舞は浜浦に挨拶すると、席に座り、浜浦と向かい合わせになった。そしてCMが明け、浜浦がマイクに向かって饒舌じょうぜつに口を開く。

「続いては「ジョブズQ」のコーナーです。国内には一万種類以上の職業がありますが、番組では、実際にその職に就いている方をお招きし、私やリスナーの方々からの質問にお答えいただこうというコーナーとなっております」

企画の説明を終えると浜浦は続けた。

「そして今回、ご紹介する職業は・・・」

ここでドラムロールが流れ、音がピタッと止まると浜浦が口調を強めた。

「警察官です」

それからBGMが流れ始め、浜浦は語を継いだ。

「今日は本物の刑事さんにお越しいただいております。ご紹介しましょう。羽華警察署の杠葉舞さんです」

浜浦は拍手で歓迎した。

「ど、どうも」

舞は笑顔を取り繕って軽く礼をした。

「今日はよろしくお願いします」

浜浦も礼をすると、舞は緊張しながらも言葉を返した。

「は、はい。こちらこそ」

それから浜浦は舞について話し始める。

「杠葉さんの名前を聞いてピンときたリスナーさんもいると思います。杠葉さんはかつて、「キュートすぎる警察官」として、一躍脚光を浴びた方なんですよ。よくテレビにもご出演されてましたよねえ」

「まあ・・。そう、ですね」

やはりきたか。今更ながらに舞は後悔した。あれからしばらく経っているので忘れている人も多いが、外にいるとたまに指を差されるときがある。覚えている人は覚えているのだ。わずかだが、自分が出演した番組のコピー動画がまだネットに残っていると聞いたことがある。署長にはもっと強く拒否すべきだった。これでまた注目されたらと舞が内心、不安に思っているなか、浜浦は話を進める。

「ほら、警視庁が配信している動画にもご出演されてましたよね?交通安全の動画とか、防犯キャンペーンの動画とか」

「は、はい・・・」

続けて舞は思った。あのときの増長した自分を殴ってやりたいと。

「コメントも続々来てますね」

浜浦がノートパソコンを見ながら言った。

「そうですか」

舞はひと言答えた。副調整室で浜浦と舞のトークを聴きながら勇がスタジオを見ていると、ADの岩下恒夫いわしたつねおが慌てて中に入ってきて、亀井に耳打ちした。

「マジかよ!?」

驚いた亀井に気づいた勇は席を立ち、亀井と岩下に近づいて訊ねた。

「どうかされましたか?」

言いにくそうに亀井が声を落として答える。

「それが・・、局内で死体が見つかったらしくて・・・」

亀井の「死体」という言葉に反応した勇が申し出た。

「どこですか?案内してください」

「しかし、あなたは」

「お願いします」

その強い申し出に負けたのか、亀井は岩下に目配せした。

「こちらです」

岩下は案内すべくドアを開けた。勇は岩下と共に外へと出て行く。スタジオ内でそれを一瞥した舞はなにかあったのかと疑義を抱いていた。

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