[5]

 呼び出し音が数回したあと、舞の緊迫した声が聞こえてきた。

―愛乃さん。どうしたの!?

「今、変な車が追ってきてるんです」

―すぐそっちに行く。そのまま切らないで。

「はい」

スマートフォンを持つ愛乃の手は震えていた。


 自宅までもう少しという公道で、追っていた車がスピードを上げて愛乃の真横で止まった。今にも走り出したい愛乃だったが、恐怖で足がすくんでしまっていた。運転席から片手にスタンガンを持った人物が降りてきた。キャップ帽を被り、マスクにつなぎ服と全身が黒ずくめの男だった。その男はスタンガンの火花を散らせて愛乃に迫って来る。あわやというところで、パトカーのサイレン音が鳴り渡る。その音に気づいた男は愛乃から離れ、逃げるべく車に乗り込もうとするが、瞬く間に現れた二台の覆面パトカーに挟み撃ちにされてしまった。そのうち一台から舞が降りてきた。逃げ場を失った男は、自棄やけになったのか、それとも舞が女だからと甘く見たのか、スタンガンから電流の音を立てて襲いかかってきた。しかし、すぐに後悔することになる。一瞬のうちにスタンガンを持つ腕を摑んだ舞は、勢いのある背負い投げを決めた。そして舞はそのまま、襲ってきた男の手を逆手ぎゃくてにして組み伏せた。背中と手首に強い痛撃を受けた男はうめき、スタンガンが地面に落ちる。もう一台から猪瀬と小野が降りて駆け寄り、マスクとキャップ帽をはぎ取った。その男は弁護士の中島岳だった。


 羽華警察署の取調室では、手錠をかけられた中島の正面に座っている舞が睨みを利かせている。勇はその横で手を後ろに組んで立っていた。マジックミラー越しに様子を見ている小野が隣にいる猪瀬に訊いた。

「いいんですか?鴨志田さん入れちゃって」

「ほんとはあいつなんかに入ってほしくないんだけどな。なぜかここの署長が許可出したんだ。しょうがない」


 中島に向かって勇が口火を切る。

「御手洗清志郎さんは、結婚される前にお付き合いしていた女性がいました。中島美乃梨さん」

真顔でうつむいたまま中島は黙っている。勇は続けた。

「婚約の約束までしていたのに、清志郎さんから別れを告げられて恨んでいたと聞いています。そして美乃梨さんにはお子さんがいました。中島岳さん、あなたですね?」

中島がなんの反応も示さないでいると、勇はある事実を告げる。

「僕のハンカチで拭ったあなたの血液と、御手洗愛乃さんの髪の毛を科捜研でDNA鑑定してもらいました。すると、父方のDNAが一致しました。つまり、中島さんと愛乃さんは異母兄弟ということになります。あなたもそれはご存じでしょう」

黙したままの中島に、勇はさらに話を続ける。

「異母兄弟でも遺産の相続権はあります。ですが、あなたは母親を捨てた清志郎さんへの恨みから、遺産を独り占めしようと目論んだ」

その先を舞が引き継ぐ。

「俗に「ニンベン師」と呼ばれる偽造屋がいます。免許証や公的証書などを偽造する言わば裏社会の職人です。こちらで調べたところ、羽華町内にいるニンベン師はひとりだけでした。池沼聡という男です。彼を問いただしたら全て吐きました。あなたに遺言書を偽造するよう依頼されたと。しかも文面が同じものを二枚」

舞は机の引き出しから、証拠品袋に入ったA4サイズの紙をひとつ出して机の上に置いた。

「遺産をあなたに全額譲渡する旨の文章が書かれています」

そう言った舞の隣で、勇が疑問を発した。

「文面が同じ遺言書は一枚あれば十分です。では、なぜ二枚なのか」

人差し指を立てた勇は推論を交えてその疑問を解く。

「ここで、軽部さんの殺人事件に入ります。事件発生の当日、中島さんは偽造した遺言書を、事務所内の顧客資料が保管されている棚、その中のファイルに忍び込ませようとした。清志郎さんがあとで書き直していたなどと言い訳も考えていたのでしょう。しかし、棚を開けてファイルを取ろうとしたそのとき、現場を軽部さんに見つかってしまった。忘れ物でもしたのか、やり残した仕事があったのか、理由は定かではありません」

勇は手を後ろに組んだまま、中島の後ろにある窓に近づきながら語を継いだ。

「おそらく、軽部さんはあなたから遺言書を奪うように取り上げると、その中身を読んで問い詰めた。ですが、煮え切らないあなたの態度に腹を立てたのでしょう。あなたの目の前で遺言書をビリビリに破り、宙に舞い上がらせた」

窓のそばに立った勇は、そのときの状況を表現するように両手を広げた。

「それから軽部さんは、警察に通報する。もしくは、懲戒請求するとでも言ったのでしょう。いずれにしても、あなたは危うい立場になった。そこであなたは、思わず軽部さんを殺害してしまったのではないですか?」

勇が放った問いにも中島は黙秘を貫く。

「そのあと、あなたは急いで凶器を元の場所に戻した。でないと警報装置が作動してしまいますから。そして、付着した血痕と指紋を拭き取ると、事務所にあった掃除機で散らばった紙片を吸い取った。それから棚を閉め、施錠せずにその場を立ち去った。想定外のことで焦っていたのでしょう」

微笑を浮かべた勇は続ける。

「掃除機内のゴミパックに紙片が残っていましたよ。まさか掃除機まで調べるとはあなたも思っていなかったでしょう。それで、その破かれた紙片を署で復元してもらったところ、そこにある遺言書と同じ文面が記載されていたそうです。池沼に依頼した偽の遺言書ですね?」

答えない中島に、勇は窓を見遣りながら話を進めた。

「後日、あなたは池沼に再度、遺言書の偽造を依頼した。だから二枚だったんです。当初は一枚でよかったのに、軽部さんに破られてしまいましたからねえ」

舞が付け加える。

「一週間前に一枚。おとといに同じものをもう一枚依頼されたと池沼は供述しています」

そして、勇は指摘した。

「けれどもあなた、紙片を全部排除しきれてなかったんですよ。遺体の下に一枚、破られた紙片が残っていました。それにあなたの髪の毛にも紙片が絡まっていました。最初はゴミかと思いましたが、同じく破られた跡があったので、気になって照合してもらいましたら、同じ材質の紙だとわかりました。破られた偽の遺言書は一部が欠けていたそうですから、僕が手に入れた二枚の紙片を合わせれば完全に復元されるでしょう」

勇は再び推論を述べた。

「少し戻りますが、軽部さんが遺言書を破った際、あなたは一時しのぎで頭を下げ、謝っていたのかもしれません。そのとき、降ってきた紙片のひとつがあなたの髪の毛に絡まった。本来ならば自然と落ちるでしょうが、手で頭を抱えたかしたせいで奥に入り込んでしまったか、それとも静電気の影響か、はっきりとは言えませんが一枚だけが残ったままになっていた」

口をつぐむ中島を一瞥して勇は続けた。

「復元した偽の遺言書には三つの指紋が付着していました。ひとつは軽部さんのもの。もうひとつは作成した池沼でしょう。そして三つめは、中島さんの指紋ではないですか?」

勇が質問しても、やはり中島はしゃべらない。

「被害者である軽部さんの指紋の輪郭がはっきりしていたそうです。つまり、触れたばかりということ。おそらく死亡する直前、先ほど言った遺言書を破った際に付いたものでしょう。それにもうひとつ、輪郭がはっきりした指紋があったそうです。状況から考えて、偽の遺言書をファイルに忍ばせようとした中島さんの指紋かと」

移動して中島の真横に立った勇は、本人を見据えて言い切った。

「それらを踏まえると、中島さん、あなたが犯行現場にいた可能性が極めて高いと僕は思います」

それから勇はもうひとつ補足した。

「愛乃さんに脅迫状を出したのもあなたですね。愛乃さんが相続権を放棄してくれれば一番手っ取り早いですからねえ。それに、異母兄弟と言っても、愛乃さんは清志郎さんの子。父親同様に恨んでいたのでしょう。まあ、詳しく調べれば証拠が出てきます」

勇の推論を聞いた中島がようやく口を開いた。

「仮に僕が犯行現場にいたとして、軽部を殺害した証拠はあるんですか?」

弁護士らしく抗弁の意を示した中島に、勇は語気を強め、身振り手振りで意味不明なことを言い出した。

「しかし、あれを使ったのはよろしくない。あなたは愚かな人です」

「は?なにを」

「僕だったらあれを使わずに、もっと効率のいい方法を選びます」

「ちょっと」

「あれを使うなんて考えられません」

「おい」

「だからあなたはダメなんです」

話がかみ合わない勇の言動に中島はれ込み、手錠をかけられた両手で机の天板をバンと叩いた。

「だからあるんですか。僕がブロンズ像で殺した証拠が」

中島の発言に勇は口角を上げた。舞が真剣な目で訊ねる。

「中島さん。今、『ブロンズ像』って言いました?」

「言いましたよ。それがなんです?」

やや興奮気味に答えた中島に、舞が説明を始める。

「あなたを聴取した小野さんから訊きました。関係者には『鈍器のような物で頭を殴られて死亡した』と話したそうです。マスコミにも具体的な凶器は発表していません。なのに、なんで中島さんは凶器がブロンズ像だと知っているんですか。現場にはほかにも鈍器になり得る物があったのに。なんでですか?」

そこで中島はトラップにかかったことに気づいた。

「中島さん。それは自白と取ってよろしいですか?」

勇が訊いた。落ち着きを取り戻した中島は天板に置いた両手をだらんと下ろし、椅子の背にもたれかかった。

「そうです。全てこの方がおっしゃったとおりです」

中島は素っ気なく勇を指すと続けた。

「母は清志郎、あの男の恨み言を残して死にました。数年後にあいつが遺言書の作成を事務所に依頼しに来たときは運命だと感じました。それで思ったんです。あいつの持ってる金を全部ぶんどってやろうって。だけど軽部に気づかれた。だから殺すしかなかったんですよ」

ため息を吐いた中島は後悔するように言った。

「髪、ちゃんととかしておけばよかったなあ・・・」

勇は笑顔で返した。

「確かに」

中島が虚ろな表情になる。

「あのときはそこまで気が回らなかった。警察になんて答えればいいか考えるのに必死で。心配と恐怖で着替える余裕もなくて、全然眠れなかった」

そんな中島に、舞が怒りに満ちた瞳で話しかける。

「愛乃さんまで襲おうとして。そこまでする必要ないでしょ」

「だって理不尽じゃないですか。あの子が遺産を全額譲り受けるなんて」

宙を見つめる中島はひと言発した。

「軽部なんかよりも先に、あの子を殺すべきだったかな」

その瞬間、舞は中島を睨んだまま、右の拳を机の天板に思いきり叩きつけた。激高した音が室内に響いた。


 取調室では、猪瀬と小野が中島に詳しく話を訊いていた。その頃、舞と勇は署内のロビーにあるベンチに並んで座っていた。

「鴨志田さん。中島を自白させるために、わざとイラつかせることを言ってたんですよね?」

舞が右隣であしを組んでいる勇に訊ねた。

「ええ。殺害の証拠がありませんでしたから。賭けでしたが、なんとかなりました」

「愛乃さんにはなんて話せばいいんだろ?」

手を膝に置いて考え込む舞に、勇が正面を向いたまま穏やかに申し出た。

「具体的に話すのは遠慮してください。真実を知れば彼女は苦悩するでしょう。ですので、愛乃さんには詳細を伝えず、簡潔にお願いします」

勇なりの心配りを汲み取った舞はうなずいた。

「わかりました」


 その日の夕方、舞はひとり、愛乃の自宅を訪れた。インターホンを押して名前を告げると、本人が出迎えた。事情聴取を終えて帰ったばかりのせいか、少し疲れているような様子だった。

「事件は解決。だからもう安心して。あと、鴨志田さんがよろしくって」

そう言って微笑んだ舞の顔を見て、胸を撫で下ろしたかのように、愛乃の顔にも自然と笑みがこぼれた。

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