[3]

 愛乃は膝に置いたショルダーポーチから一通の封筒を取り出して舞に手渡した。

「昨日、うちの郵便受けに入ってたんです」

舞は封が開けられた封筒を見た。表にはパソコンで印字された宛名が明記されており、切手も貼られているが、裏には差出人の名前がなかった。中には三つ折りにされた一枚の紙が入っている。

「これ、出して見てもいいですか?」

封筒の中を指して舞が愛乃に訊いた。

「はい」

舞は紙を取り出して開いた。そこには、またもパソコンで打たれた黒い文字で次のようにつづられていた。

≪今すぐ遺産の相続権を放棄しろ さもなければ命はない≫

それを読み上げた舞は、愛乃に視線を向けて言った。

「脅迫状ですか」

「はい。こんなこと初めてなので怖くて。警察に相談しようとしたら、ちょうど杠葉さんがいたんで」

「遺産ってどういうことです?」

舞の問いに事情を説明した。

「一週間前に父が他界しまして、父の遺言書には、遺産をすべて私に相続させると書いてあったんです」

「遺言書・・・」

もしかしたらもしかすると。呟いた舞はそう思いつつ問いかけた。

「なるほど。で、そのことを知ってるのは?」

「私のほかには、父方の親戚三人と担当した弁護士さんだけです」

舞は取り調べさながら愛乃に質問を続けた。

「お母さんは?祖父母の方とかはいないの?」

「母は私が小さい頃に病気で亡くなりました。兄弟や姉妹もいないので母方の親戚はいません。祖父母は両親のどちらとも亡くなっています。ほとんど天涯孤独ですよね。私」

愛乃はどこか取り残された気持ちになった。

「これの心当たりはある?」

舞は脅迫文が書かれた紙を示してさらに訊いた。

「もしかしたらなんですけど・・・」

「なに?」

聞き耳を立てた舞に、愛乃は憶測を述べた。

「さっき言った親戚のふたりが遺言書の内容に納得していないようでした。弁護士さんにクレームつけに行ったようですし。ひょっとするとその親戚がこれを送ったのかもって、私は考えてるんです」

愛乃の言葉の中部ちゅうぶにハッと気づいた舞が、やや身を乗り出した。

「ねえ。クレーム入れた弁護士って名前わかる?」

「はい。軽部さんって方で、父の遺言書作成の手伝いなどを担当した弁護士さんです。家庭裁判所で検認や開封をしたときも、軽部さんが立ち会ってくれていました」

ポーチから財布を出した愛乃は、中から一枚の名刺を抜いて舞に渡した。

「この方です」

名刺には≪軽部雅昌≫と記名されていた。それを確認し、やはりと思った舞は上着から手帳を出してページを開いた。

「お父さんって、名前は清志郎さん?」

手帳から愛乃に視線を移して問いかけた舞に、愛乃はやや驚いた顔をした。

「はい。でもなんで・・・」

舞は名刺を愛乃に返しながら言いにくそうな声を出す。

「実は軽部さん、今日亡くなったの」

「えっ!?」

愛乃は突然の予期せぬ訃報に驚き、手で口を押さえた。

「どうして亡くなったんですか?」

目を見開いたまま愛乃が訊いたが、舞は首を振った。

「詳しいことは話せないの。ごめん」

謝した舞だったが、事件との関連性を踏まえて念のため訊ねた。

「その親戚の人の名前、知ってたら教えてくれる?」

舞は上着からペンを取り出す。愛乃は動揺しながらも答えた。

「ひとりは秀孝ひでたかさん。父の弟で、紀香のりかさんって奥さんがいます。もうひとりも弟で、名前は哲馬てつまさんと言います」

三人の名前を書き留めながら舞は質問した。

「その人たちから話を訊きたいんだけど、どこに住んでるかってわかる?」

「でしたら明日、私の家で遺産について弁護士さん同席で話し合いがあるんです。『遺産分割協議』って言ってたかな?今話した三人も来ますから。なにか訊きたいのでしたらそこで」

舞はうなずいた。脅迫状と殺人に関連性があるのかは不明だ。しかし、なにか繋がりが見えるかもしれない。

「そうしてみる。じゃあ、自宅の住所と何時に来ればいいか教えて」

愛乃は住所と時間を答えた。それらもメモした舞は、愛乃の顔を見て言いきった。

「あなたに脅迫状出した奴、私が絶対捕まえるから」

舞の瞳は新米刑事らしい情熱に燃えていた。


 愛乃が警察署を辞したあと、舞は鑑識課を訪れた。勇の依頼を沢渡に伝えるためだった。だがその前に、自席に座っていた沢渡が舞に報告した。

「鴨志田の推測どおりだったよ」

沢渡はそう言うと、デスクトップパソコンに写真画像を表示させて舞に見せた。それは、一部は欠けているが、破られたA4サイズの紙を復元した写真だった。

「あいつが言ってたんだよ。『犯人は遺体の周りを掃除して逃げたかもしれない』って。で、そのあと『事務所に掃除機があったら中のゴミを確認して、破られた紙などがあったら、お手数ですが集めて元の状態に戻してくれませんか』だと。鴨志田は俺のことなんだと思ってんだろうな」

愚痴をこぼした沢渡は語を継いだ。

「事務所ん中探したら掃除機があったからさ。面倒だけど一応やったよ。その結果がこれだ。細かく破いてあったからな。ほんと苦労したぞ」

骨を折った言葉を口にした沢渡に舞は、この短時間で元に戻すとはさすがだと敬服しつつ写真に目を遣ると、紙の一番上に≪遺言書≫と自筆のような字で記されていた。

「遺言書?」

舞が呟く。

「ああ。三人分の指紋が検出された。ふたつは不明だが、ひとつは被害者のものだった。被害者の指紋ともうひとつの指紋は輪郭がはっきりしてたから、多分付いたのは最近だろうな」

続けて沢渡は画面を指差して言った。

「中身読んでみろ」

そのとおりに文面を読んだ舞は、驚きと同時に疑問が湧いた。

「えっ!?なんで・・・?」

沢渡が腕を組み、椅子に背を預ける。

「なんでだろうなあ。気になるよなあ。これ」

確かに気になるが、舞には沢渡に頼みたいことがあった。上着のフラップポケットから、四つ折りにした勇のハンカチを取り出して開くと、中には二枚の紙片があった。それを沢渡に示して舞が申し出る。

「沢渡さん。このふたつ、同じ物かどうか照合してほしいんですけど」


 翌日、舞は勇に破られた謎の遺言書の件と、頼まれていた紙片の鑑定結果を報告したあと、愛乃の自宅へ徒歩で向かっていた。隣には勇がいる。べつにひとりでも良かったのだが、脅迫状の件を勇に話したところ、興味を惹いたようで、仕方なく連れて行くことになったのだった。

「御手洗清志郎さんは<株式会社NJT>って大手の旅行会社を経営していました。今は弟の秀孝さんが代表取締役に就いています。それでもうひとりの弟、哲馬さんのほうは都内でバーを経営しています」

歩きながらスマートフォンを操作している舞を、勇は軽く注意した。

「警察官が歩きスマホはいけませんよ」

勇の声が舞には届いていないらしい。

「愛乃さん、「ノア」ってペンネームで『カクヨム』に小説書いてるって言ってたじゃないですか。ちょっと調べてみたんですよ。そしたら彼女、めちゃめちゃ人気あるんです」

舞はスマートフォンの画面を見ながら続けて言った。

「代表作が『マリアとヴァンプ』ってタイトルで、鴨志田さんの苦手な異世界を舞台にした恋愛ファンタジーなんですけど、それが総合ランキングでトップ。フォロワーも何万人もいます。あと、なんの意味かわかんないですけど、星のマークの数字が四桁並んでました。それにその作品、本や漫画にもなってて、アニメ化もされてます」

舞の話を聞いて、勇は正面を向いたまま黙ってしまった。愛乃との人気の格差を痛感して口を閉ざしてしまったのかもしれない。勇の目がややぼんやりとしている。舞は慌てて笑顔を作り、話題を変じた。

「ちなみに私の一押しはこれです」

舞はスマートフォンの画面を勇に見せた。『カクヨム』のサイトらしい。作品紹介のページが表示されている。

「俳句デカ?」

勇が眉間を寄せて呟く。

「主人公の刑事の言う台詞が全部、五七五なんですよ。例えばこれ」

舞はそう説明すると、スマートフォンを操作して小説の一部を見せた。勇が文章を読み上げる。

「張り番をする制服警官が「おはようございます!」と元気に敬礼をすると、出勤してきた大河原おおがわら刑事は敬礼を返してこう言った。「おはようと、返す挨拶、朝の顔」」

「ね。ほかにもあります」

スマートフォンをスクロールして舞は別の文章を見せた。勇はそれも読み上げる。

「取調室内の真夏のような暑さに苦情を訴える参考人に、大河原刑事はこう答えた。「暑くない。ああ暑くない。暑くない」・・・」

勇は画面を指差してツッコミを入れる。

「これ、俳句じゃないですよ」

「でも五七五にはなってるじゃないですか」

舞はスマートフォンをズボンのポケットに入れて続けた。

「ほかにも、うっかりデカとか武士道デカとか、個性的な刑事が出てくるんです」

「本職の刑事が、こんな非現実的なもの読んでていいのでしょうか」

呆れた様子の勇に、舞は反論した。

「人がなに読もうといいじゃないですか。それに、鴨志田さんに言われたくありません」

「どういう意味ですか?」

「べつに。なんでもないでーす」

舞はいじけた顔で足早に勇の先を進んでいった。自分だって非現実的な小説を書いているじゃないか。そう思った。そんな舞の気持ちが読み取れず、勇は首を傾げた。


 愛乃の自宅は、豪勢な日本家屋だった。その前で舞と勇は、猪瀬と小野に出くわした。

「なんでお前らがいんだよ!?」

猪瀬は驚いて声を上げた。後ろにいる小野も、そのふたりに相対している舞も同じ様子であったが、勇は冷静で落ち着いた姿勢を取っていた。

「猪瀬さんたちこそ、なんでここに?」

舞が訊ねると、小野が猪瀬の背後からポロっと答えた。

「照会書出してもらって訊いたんだよ」

「余計なこと言うな!バカ!」

猪瀬が小野のみぞおちにエルボーを食らわせた。呻く小野を後目に、勇が推察する。

「さては昨日の証言を聞いて、御手洗家の誰かが軽部さんを殺害したのではと考え、調べに来たのではないですか?」

小さく舌打ちした猪瀬は認めた。

「ああ、そうだよ。で、おふたりはなんのご用で?」

嫌みたらしく猪瀬が問いかけると、舞は愛乃の件を話した。

「この家に住んでる愛乃さんという女性に脅迫状が届いたんです。私たちはそれを調べに」

「その脅迫状が事件と関係あんのか?」

猪瀬がさらに問うた。

「まだわかりません。けど、なんか繋がりはあるんじゃないかと思ってます」

根拠はないが自信はある。舞の本心であった。

「あっそ」

猪瀬はひと言発して舞と勇を指差し、警告を呼びかける。

「聴取すんのは俺らが先だぞ。こっちは殺しなんだからな。お前らはそのあとだ。わかったな!」

「はいはい」

なにを偉そうに。そう思った舞は素っ気なく答えた。

「「はい」は一回!」

猪瀬はふたりを指差したまま、小野を連れて邸宅の敷地内に入っていった。猪瀬と話しているとそれだけで疲れる。そんな感情が舞の顔に出ていた。白けた目つきでふたりの刑事を見つめる舞に、勇がポツリと言った。

「舞さんの考え。割と当たっているかもしれませんよ」

どこか委細承知いさいしょうちしているといった表情で勇は敷地内に入っていく。舞は訝しながらも、その後を追った。


 舞と勇、そして猪瀬と小野の四人は、家政婦の山田妙子やまだたえこの案内で居間に向かうべく廊下を歩いていた。すると、引き戸で閉められた居間の中から怒声が聞こえてきた。

「ふざんけじゃねえぞ!てめえ!」

その声に猪瀬と小野は駆け出し、急いで居間の引き戸を開けると、半袖のオープンシャツにジーンズ姿の哲馬が中島の胸ぐらを摑み、右頬を一発殴りつけた瞬間をふたりは目の当たりにした。

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