[4]

 その人物は、外科医の佐伯由美子だった。

「犯人は彼女です」

舞が由美子を指した。

「えっ!?」

突然の舞の発言に、由美子は目を見張った。

「佐伯さん、あなたが土屋部長を殺害したのですね」

勇は落ち着いた口調で放った。

「いきなりなんですか!名誉棄損です。私じゃありませんよ」

異議を唱える由美子の前に、白手袋をはめた舞が、手提げの紙袋を掲げて言った。

「あなたのロッカーを調べたら、これが見つかりました」

「私のロッカーの中、勝手に見たの!?」

憤る由美子に、勇が補足する。

「病院長の許可は得ています」

勇が舞に目でサインを送ると、舞は紙袋の中身を机の上に全部出した。その中身は、無色透明の靴下のような丈が短い履物一足と、薄いゴム製の手袋一双だった。勇が由美子に向かって話す。

「あなたと最初にお会いした際、僕の前であなたは手を広げて『私はやっていない』と言い張っていました。そのとき、あなたの両手のひらに横一線の太いあざができているのに目が留まりました。病院長に訊いたところ、外科の医師はそういった部分に痣はつくらないとおっしゃっていました。もしかすると被害者を殺害する際に、ロープを強く握り引っ張ったことによってできた痣ではないかと思いました」

勇が手袋を指す。

「これにロープの跡が残っていました。見たところ医療用の手袋ですねえ。こういった物は薄手ですから、力を入れたことによって痣ができてしまったのかもしれません」

今度は由美子の手元を勇は指した。

「佐伯さんの手にできた痣と手袋のロープ跡を照合すれば、ピタリと一致するはずです。それに、内側には佐伯さんの指紋が付着しているでしょう」

次に勇は足紋について触れた。

「被害者の背中に足紋が付着していました。そして、被害者の死亡推定時刻に、部長室に向かって歩く裸足の女性らしき人物が防犯カメラに映っていました。あれは佐伯さん、あなたではないですか?昨日は当直だったと伺いました」

黙秘を通す由美子に、勇は続けた。

「警察はそれらの状況証拠から、犯人は裸足で犯行に及んだとみていました。しかも聞けば、足紋の持ち主がおととい亡くなった女性の遺体」

そこで勇が少し笑みを漏らす。

「遺体が殺人を行ったかもしれない。また舞さんに怒られてしまうかもしれませんが、個人的にはとても面白いと思いました。しかし、現実的に考えてあり得ません。それで考えたところ、要は裸足だとまやかせればいいのだから、犯人はなんらかの方法を使ったのだと思い、病院内のあちこちを回って探っていましたら、ありました。舞さん」

舞が無色透明の履物を持って提示した。

「これは、医療用のゼラチンで作られたフットカバーです。研究棟の服部さんから伺いました。佐伯さん、あなた、おととい研究棟でこれを作ってたそうじゃないですか」

心臓の鼓動が激しくなる由美子に、勇が足紋の謎を明かす。

「服部さんの説明から察するに手順はこうでしょう。あなたは遺体の足から樹脂で型を取り、ゼラチンを使って加工し、指紋を複製した。この方法は成功率が低く、かなりの技術が必要と聞きました。ですが、あなたには可能だった。病院長に伺ったところ、あなたは医療機器の研究をなさっていた時期があった。つまり、知識と技術は持ち合わせていたということになります」

さらに勇は付け加える。

「現在の警察の映像処理技術はとても高度です。防犯カメラの映像を詳しく鑑定すれば、実際は裸足でないことがわかるでしょう。そして、このフットカバーの内側に、佐伯さんの足紋が付着しているはずです」

黙って勇の話を聞いていた猪瀬が疑問を呈する。

「防犯カメラの人間が彼女で、犯人も彼女だとして凶器なんかは?映ってた奴はなにも持ってなかったぞ」

「それは簡単です。舞さん」

勇が合図を出すと、舞がサコッシュに近い鞄を持って示した。勇が説明を始める。

「これは、看護師さんが使うナースバッグという小物を入れる鞄です。ナースステーションで借りてきました。佐伯さんはこれと同じ物に、犯行に使うロープと手袋を入れて、首から下げていたんです。防犯カメラに映っていた人物は後ろを向いていました。佐伯さんはこの鞄を前に下げて、カメラに映らないようにしたんです。肩紐はウィッグで隠れますから、都合がよかったのでしょう」

挙手をした小野が問いかける。

「じゃあ、犯人はどうやって現場から立ち去ったんですか?俺ら、もう一度防犯カメラを確認しましたけど、戻ってきた形跡はありませんでした。猪瀬さんは非常階段を使ったと言ってますけど」

「猪瀬さんの言うとおり、非常階段を使ったんです」

答えた勇が加えて話す。

「病院内を散策して、犯行の大体の道筋は見えました」

勇は自身の推論を述べる。

「おそらく経緯はこうでしょう。部長室前の防犯カメラが故障していることを知った佐伯さんは、土屋さんを殺害することを決めた。当初から漠然と殺害は計画していたんでしょうが、その防犯カメラが難点だった。しかし、それが払拭されたことにより、意思が固まったのでしょう。カメラの修理が完了する前にと、足紋を複製したフットカバーを作ったあなたは当日、揃えた犯行道具をここにある紙袋に入れ、業務用エレベーターで部長室のあるフロアまで行った」

勇が机の上にある手提げの紙袋を指すと、引き続き話した。

「通常のエレベーターには防犯カメラが設置されていますが、業務用エレベーターには防犯カメラは設置されていませんからねえ。その中であなたは着替えた。ウィッグを被り、白衣を脱いで病衣を羽織ったあと、靴からフットカバーに履き替え、ナースバッグを首から下げたあなたは、フロアに到着すると脱いだ物を持ってきた紙袋にしまって、一旦フロア内の目立たない場所に置いた。あそこには、観葉植物が植えられた大きな鉢があります。おおかたその裏にでも隠したんでしょう。それから、敢えて防犯カメラに自分の後ろ姿を映り込ませた」

「なんで、そんなまどろこしい真似を」

猪瀬が腕を組んで呟く。

「防犯カメラに関しての対策は、佐伯さんも悩んでいたことでしょう。しかし、ひとつが故障したことによってリスクが減った。かといって、警備でも業者でもない人間がもうひとつのカメラに細工しようとすれば、確実に怪しまれる。どうせ映ってしまうのならばと、佐伯さんは奇をてらった行動に出た」

勇の話を猪瀬が引き継ぐ。

「それがあの歩く遺体・・・」

うなずいた勇が続ける。

「ええ。少しでも捜査を攪乱かくらんさせ、証拠を隠滅するための時間稼ぎの意味もあったと思います。金髪というのは印象に残りやすいですからねえ。うってつけと思ったのでしょう。ですが、警察も馬鹿じゃありません。いずれはバレてしまう。そこで、佐伯さんは橘さんに罪を負わせようとした」

「なんで沙織だったんですか?」

舞が勇に訊ねた。

「別に橘さんでなくてもよかったんです」

「え?」

勇の答えに舞はどこか腑に落ちない目つきになった。勇は推察した経緯の続きを話した。

「部長室に着いた佐伯さんは、防犯カメラに映っていないのを確認すると、ナースバッグから手袋とロープを取り出し、準備を整えて部長室に入り、土屋さんを殺害した」

由美子に焦りの色が見えだすのを見た勇が、話を先に進める。

「病院長に訊いたところ、非常階段のドアを開錠するカードキーは紛失防止のため、カードホルダーに職員証と一緒にしまうことが決まりになっていると伺いました。病院関係者のほとんどがそのことを知っているそうです。つまり、佐伯さんも知っていた。あなたは殺害後、土屋さんのカードホルダーからカードキーを抜き取り、非常階段を出ると下の階に降りて再び業務用エレベーターに乗り、着替えを取りに戻った」

ここで、勇が猪瀬と小野の方を向いた。

「実は僕も、警備室に行ってもう一度防犯カメラの映像を見せてもらったんです。被害者の死亡推定時刻、部長室のあるフロアの下のフロアで、紙袋を提げた佐伯さんが歩いている様子が映っていました。数分後、同じフロアで、今度は半袖シャツとスカート姿の佐伯さんが足早に歩いている様子が映っていました。その際、白衣は着ておらず、手にはなにかを包んだ青い布状の物を持っていました。犯行に使用した道具一式を病衣で包んで運んでいたのかもしれません。そして彼女の足、靴を履いているように見えましたが、よく見ると黒いショートソックスでした。おそらくナースバッグと一緒に入れていたと思います。そのあと、彼女の行く先々をカメラで追いかけてみたところ、外科の医局近くの更衣室に向かっている彼女を発見しました。そのときの彼女は白衣を着ており、靴も履いていました。ですが、包みは持っておらず、代わりにまた、あの紙袋を提げていました。その時点で着替えを済ませていたということです。病衣とショートソックスはすでに廃棄されているでしょう。しかし、ほかの物も廃棄しようとしたところで、佐伯さんは緊急手術のために呼び出されてしまった。ですので、とりあえず自分のロッカーにしまうことにし、落ち着いたところで、その場で廃棄、もしくは持ち帰ろうとした」

勇が由美子に向き直る。

「そして翌日の朝、橘さんが遺体を発見し、あなたと三宅さんは部長室へと向かった。三宅さんが土屋さんの死亡確認をしている隙にあなたはそっと、前日に抜き取ったカードキーを机の上に置いた」

人差し指を立てた勇が、由美子に言い放つ。

「佐伯さん、あなたひとつ、ちょっとしたミスをしています」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る