STORY 3

[1]

 晴れ上がった空の下、七節区羽華町ななふしくはばなちょうの公道を、一台の覆面パトカーが走っている。運転席には、羽華警察署の刑事、杠葉舞ゆずりはまいがハンドルを握り、隣の助手席には、評価が乏しいどころかされてすらいない小説家、鴨志田勇かもしだいさむが乗っていた。舞は本庁からの殺人事件発生の連絡を受けて現場へと向かっていた。そして例によって、羽華警察署長の獅央誠司しおうせいじから、捜査協力を依頼された勇のバックアップを任されたのだった。

「鴨志田さん、ちょっと訊いてもいいですか?」

「なんでしょう」

舞が問いかけると、勇は車のフロントガラスを見据えながら答えた。

「鴨志田さん、私に手柄譲ってくれますけど、どうしてです?署長は、鴨志田さんは手柄に興味がなくて、私を一課に異動させたい気持ちでやってるんだろうって言ってましたけど。ほんとに興味ないんですか?」

「獅央さんのおっしゃるとおりです。僕はただ真相を知りたいだけですので、功績に興味はありません。それならば、小説家としての功績を挙げたいというのが、今の僕の心境でしょうか。舞さんに関してもそうです。舞さんは一課に新風を起こせる存在になれると思っています。手柄を譲っているのも、その後押しの意味があるのかもしれません」

勇に将来を嘱望された気がした舞は、顔に喜色を浮かべた。

「ですが、現在の舞さんはまだまだ経験値が足りません。今一課に移れば、確実に恥をかきます。もっと能力を高めないとですねえ」

異見に転じた勇の言葉に、舞の笑みが消えた。

「庶務係だったくせに・・・」

舞はボソッと呟いたあと、勇に訊いた。

「鴨志田さんはミステリー書いてるんですよね。なら、これまでに関わった事件を題材にしたもの書けばいいんじゃないんですか?」

思いつきに近い舞の発案に、勇は首を振った。

「僕はもっと冒険心に満ちたミステリーを書きたいんです。主人公の前に張り巡らされた罠や陰謀をどうい潜り、次から次へと現れる正体不明の敵にどう立ち向かい、謎が謎を呼ぶ難事件をどう解決へと導くのか。僕が好きなのは、そういった作品なんです」

熱弁をふるう勇に対し、舞は冷めた棒読み口調で返した。

「ふーん。こだわってるんですねー」

そんなやり取りをしている間に、ふたりは事件が起きた<青峰あおみね総合病院>に到着した。この病院は羽華町では屈指の大病院である。


 現場は病院内にある外科部長室だった。廊下で立ち番をしている制服の警察官に、警察手帳を示した舞がバリケードテープを潜る。遠くから、人の背よりも高い観葉植物を眺めていた勇も、先を行く舞に気づき、その後をついて行った。現場付近の通路は、ちょうど“右かっこ”のような形で、廊下を突き当たって右側にその部長室があり、部長室正面の廊下の少し先は非常階段へ続くドアがあった。ふたりが室内に入ると、机とソファの間に、白衣を着た男の遺体がうつ伏せに横たわっている。そのそばでしゃがんでいる羽華警察署の鑑識係、沢渡泰三さわたりたいぞうを見つけた舞が声をかける。

「沢渡さん」

その声に沢渡が振り向く。

「おお、杠葉か」

沢渡は、舞の後ろに勇がいるのに気づくと、大きくため息を吐いた。

「また・・・」

言いかけた沢渡を遮って、警視庁捜査一課の猪瀬勝之いのせかつゆきが現れて、勇に文句をつける。

「またか鴨志田!お前もう警察じゃないだろうが。だいたいなんでさあ、この街で事件が起きると、いつもお前が調べてるわけ?」

勇は獅央の依頼で捜査をしているが、そのことは口外するなと獅央から念押しされている舞は、猪瀬の疑問を打ち消そうとする。

「べつにいいじゃないですか。迷惑かけないよう、私から言っておきますから」

「俺はもう迷惑してんだよ!」

不満顔の猪瀬を無視した舞が、手帳とペンを取り出して猪瀬に質問した。

「で、被害者の名前は?」

「てめえで調べろ」

黙殺された猪瀬が舞を睨んでにべなく返した。そこへ、捜査一課の小野平太おのへいたがやってきた。

「被害者の名前は?」

舞が小野に近づき、同じ問いをすると、いきなりのことで一瞬驚いた小野だったが、舞の可愛らしい目で見つめられて、あっさりと答えた。

土屋徹つちやとおる、四十九歳、ここの外科部長だけど」

「ったく・・。あいつアイドル顔に弱いからなあ・・・」

猪瀬が片手で頭を抱え、呟いた。

「遺体が発見されたのは何時ですか?」

「朝の八時ごろ。なんか今日、ナースステーションで被害者の外科部長と看護部長が打ち合わせをする予定だったんだけど、時間になっても来ないんで、看護師のひとりがここに様子を見に行ったら遺体を見つけたって」

小野から話を聞いた舞は、沢渡の方を向いた。

「死因はなんです?」

舞が訊くと、沢渡が説明する。

「紐状の物で首を絞められたことによる窒息死だ。索条痕から見てロープだろうな。死亡推定時刻は昨日の二十一時から今日の深夜三時の間」

遺体の背中を、沢渡は指差した。

「あと、白衣の背中辺りになにかを押し付けた跡があった。気になって調べてみたら、右足の足紋が付着してた」

沢渡が今度はジェスチャーを交えて話す。

「多分、犯人は被害者の首を絞めるときに、こう、後ろから背中を片足で押さえながら、紐を思い切り引っ張って、絞殺したんじゃないかな」

「ってことは、犯人は裸足はだしだったってのかよ」

猪瀬が言うと、沢渡は首を傾げた。

「この部屋のゲソ痕を採取してみるけど、今んとこ、そう考えるべきかもねえ」

「なんで裸足だったのかわかんないけど、足紋は指紋と一緒だ。犯人がすぐ特定できるな」

「それなんですけど・・・」

息巻いている猪瀬に、小野が苦言を呈する。

「今、この部屋に通じる廊下の防犯カメラを確認しまして、死亡推定時刻の範囲内にひとり、廊下を歩いている女性が映ってたんです。その女性、裸足だったんですけど・・、あのー・・・」

「なに勿体ぶってんだよ」

言いづらそうにしている小野を、猪瀬が急き立てる。

「看護師の方に映像の女性を見てもらったら、すでに亡くなっている女性かもしれないと」

「はあ?」

小野がした返答は、猪瀬にはやや理解不能だった。しかし、事件現場に来てからひと言も発していなかった勇にとっては、非常に関心を惹く言葉だった。

「え!?死んだ人が歩いてたってこと・・・?」

舞も理解に苦しんでいると、勇が小野に申し入れた。

「その防犯カメラの映像、見せてもらえますか?」


 舞と勇、そして猪瀬と小野は、病院の警備室で防犯カメラの映像をチェックしていた。その防犯カメラは廊下と壁にアングルが向けられており、部長室までは見えなかった。映像には昨日の二十二時台、細身で明るい金髪のロングヘアーに、丈の長い青の病衣を身に着けた女らしき人物が、裸足でふらつきながら、ゆっくりと廊下を歩いている後ろ姿が映っていた。

「本来はこの時間帯、外科部長意外、人が全く通らないんですよ」

防犯カメラを操作している警備員が言った。

「確かに裸足だな」

猪瀬が画面に食い入る。

「ほかに防犯カメラはないんですか?」

舞が警備員に訊ねた。

「外科部長の部屋の周辺だと、今ご覧になっている廊下と、部屋のドア前にもう一台設置しているんですが、その一台は故障していまして、業者に頼んで修理してもらっているところです」

警備員の話を聞いて、猪瀬の目つきが変わった。

「その故障って、人為的に壊されたとかありませんか?」

猪瀬は想察したが、警備員は首を振った。

「いえ。業者さんが言うには、ケーブルが劣化していたそうです」

「犯人が壊したんじゃないのかあ・・・」

ごちた猪瀬が、警備員に続けて訊いた。

「部屋の先に非常階段のドアがありますよね。あれは誰でも出入りできるんですか?」

「通常は施錠されていますので、患者さんなど一般の方、勤務している医師や看護師の方は出入りできません。ですが、我々警備の者と病院の管理職に就いている方はカードキーを持っているので、カードリーダーにそれを差し込めば出入りすることはできます。ただ、そうした場合、こちらのパソコンに誰が出入りしたか履歴が残るようになっています。あと、無理に開けようとすれば警報装置が作動する仕組みになっていますが、昨日はそういったことはありませんでした」

「では、この時間に出入りした人間、わかりますか?」

「お待ちください」

警備員は傍らにあるパソコンのマウスを動かした。

「履歴にはその時間、外科部長のカードキーが使用されたと記録されています」

猪瀬が眉間に深いしわを寄せる。

「んー、たしかガイシャのカードキーは机に置いてあったな。ってことは、ガイシャ本人が出入りしたか、それとも犯人が一旦奪って出入りし、また戻したか・・・。どっちにしても、犯人は病院関係者の可能性が高いな。関係者なら防犯カメラが故障していることを知ってるだろうし、非常階段側からなら廊下のカメラに映らないことも知ってるはず」

何度もうなずいている猪瀬に向かって、勇が共感を示す。

「僕も同じ見解です。珍しく考えが一致しましたね」

「うっせえよ」

猪瀬が悪態をつくと、小野が防犯カメラに映り出された謎の人物を指して意見した。

「じゃあ、これはどう説明するんですか?」

「どっかの患者が迷い込んだんじゃないの」

ややいい加減に猪瀬が答えると、舞が圧をかける。

「犯人は裸足だったかもしれないんですよね。映像に映ってる人も裸足。なんか関係あるんじゃないんですか」

舞と小野の質問に次ぐ質問に、猪瀬はつい自棄的になって言った。

「あーっ!わかったよ。なら、その死んでるっていう女見てこようじゃないか。小野、案内しろ」

「はい。今看護師さん呼びますんで」


舞と小野が警備室を後にする。猪瀬もついて行こうとしたとき、後ろにいた勇に人差し指を突きつけた。

「お前は来るな。はっきり言って部外者だお前は」

「いえ、僕も行きます。猪瀬さんは僕をいないものと思ってください」

「なんだよそれ・・。来てもひと言だってしゃべるんじゃねえぞ」

「気をつけるようにします」

猪瀬は顔をしかめながら出て行った。勇はそんな猪瀬を見たあと、警備員にパソコンを指して、こっそりと訊いた。

「非常階段の出入りの履歴ですが、この二十二時ごろ、外科部長のカードキーは何回使用されましたか?」

「えー、二回ですね。部長室のある階と、その下の階でそれぞれ一回ずつ使用された記録があります」

警備員は、パソコン画面に表示された履歴表を確かめて答えた。

「そうですか・・・」

勇は頭の中で、バラバラになったパズルのピースをひとつずつ組み立てていた。

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