[5]

 勇は人差し指を田中の足元に向けた。

「あなたの右足に履いている靴のつま先、外底に近い部分に、血痕らしきものが付着しています」

田中が慌てた様子で足を上げて靴を見ると、勇が指摘した箇所に、雨粒のような丸く赤い点が染みついていた。勇がその過程を話す。

「そういった部分は普段見ませんからねえ。田中さんも今まで気づかなかったんでしょう。僕も最初は気づきませんでした。それに気づかせてくれたのは舞さんなんです。最初、この現場に入った際、聴取中に舞さんがペンを取り落とし、僕が拾いました。そのとき、田中さんの靴になにか赤いものが付着しているのが目に入りました。改めてよく見たところ、これは血ではないかと思いました。そこで個人的にではありますが、あなたに疑惑を持ちました」

勇は次に、二本の角材を指し示す。

「この角材に付着した血痕の線。猪瀬さんは被害者が倒れたときに触れたものだと言っていましたが、にしては上部に血は付着していません。もっと言えば、綺麗すぎるんです。そんなに都合よく血が付くものなのかと考えましたら、ひらめきました。この角材の上にもうひとつ別の物が置かれており、被害者はそのふたつの面に血を付着させたのではないかと。そして、この線ははっきり引かれています。つまり、力を込めて引いた可能性が高い。とすると、被害者は血でなにかを書いたのかもしれない。刺された人間が死ぬ間際に書き残すとすれば、刺した犯人の名前や特徴などを書くのが一番自然だろうと思い、文字、数字、記号、あらゆる観点から見た結果、カタカナではないかと。まあ、勝手に推察して、そのもうひとつの物があるのかないのか確かめるために、昨日、立ち番の岩井君に頼んで入れてもらい、工務店の内外を散策したところ、この一本を発見したという次第です」

「ほーら、やっぱりダイイングメッセージだったじゃないですかー」

舞は鬼の首を取ったように得意げな顔で猪瀬を見た。

「なに自分の手柄みたいに言ってんだよ!お前はただの思いつきだろうが!」

猪瀬が舞に怒鳴るが、舞はそれを受け流して田中に問う。

「スカルドックのメンバーが証言しました。長谷川さんが社内に金庫を置いていて、中に現金を入れているのを、被害者である谷山さんが目撃していること、そこにはもうひとり従業員がいたことも話していました。そのもうひとりって田中さんじゃないですか?」

田中の瞳が左右に揺れ動く。

「えっ、金庫?なにそれ、どういうこと?」

事情を知らない小野が当惑した。それは猪瀬も一緒だった。

「ああ、なんの話だよ」

舞に質す猪瀬の間に、勇が割り込む。

「舞さんよりも、後で長谷川さんに直接訊いてください」

そう言った勇は、自身の推論を述べた。

「おそらく経緯はこうでしょう。長谷川さんが金庫に現金を入れているのを、谷山さんと田中さんは偶然目の当たりにした。後日、かつての仲間に戻ってくるよう誘われていた谷山さんは、金庫の現金を窃取しないかと仲間に提案していた。田中さん、あなたはその会話を聞いて、先に自分が盗んでしまおうと考えた。そして、長谷川さんが鍵をまとめてキーケースに取り付け、机の上に置いてあるのを知っていたあなたは、その中に金庫へ通じる鍵があると踏んで、長谷川さんがいない隙にキーケースを奪った。しかし、金庫が保管してあるキャビネットの鍵がどれかわからなかったあなたは、キーケースの鍵全部の合鍵を作り、翌日、また長谷川さんの机に戻した。そして事件当日の夜、あなたが金庫を盗もうとした矢先、突然谷山さんが現れた。鍵を取り上げられた挙句、福間さんからかかってきたスマホに谷山さんが出たのを見たあなたは、警察に通報されるのを恐れて咄嗟に逃げた。だが、谷山さんに追いつかれたあなたは揉み合いになった末、持っていた刃物で谷山さんを刺してしまった」

田中の顔から汗が滲みだす。勇が続けた。

「刃物を抜いたあと、返り血を避けたつもりだったのでしょうが、靴には付いてしまった。半ば気が動転したあなたは、谷山さんのスマホを持ち去ってその場を離れ、福間さんに谷山さんを装ってメッセージを送り、やり過ごすことにした。死亡推定時刻と遺体発見時刻を勘案すると、明け方になって冷静になったあなたは、鍵を取り返し損ねたことを思い出し、急いでこの現場に戻ってきたのかもしれません。すると、角材に自分の名前が書かれていたことに気づき、鍵よりも先にその角材をなんとかしようと考え、まず二本のうちの一本を運び出し、差し当たり裏の廃材置き場に捨てた。もう一本を運ぼうとしたところで、警ら中の巡査が遺体を発見した。見つかってはいけないと思ったあなたは、仕方なくそのまま裏から逃げたのでしょう。その後のあなたは落ち着かなかったはずです。角材を廃棄しようにも、警察が介入したこの状況では難しい。そこであなたは、半グレの犯行だと仄めかし、そちらに捜査の目を向けさせたうえで、廃棄する機会を窺っていた。いかがでしょう、大雑把に総括してみたのですが、間違っているのならば指摘してください」

一気に披瀝された勇の推理に、田中は黙ったままうつむいている。

「殺人は計画的ではないでしょうから、警察があなたを徹底的に調べれば、証拠も自ずと出てくるはずです」

勇が天井を見上げて告げた。

「田中・・、お前・・・」

長谷川が愕然の声を漏らした。福間と多江も驚嘆した表情になっている。

「そうですよ。俺です」

田中が素っ気なく自白すると、話し出した。

「あの人の言ったとおりです。金庫ごと盗もうと思って事務所入ったら、後ろに谷山がいて、鍵取られたあと、スマホ出したんで、チクられると思って逃げたんです。あいつにナイフ向けたら、キレて襲って来たんで怖くなって。殺すつもりなんてなかった」

「ガイシャのスマホは今、お前が持ってんのか?」

猪瀬が訊くと、田中はうなずいた。

「ロックがかかってなかったんで、福間さんにメッセージ送ってから電源切って、それで、どこに捨てるか困ったんで、自宅に置きっぱなしになってます」

田中はそう供述すると、長谷川を睨んだ。

「そもそもあんたが悪いんだぞ。あんたが会社に金置いてなきゃ、俺だってこんなこと考えなかったんだよ」

長谷川をなじる田中に、舞が一歩踏み出した。

「自分を正当化してんじゃないわよ!悪いのはあなたでしょ。人ひとり殺して、それ隠してずっと黙ってて、そんな人間が粋がった口叩かないで!」

舞の発した一喝に、田中はなにも言い返せなかった。

「あとは署で訊く。来い」

猪瀬が田中に言った。暗い面持ちの田中は、猪瀬と小野に連れられ、作業場の外へ出て行った。


 翌日、羽華警察署の署長室に舞が立っていた。正面には、舞を呼びつけた獅央が自席に座っている。

「取り調べによると、田中という男はギャンブル癖があってね。多額の借金があったと確認された。その返済のために盗みを働こうとしていたと報告が来てる」

獅央が言うと、舞がうなずいた。

「知ってます。私、取り調べ見てましたから」

「ああ・・、そうなの・・・。にしても、殺人事件の犯人特定に、半グレグループの摘発、お手柄だったね。杠葉君」

「はい?」

舞が訊き返す。

「鴨志田から聞いたよ。ふたつともきみが捜査した成果だろ」

「いやそれ、ほとんど鴨志田さんですよ」

否定する舞に、獅央が指を組み、知り顔で大きくうなずいた。

「わかってる。でも、鴨志田が全部杠葉君のやったことにしてくれと伝えてきたよ」

「え、でも・・、いいんですか?」

「前にも言っただろう。鴨志田にとって手柄は二の次、いや、三の次か、今の彼は、小説のことで頭がいっぱいのようだ。それに、きみを一課に異動させたい気持ちもあるんだろう」

舞が呆然として呟く。

「あの人、小説の構想練りながら事件解決してるの?」


 覆面パトカーを降りた舞は、勇が手伝いをしている写真館<ハイカラ>を訪れた。

「舞さん、今日はどうしました?」

勇が舞に気づいて歩み寄る。

「これ、返そうと思って」

舞は以前、勇から借りた万年筆を手渡した。

「そのためにわざわざ?」

「というか、署に戻るついでに」

苦笑する舞を、勇は微笑みで返して言った。

「舞さんにひとつお知らせしたいことがありまして。僕が小説サイトに投稿した作品を読んでくれた人がひとりいたんです。今まで誰も読んでくれなかったので、あの<PV1>という文字を見たときは感激しました」

「あ、それ多分、私です」

「え?」

舞の言葉に、勇がポカンとフリーズした。

「署長が、鴨志田さんネットで小説書いてるって聞いたんで、前にもらった小説を元に検索したら、『カクヨム』ってサイトに同じものを載せてることがわかったんで、好奇心からチラッと」

「あー・・、そうですか・・・。で、どうでした?僕の小説、読んでみた感想は?」

勇が目を輝かせて舞に訊ねた。

「正直に言った方がいいんですよね」

舞が低姿勢になり、上目遣いで勇を見た。

「ええ。正直な感想をお願いします」

「わかりました」

自信ありげな勇に、舞は姿勢を正して、その感想を述べる。

「設定はおもしろいと思いました。えーと、江戸川乱歩でしたっけ?そんな感じで。でも、妙に違和感がありました。あれ、現代劇ですよね。なのに、昭和のモノクロドラマっぽい台詞が多いんですよ。今時の小学生が『やめたまえ』なんて言葉使いませんし、一列に歩きながら童謡を歌うってのもどうなのかなーって。それに、主人公たちが着ている服の描写もなんかダサいし。いっそのこと現代劇じゃなくて、レトロ小説みたいな作品にしたら、しっくりくるんですけどねー」

手厳しい舞の批評を受けた勇は、やや滅入った様子で肩を落とした。

「あと、快男児ってなんですか?」

舞が質問したとき、写真館の奥から、館主である黒木の声がした。

「おーい、鴨ちゃん。あれ、鴨ちゃん?」

その呼び声に応じず、写真館の入り口で沈んでいる勇の姿に、舞はもう少し言葉を選ぶべきだったと自省していた。

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