[3]

 ビルから数十メートル離れた並木道を走っている野村の後ろを、猛追する舞の足がじりじりと迫ってくる。そして、野村のすぐ隣まで近づいた舞は、体当たりして野村を突き飛ばした。歩道に倒れた野村を、舞が瞬時に組み伏せた。

「なんで逃げたの!」

激しく問いただす舞に、野村は口をつぐんでいる。

「所持品検査させてもらうわよ」

舞が野村の身体を検めると、ジャージパンツのポケットから、ビニールの小袋に入った白い粉が出てきた。

「これなに?まさか覚せい剤?」

その小袋を野村の顔の前に掲げて舞が訊いた。

「小麦粉だよ!」

野村は言い訳にならない返答をした。

「なにバレバレの嘘ついてんの!調べたらすぐにわかんのよ。それにあの部屋、スカルドックが使ってる部屋でしょ。それも調べればはっきりするわよ」

舞が詰問しているところへ、ようやく勇がゼエゼエ息を切らしながら追いついた。

「舞さん・・、走るの・・、早いですね・・・」

勇は手を膝に置き、前屈みになりながら言った。舞が振り向いて答える。

「学生時代、陸上部だったんで、足には自信があるんです。それにしても鴨志田さん、この距離で疲れるなんて、どんだけ体力ないんですか」

「運動は・・、苦手なんです・・。特に走るのは・・、ずっと避けてました・・。こんなに走ったのは・・、警察学校以来です・・・」

深呼吸して息を整えた勇は、野村の傍らにしゃがみ込み、首に入ったタトゥーに視線を向けた。

「あなた、スカルドックのメンバーですね」

勇が言った。

「こいつ、覚せい剤らしき物を持ってました。それと、あの部屋に詐欺に関係するような物もありました」

舞はビニールの小袋を勇に見せた。

「確かに、覚せい剤のようですねえ」

勇は中身の白い粉を凝視したあと、野村に訊ねた。

「谷山亮という男性をご存じですか?」

舞が野村に詰め寄る。

「どうなの!知ってるの!」

野村は黙している。この男は被害者と面識があると悟った勇が、交換条件を提示する。

「わかりました。では、こうしましょう。谷山さんのことを話してくだされば、あなたのことは不問にします。要はお咎めなし、ということです」

勇の提案に、舞は耳を疑った。

「なに言ってるんですか!?ダメでしょ」

舞の異議を、勇は片手で遮った。

「いかがです?」

微笑む勇に、野村はついに口を開いた。

「俺が谷山に、また戻って来ないかって話してたときにあいつが・・、あいつから持ちかけてきたんだよ。会社にある金、盗まないかって・・・」

「会社って、長谷川工務店のこと?」

舞が問うと、野村はうなずいた。

「でも、あそこに現金はないはずよ。社長が証言してたわ」

想起した舞に、首を振った野村が答えた。

「谷山が言ってたんだよ。その社長が大金を金庫に入れて保管してるのを見たって。もうひとりと一緒に見たから、証人もいるって」

「もうひとり?誰なの」

舞がさらに問い詰めると、野村はまた首を振った。

「知らない。詳しくは訊かなかった」

そこで勇が立ち上がった。

「なるほど。だから長谷川さんは“あれ”を身に着けていたんですねぇ」

妙に納得顔の勇を、舞は懐疑的な目で見た。

「あなた、お名前は?」

勇が野村に訊いた。

「野村・・だけど・・・」

人差し指を立てた勇が言い放つ。

「野村さん、僕は嘘をつきました。これから、あなたを警察へ連行します」

勇の言葉に、野村は声を荒げた。

「てめえ!騙したのか!」

暴れようとする野村を、舞が必死で抑え込む。

「犯罪容疑のある人間を見逃すほど、僕は寛容ではありません」

手を後ろに組んだ勇が当然だという風に言うと、舞に申し入れる。

「舞さん、舞さんは彼を署に連行してください。僕は獅央さんに連絡して、あの部屋の家宅捜索を依頼します」

「わかりました」

了解した舞が、腰のベルトに付けたケースから手錠を取り出す。

「とりあえず、公務執行妨害ってことで」

舞は野村に手錠をかけた。


 舞は羽華警察署の取調室で、野村の取り調べを行っていた。

「昨日の夜八時から十一時まで、あなたなにしてた?」

「なんでそんなこと訊くんだよ?」

野村は舞に目を合わせず、ふてぶてしい態度をとっている。

「言いなさい!」

その態度がしゃくに障ったのか、舞が机を平手でバンと叩いた。

「雀荘だよ。店員もほかの客も顔見知りだから調べてみたら?」

姿勢を崩さず野村は答えると、舞の方を見た。

「なんかあったの?」

舞が感情を抑えて言った。

「昨日、谷山が殺された。あんた、なんか知ってんじゃないの」

野村はやや驚いた表情をした。

「えっ、俺はなにも知らねえよ!あいつとは度々会ってたけどさ、俺は殺してねえぞ」

「ほんとかー。それ?」

机に身を乗り出した舞の疑心に満ちた表情に、野村は今までの態勢とは一転、たじろいだ。

「ほんとだよ!俺はやってねえって!」


 翌日、舞は勇の呼び出しで、覆面パトカーに乗って長谷川工務店の前に来た。作業場の出入り口にはバリケードテープが張られている。立ち番をしている制服の警察官に、なにやら礼を述べている勇に、車を降りた舞は声をかけた。

「鴨志田さん。電話でも話しましたけど、長谷川さんに例の金庫の件、訊きに行くんですよね?」

舞が勇に訊ねた。

「それもありますが、ほかにもいくつかお話を伺いたいと思いまして」

「ほかにも?」

「僕ひとりより、刑事である舞さんが一緒の方が、話がスムーズに進むのかな、と」

勇の曖昧な返答に、舞は怪訝な顔色を見せた。

「野村さんはその後、どうなりました?」

次に勇が舞に訊いた。

「はい。あれから私、野村が犯人じゃないかと思って調べたんですけど、しっかりしたアリバイがありました。あと、あいつが昨日持ってたの、やっぱり覚せい剤でした。なので、ひとまず野村はそれで立件することになりました」

舞が報告すると、勇も一報を知らせる。

「僕も獅央さんにあの部屋のことを連絡して、昨日、本庁の捜査員が捜索したところ、詐欺や恐喝に利用するための物証が数多く押収されました。これでスカルドックが崩壊する日も近いでしょう」

勇が言い切ると、舞が問うた。

「猪瀬さんたちの方は?」

「獅央さんの話によれば、犯人と疑われるメンバーが多すぎて、その裏付け捜査に苦労しているようです」

舞は思い出したように、ひとつ付け加えた。

「あっ、そういえば現場に被害者のスマホなかったじゃないですか。今日、猪瀬さんたちが被害者の自宅を捜索したらしいんですけど、スマホは見つからなかったって聞いてます。やっぱり猪瀬さんが言ったとおり、犯人が持ち去ったんじゃないですかね」

「おそらく、そのとおりでしょう」

勇が工務店の建物を見上げる。

「事務所はこの二階です。行きましょう」

立ち番をしている警察官に近づいた勇が話しかける。

岩井いわい君、また入ってもいいですか?」

「どうぞ」

その警察官、岩井がバリケードテープを上げた。勇が建物内へと入っていく。

「鴨志田さん、知ってるんですか?」

すんなり勇を通した岩井が気になった舞は、勇の背中を指差して質問した。

「はい!昔、お世話になったので」

舞よりも一回り年上といった岩井は、快活に返答した。それを聞いて、勇という男は一体どういう人物なのか、霧に包まれたような不明瞭さを感じた舞は、後をついて行った。


 工務店の事務所で、舞と勇はソファに座り、長谷川と対面していた。室内にほかの従業員は誰もおらず、静かな空間になっていた。

「お話というのは?」

長谷川が開口一番訊ねた。

「実は・・・」

舞が話そうとするのを、勇が遮った。

「長谷川さんの腕時計を見せていただきたくて」

「時計・・ですか」

勇の突飛な要望に長谷川の目が点になった。

「え・・?ちょっと・・・」

舞も勇のいきなりの発言に戸惑った。

「こちらですけど」

長谷川は腕を伸ばして、勇に時計を見せた。

「やはり。僕の思っていたとおりです」

勇は腕時計を眺めて呟き、舞に説明するように言った。

「以前、テレビで紹介されていました。この腕時計は高級ブランドで、今年製造された最新モデルです。定価はたしか、三百万円はする品ですよ」

「三百!?」

舞は驚きの声を上げた。勇が加えて続ける。

「最初にお会いしたときにそれを見て、少し気になりました。三年前から経営状態が悪く、従業員の生活も困窮しているとおっしゃっていた割には、最新式の高級時計を腕に巻いてらっしゃる長谷川さんが」

長谷川は不機嫌そうに腕を引っ込めると、隠すように腕時計を片手で覆った。

「これは・・、貯金して買った物です。変な詮索しないでください」

勇が長谷川に告げる。

「長谷川さん、ひとつご報告することがあります。誠に勝手ながら、知人を通じて管轄する税務署にこちらの税務調査をお願いしました」

「税務署・・・」

その言葉を聞いて、長谷川が動揺し始めた。

「なにやってるんですか鴨志田さん!ほんとに勝手ですよ!税務調査なんて・・・」

勇を叱り飛ばそうとした舞がハッと、勇の言わんとするところに気がついて、長谷川の顔を見た。

「長谷川さん、もしかして脱税・・してるんですか?」

一旦は黙っていた長谷川だったが、訝しむ女刑事の視線に耐えられなくなり、両手を膝に置き、深々と頭を下げた。

「すみません!悪気はなくて、万が一のために家族や社員に少しでも残してあげたいと思ってやったんです。私的に使ったのはこの時計だけです。申告しなかった分は今後きちんと納めます。本当に申し訳ありません」

「それは税務署の方々に言ってください。僕たちは責めに来たのではありません」

冷淡に勇は返した。

「舞さん、つい話の腰を折ってしまいました。どうぞ」

勇が長谷川を手のひらで指す。

「あっ・・、はい」

長谷川の内情を知った舞は本題に入った。

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