STORY 2

[1]

 羽華はばな警察署の刑事、杠葉舞ゆずりはまいは、友人の果穂かほに誘われ、羽華町はばなちょうで人気のあるオープンテラス・レストランで出勤前の朝食をっていた。

「私の彼氏、俊也しゅんやって言うんだけど、写真撮るときバカ顔するんだよねー」

果穂が両手で頬杖をついた。

「バカ顔?」

一見すると刑事とは思えない、学生風なカジュアルスタイルの舞は聞き返し、紅茶を一口含んだ。

「これ見て」

果穂がトートバッグからスマートフォンを取り出し、写真を表示させて舞に見せた。笑顔でピースサインをする果穂の隣で、アニメのポスターを掲げた俊也の姿が写っている。白目を剥き、舌を横に突き出して笑うその顔は、まるで気が狂っているかのようだった。

「いっつもよ!いっつも写真撮るときこの顔すんの」

「ほんとだ。なんで?」

舞にとってはどうでもいいことだったが、何気なく訊いた。

「『これが俺のキメ顔なんだ』って。元々イケメンなんだから、それらしい顔すればいいのに。これじゃ私までバカに見えちゃう。あー、別れちゃおっかなー・・・」

愚痴をこぼす果穂を、舞は軽く煽った。

「おー、別れろ、別れろ」

そのとき、舞のスマートフォンが振動音を鳴らす。着信画面を見ると、舞の上司からだった。

「杠葉です。・・はい、・・はい、わかりました。すぐ向かいます」

電話を切った舞が果穂に言った。

「果穂ごめん。仕事」

「なに?事件?」

「そう」

舞はせわしく財布から二枚の千円札を出してテーブルの上に置くと、席を立ってリュックを背負った。

「お釣りはあげる」

そうひと言言い置いた舞は、食べかけのクロワッサンを手に取り、背を向けて走っていった。

「頑張ってねー」

去っていく舞の後ろ姿を見つめながら、果穂はエールを送った。


 タクシーで現場に到着した舞の目の前に、丸渕の眼鏡をかけて、ダブルスーツに身を固め、手を後ろに組んだ男が立っていた。元警察官で、今は売れない小説家をしている鴨志田勇かもしだいさむだった。

「鴨志田さん!?なんでここに」

勇は、訊いてきた舞をチラと見て、すぐに正面を向くと答えた。

「署長の獅央しおうさんから捜査協力を依頼されました。舞さんこそ、また獅央さんから指示を受けたのではないのですか?」

「いや、私はウチの係長から連絡もらって来ました」

「確かに、管轄内ですもんねえ。それが通常です」

舞は現場となった建物を見た。<長谷川はせがわ工務店>と看板が掲げられた小さな建設会社だった。開けられたシャッターの奥は作業場になっており、鑑識員がその内外を行き来している。舞がそれを眺めていると、勇がひとつ頼み事をした。

「舞さん、鑑識作業はもう少しかかりそうです。その間、あの方に事情聴取をお願いできますか?」

勇が制服を着た警察官を手のひらで指した。

「事件の第一発見者です。僕は民間人なので気安く聴取はできません。ですので」

「言われなくてもやりますよ」

舞はそそくさと勇の後ろを通り過ぎて、第一発見者である警察官のもとへ向かった。


 舞が警察手帳を示すと、羽華町の交番に勤務するおかという巡査は敬礼をした。舞は手帳を取り出し、事情聴取を行った。今朝の四時ごろ、定期の警ら中に工務店のシャッターが半開きになっており、中から明かりが漏れているのを見かけたという。営業時間前で普段は照明も暗くシャッターも閉められているので、不審に思った岡が中を覗くと、うつ伏せに倒れている男を発見。近づいてみると、腹から血を流し、すでに死亡していたため本部に通報した、と岡は証言した。


 聴取を終えた舞に勇が訊いた。

「彼はなんて?」

舞は勇に岡の証言内容を伝えた。勇が二、三度うなずいていると、そこへ警視庁捜査一課の猪瀬勝之いのせかつゆきが現れた。

「鴨志田!?なんでお前がここにいんだよ」

猪瀬は舞と同じことを言った。勇はその問いかけを聞き流して、作業場内へと入っていった。

「おい!シカトすんな!」

怒声を飛ばした猪瀬が勇について行く。舞もその後を追った。


 しゃがんで遺体を検めている鑑識員の背中に勇が声をかけた。

「鑑識作業はお済みでしょうか?」

白い無精ひげに肥満体のその鑑識員、羽華警察署刑事課鑑識係の沢渡泰三さわたりたいぞうは、振り向いて勇を見ると、あからさまに嫌な顔をした。

「鴨志田、またあんたか。なに?」

沢渡の鬱陶うっとうしそうな態度を気にも留めず、勇は訊ねた。

「死因はなんですか?それと、これは自他殺のどちらでしょうか?」

「ったく・・・」

ため息を吐いた沢渡は立ち上がり、腰に手を当て説明した。

「死因は鋭利な刃物で腹部を刺したことによる失血死だ。相当深く刺したんだろう、返り血が地面に数滴付着してる。刺した刃物が見当たらないから、こりゃ他殺の線が濃厚だな。着衣が乱れてるのを見ると、犯人と揉み合ったんじゃないか。で、死亡推定時刻は遺体の状態から、昨日の二十時から今日の深夜二時の間ってとこか。それと被害者の所持品なんだが、スマホがなかったぞ」

舞と勇、猪瀬の三人が横たわる遺体を眺め回す。その遺体は作業着ではなく、普段着と思われる服装をしていた。全体的に乱雑で、羽織っているミリタリーシャツの右肩辺りがはだけて、下に着ているTシャツが露わになっている。腹からは血だまりが出来ており、両手も血で赤く染まっていたが、左手は拳を作っていた。ほかにカーゴパンツの左ポケットにも血が付着している。遺体の周辺は、沢渡の言うとおり血痕が飛散していた。

「この手、なにか握っているように見えるのですが」

遺体の左手を勇が指した。沢渡がしゃがみ込み、硬直した遺体の指を慎重にはがして開いた。すると、その中から金属製のリングに通された鍵の束が出てきた。

「なんの鍵でしょう」

勇は呟いたあと、ふと遺体の横に、柱や梁に使われるのであろう角材が置いてあるのに目が留まった。

「あれも被害者の血痕ですか?」

その角材を勇が指差した。角材にはまばらで長さも均等ではないが、横並びに四つの赤い縦線が引いてあった。

「多分そうだろうな」

沢渡が答えた。勇は角材をあらゆる方面から見回していると、舞がピカンと思い浮かんだ。

「もしかしてこれ、ダイイングメッセージじゃないですか?」

舞が突如発した見解に、猪瀬が異論を述べる。

「ダイイングメッセージ?杠葉、お前、刑事ドラマに憧れて警察入ったクチだろ。これのどこがダイイングメッセージなんだよ!ただの線じゃねえか!ガイシャが倒れたときにでも触ったんだろ」

猪瀬が意見していると、捜査一課の小野平太おのへいたが四人の男女を連れてやって来た。

「遺体の身元がわかりました。名前は谷山亮たにやまりょう、二十五歳、独身。この工務店の従業員です」

小野は報告したあと、控えていた四人の男女を引き合わせる。

「事件当日に勤務していたのはこの方々です。工務店社長の長谷川耕助こうすけさん、従業員の田中暁斗たなかあきとさん、同じく従業員の福間忠義ふくまただよしさん、そして事務の東多江あずまたえさんです」

社員たちは名前を呼ばれた順に一礼をした。猪瀬が早速、聴取を始める。

「昨日ここを閉めたのは何時ごろですか?」

ワイシャツとネクタイの上に、社名の入った作業着を羽織った五十代半ばの長谷川が、作業着を着た中年太りが著しい福間に訊いた。

「たしか、最後まで残ってたのは福間と谷山だったよな」

「はい、そうです。残業したんで、夜の七時半ごろだったと思います。それからなんすけど・・・」

そこで福間が猪瀬らにある証言をした。

「作業場閉めて、谷山とラーメン食いに行こうってことになったんすけど、店に行く途中で谷山が忘れ物したって戻っていったんすよ。で、ラーメン屋で待ってたんすけど、なかなか来なくて、谷村に連絡したんすよ。電話には出たんすけど、ドカッて音と谷村の『逃げるな』って声がしてすぐに電話が切れちゃって。そのあとかけても繋がらないし、あいつにメッセージ送ったんすよ。数分経ってからかなあ、≪急用ができたから来れない≫ってメッセージが返って来て、だから仕方なくひとりでラーメン食ってました」

猪瀬が思案顔になる。

「となると、鑑識の見立てどおり他殺の線か・・。メッセージは犯人がガイシャのスマホを持ち去り送ったとして・・、空き巣かもしれないなあ・・。長谷川さん、ここに多額の現金や金目になるような物は置いていますか?」

長谷川は首を振って答えた。

「いえ、現金は置いていません。金目といったら、ここにある金属資材が、売ればお金になると聞きましたが、確認したところ盗まれてはいませんでしたし、ほかにも盗まれたものはありません」

「そうですか・・、空き巣じゃねえのかあ・・・?」

一旦視線を下げた猪瀬だったが、また正面に戻した。

「これは手続き上の質問なんですが、因みに皆さん、昨日の夜八時から十一時ごろまではどこにおられましたか?」

猪瀬は四人のアリバイを訊いた。

「俺は家にひとりでいました」

まだ二十代といった田中が答えると、赤い渕の眼鏡をかけた熟年の多江が小さく手を上げた。

「私も家にいました。夫とふたりで」

「俺はラーメン食ったあとは、そのまま家に帰りましたよ」

福間が言うと、長谷川が続いた。

「私は自宅で家族と一緒にいました」

そのやり取りを傍らで聞きながら、勇は手を後ろに組み、角材の周りを一周したあと、上体を右横に傾けて、角材に付着した血痕の線を見つめていた。

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