[6]
笹井邸に数台のパトカーが停まり、鑑識の手が入る。猪瀬と小野に付き添われた笹井は覆面パトカーに乗った。その様子を舞と勇が見ていると、猪瀬が振り返って勇に近寄り言った。
「できれば、お前の顔なんて見たくないんだ。もう俺のこと呼ぶなよ!」
「呼んだのは獅央さんですよ。僕は捜査一課の刑事をと頼んだだけで、名指ししていません」
反論した勇は、猪瀬に訊いた。
「猪瀬さん、まだ巡査部長ですか?」
「だったらなんだよ」
勇が注意するかのような口を開く。
「在職中、僕の方が階級はひとつ上でした。以前から思っていましたが、退官したとはいえ、そういう態度はやめてください」
「はいはい。元警部補殿」
猪瀬は軽くあしらって、勇を指差した。
「でも俺はやめないぞ!お前が警察官だったのは昔の話だ。今はただの民間人なんだから、な!」
語尾を強調した猪瀬は、覆面パトカーに乗り込み走り去っていった。手を後ろに組んで見送った勇に、舞が気になっていたことを訊ねた。
「鴨志田さん、さっきの話からすると、この家に最初来たときから、笹井さんの犯行だってこと、気づいてたんですか。あのときいなかったのも、なにか証拠を探すために?」
「いえ、あれは著名人のお宅に入るのが初めてでしたので、どんなものだろうと見学して回っていただけです」
「なーんだ」
どこか拍子抜けした舞に、勇が話を追加した。
「ですが、事件性を疑うきっかけにもなりました。獅央さんから概略を聞かされたときに思いました。もし外部の犯行なら笹井さんがそう証言されていたでしょう。しかし現着した警察官には、隣人はぬいぐるみを見ただけとおっしゃった。そこで、ひとつ仮説を立ててみました。お隣の山本さんが見たのが本当に遺体だとしたら、笹井さんのした返答は不審です。そしてなにより遺体はどこへ消えたのか、そう考えつつ、この邸内や敷地を拝見していましたら、妙に気にかかる点がいくつかありましたので、もしやと頭をよぎって、笹井さんに疑惑の目が向いた。という次第です」
「だったら、なんで早くそう言ってくれなかったんですかー」
舞は不満そうに地団太を踏んだ。
「だから仮説、あのときは僕の推測でしかなかったんですから」
さらに舞が言い寄る。
「あの隠し部屋も最初から見つけてたんでしょ。だったら、わざわざ担当者から間取り図手に入れる必要なかったんじゃないですか。あれ昨日、鴨志田さんが頼んだことですよ」
勇は極めて私的な理屈を述べた。
「間取り図に関しては、舞さんにもあの部屋の存在に気づいてほしかった。僕が言うより、自身で気がついた方が舞さんにとって価値が大きいと思いまして。ただ、それだけです。さあ、鑑識作業の邪魔になってしまいます。僕たちは一旦失礼しましょう。えーと、舞さんの車は・・・」
歩き始めた勇のすぐ脇を、舞は未だ納得できないといった表情で追い越した。
翌日、朝を過ぎた頃に、獅央から呼び出しを受けた舞は、羽華警察署の署長室にいた。
「えっ!?私の手柄でいいんですか?事件解決したの鴨志田さんですよ」
舞が驚きの声を上げた。
「鴨志田がそうしてくれと言ってきた。まあ、彼は前から手柄に興味はないからね。興味があるのは事件の方だ」
獅央がブラッシングした制服の上着をハンガーにかけながら言った。
「いいのかな・・・」
舞が呟いた。
「笹井宅の裏庭から遺体が見つかったと報告が来た。本人も素直に取り調べに応じているらしい。いずれにしても、事件性がないと思われた事件を解決できたんだ。よかったじゃないか」
獅央が椅子に腰掛けると、舞がひとつ質問した。
「そもそもなんですけど、署長と鴨志田さんて、どんな関係なんですか?」
「当時、本庁の捜査一課で上司の部下の関係だった」
舞が続けて問う。
「じゃあ、鴨志田さんって捜査一課にいた頃は、どんな刑事だったんですか?頭の回転速そうだし、きっと優秀な刑事だったんでしょうねー」
「刑事?鴨志田は刑事じゃないぞ」
「はい?」
舞が聞き返す。獅央は予想外の答えを発した。
「確かに捜査一課所属だったが、正確には強行犯捜査第一係、つまり庶務係だ」
「庶務!?」
目を大きく開いた舞に、獅央が説明を加える。
「今言っただろ、鴨志田は事件に興味があるって。彼はな、庶務係なのに自分の関心を惹く事件を聞きつけると、本来の業務をほったらかして勝手に捜査し出すんだよ。しかも短期間で事件を解決しちまう。おかげで担当してる本庁や所轄の強行犯係の連中は面目が立たないで苛立ってたよ。昨日、猪瀬君に会っただろ?彼が一番の被害者かもな。でだ、鴨志田に言ったんだよ。そんなに捜査したいなら、その手の係に回してやろうかって。だけど彼は断った。鴨志田曰く、『興味本位でやってるだけですので、ご了承ください。ご迷惑でしたら、すみません』だと。猪瀬君が聞いたらキレるだろうなあ」
「そんな事情が・・・」
舞は二度うなずくと、獅央が両手をパンと叩いた。
「あっ、そうだった。なぜきみを鴨志田のバックアップに指名したか、理由を話してなかったね。あれはね、きみのお母さん、
「お母さんが?なんで署長が母の名前を?」
問う舞に、獅央は過去に浸るような笑みを浮かべた。
「喜子さんとは同郷の幼なじみでね。活発で、正義感があって、特筆すべきは、人を支える心を持っている面があるところだな。彼女は元気にしてるかい?」
「はい。今は普通の専業主婦ですけど」
獅央が理由を明かす。
「あの喜子さんの娘がきみだとわかってね。要はそんな彼女の血を継いだきみだからこそ、あの鴨志田の支えになってくれるのではないかと思ったんだよ。急にこんなお願いをされて、きみも困惑しただろう。すまなかったね」
頭を下げた獅央に、舞は慌てた声を出した。
「そんな・・、謝らなくていいですよ。私なんかに署長が直々に命じてくださっただけでも光栄に思ってるんですから」
獅央が頭を上げると、舞は背筋を伸ばした。
「捜査一課でも精一杯頑張ります!」
宣誓した舞に対して、獅央が手のひらを前に出した。
「ちょっと待て、まだ異動させるとは言ってないぞ」
「え?だって事件も解決しましたし、異動・・、じゃ、ないんですか・・・?」
舞が自分の顔を指差す。獅央は口を真一文字に結んで首を振ると答えた。
「最初に言ったな、鴨志田のお眼鏡にかなえばと。さっき彼にきみのことを訊いたよ。そしたら、『刑事としての素質はあるが、まだ経験が浅すぎる』と言っていた。それにまだ一件だけだろう。それだけで一課に移れるほど、あそこは甘くない」
「確かに刑事になってまだ一年ですけど・・・」
肩を落とす舞に、指を組んだ獅央が告げる。
「と、いうことで、鴨志田の言うとおりにしよう。つまりはだ、今後しばらく、彼と共に羽華町で起きる事件を捜査してくれ。それで経験を積めば、鴨志田の方から、一課長にきみを推奨するよう、私に打診してくるだろう。きみのことだ、そう遠くはない」
「・・・わかりました」
舞はまだ気落ちしていた。
「頼むぞ!杠葉君!」
獅央の大きな声が室内に響いた。
同時刻、勇は自分の部屋で、壁を仕切っていたカーテンを開けた。その壁には、新聞の切り抜きや写真、警察調書などが無数に貼られていた。新聞には、≪嵐の中、パトカー横転≫、≪車体が爆発炎上≫、≪一名死亡、一名重体≫と見出しや記事が載せられている。勇はそれらを眺めながら黙考していた。
正午を回り、舞が写真館に入ってくると、館内を掃除していた勇が気づいて話しかけた。
「舞さん、今日はどうしました?」
「近くまで来たんで寄ったんです。鴨志田さん、私に花を持たせてくれたことは嬉しく思います。でも、署長に言ったんですってね。私の経験が浅いって」
「ええ、そう伝えました」
勇が認めると、舞は開き直った。
「浅いですよ。ええ、浅いですよ。刑事になったばかりですから。だけど、警察官としての熱意と根性は誰にも負けません。一課でもそれが十分に発揮できます!」
強く意見を主張する舞に、勇はモップを両手に持ったまま冷静に返した。
「熱意と根性は大事です。しかし、それだけでは事件に対応できません。刑事として経験を重ねれば、その分知識を得られますし、相手、特に犯罪者の心理や行動が把握できます。舞さんにはそれがまだ足りないんです」
勇の言ったことはもっともだが、どこか承服しかねる舞が訊いた。
「署長に聞きました。鴨志田さん、刑事じゃなかったんですよね」
軽く勇はうなずいた。
「はい。刑事経験はありません」
今度は舞が言い返した。
「なのになんで、そんな玄人みたいに話すんですか。ちょっとイラっときます」
勇は首を傾げた。
「んー、玄がったつもりはないのですが、僕はただ、自分の考えを素直に言っただけですよ」
淡白な勇の態度に、舞はわずらわしい気を静めようと、一呼吸置いた。
「私は署に戻ります。ちょっと鴨志田さんにひと言言いたかっただけですから」
「大分しゃべってましたけどねえ・・。あっ、そうでした。舞さんに渡したい物があったんです。しばしお待ちを」
勇はモップを置いて、階段を上ると、またすぐに戻ってきた。そして、舞の前に単行本を差し出した。
「僕が自費出版した小説です。ぜひ一読して、感想を聞かせてください」
舞が単行本を受け取る。表紙には≪東京少年探偵団≫とタイトルが記載されていた。
「まあ、暇なときにでも読んでみますよ」
答えた舞に、勇は腰を折った。
「よろしくお願いします」
そのとき、奥から黒木の呼ぶ声がした。
「おーい、鴨ちゃん」
勇の仕事の妨げになると悟った舞が言った。
「それじゃ、私はこれで」
柔らかな顔になった舞は、勇に一礼すると、踵を返して写真館を出て行く。
「感想、待ってますよ!」
勇は両手でメガフォンを作って声を張り上げた。
羽華町の商店街を歩く舞は、手に持った単行本を見て呟いた。
「探偵団ねえ・・・」
いつもと変わらぬ日常の雑踏音が、舞の耳にはなぜだか、和みのあるものに聞こえていたのだった。
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