[5]

 行き着いたのは、以前、勇がぶつかった赤い花の絵画が飾られている壁であった。

「遺体はここに隠されていました」

勇がその壁を指差した。

「はあ?なに言ってんだ。お前」

猪瀬には勇の発言の意味がわからない。それは小野も同じだった。

「僕が最初にこのお宅を見て回ったとき、邸内の構造に違和感を覚えました」

経緯を話す勇は続けた。

「そして、ここに辿り着いた際、髪の毛が壁の隙間に挟まれた状態で落ちていました。もしやと思い、周辺を調べたところ、見つけました。舞さん」

勇が目配せすると、舞は再びリュックの中に手を入れて、一枚の図を出して猪瀬と小野に見せて説明した。

「笹井さん宅の間取り図です。このお宅には隠し部屋がありました」

「隠し部屋!?」

小野が調子はずれな声を出した。

「担当した不動産会社と建築会社に裏も取ってあります」

舞が補足した。

「パニックルーム・・・」

勇はひと言立てると、壁に近づき、絵画のフレームを右横にスライドさせた。すると、カチッと音がして、絵画が元の位置に戻った。そして、勇が壁を押すと、回転扉のように開いて、もうひとつの部屋が明るみに出た。

「ほんとにあった」

猪瀬が驚きを隠せない表情を見せると。勇が解説する。

「パニックルームとは、災害や強盗などから身を守るために設けられる緊急避難用の小部屋です。笹井さんは三年前に押し込み強盗に遭ったと聞きました。非常に恐れの感情を抱いていたことも。その経験から、笹井さんはこの部屋を築いた」

勇が推理を交えた種明かしを始める。

「岸部さんを殺害してしまったあなたは、遺体をどうすべきか考えようと、一度この部屋を出たのでしょう。そのとき、お隣の山本さんが遺体を発見し、叫んだ。それを聞いたあなたは遺体を見られたと思い焦った。いずれ警察が来るだろう、そうなれば面倒なことになる。状況が状況です、逮捕されるかとも思ったでしょう。しかし、不幸中の幸いか、血液がどこにも飛び散ってはいない状態を見たあなたは一計を案じた。血が邸内に付着しないよう慎重に、且つ早急に岸部さんの遺体を運ぶと、この部屋に一時的に隠すことでやり過ごすことにした。案の定、警官がやって来て邸内を捜索したが、遺体は見つからず、事件には発展しなかった。あなたのした刹那せつなの判断と行動は功を奏したというわけです。まあ、一時でしたが。因みに、僕が拾った髪の毛は岸部さんのものでした。おそらく運んだ際に落ちて、そのまま壁を閉じたんでしょう」

言い放った勇に、猪瀬が毒気のある返事をした。

「ご高説どうも。でも見てみろ!遺体なんてないじゃないか!」

確かに、部屋には遺体はなかった。勇は既知している風に言った。

「僕がこの部屋を見つけたときもありませんでした。あれから数日経っていますからねえ。遺体はどこかに移したんでしょう」

「どこに?」

猪瀬が問うと、勇は平然と答えた。

「察しはついています」

「わかってんなら早く言えよ!おい!」

怒鳴る猪瀬を、勇が沈着した面持ちで返す。

「この邸宅の敷地内、もしくはその近辺です」

「なんでわかんだよ」

刺々しい態度の猪瀬に、勇が事情を話す。

「実は、このお宅を訪れた際、ガレージを少しばかり拝見しまして、そこに駐車してあった車のナンバーをチラッとだけですが見ていたんです。そのあと、この部屋を発見しまして、疑念が生じた僕は考えました。仮に笹井さんを容疑者とし、遺体が現存する場合、移す際、特に外へ運ぶ際には車を使用するだろうと想定して、念のため、警視庁の知人に岸部さんの情報を教えてもらうついで、と言ってはなんですが、ナンバーを元にNシステムでその車の走行位置を確認してもらっていました。移した場所が多少でもわかるかもしれないですからね。それで今日、岸部さんの勤める喫茶店でその知人に連絡しまして、結果、車は確認できなかった、走らせていないのだろう、とのことでした。よって先ほど申したとおり、遺体は邸宅の敷地内か、その近辺に潜んでいると思い、頭を巡らせていました」

勘案を述べた勇は、机の上に置かれた大理石製の重量感のあるトロフィーを指した。

「この部屋に入った際に見つけました。これが凶器ですね」

刑事たちの視線がそのトロフィーに向いた。

「最初にリビングの賞杯や記章が並べられた棚を見たとき、一か所だけ列に間隔が空いていた部分がありました。個人的にですが不自然に感じました。そこで思い出しました、このパニックルームにひとつだけトロフィーがあったのを。あとで山本さんが額から血を流していたと聞いて考えました。本来あの棚に置かれていたトロフィーを笹井さんが凶器に変え、岸部さんを殴って殺害したのではないかと」

勇はそう話すと、トロフィーの先端を凝視した。

「これ、ヒビが入っているんですよ」

指摘した勇に、小野が白手袋をはめてトロフィーを持ち確認すると、猪瀬に言った。

「わずかですが入ってます。ヒビ」

「血液反応を調べてください。おそらく、この部屋にも数点、反応が出るはずです」

勇は小野に申し入れると、トロフィーに目を向け、自身の見解を表した。

「笹井さんはこのトロフィーを処分しようと思えばできたはずです。なぜ、そうしなかったのか・・。できなかったんですよ。受賞歴を見てわかりました。これはあなたが生まれて初めて賞を獲得した思い出深い、大切なトロフィーだからです。勢いで凶器にしてしまったとはいえ、それでもなお、心が踏み切れず処分をためらい、これを遺体と一緒に邸内のこの部屋に隠した・・。ほとぼりが冷めた頃に修理に出そうと思っていたのではないですか?」

訊ねた勇に、笹井はうなずいた。

「遺体は裏庭に埋めたのでしょうか?以前あちらを拝見したところ、土を掘り起こして、また埋め戻したような痕跡がありました」

勇は落ち着いた穏やかな声で、笹井に問いかけた。

「はい・・。警察がいなくなったあとに・・・」

笹井は無表情な顔で呟くと、告白を始めた。

「魔が差したんです。大会のロゴ制作を依頼されたときは窮しました。その頃の私の発想力は枯渇していたんです。アイデアが降りてこなかった。だからといって、それを理由に断ることもできず困っていたとき、実家にある父の書棚の上にノートがあるのを見つけました。数点のデザイン画が書かれたノートでした。その中にあのロゴデザインがあったんです。私は震えました。まさに大会のイメージに該当する画期的なデザインだったからです。表紙に《岸部宏》と記名があったので父に訊ねたら、数年前に亡くなった高校時代の後輩で、私と同じデザイナー志望だったらしく、形見分けにもらったと話していました。その人の名前を頼りに調べたら、鴨志田さんのおっしゃったとおり、商標登録や、著作権の申請もしていなくて、岸部宏の作品は全く世に出ていないことがわかりました。このデザインを使いたい、そう強く思った私は、つい出来心でそれを複写して、私の名義で委員会に提出し、採用されることになりました。その後もアイデアが浮かばないときは、ノートに書かれたデザインをいくつか盗用していました。最初の頃はバレるのではと不安でしたが、特に問題は起こらず安堵していたときに、その人の息子が現れたんです」

「和久さんですね。それで脅された」

舞が言うと、笹井が暗い顔で答える。

「はい。岸部は形見に持っていた父親のスケッチブックを捨てるつもりだったらしく、なにを書いていたのかと中を見たら、私が発表したデザインと酷似していることに、あの男は気づいたようで、デザイン事務所を通じて内々に接触してきました。それで、私が盗用を認めると、世間に暴露されたくなければ賠償金を支払えと言ってきたんです。言われたとおりに金を渡しました。だけど、岸辺の脅迫は止まらなかった。あの日、どこで突き止めたのか。家にまで上がり込んで来て、さらに金を要求してきた。このままでは食い物にされる、そう思った瞬間、急に殺意が湧いて、私は近くにあったトロフィーを持って思わず・・。そのあとのことは鴨志田さんのご推察どおりです」

真相を話し終えた笹井は壁に寄りかかり、そのままずり落ちて床に尻もちをついた。舞が笹井に歩み寄り、傍らにしゃがんで、言い聞かせるように語りかけた。

「岸部は卑劣な男だったのかもしれません。でも、笹井さんがもっと正直な気持ちになっていればよかったんです。発案する力がないなら、はっきり相手に伝えればよかったんです。そうすれば、ここまで深く悩んだり、追い込まれたりせず、人を殺してしまうこともなかった。笹井さん、本当は後ろめたい思いがあって、今まで苦しかったんじゃないんですか。あなたほどの人なら、また再起を図ることだってできたのに・・。とても残念です」

舞の言葉に、笹井は両手に顔を埋めてむせび泣いた。

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