[3]

 写真館の外に出た勇は、舞から報告の続きを聞いた。

「彼です」

舞はタブレットに前科者データを表示させて勇に見せた。

「名前は岸辺和久きしべかずひさ、三十一歳。暴行罪で二度逮捕されていて、現在は仮釈放中です。で、ここからなんですけど、保護司の話によれば、岸辺って男、あの<R>に勤めてるんです。もしかしたらなんですが、一か月前に笹井さんと話してた店員って、この岸辺なんじゃないですか?」

推し量った舞の頭に、疑問点が浮かぶ。

「んー・・、でもなー・・、だとしたら、昨日山本さんが言ってた、笹井さんが深刻そうにしてたってのが、ちょっと引っかかるんですよねー・・・」

そんな舞に、勇は無反応な素振りで、表示された岸辺に関する情報を一瞥すると、舞に頼み事をした。

「舞さん、舞さんは<R>に行って、店主でもほかの店員でも構いません、当時、笹井さんが岸部さんと話をしていたか、していたならば、なにを話していたのか訊いてきてもらえませんか?僕はちょっと行くところがありますので、終わりましたら、またここで落ち合いましょう」

勇は一度写真館の中へ戻り、黒木に断りを入れると、また外に出てきた。

「では、よろしくお願いします。あと、僕に連絡したいときはここに」

見本用の写真の裏に連絡先を書き込んで舞に手渡した勇は、そそくさと歩き去っていった。

「行くって、この件に関係するとこですよねー。鴨志田さーん」

舞が叫んだが、勇には聞こえなかった。


 舞は喫茶店<R>を訪ねると、店主が応対した。

「岸部さんは今日、勤務されていますか?」

舞が警察手帳を示して訊くと、店主は当惑した表情をして答えた。

「無断欠勤してるんですよ、昨日から。携帯に電話しても電源切ってるみたいで応答なし、家にも電話したんだけどいないみたいで、ほとほと困ってるところなんです」

「昨日・・、あの、一か月前のことなんですけど・・・」

事情を話した舞に、店主は視線を左に向けた。

「・・・ええ、話してましたね。よくは覚えてないけど」

店主は一か月前のことをおぼろげながら記憶していた。

「なにを話されていたかわかりますか?」

「たしか・・、『ろご』がどうのとか、『おやじ』がどうのとか岸辺が言ってたなあ。そしたら笹井さんの顔色が段々悪くなってきて、下を向いちゃったんだよ」

「そうですか」

舞がうなずくと、店主が新たな証言をした。

「あっ、そういやあいつ、無断欠勤する前の日に、近々ここを辞めるって言ってきたんです」

「辞める?理由は訊きましたか?」

「もう働く必要がなくなったって。宝くじにでも当たったんですかね」

店主はため息を吐いた。

「岸部さんが写っている写真はありますか」

「履歴書の写真なら。少々お待ちください」

事務所へと入っていった店主を見ながら、舞は腕を組んだ。

「笹井さんは岸辺になにを言われたんだろう」

呟いた舞は考えを巡らせた。


 同じ頃、勇は岸辺の住むアパートを訪れていた。前科者データに登録されていた住所をひと目見て暗記していたのだ。勇は親戚を装い、岸辺の部屋に自宅の鍵を忘れてしまったと言ってアパートの大家に部屋を開けさせた。

「すみません、彼と連絡がつかないもので。戸建てのひとり暮らしなので、あれがないと家に入れないんですよ。明日は仕事で地方に行くので、準備しないといけないですし」

勇は役者並みの芝居を打った。

「ああ、そりゃ大変だ」

人の良さそうな老夫の大家は何の疑いもなく鍵を預けた。

「すぐに済ませますので」

勇が部屋に入る。長居はできない、勇は両眼を素早く動かしながら隅々まで眺め回し、部屋中を調べると、本が数冊並んだ棚にスケッチブックが一冊置かれているのを見つけた。それ以外は漫画や週刊誌、グラビアアイドルの写真集ばかりで、妙に気になった勇は手に取った。かなり年期が入っているスケッチブックに付箋が挟まっている。そのページをめくった勇はやや目を剥いた。

「これが理由でしょうか」

開いたページをスマートフォンで撮影した勇は、スケッチブックを元の棚に戻した。次に目に入ったのは、低い机に置かれたタブレットだった。机周りにはパソコンは見当たらない。なにかこの件に関する情報が隠されているかもしれないと踏んだ勇は、そのタブレットを小脇に抱えて部屋を出た。


 なにかに思い当たった舞は、写真館に戻る前に寄り道をしていた。あることを確認するために再び晴美の自宅を訪問していたのだった。

「山本さんが見た死体の男って、この人じゃありませんか?」

訊ねた舞が、晴美に岸辺の写真を撮影したスマートフォンの画像を見せると、晴美は口を開いて指を差した。

「そう!この人!ソファで死んでたの、この人よ」

「彼、岸辺という男なんですが、名前を聞いたり、見たことなどありませんか?」

晴美は過去を手繰り寄せているのか、目を閉じ、顔を傾けてしばらく黙っていたが、やがて首を振った。

「いえ、名前も初めて聞いたし、見たこともないわ。ごめんなさい」

「わかりました。ありがとうございます」

舞は礼を述べて、晴美宅を後にした。


 写真館の前に着いた舞は勇と合流して、聞き込みをした結果を知らせた。

「喫茶店のご主人と山本さんの証言を照らし合わせると、岸辺はすでに亡くなっている可能性が高いですね、あの笹井さんの家で。山本さんが見たのはあのゾンビじゃなくて、本物の遺体だったんですよ。事故か他殺かはわかりませんけど」

推測した舞に、勇は手を後ろに回したまま静かに断言した。

「舞さんの言うとおり、本物の遺体で間違いないでしょう。そして死因は他殺です」

「なんでわかるんです?」

舞が理由を尋ねた。

「それはのちほど」

「犯人は?笹井さんですか」

「それものちほど」

腹の内を明かそうとしない勇に、舞は苛立ちを募らせながらも訊いた。

「で、鴨志田さんはどこへ?」

「前科者データを頼りに、岸辺の自宅に行っていました」

「さっとしか見てなかったのに住所覚えたんですか!」

舞は勇の記憶力に目を丸くした。

「成果はありましたよ」

勇が言うと、舞は肝心な疑問を口にした。

「仮に他殺だとしても、遺体はどこへ消えたんでしょう。資料によれば、山本さんは自宅に戻って通報したあと、警察官が到着するまで笹井さん宅に近づいていません。その間、七分。臨場した警察官が邸内や裏庭を隈なく捜索したのに見つからなかった。そんな短時間でいなくなるなんて」

「あるじゃないですか、ひとつ・・・」

その問題なら解決しているかのように勇は呟くと、後ろ手に隠すように持っていたタブレットを出して舞に渡した。

「岸部さんのタブレットです。そちらで解析をお願いします」

「無断で持ってきちゃったんですか!?」

舞は呆気に取られるが、勇に悪びれた様子はない。

「ちょっと借りているだけです。あと、舞さんは明日、当たってほしい場所があります。詳細は明日、連絡します。今日はこの辺で」

勇が告げると、舞が引き留めた。

「一緒に来ないんですか?」

「僕も明日、行く所があるので」

写真館に帰っていく勇を見つめながら舞は思った。この人の捉えどころのない性格と秘密主義的な態度が理解できないと。


 翌日、勇はスマートフォンで、昨日言った依頼の詳細を舞に話したあと、<辰丸たつまる商事>という大手総合商社の総務部を訪れていた。担当者の案内で資料室に足を踏み入れた勇は、大判のファイルに綴じられている色褪せた数枚の紙をめくってなにかを探していた。そして該当の一枚を見つけると、スマートフォンの写真と見比べた。

「ありました」

勇の眼鏡のレンズが光った。


 それから一時間後、舞は覆面パトカーの運転席で、スマートフォンを耳に当て、勇と連絡を取っていた。

「鴨志田さんの指示どおりにしました。驚きましたよ、あんなのがあったなんて」

―ちょっと不思議に思ったものですから。

「鴨志田さんは今どこに?」

―自分の部屋です。

「私、寄りたいとこがあるので、終わったら報告も兼ねてそっちに行ってもいいですか?」

―わかりました。僕は電話をかけたい相手がいるので後ほど、お待ちしています。

通話を終えた舞はハンドルを握り、アクセルを踏んだ。


 舞はかつての職場である堂覇警察署で、過去に起きたある事件の調書を読んでいた。

「本当だったんだ・・・」

呟いた舞に、案内した刑事課の畑中はたなかが言った。

「三年前だ。被害者は相当怯えてたよ」

「このすぐあとに引っ越したんですよね?」

舞が訊くと、畑中はうなずいた。

「ああ・・。にしても、まさかお前が刑事課にいるなんてな。今度はキュートすぎるデカってか」

畑中は嫌味たらしく鼻で笑った。舞は怒りを抑えて歯を食いしばった。


 調べ事を終えた舞が、写真館の三階にある勇の部屋に入った。室内は必要最低限の物しか置かれておらず、余計な物がないシンプルで生活感のない部屋だった。小説を書いていると聞いていたので、中は書物の山とばかり思っていた舞には意外だった。どういうわけか奥の壁はカーテンで仕切られている。舞が疑問に感じたところで、勇が声をかける。

「それで、僕が頼んだこと以外に報告したいことがあるのではないですか?」

椅子に腰掛けていた勇は、ノートパソコンを見ながら訊ねた。

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