[2]

 脱力した勇は腕をだらんと下げた。

「違います。なんであんなに異世界モノがもてはやされるんでしょうか」

「は?いせかい?」

舞には意味不明だった。

「アニメやゲームならまだわかります。なのに、なぜあんなに異世界がテーマの小説が幅を利かせているのか」

「あ、小説の話・・・」

勇の言わんとしていることが、舞には理解できたようだ。

「異世界モノが悪いんじゃないんです。ファンタジーを書きたいのなら、ハリー・ポッターのような、もっと夢のある小説を書けばいいのに、やたら転生、転生って。そんなに俗世間の人たちは、生まれ変わりたい願望が強いのでしょうか。僕にはただの現実逃避としか思えません」

ボソボソと小言を言う勇に、舞が質問した。

「鴨志田さんも小説書いてるんですよね。ファンタジーじゃないんですか?」

「僕はもっぱらミステリーです」

舞が心証を述べる。

「私はあまり小説読んだことないんですけど、前に友達がおもしろいって言ってましたよ、その異世界や転生モノの小説。あれはあれで魅力があるんじゃないんですか」

「僕にはちっともわかりません」

「鴨志田さんは読んだことあるんですか?そういうの」

勇は首を振った。

「その手の小説は苦手で、読む気が起きないんです。タイトルによっては見ただけで吐き気を催します」

「うわー、重症ですね」

「唯一読んだことがあるのはJ・K・ローリングの作品ぐらいですか」

そんな勇に、舞が提案した。

「一度書いてみたらどうですか?なにか心境の変化があるかもしれませんよ」

「無理です。僕はああいう非現実的な話は書けません。創作意欲が湧かないんです」

勇は断固、拒否した。

「ふーん、そういうもんですか・・・」

「つい余計なことをしゃべってしまいました。現場はもう近くですよね?」

「はい。もう少しで着きます」

舞は答えると、ハンドルを切った。


 ふたりは羽華町の住宅街に差し掛かり、現場である二階建ての邸宅に到着した。門扉にある呼び鈴を舞が鳴らすと、ドアが開いてひとりの男が出てきた。白地に赤と青のチェック柄が入った七分丈のカジュアルシャツに黒いチノパンを身に着け、垂らした前髪をセンター分けにした柔らかい顔立ちのその男は笹井丈雄ささいたけお。全国的にも著名なデザイナーである。

「羽華署の杠葉です。笹井さんに二、三お伺いしたいことがございまして」

舞が警察手帳を開いて示した。

「はあ・・、そう、ですか。まあ、入ってください」

勇と同年代と思しき笹井は、ふたりを邸内に招き入れた。


 舞は広いリビングに通された。だが、そこに勇の姿はない。

「それで、なにをお訊きになりたいんでしょう。おとといも刑事さんに話しましたけど」

笹井が問うと、舞はリュックから、獅央から受け取ったファイルを取り出した。

「念のために確かめさせてください」

舞はファイルをめくる。

「お隣の山本やまもとさんの証言によると、おとといの午後三時頃、山本さんが回覧板を渡すために笹井さんのお宅のチャイムを鳴らしたが、応答がなく、このリビングがある裏へ回ってみると、窓越しに頭から血を流し、目が開いたまま動かずにソファに座っている男性を発見、死んでいると思った山本さんは急いで自宅に戻り、警察に通報。臨場した警察官がリビングに入ってみると、その男性は消えており、血痕も見つからなかった。ということで間違いないですか?」

笹井がうなずく。

「ええ、ですけど、あれは山本さんの勘違いなんですよ」

「山本さんは人型のぬいぐるみを見ただけだと、笹井さんはおっしゃっていますね」

舞がファイルのページを見て言った。

「そうです。ちょっと待っててください」

笹井は一旦リビングを出ると、すぐに戻ってきた。笹井の手には、等身大のグロテスクなデザインを施したぬいぐるみがあった。

「なんですか!?これ」

舞は一瞬ギョッとした。

「これね、ゾンビの抱き枕なんです。ほら、血も出てるでしょ」

笹井はぬいぐるみの顔の側頭部を指すと続けた。

「ゲームの制作会社からホラーゲームに登場するゾンビのデザインを依頼されまして、商品化を視野に入れて、試作で一体作ってもらったんです。あの日はたまたまソファにこれを置いたままにしていて、やってきた山本さんがこのゾンビを見た。ただそれだけのことなんですよ。いやあ、山本さんには変な勘ぐりをさせてしまって申し訳ないと思っています」

「なるほど・・。一応これ、写真撮らせてもらっていいですか?」

「構いませんよ」

舞はスマートフォンでぬいぐるみを写真に収めた。

「そういえば、お連れの方は?この抱き枕を取りに行ったときも見かけませんでしたけど」

笹井の言葉で、舞は勇がいないことに今更ながら気づいた。

「あ、あれ?」

舞は辺りを見回した。


 その頃、勇は笹井邸の邸内や敷地を散策して歩いていた。すると、一階で行き止まりにぶつかった。正面の壁には、小さなフレームに入った赤い花の絵画がぴったりと張り付いた形で飾られてある。ふと、なにかを発見した勇はしゃがみ込んだ。


「鴨志田さーん」

 大きな声で勇を捜す舞の前に、当の本人が現れた。

「鴨志田さん、どこ行ってたんですか」

困惑した様子の舞を通り過ぎて、勇は近くにいた笹井にお辞儀した。

「鴨志田と申します。ご高名はかねがね」

「どうも・・・」

笹井は訝しそうに返事をした。

「無視しないでくださいよ。ていうか、笹井さんて、そんなに有名人なんですか?」

舞が訊ねると、勇が振り返り答えた。

「知らないんですか。笹井さんは様々なジャンルのデザインを担当して、数々の賞を取っているんです。三年前でしたか、日本総合競技大会のロゴを任されたこともあるんですよ」

「え!あれ、笹井さんのデザインなんですか?」

思い起こした舞が言うと、笹井は気恥ずかしいのか笑って見せた。

「確かに、言われてみれば」

棚に並べられた数多くのトロフィーやメダルを見た舞は納得した。勇も褒賞の列に目をやると、そのうちある一点に不意に気がつき、屈んで注視した。

「素晴らしいです・・・」

勇は小さな吐息で称賛すると、別の話題を振った。

「ですが、お車は意外と普通でしたねえ。高級車でも乗っておられるのかと思っていましたが」

「そんなとこまで見てたんですか。ちょっと厚かましいですよ。すみません笹井さん」

舞は叱るように勇に言うと、笹井に謝った。控えめに笹井が答える。

「自家用車として普通に使えればいいので。それほどこだわりを持ってないんですよ」

勇は姿勢を戻して、笹井の前に向き直った。

「笹井さん、僕たちはこれで失礼します。お邪魔しました」

勇は笹井に深く礼をした。

「もういいんですか?」

ほとんど雑談で終わってどこか消化不良の舞に、勇がひと言返す。

「はい、もういいです」


 笹井邸を辞したふたりは、次に隣家に住む目撃者の山本晴美はるみを訪ねた。

「あれは死体、絶対に死体よ。思わずキャーって叫んじゃったもの」

還暦間近といった印象の晴美は固く譲らなかった。

「笹井さんはこれじゃないかと言ってたんですが」

舞は先ほど撮影したぬいぐるみの写真を見せた。

「これじゃないわよ。いくら私だって、人形と本物の人間の区別くらいつくわ。だいたい位置が違うもの」

「位置、と言いますと?」

勇が晴美に訊いた。

「血の付いてる位置。この写真、血が横から付いてるでしょ。私が見たのはひたい、おでこから血を流してたんだから。第一、こんな腐ったような顔じゃなかったし」

「笹井さんになにか変わった様子はありませんでしたか?」

さらに訊ねた勇に、晴美は回想するように言った。

「変わった様子・・、かどうかはわかんないけど、この付近に笹井さんがよく行くお店があるのよ、<R>っていう喫茶店。一か月前に、そこの店内で笹井さんが店員と話しているのを見たわ。店員の顔は後ろ向いてたから見えなかったけど、笹井さん、いつもと違ってなんだか深刻そう、ていうか不安げな感じだった」

晴美の証言を聞いた勇はうなずいた。

「そうですか、大変参考になりました。舞さん、行きましょう」

「あ、また勝手に」

話を一方的に切り上げた勇に、舞はムッとした表情を浮かべた。


 ふたりが駐車してある覆面パトカーまで戻ると、勇が舞に声をかけた。

「舞さん」

勇は四つ折りにしたハンカチを舞に差し出した。

「なんです?」

「この中に包んである物を、そちらで調べてくれませんか。ふたつありますので、両方とも笹井さんのDNAかどうか鑑定してほしいんです」

「はあ・・、わかりました」

舞はハンカチを慎重に受け取ると、勇が申し訳なさそうに言った。

「おやっさんが待っているので、僕は帰ります。送って行ってもらえますか?」


 翌日、写真館にやってきた舞は、勇に鑑定結果を報告した。

「鴨志田さんからもらった“あれ”、ひとつは笹井さんのDNAでした。けど、もうひとつは別の人のものでした。しかもその人、前科マエがありました」

舞は、リュックからタブレットを出した。そのとき、奥から黒木の声がした。

「ここで捜査会議はやめてくれ。客の迷惑になる」

「失礼」

勇はひと言謝ると、舞を連れて外に出た。

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