インシデントレコード -私とおかしな小説家-
Ito Masafumi
STORY 1
[1]
満月の夜、東京都
「ほんとに来るのかなー」
舞は雑居ビルの入り口を見ながら、ひとり呟いた。そのとき片耳に嵌めたイヤフォンから無線が入る。
―杠葉、寝てないだろうな。ちゃんと見張ってるか?
雑居ビルの近くに停めた覆面パトカーの中で、同じく張り込みをしている先輩刑事の
「はい!見てます」
肩をビクッと振るわせた舞が襟元に付けたマイクに向かって答えた。
―時間的にはそろそろだ。気を抜くな。
高島が言ったそのとき、ロングのサーファーカットにサングラスをかけたアロハシャツ姿の男が、辺りの様子を窺いながら雑居ビルに近づいてきた。舞が上着の内ポケットから一枚の顔写真を取り出して、その男と見比べる。
「来ました!飯塚です」
―こっちも確認した。行くぞ!
舞と高島は急いで飯塚のもとへ向かう。飯塚がドアレバーに手をかけたとき、舞と高島が挟み撃ちするかのように左右からやってきた。飯塚の隣に立った高島が警察手帳を示す。
「飯塚だな」
その瞬間、飯塚が高島の腹を膝蹴りして、脱兎のごとく逃げ出した。
「大丈夫ですか!?」
舞が駆け寄ると、高島が怒鳴る。
「いいから追え!とっ捕まえろ!」
「はい!」
舞は飯塚の後を追いかけた。飯塚は歩行者を突き飛ばしながら走り続ける。舞も負けじと猛烈な勢いで追走した。やがて、飯塚は突き当りに差し掛かり、傍らの居酒屋に逃げ込んだ。舞が騒然とした店内に入っていくと、飯塚がカウンターの椅子を持ち上げ、舞目掛けて降り投げた。それをかろうじて避けた舞は、飯塚に突進していく。殴ろうと右手の拳を突き出した飯塚の腕を舞は瞬時に摑んだ。
「うおりゃー!」
舞が声を張り上げ、豪快な背負い投げを決めた。そして、飯塚に手錠をかける。
「二十二時十一分、暴行の現行犯で逮捕!」
舞が腕時計を見て言った。店内は一瞬、静まり返ったが、すぐに周りの客が拍手喝采を浴びせた。舞は苦笑いをしながら頭を掻いた。
三日後、以前と変わらぬファッションスタイルの舞は羽華警察署の署長室にいた。なぜか突然、署長に呼び出されたのである。なにか問題でも起こしたのだろうかと、署長室で心配そうに立っている舞の正面に、その署長、
「ここにはもう慣れたか。
五十代の気迫ある獅央が口火を切った。舞の記憶に苦い過去がよみがえる。同じ七節区にある堂覇町を管轄する堂覇警察署の交通課に勤務していた頃、警察に密着したドキュメンタリー番組に出演した際、そのアイドルのような容貌から「キュートすぎる警察官」と評判を呼び、テレビや新聞の取材を受けたり、防犯や交通安全のポスターに起用されるなど、人気は高まった。舞自身も
「まあ、はい・・・」
正直思い出したくないことを、警視庁の幹部に皮肉めいた形で言われて、舞の心中は穏やかでなかった。
「それでご用は?私、なにかやらかしました?」
両手を擦りながら問う舞に、獅央は首を振った。
「いや、そうじゃない。急で悪いが、きみにぜひ頼みたいことがある」
「頼み、ですか?」
獅央はそこで、話題を少し変えた。
「そっちの係長に聞いたが、きみは捜査一課希望だそうだね」
「はい。警察官になったからには、第一線で活躍したいと考えております」
舞は姿勢を正して答えた。
「月並みだな・・・」
獅央は顔を背けてごちた。
「はい?」
舞が訊き返すと、獅央は顔を前方に向き直し、本題に入る。
「きみを一課に異動できるよう、チャンスを与える。これから、ある男のバックアップをお願いしたい。彼の捜査活動を支援してほしい」
「ある男って、どなたです?」
舞が質問した。
「小説家だ。主にネットで書いてると言ってたな」
「小説家!?」
獅央の思いもよらない返答に、舞は驚いた。
「とは言うもののアマチュア、素人だ。当然かもしれんが、全く人気がないらしい。書いても読んでくれる人がいないと嘆いていたよ」
「なぜ、その小説家が捜査を?」
舞には訳がわからない。
「彼はかつて本庁の捜査一課にいて、事件捜査に関しては冴えた頭の男だ。これは秘密なんだが、私は個人的に羽華町で起きた事件、特に本庁やウチの署が持て余すような件の捜査協力を依頼している。だが、いかんせん今は民間人だ、ひとりだと捜査に限界がある。なので、刑事であるきみの力を彼に貸してやってほしい、ということだ」
獅央が事情を説明した。
「話はわかりましたけど、一課に異動させることなんて、署長にそんな権限あるんですか?」
「権限とまではいかないが、口利きすることはできる。一課長は私の先輩でね、事件が増加して人手不足になりつつあるから、所轄に誰かいい人材がいれば紹介してくれと、前に言っていたんだよ」
舞はなんとなくうなずくと、訊ねた。
「あのー、どうして私なんです?」
「それは追々話そう、まずは彼に会ってくれ。まだ、刑事課には報告がいってないが、事件と呼ぶべきか不確かなケースが羽華町であってね。それを一緒に捜査して、真偽のほどを明らかにしてくれ。きみの支援が彼のお眼鏡にかなったのならば、一課長に進言して捜査一課に異動できるよう推薦しよう」
悠然と言った獅央の語尾に反応した舞は、ひとまず考えると瞳を輝かせた。
「承知しました。私で出来ることでしたら」
「よし!」
机を片手でバンと叩いて、ひと声発した獅央は書類ボックスからファイルを取り出して舞に手渡した。
「これが資料だ。概略は彼に伝えてある。きみが来ることも連絡しておこう、ここが彼の住んでいる場所だ」
獅央はメモ用紙に住所を書いて、それも渡した。
「羽華町にいるんですね・・。ハイカラ?」
舞の呟きに、獅央が説明する。
「写真館だ。小説じゃ食っていけない彼が住み込みで働いている」
獅央が回顧して言った。
「にしても、本当に惜しいことをしたよな彼は。あのまま警察に残っていれば、それなりに出世できただろうに。あんな事故さえ起きなければ・・・」
「事故?」
再び訊き返した舞に、獅央は気まずくなってごまかした。
「なんでもない、こっちのことだ。杠葉君は早速、彼のもとへ行ってくれ。頼んだよ」
一礼して署長室を出て行こうとする舞を、獅央は呼び止めた。
「さっきも言ったけど、彼に捜査協力を頼んでいる件は内密に。警察署長が元警察官とはいえ、民間人に捜査を依頼しているなんてことが知れたら問題になっちゃうからね」
振り向いた舞に、獅央は念押しした。
「わかっています。あっ、訊くの忘れていました。その人のお名前は?」
「
羽華町の一角に、三角屋根で細長い、まるで鉛筆のような三階建ての建物がある。一階から二階は、<ハイカラ>という、創業七十年になる老舗の写真館が入っている。その三階に居候している勇は、寝ぐせのようなパーマをかけた黒いミディアムヘアに、黒い丸渕の眼鏡をかけた、四十代初めの端正な顔をした男だった。
「今日も読者数ゼロかあ・・・」
三階の部屋で椅子に腰を下ろし、空いた窓の下枠に頬杖をついて、妙な感慨に浸っていた勇に声がかかった。
「鴨ちゃん、お客さん」
声の主は写真館の主人、
「はい、今行きます」
一階の出入り口でリュックを背負って待つ舞の頭には、一抹の不安がよぎっていた。捜査一課への異動につられて、つい安請け合いしてしまった、本当に自分で務まるのかと思っていた。そのとき、勇が階段から降りてきた。ボタンダウンのワイシャツに、ダブルのスーツを着ている。
「はじめまして。羽華署強行犯の杠葉舞です」
舞は勇に自己紹介した。
「鴨志田です。獅央さんから話は聞いています。では、現場に行きましょう。舞さん」
「舞さん・・!?あっ、はい・・・」
初対面にしては馴れ馴れしい勇の呼び方に舞は戸惑った。
「おやっさん、しばらく留守にします。手伝いはまたあとで」
カメラの調節をしていた黒木の背中に勇はひと声かけた。
「帰ったら、写真のデータ整理してくれ」
黒木の老成した渋い声が返ってきた。
「わかりました」
勇はひと言答えると、舞と共に写真館を出て行った。
覆面パトカーを運転する舞の隣で、勇は難しい顔をしていた。
「あー!わからない!」
いきなり勇は叫んで、頭を掻きむしるような仕草をした。
「びっくりした・・。わからないって、この件、そんなに難解なんですか?」
一驚した舞は、勇に訊いた。
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