慕標

有理

慕標(ぼひょう)

「慕標」



※「愛の溺れかた」「愛の溺れかたending」のスピンオフ作品です。



槙野 譲(まきの ゆずる)

柳瀬 愛花(やなせ まなか)


譲の母親は愛花役が兼役してください


読み方

巌水燈(いわみず あかり)

巌水千華基(いわみず ちかもと)

静華(しずか)


譲「冷たいね。」

愛花「そうだね。」

譲「寒くない?」

愛花「寒いよ」

譲「上着貸そうか」

愛花「なんで?」

譲「え?風邪ひいちゃうでしょ」

愛花「死体は風邪ひかないよ」

譲「あ、そっか。」

愛花「ふふ、変な譲」

譲「馬鹿にしたな」

愛花「したよ。」

譲「死んでも付き纏ってやるからな」

愛花「…付き纏ってよ。」


譲N「これは、愚かな僕の恋のお話。」


愛花「次は、私も好きだって言うから。」


譲(たいとるこーる)「慕標」


母(譲)「譲さん。元気なことはいいことですけれどヤンチャがすぎると思うのですが。打ち所が悪かったら今頃どうなっていたかお分かりですか?」

譲N「高校1年の夏、運悪く僕は階段から転がり落ちて足を骨折した。」

母(譲)「お相手の方は一体どなたなんです?頑なにあなたがお話しなさらないから、お父様学校にまで出向いたんですよ。」

譲N「厳粛な家。実業家の父と華道家の母。僕はそんな家が窮屈でならなかった。」

母(譲)「治療が終わったら一度実家に戻っていらっしゃいね。この病院、個室がないって言うんだもの。どうしてこの病院にしたのかしら、全くあの人も…」

譲N「高校入学とともに家を出た。反対を押し切って飛び出した。父の押し付けがましい説教も、母の教える凝り固まった生け花も僕は大嫌いだった。」


譲N「病室は2つベッドが並ぶ相部屋で、窓際にはすでに先客がいた。仕切られたカーテンの向こうからパチン、パチンと音がする。どこか聞き慣れた音。」

母(譲)「失礼します。隣の槙野と申しますけれど、ここで何をなさっているの。音が響いて耳障りです。」

譲N「カーテン越しから母は言うが、音は止まない」

母(譲)「…失礼致しま」

譲N「強引に開けられたカーテンの先には、同世代の女の子が夢中で花を生けていた。開けられたカーテンには目も向けず、生け続けていた。」

母(譲)「あ、あなた、血が」

譲N「狼狽える母。彼女の両手に巻かれた包帯には血が滲んでいた。それなのに容赦なく桶に手をつけ茎を切る。何度その行為を繰り返したのだろう。桶の水は赤く染まっていた。」

母(譲)「ちょっと、やめなさい!あなた、」

譲N「母の声など彼女には届かない。嬉々とした表情、止まらない音。パチン、と僕の中で何かが弾ける音がした。」


譲N「それが、彼女との初めての出会いだった。」


__________


愛花「…譲、いいの?」

譲「うん。だって誕生日だろ?」

愛花「でも、こんな高価なもの…」

譲「いいんだよ。あ、これは母さんから。」

愛花「…鋏」

譲「愛のこともっとたくさん世に出したくてたまらないみたいだよ。」

愛花「えーすごい過大評価」

譲「よく言うよ。家元から直々に名前まで付けてもらったってのに。」

愛花「恐れ多いよ。」

譲「ほら。自信持って。」

愛花「あの時、譲と静華さん出逢わなかったら私今頃何してたんだろう。」

譲「きっと変わらないさ。出逢ってても出逢わなくても、愛花はきっと変わっていないと思うよ。」


愛花N「そう言いながら譲は、私の首に真珠のネックレスを付ける。その優しい笑顔はいつも少しだけ寂しそうだった。」


譲N「僕の母は病室の一件から彼女の生ける花に魅了された。入院している間ほぼ毎日彼女に花をプレゼントしていた。華道家として何か確かなものを感じていたのだろう。巌水千華基(いわみず ちかもと)。巌水流華道家元の彼が病室まで赴いた時、僕は確信した。彼女は僕がなりたかった天才そのものなのだと。」


愛花「静華さん、譲の花また見たいって言ってたよ。」

譲「静華として見たいんじゃないよ。母親としての慰めなんだ。」

愛花「譲のが見たいんだと思うよ。」

譲N「僕が幼い頃無理矢理教えられた生け花。残念ながら才能はなく、賞は一つも取れたことはなかった。それなのに母は未だ僕に花を生けろと言う。」

愛花「ねえ。あの病室で見た私の花、覚えてる?」

譲「うん。衝撃的だったからね。」

愛花「どう思った?」

譲「うーん。カラメルみたいな」

愛花「ん?」

譲「甘いのに苦くて、蕩けるのに粘つく」

愛花「詩人。」

譲「何を思って生けたの?」


愛花「さわちゃん。」


譲「…」

愛花「治療する前、本当にぐちゃぐちゃだったの。私の指。爪も綺麗に生えてこないし、変に曲がっちゃったし。みんなこの手、嫌いだって避けられてた。」

譲「うん」

愛花「でもね、さわちゃんは違ったの。この手を引いて私に言ったの。“おいでよ、私を信じて”って一緒に遊んでくれた。」

譲「…」

愛花「私本当に嬉しくて。こんな人になりたいって、思った。優しくて明るくて。こんな人ならお母さんも喜んでくれたのかなって。」

譲「そっか。」

愛花「だからあの日は、さわちゃんに早く会いたくて。あの花も見てほしくて。」

譲「原野さん、お見舞い来なかったじゃん。」

愛花「でも、もし来たら見てくれるかもしれなかったから。」

譲「…あんなに綺麗だったのに、残念だね。」

愛花「いいの。退院お祝いしてくれたし。」


譲N「僕が憧れた天才、僕が手に入れたい彼女は、いつも誰かを見ていた。」


____________


譲「愛おかえり。」

愛花「…ただいま、譲。」

譲「…なんかあった?」

愛花「ううん。」


譲N「愛花は少し変わった家族のもとに生まれた。父親は代々家族で花屋を経営し、母親は画家として活躍していたそうだ。愛花が産まれるまでは慎ましく暮らしていたと聞いた。」


譲「夜ご飯適当に作っちゃった。ランチ何食べた?」

愛花「食べなかった。」

譲「え?原野さんと喧嘩した?」

愛花「ううん。してない。」

譲「…なんかあった?」

愛花「…」

譲「…シチューあっためるから、先に食べよっか。」

愛花「うん。」


譲N「愛花が産まれて、彼女の母親は一変したそうだ。産後全くと言っていいほど絵が描けなくなったという。そのせいで少しずつ精神を病んでしまったと、愛花の父親は言っていた。小学3年生の時、工作の授業で愛花はとある賞をとった。これがきっかけとなり母親からの虐待が始まったという。」


譲N「初めて会ったあの病室。彼女の指を手術するほどまでに変えたのは紛れもない彼女の母親だ。爪を剥ぎ、指を叩きつけたという。二度と創作ができないように。」


譲N「そんな家庭環境を知った僕の母は、多額のお金を払って彼女を家から引き離させた。」


母(譲)「譲さん。この芽は枯らしちゃいけないわ。あなたなら分かるでしょう。運が悪かったら指を切り落とされていたかもしれない。あの子の感性は本物よ。こんなところで終わらせてしまってはいけない。うちで巌水流を、」

譲「母さん。閉じ込めちゃ彼女は枯れちゃうよ。」

母(譲)「でも、あの子の才能が」

譲「母さんは、僕の代わりがそんなに欲しいの?」

母(譲)「な、なに」

譲「そうやって閉じ込めて僕みたいに花を嫌いにさせるんだろ。」

母(譲)「譲さ、ん」

譲「もう何も奪わないでくれよ。」

母(譲)「っ、」


譲N「僕は彼女を自由にさせるために、実家と契約を結んだ。僕を繋ぎ止めておくために母が考えたことだろう。僕は父親の望む会社に入り、そこで企業情報を横流しし続けることと愛花の身の回りの世話。そして、愛花には巌水燈として仕事をさせるということが自由の条件だった。」


愛花「譲?」

譲「ん?」

愛花「考え事?」

譲「ああ、うん。おいしい?」

愛花「うん。」


愛花「ねえ、譲。」

譲「なに?」

愛花「ごめんね。」

譲「なんで謝るの?」

愛花「本当は譲だって、やりたい事もあったでしょ?私なんかの為に、」

譲「一緒に住んでる事言ってる?」

愛花「それもだし、家事とかも全部…」

譲「家の事やるの好きだしさ。実家戻るより愛花といる方が気遣わないから僕は助かってるけど。」

愛花「本当?」

譲「うん。本当。」

愛花「…好きな人とは進展、どうなの?」

譲「…進展ないよ。」

愛花「片想い辛いね。」

譲「うん。」


譲N「自由なんかなくてもいい。彼女の特別に、僕はなりたかった。」


____________



愛花「おか、えり。」

譲「ただいま。」

愛花「早かったね。」

譲「うん。仕事ボイコットした。」

愛花「しないくせに。」

譲「テイクアウトしてきちゃった。」

愛花「…私が変なメッセージ送ったから?」

譲「ううん。ちがうよ。帰りたかったしさ。」

愛花「…ごめん。」

譲「ほら、プリン買ってきた。食べよ。」


譲N「定時よりもずっと早い時間に帰宅したのは、愛花から“もう無理かも”というメッセージがきたからだった。たったそれだけの言葉に僕は酷く期待した。」


愛花「何プリン?これ。」

譲「かぼちゃ。」

愛花「おいしい。」

譲「愛かぼちゃのお菓子好きでしょ。」

愛花「うん。すき。」

譲「うん。」

愛花「譲は私のことよく知ってるね。」

譲「まあ、その辺の男よりは愛のこと知ってるよ」

愛花「…よかった。譲もずっと片想いだから話しやすい。」


譲N「よくないよ。僕は君の不幸を期待したんだ。」


愛花「私、男に生まれてたらよかったのかな。」

譲「…」

愛花「でもどうせだめだね。友達でも一番になれないんだからさ。恋人なんてきっと無理だよ。」

譲「愛はいつもそう言うね。」

愛花「え?」

譲「佐和子ちゃんとなんかあった時。いつもそれ言う」

愛花「だってさあ」


譲N「もう僕にしなよって。慰められるのを期待した」


愛花「だって、ダメなんだあ。私、何にもなれないんだもんなあ。」

譲「愛だって佐和子ちゃんの友達じゃん。」

愛花「それじゃダメなんだよ。強欲だって思うけどさ、特別になりたいんだよ。友達なんてたくさんいる中の内の1人でしょ。そんなんじゃ、そんなんじゃさ」

譲「愛…」

愛花「嫌われるほうが、マシだよ。」


譲N「いっそ嫌われて、僕の方を見ればいい。君が僕を選んでくれるならなんだってするのに。」


愛花「…やっぱりやだ。嫌われるくらいなら死にたい。」

譲「僕が一緒に死んであげるよ。」

愛花「え」


譲N「あまりにも自然に出た言葉に僕自身が驚いた。彼女の開いた瞳にそっと誤魔化す言葉を添える。」


譲「嫌だろ?じゃあ一緒に生きてよう。」

愛花「うん」

譲「…大丈夫だよ。」

愛花「うん」

譲「うん」


譲N「彼女の才能への嫉妬と、彼女への嫉妬。どちらが重いのだろう。特別になれない僕の心はずっと、黒くて重たい何かでいっぱいだった。」


_________


譲「もしもし。はい、変わりなく。」

愛花N「たまにかかってくる電話。」

譲「はい。人事には断りを入れておりますので昇進もなく今年も同じ部署かと思います。」

愛花N「相手はきっと譲のお父さんだ。まだ私は会った事がない。いつもは優しい彼の目がこの電話の時は全く違った。」

譲「…愛ごめん、長引きそうだから、先食べてて」

愛花N「そう言って食事の席を立ち、ベランダに出て続けられる会話。窮屈そうに話す顔だけ部屋の明かりに照らされていた。」


愛花N「いつも私の話を聞いてくれる彼は、あまり自分の話はしなかった。共感はしてくれるのに、共有はしてくれない。」


愛花N「でも、その関係がぬるくて心地よかった。」


譲「ごめん、あ、食べててよかったのに。」

愛花「そんなに待ってないよ。」

譲「そう?」

愛花「うん。」

譲「じゃあ、いただきます」

愛花「いただきます」

譲「、うま。これ本当に美味いよね。」

愛花「ふふ。」

譲「ん?」

愛花「ううん。何でもない」

譲「ほら、愛も食べて」


愛花N「さっきまで凝り固まった顔をしていたのに、たった一口の卵サンドでいつもの優しい目に戻る。私はこのぬるま湯にずっと浸かっていたかった。」


___________


譲N「濃紺のワンピースに2連のパール。普段より長いまつ毛の奥で薄い涙の膜が揺れていた。」


譲「あの花籠。完成したの?」

愛花「うん。さわちゃんの控え室に置くんだって。」

譲「随分時間かかってたね。」

愛花「…うん。」

譲「…綺麗だよ。」

愛花「ブバルディアっていうの。」

譲「十字架みたいな花だね。」

愛花「花嫁の為の花だよ。」

譲「何の罪を背負うの?」

愛花「…さわちゃんは、何も背負わないよ。」

譲「狡《ずる》いね。」

愛花「…譲。」

譲「ごめん。」


譲N「式の間、愛花の首で光るパールが僕に期待させる。彼女の恋の終わりを知らせる。それなのに」


…………


譲N「扉を開けると、白い花びらが引きちぎられ土が床に散乱した部屋の真ん中に濃紺がうずくまっていた。」


譲「愛。」

愛花「っ、」

譲「片付けしてるんじゃなかったの?」

愛花「わ、たし」

譲「うん」

愛花「この花ね、っ紗栄子ちゃんに見せるために作ったんだよ」

譲「…うん」

愛花「私が紗栄子ちゃんだったらね、結ばれてたんだ」

譲「うん」

愛花「なれなかった、」

譲N「期待していたはずの彼女の不幸は見るに耐えない痛々しいものだった。自ら床に叩きつける両手は初めて会ったあの日を思い出すようで、」

愛花「私じゃ、なれなかった」

譲「愛。」

愛花「譲、私じゃダメだった」


譲「愛。僕ね」


譲N「その手をどうか僕に引かせてと。」


譲「愛が好きだよ。ずっと、愛が好きだったよ。」


愛花「ゆ、ず」

譲「ずっと愛の特別になりたかった。」

愛花「…やめ」

譲「愛してるよ。」

愛花「やめて」

譲「愛してる」

愛花「やめてよ!」

譲「愛。」


譲N「僕がようやく吐き出した愛の言葉は彼女をすり抜けていく。」


愛花「…しにたい」

譲「うん。」

愛花「譲」

譲「うん。」

愛花「ねえ」

譲「なに?」

愛花「一緒に死んでくれるんでしょ」

譲「…いいよ。」

愛花「溺死がいい。」

譲「うん。」

愛花「最期くらい満たされて死にたい」

譲「僕が満たすよ。」

愛花「っ、」


譲「愛花。いこう、」

愛花「…ごめんね」


譲N「君が僕を見てくれるその日が来るのを、僕はいつまでも。」


________


愛花N「夜の海は、空まで飲み込む全部一色で。轟々と大きな声で泣いているようだった。テトラポットに黒い靴と白いスニーカーを並べ、踏み出すと冷たい波は足首を絡め取っていく。」


譲「冷たいね。」

愛花「そうだね。」

譲「寒くない?」

愛花「寒いよ」

譲「上着貸そうか」

愛花「なんで?」

譲「え?風邪ひいちゃうでしょ」

愛花「死体は風邪ひかないよ」

譲「あ、そっか。」

愛花「ふふ、変な譲」

譲「馬鹿にしたな」

愛花「したよ。」

譲「死んでも付き纏ってやるからな」

愛花「…付き纏ってよ。」


愛花「次は、私も好きだって言うから。」


譲「愛花。いこう、」

愛花「…ありがとう。」


譲N「離れないように、そうお願いして僕が結んだ黒い布は血が滲むほど強く手首を締め付ける。」


愛花N「水面が首までくると後はあっという間だった。ごぽごぽ口から漏れるあぶく。その音はなぜか“許して”と聞こえた気がした。それが嬉しくて、ただ嬉しくて。重い鉛がやっと外れたような気がして隣の譲を見てこう言った。」


愛花「“ ”」(演者のあなたが台詞を入れて下さい)


譲N「ゆらゆら漂う僕らを結ぶ黒い布。最後に見えたのは彼女の笑顔だった。」


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慕標 有理 @lily000

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