第37話 綾瀬里香
「ま、枕が……あああああ…………」
「ほ、ほら。もう一個あるから。ちゃんとあげるから。ごめんな? シホヒメ」
可愛らしい大きな目から大粒の涙をぽろぽろ流すシホヒメ。
まさか枕をリンが強奪するとは思わず、目の前で気持ちよさそうに眠っているリンの姿に驚いてしまう。
二つ目の枕を取り出してシホヒメに渡すと、大事そうに抱えたまま、リンが眠っている枕を見つめていた。
ここまで悲しむとはな……まぁ、シホヒメの目的がこの枕である以上、一つでも無駄にはしたくないはずだ。
「今日……ひくっ……初めて……ひくっ…………連続で……安眠を……ひくっ……」
「そうだったな。連続で安眠したのは随分と久しぶりだったもんな」
泣いているシホヒメの頭を優しく撫でてあげる。
「もう誰も奪わないからここで眠っていいから」
「う……う…………」
シホヒメを優しく移動させて俺の布団で眠らせた。
枕に横たわると嘘のように眠りについたシホヒメだが、その目元にはまだ涙が残っている。
ティッシュで涙を拭いてあげた。
「陸くん?」
「綾瀬さん。バタバタしてすいません」
「ううん。それよりもどこで寝るの?」
そう言われると、寝れる場所がないな。布団もシホヒメの分しか買ってなかったから、そこでリンが寝ると俺の布団がなくなる。
「まあ、今日は床で――――」
次の瞬間、かばっと俺の手を掴んだ綾瀬さん。
「綾瀬さん!?」
「う、うちに来て! 布団はないけど、ソファーがあるから! 陸くんなら余裕で寝れるくらいサイズだし、私は自分の部屋で寝るから! 襲わないから!」
最後ちょっと何言ってるのって感じだけど、何となく親切からの提案なのが分かる。
「わ、分かりました。でも本当にいいんですか? 俺、一応男ですけど……」
「いいよ! むしろもっと来て! 毎日来てもいいから!」
お、おう……ちょっと目が怖い。
「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」
「っしゃ~!」
綾瀬さんが謎のガッツポーズをする。
最近綾瀬さんの行動が意味不明すぎるが、背に腹は代えられない。
家を出て、すぐ隣の綾瀬さんの家に入った。
「お邪魔します……」
入ってすぐに柔らかい香りが出迎えてくれる。
女性の家に入るのは初めてだけど、女性ってみんなこんなにいい匂いなのか?
綾瀬さんに誘われて中に入ると、リビングは綺麗に整理整頓されゴミ一つなく、中に入るとリビング同様に綺麗で、可愛らしい大きめな絨毯にテレビ、ソファーなど部屋にが並んでいる。
それにしても彼女が言っていた通り、ソファーがやけに大きい。四人が並んで座っても問題なさそう。
「陸くんの布団持ってくるね」
「あ、手伝います!」
綾瀬さんが開いた押入れの中から布団用の毛布を受け取る。
「あれ? 綾瀬さんはどこで寝るんです?」
押入れの中には掛布団はあっても敷布団はなかった。
「えへへ……実はいつもソファーで寝てて。あれソファーベッドなんだ」
だからあんなに大きいのか。
綾瀬さんが器用にソファーを動かすと背もたれ部分が倒れて立派なベッドに変身した。
「い、一緒に寝ていいかな?」
いや、普通俺が聞くべき台詞じゃ!?
「本当に大丈夫です!? 俺「うん!」一応「うん!」男「うん!」」
「大丈夫!」
俺、一応、男に合わせて気持ちよく返事する綾瀬さん。
ここまで来てしまったし、仕方ない。
仕方なく(?)ソファーベッドに横たわると、俺の隣に綾瀬さんも入って来た。
大きいので二人でも十分に距離が取れる。が、この距離で女子と寝るのは健全な(?)男としては色々辛いものがある。
綾瀬さんって美人さんだし、ここまで人との距離が近いなんて大丈夫か?
明かりが消えて、暗闇に包まれた部屋の中、綾瀬さんの小さな息の音が隣から聞こえてくる。それがまたくすぐったい。
「あの。綾瀬さん?」
「うん? うん?」
「どうして俺の方を向いて寝るんです?」
「え、えっと、私って左を向かないと寝れないから」
「それなら寝る場所を変えますか?」
「えっ!? う、ううん! 私はこれで大丈夫れす。これがいいれす!」
おいおい…………。
「はあ、わかりました。――――綾瀬さん。どうして俺達兄妹にこんなに優しくしてくれるんですか?」
「へ? そ、それは…………」
「あの院長があの部屋を使わせたのは綾瀬さんの頼みだと言ってましたよね。しかも一年期限付きとか」
「…………陸くんって覚えてないんだね?」
「え? 覚えてない? 何をですか?」
「ううん。何でもない。それより、そろそろ寝ないと明日、リンちゃんに怒られるんじゃない? 起きたら陸くんがいないと暴れるかもよ?」
「!? そう言われてみるとそうですね。急いで眠ます」
リンが暴れたら大変なことになりそうなので、寝ることに集中する。
気が付けば、いつの間にか眠りについた。
「…………えへへ。こうして君の隣で眠れるのは幸せだね。えへへ」
綾瀬は手が届く距離にいる陸を愛おしそうに見つめた。
◆
一年前。
綾瀬里香は――――ホスト狂だった。
美女であり恋愛に不自由はしないと思っていた彼女だが、実は極度の男性嫌いであった。
看護師として普通の人よりも給料が高かった彼女の恋愛を心配した友人が、ホストに連れ出したのが始まりだった。
男は嫌いでも、女性に対して紳士的に対応するホストに彼女はどっぷりとハマり始めた。
そして気が付けば、有り金全てを注ぎ込むくらいにハマっていた。
しかし、相手は彼女のことをお客として見ていたため、貯金を使い果たし彼女の居場所がなくなった。
辛い現状に耐えられず、いっそのこと死んでしまおうとした。
「お姉ちゃん。それはやめとけ」
橋の上から川に身投げしようとしていた彼女の後ろから声が聞こえてきた。
その声には得体の知れない悲しみが込められ、綾瀬は思わず後ろを振り向いた。
そこにはボロボロになった服に、今にも倒れてしまいそうな青年が立っていた。
「死にたい気持ちは分かる。でもお姉ちゃんが死んだら悲しむやつが絶対いるだろ。それに生きたいと思っても生きられない人もいる」
止めるなら物理的に止めるはずなのに、彼は少し離れた場所から、ただ諭すように言葉だけを投げかける。
「あ、あんたなんかに私の何が分かるのよ!」
「ああ。分かるはずもない。でも少なくともお姉ちゃんが――――酷く悲しんでいることなら分かる」
男の言葉に綾瀬は思わず涙を流す。
「生き続けろとは言わない。それくらい悲しいことがあって、生きづらい世の中なのも分かる。でもこの世界にはお姉ちゃんの助けを求めている人だっているんじゃないか? 俺みたいに弱くても俺の帰りを待ってくれる妹がいるし、あいつのためなら俺は死ぬまで頑張るつもりだ。こんなクソみたいな世の中だけどな」
「妹……?」
「ああ。ダンジョン病だ。俺がいなければ、妹は無限の地獄で意識があるまま一人ぼっちで過ごすことになる。ただやられるがままにな。お姉ちゃんは自分で歩ける足がある。まだ歩き切った訳じゃないだろ。そこがお姉ちゃんのゴールじゃないはずだ。だったら、もう少し自分の足で歩いてみなよ。きっとお姉ちゃんを求めている人はたくさんいるはずだ」
そう言い残した男は「じゃあな。死んで楽するより生きて足掻いた方が相手にも復讐できると思うぜ~」と言い残し、その場を去って行った。
助けられたわけじゃない。なのに綾瀬の中で彼がどんどん大きくなって、彼の言葉に突き動かされた。
彼女は死ぬことを止めて前を向いて歩き始めた。
自分の助けを求めている人の下へ――――
それから一年後。
彼女は自分の助けを求めていた男の寝顔に優しく触れる。
「ふふっ。私がずっと守ってあげるからね。
綾瀬にとって、エムこと陸は――――新しい心のホストとなったのだ。
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