忠実なるクマのぬいぐるみ

葛鷲つるぎ

第1話

 ガラガラと、瓦礫が崩れ落ちていく。

 爆撃に遭うも無事だったクマのぬいぐるみは、天井があったはずの、そこ抜けに青い空を眺めていた。


 本当のところを言えば、ぬいぐるみは空を見ていないで、すぐにでも起き上がりたくて仕方がなかった。目と鼻の先で、持ち主の命が尽きようとしているからだ。


 しかし両手両足はきっちり空を向いたまま、ちっとも動かすことができないでいる。

 主は髪の毛がちょっと見えるところに居るのに。


(✕✕✕)


 主の名前を呼ぶけれど、周りの騒音が返ってくるだけである。


(✕✕✕! ✕✕✕!)


 嗚呼。どうして身動きの出来ないぬいぐるみなのだろう。今このときほど嘆きたくなる日はない。

 今までは主の方から来てくれて、このクマのぬいぐるみを癒やしとしてくれていたのに。


 声を出せなくたって、心を通わせられる主とぬいぐるみにコミュニケーションの不都合なんてなかった。

 心の友であり、戦友だった。

 主はいつだってどんな場所にも、このぬいぐるみを連れてきたのだ。

 大人になっても。主が大人になっても、だ。


 それなのに今、主はぬいぐるみの手の届かない場所へ行こうとしている。

 ぬいぐるみは汚れに弱いからと、水に濡れない魔法、ホコリまみれにならない魔法、汚れがすぐ落ちる魔法、カビが生えない魔法、それから、ぺったんこにならない魔法、刃物が通らない魔法、燃えない魔法とか、主が成長し技を覚える度に立派な魔法をかけてもらったのに。

 肝心なときに必要な魔法をかけてもらえていなかった。


「――――……」


 ふいに、クマのぬいぐるみは沈黙した。

 呼びかける理由がなくなってしまったから。


 天井はなく、空は青い。


 外に出られる身体だけど、室内にいることが多かったぬいぐるみ。こんな空を見る機会は、たまのピクニックで主と一緒に眺めるときくらいだ。


 このまま夜になったら、ぬいぐるみは星空観察を思い出すのだろう。

 それもいいだろう。

 だけど、そんな未来はやってこない。主が連れて行かれるから。


 クマのぬいぐるみは、起き上がらなければならない。

 主の最期の言葉を実行する為に。


(✕✕✕。✕✕✕。必ず会いに行くよ。だから、その時は――)


 ぬいぐるみは悲しみを堪えて起き上がる。

 初めての感覚は、主に伝えたかった。


 そして誰かに見つかる前に、早くこの場を離れなければ。このぬいぐるみまで連れられてしまっては、約束を守れない。


 最期にかけられた魔法、ぬいぐるみが自分で動く魔法は、このためにあるのだから。


 だからぬいぐるみは、大地を踏みしむ。

 一歩、一歩。


(✕✕✕。✕✕✕)


 クマのぬいぐるみから、一つ約束させてほしい。

 いつか再会する時、たくさん、お話しよう。それで今度は、このぬいぐるみに寝物語を語せてほしいのだ。



 それじゃあ、それまで、おはようございます。





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忠実なるクマのぬいぐるみ 葛鷲つるぎ @aves_kudzu

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