第5話 悪銭身に付かずってね!
首に突き付けられたナイフがルウシェの白い肌に触れると、一本の線となってツーと真っ赤な鮮血がしたたり落ちる。
「貴様ぁーーーッ! その女を今すぐ開放しろ!」
「ハァァ? あなた、バカですか? この状況でそんな要求を呑む訳がないでしょう? ただ、この女は殺すにはちと惜しい。この美貌と、何よりも私たちを出し抜いたその力。見世物として最高の素材になり得る。もし逆らったら風俗にでも売り払って金にすればいいですし」
ディーニョの言葉を聞いて、ミロンは怒りで肩を震わせた。蒼い目から青白い光が漏れて剣を構える。
「おっと! 近づいたらこの女を殺しますよ。これは脅しではありませんからね」
「クゥッ……」
その言葉を受け、ミロンは顔を歪ませながら剣を下ろす。すると、先ほどトドメを刺し損なった男が両手を組んでミロンの後頭部目がけて背後から叩き落した。
「ぐあっ」
「調子に乗ってんじゃねぇぞ、この無駄にイケメンが! お前はあとでアタイたち全員でぐちゃぐちゃに可愛がってやるから覚悟しておけ」
チラリと声の方を見やると、髭男色の男は涎を手で拭い不気味な笑みを浮かべていた。
動けばルウシェが殺される。しかし、このまま大人しくしていても状況が好転するとは思えない。ミロンは次第に思考停止に追い込まれていく。
「はぁ~、本当におバカさんばかりだね」
ルウシェが突然声を上げた。
「ハァ? 恐怖のあまり、おかしくなりましたか?」
「アタシはいたって正常だよ。ていうか、アタシが何の細工もしないでただこの場に乗り込んできて、バカみたいにギャンブルに興じていたとでも思うのかい?」
「……どういうことです?」
「いやぁ、事前の下調べでキミの系列店ではプレイに使用するカードは使い回していることはわかっていたからね。なぁに、とても簡単なトリックだよ。普通の人の目に見えないインクをつけていただけさ。アタシ以外は見えないインク」
「出まかせを! それに仮にインクが付いていたとしたって、偶然ロイヤルストレートフラッシュなんて役を揃えることはできっこありません」
「それこそ断言できるのかい? なんせ、アタシからはキミが持っているカードは丸わかりなんだよ。相手がフォーカードだろうが、それよりも強い役が完成していればオールインは当然の選択」
「チッ」
「アタシはカードが場に配られた瞬間にその全てを記憶するだけ。そうすれば、相手の手の中に収まって隠れても見えているのと変わりないし。このトリックならポーカーだろうがブラックジャックだろうが、見えていれば期待値の偏りが起こったとしてもトータルで負けることはあり得ない。店側がもっと露骨なイカサマをしていない限りはね」
少女の口上に誰も口を挟むことができずにいた。ミロンもその後ろで立ち尽くす髭男色の男も。
「でも、キミたちはアタシのイカサマを証明することはできないよ。だって、そのインクはアタシのこの目にしか見えないものだから。つまり、アタシがいない世界では、イカサマなんて起こってないのと同じことだよね。
一方で、店側のイカサマを見破るのは簡単だったよ。店内の客の勝ち負けの額の動きを把握すればいいだけの話。アタシにとってはブラックジャックのカウンティングをするくらいに簡単なこと。
やり口からして単にディーラーの仕業なのは明らかなんだけど、この店があくどいのは、時間帯によってイカサマをするゲームを変えていることだった。1時間前はポーカーとルーレットでイカサマをして、バカラは平常運転、みたいなね。イカサマを仕込んでいるのは同じディーラーだから、客も気づきにくかったと思う」
「黙って聞いていれば好き勝手にペラペラと……」
こめかみに青筋を浮かべて、ディーニョはナイフを持つ手に力を込めた。それを察知したのか、ルウシェはトドメとばかりに決定的な一言を放つ。
「男色ディーニョ。キミのさっきの自白は、アタシのスキル、〈
「……そんばバカな」
「悪銭身に付かずってね! 無作為に搾取しまくったお金は一生をかけてお客さんに返していくんだね。あとは牢獄の中で反省しなさーい」
その時、建物の階段をドタドタと駆け上がってくる足音が聞こえてきた。【バンッ】とドアが開かれると、そこには銀色の鎧に身を包んだ騎士たちの姿があった。
『王国自警団だ! 全員壁に向かって手を挙げろ!』
その姿を見た途端、ディーニョは手に持っていたナイフを離し床へと落とした。髭男色の一部の男たちは激しく抵抗を続けており、場は騒然としている。
「キミ、今のうちに逃げよう」
「え? どうして?」
「どうしてもこうしてもない。早く行くよ」
ルウシェはミロンの手を取ると大部屋の外へと連れ出した。急いで建物を飛び出すと、通りのわき道を入ったところにあるギルドのバーの扉を勢いよく開け、そのまま中に飛び込むように入っていく。
「ハァハァ……あっぶなかったぁ。でも、ここまで来ればひと安心」
「……俺にも分かるようにちゃんと説明してもらうからな」
しばらく経って落ち着くと、二人は4人掛けのテーブルに向かい合って座る。ルウシェが馴染みの店員に声を掛け、麦から作られた醸造酒であるエールとステーキとサラダ、その他にもグラタンや揚げ物、魚介の蒸し料理など、数多くの品を頼んでいる。
「随分と景気がいいな」
「うん、だいぶ勝ったからねー」
「いつの間にチップの換金を?」
「まぁまぁ、細かいことはおいおいってことでさ」
またはぐらかされてしまう。でもまぁいい。一時の勝利の余韻に浸るのも悪くはない。
「ところで」
「何だい?」
「いや、ずっと気になっていたんだが、あの土壇場でのロイヤルストレートフラッシュ。一体どういうことなんだ? あの役が揃うのは奇跡的な確率だってことは俺でも知っている」
「やっぱり気になっちゃう?」
ルウシェは両手に顎を乗せてニコニコしながら尋ねる。
「それはさすがにな。で、何が起こった?」
「なぁに簡単なことだよ。ディーラーと事前に取引しただけ」
「取引だって?」
「そう。あの店のイカサマがディーラーによるものだってのはわかっていたからね。だから、ディーラーに言ったんだ。『イカサマの証拠は押さえた。この店はいずれ摘発される。だったら潰れる前にアタシと取引をしないか』ってね」
「……ディーラーがそんな簡単に裏切るものなのか?」
「裏切るよ。方法は簡単。イカサマ店のディーラーというレッテルを貼られた人間がその後どういう末路を辿るのかをわかりやすく教えてあげればいいんだ。そうすれば後は勝手に自分の中でイメージを膨らませて恐怖に震える。で、頃合いを見計らって取引を持ち掛ける。リスクが報酬に見合うと判断すれば成立だね」
あっけらかんとした語り口とは裏腹に、ディーラーの気持ちを想像するだけでミロンは背筋が凍る思いがした。
「ちなみに報酬ってのは?」
「あぁ、アタシが獲得したチップ全部」
「はぁー!? 全部!?」
「うん、全部。だから確実にやるよ。なんせアタシが勝てばそのお金が自分のモノになるんだから。それに、ディーラーが仮に捕まったとしても、それだけのお金があれば出所後は一生遊んで暮らせる。きっと選択の余地はなかったんじゃないかなぁ。あ、譲渡の内容はちゃんと書面にしておいたから法的にも有効だね」
「そうは言うけどな。アンタが裏切らないって保証はどこにもないじゃないか」
「そこで役に立つのが権威性ってヤツだね。信用の裏付けって言ってもいい」
「アンタに何の権威が?」
「それは……っと、料理が来たね」
先ほど頼んだ料理が続々と運ばれてくる。まだ色々と聞きたいことはあったが、ミロンにはそれ以上に気になることがあった。
「あの……」
「なぁに?」
「俺も食べていいのかな……?」
「もっちろん! キミは頑張ってくれたからね。今日はアタシのおごりだぁ。それに食事は誰かと一緒に食べた方が美味しいよね」
「……あぁ、そうだよな!」
食事と酒が運ばれてくると、ミロンは我を忘れてがっついた。思えば、もう1か月以上もまともな食事を摂っていなかったのだ。
口いっぱいに美味しいものを頬張ると体中が幸せで満たされていくようだった。
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