第18話 愛読家と愛読

「どうして、私を殺さないの? そのためにここに来たのでしょう? 早くしないと、私がまた立ち上がるよ。立ち上がって、あなたを食べる。食べ尽くす。それでもいいの?」


「もういいんです。もう……」


 どうせもう、消える命だし。命なんて、もう捨ててしまったものなのかもしれないのだけれど。

 最後に1つぐらい善行を成せればと思ったけれど、結局は何も為せなかった。私はただ周囲に迷惑をかけるだけかけて、最後まで私の意思から逃れることはできなかった。自分の自我を押し殺すことは結局できなかった。いや、気づいていなかった自我なのだけれど。気づいていないふりをしていた自我だったのだけれど。


 最初からずっと、私は。彼女を見たあの時からずっと。彼女を好いているという意思に囚われている。元を辿れば、この感情のせいでこの状況を招いている。でも、この感情を消すことはできなくて。この感情に従ってしまった。どれだけ彼女が恐ろしくても、怖くても、人類の敵でも、悪い存在でも、私は結局、彼女が好きだったから。


「そう。そうなんだ。なら、少し話をしようよ」


 そう言って、彼女は私になけなしの魔力を渡してくれた。

 もう消えかけだった私の身体が再生を始める。無くしていた器官が、感覚が、気味の悪い音を立てながらゆっくりと再生していく。


「ど、どうして……」


 どうして私を助けるのだろう。私は、彼女を殺そうとしたのに。

 そんな私をなぜ。


「話をしようって言ったでしょう? 私は別にラトミちゃんを殺したいわけじゃないからね。ラトミちゃんは私を殺したかったみたいだから、私もそのつもりだったけれど、ラトミちゃんが殺すことを選ばないのなら、私も殺すことはない。ただそれだけだよ。

 言ったでしょう? 私、ラトミちゃんのことは結構好きなんだよ? できれば殺したくない。だから少し聴きたいなって。どうして私を殺そうとしたのか、どうして私を殺すのを辞めたのか、とか。前者に関しては予想できるけれど、後者に関しては予想が難しいよ。


 殺そうとしたのはあれでしょう? 私が人を食べたからでしょう? 人の血を、肉を食べたからでしょう? それが許せなかったんでしょう? 人である時の価値観が大きく残っているから、そういう思考になったんでしょう? いつかに死んでしまった、私が殺した眷属も同じようなことを言っていたよ。だから、そうじゃないかと思ったんだけれど。合ってるかな?」


 合っている。数十分前の私なら、数時間前の私なら、そう答えただろうけれど。それが答えだと答えただろうけれど。人を食べるのは良くない行為だと、それが人の敵となる行為だと思って、それを理由で、それを止めるために、私は行動したのだけれど。

 でも、今の私にはわからない。いや、想像していることはある。きっと、少し前の私が思っていたことは多少の言い訳でしかない。彼女達の、私達の言い分は結局のところ、いろいろ理由をつけて彼女に、人ではない彼女に攻撃したかっただけなんじゃないだろうか。私はきっと。


「多分ですけれど、私は許せなかったんです。許すことができなかったんです。他の人の血を吸っていることが。他の人を食べていることが。それは、その……私だけの特権のように思ってしまったんだと思います。だから、殺したくなってしまったんです」


 理由をつけるとしたら。理由を作るとしたら。こんな理由になる。

 本当に、理由とも呼べないぐらい、なんでもない理由になる。

 そんなことで、と彼女も呟いた。少し呆れたように。驚いたように。


「そんなことだと、思います。強いてあげるならという感じですけれど、それでも私にとっては大事な理由です。でも、それだけが唯一の理由なのかと言えば、そうなのかはわかりません。人として、許せなかったという気持ちだって、少しはあったといえばあったのでしょう。でも、それもすべて含めて私の気持ちなんです。それが私の動機なんです」


 次は殺さなかった理由を語らないといけないんだろうか。彼女の目はそう言っているけれど、あまり乗り気にはなれない。

 だって、彼女に告白まがいなことをしなくてはいけなくなる。いや、別に告白ではあっても、友達を好きというぐらいは、友達であれば当然なのかもしれないけれど。ここまで好きになった友達はだれもいなかったから、どうすればいいかわからない。


「その、どうして私を殺さなかったんですか」


 私は彼女の疑問の目から逃げるように、とっさにそう言った。

 私も疑問に思っていたことを。戦いながら疑問に思っていたことを。


「もっと簡単に、もっと楽に……それこそ私に殺されかける状況になることはなかったんじゃないですか? 本気でやれば、というか……なんというか……その、色々能力を使えば」


「……そうかもしれないね。けれど、ラトミちゃんにはそれはできないでしょう? 流体操作も、空中歩行も、瞬間移動も、空間操作も、物質変化も、肉体変質も、できないでしょう? 将来的にはともかく、今のラトミちゃんにはできない。最初の眷属と戦ったときには、使ったよ。全部使った。使って、勝った。圧勝した。でも、なんだか不公平な戦いだった。もちろん、殺し合いに規則なんてものはないけれど……それじゃあ、機会がないって思ったんだ。


 昔の私が研究所から逃げる機会を掴めたのは、その機会を生み出してくれた者がいたからで、そうやって機会をあげる者になれたらと思って、ラトミちゃんには機会をあげることにした。私を殺すことのできる機会を。

 もちろん、ラトミちゃんだからだよ? ラトミちゃんが好きだから、こうしただけで、他の人にも同じようにするかはわからない」

 

 これでいいかな。そう言って、彼女は口を閉ざした。

 つまるところ、私が曲がりなりにも彼女と渡り合えていたのは、彼女が自らに大きく枷をかけていたからということに他ならないということになる。わかっていたことだったけれど、なんだか自分が滑稽に見えてくる。結局は彼女が計らってくれたから、機会をくれたからでしかない。

 その機会も、さっき捨ててしまったのだけれど。


「それで? ラトミちゃんはどうして殺さなかったの?」


 そして、この疑問からは逃げられない。

 もうどうにでもなれと、言葉を紡ぐ。


「好きだからです。ただ、好きだから、殺せませんでした。殺せば、死んでしまいます。死んでほしくなくて。殺せなくて。でも、本当は殺すべきだったのだと思います。私が人なら。私が、私の中の言葉に従うなら。でも、私は感情を優先しました。私の、好きという気持ちを優先しました。だから、殺せなかったんです」


 恥ずかしかった。でも一度言い始めたら、どうにでもなれという気持ちも強くなってきた。それに、少し考えも生まれる。もしかして、今なら彼女を。


「私が、好きなんだ。もう魅了は切れているはずだけれど、それでも私を好きというんだね。これは、たしかに初めてかもしれない。今までの私に牙を向けてきた眷属たちは、人ではなくなって、魅力が効かなくなれば、私に牙を向けてきたけれど。いや、ラトミちゃんも牙を向けてきたのだけれど、それでも好きだと語るのは初めてだね」


 私の気持ちを聞いても、彼女は顔色ひとつ変えなかった。所詮、私は食べ物でしかないからだろうか。でも、それなら。


「最初は、綺麗だって思いました。いえ、今でも思っています。なんというか、ただ綺麗だと感じるわけじゃありません。でも、綺麗だと感じないわけでもなくて、その存在が綺麗だと感じて、だから、その」


 うまく言葉にできない。彼女が好きな理由なんて、何も思いつかない。いや、思い付きはするのだけれど、すべて正確ではないような気がする。正解ではないような気がする。

 でもなんでも良い。もう少し時間を稼ぐためにも、言葉を。


「私が綺麗? たしかに魅了が効きやすいとは思っていたけれど。そんな風におもっていたんだ。それが聞けて良かったよ。それでなんだけれど、これからどうするかって決めてる? 私としては、今まで通りに過ごしたいんだけれど。ラトミちゃんはどうかな?」


 彼女が私に優しく問う。もうさっきの殺し合いのことなんて、なかったことのような柔和な声で。でも、私はまだ忘れていない。私の心も。


「今まで通りに、ってことは人を食べながら過ごすってことですよね……私以外の人を。いろんな人を食べるってことですよね。それは、嫌です。嫌なんです。私だけを、食べてくれませんか。私以外の人なんて食べなくても良くないですか? 私は、美味しいんですよね? なら、私だけで」


 取り返しのつかないことを言っている。それは自分でもわかっている。わかってはいても、それを止めることはできない。もう口に出し始めたことを、言い終わったことを、なかったことにはできない。 

 もう私は自らの欲望に従うと決めた。私の好きなようにさせてもらう。私の好きなようにする。これ言えばもう後戻りはできない。


「それを私に求めるの? ラトミちゃん、勘違いしているなら言っておくけれど、ラトミちゃんは私の眷属なんだよ? 友達じゃない。ラトミちゃんは私に何か要求できる立場にない。もちろん、お願いなら聞くこともあるけれど、そんなお願いを私が許すことはないよ。私を縛るような願いは聞けない。私を縛れるのは、私だけ。そんな自由を得るために、あの研究所という檻を壊したんだから」


 そこの言葉は予想通り冷たいものだった。冷徹で、恐ろしいものだった。私への怒りを含んだものだった。

 断るのはわかっていた。

 だから、仕方ない。本当はこんなことはしたくなかったけれど……いや、こうしたかったのか。本当はこうしたかったのかもしれない。ずっと。


 魔力に力を籠める。彼女の中に眠る、私の魔力に。


「ら、ラトミちゃん……? なに、これ……」


 彼女が苦しみながら、胸を押さえて倒れこむ。血を吐いて、魔力がこぼれ出る。普段ならともかく、今の彼女には大きな損害なことは見ればわかる。元々身体を正常に保つので精一杯だったのだろうけれど、今はもう目を開けるのも難しいはずだ。


「忘れているのは、どっちでしょうか。今、私の魔力が身体の中にあるんですよ? 魔力を弄り放題なわけですよ? 元々の、本来の魔力の形が変われば、性質も変わります。私が変えます。私の都合の良いように。言ってましたよね。私がどうするか決めれば良いって。だから決めました。もう人は殺させません。もう二度と、私以外の人は食べれません。もう一生、私だけを食べて過ごすんです。魔力なんて、私がとってきます。いくらでもとってきます。だから、いいですよね? 私という檻に囚われてください。早速、私の血を飲んでください」


「な、なにを……言ってるの……?」


 彼女の目には困惑と、怒りと、恐怖が見える。

 何が起きているのか、まだわかっていないのだろう。でも、その顔も綺麗。綺麗で、優雅で、美しい。触れたら壊れてしまいそうだけれど、ついつい触ってしまいたくなる。


「もう今までのようにはできないってことですよ。すでに魔力上限を大幅に引き下げました。今までみたいに自由に行動はできません。普通の人に後れを取ることはないでしょうけれど、魔法が得意な人には負けちゃうかもしれませんね。でも、大丈夫ですよ。再生能力だけは私の魔力と共有してありますから。そう簡単には死にませんよ」


 死なせませんよ。ということでもあるけれど。

 それを察したのか、少しずつ彼女の顔が絶望で歪む。綺麗に歪む。


「ほら、早く食べてくださいよ。私を。私だけを」


 未だ苦しみ、倒れている彼女の口を強引に開け、牙に私の手首を当てる。暖かな痛みとともに、私の血が流れだす。私の魔力が流れて、彼女の中へと入っていく。


「美味しいですか? 私は美味しいですか? 美味しいですよね」


 彼女は涙を流しながら、美しく泣きながら、私の血を飲む。

 それを見て、とても喜びを感じる。ずっとそう感じていたい。


 私のせいで色々なことが変わった。私のせいで、多くの生徒は寝たきりのままだし、何人かの生徒は私が殺したようなものだ。そして、私のせいで、彼女はもう完全な状態になることはない。

 失敗したと言えばそうなのかもしれないけれど、私は私の好きな人を手中に収めることができた。私だけの彼女にすることができた。なんだか、もうそれでいい気がする。


「ラトミちゃん。あなたは殺しておくべきだった。あなたは毒だった。私を誘い、毒を喰らわせる者だった。変にあなたを食べたいと強く思った時点で、それを察するべきだった」


 彼女はそう語った。私の腕の中で。諦めて、受け入れた声で。

 彼女は私に縛られて以来、身体がとても小さくなった。今までは同年代ぐらいに姿だったけれど、今ではずっと子供に見える。多分綺麗というよりは可愛いと呼ばれる年頃なんだろうけれど、私には綺麗でしかない。


 彼女からは怒りと憎しみを向けられていたけれど、それももうない。人は慣れるものということなのだろう。私達は人ではないけれど。ほんの数日で私達は、今の状況に慣れた。


 教室の一席に座り、彼女と授業を静かに聞く。2人で一つの席に座っているけれど、周りの誰もそれを気にすることはない。そういう風に心理を誘導しているからだけれど。そういう結界を学校全体へと張っている。これも人ではないからこそできる芸当なのは言うまでもない。きっと彼女に抱いていたいくつかの違和感の答えはこれだろう。

 授業中に彼女がどこにいたのかとか、読書同好会なんて部活をどうやって存続させているのかとか、人がいなくなってもあまり気にされないのは何故かとか。


 あの時の私が何故咄嗟に彼女を縛りつけたのかというのは、あの時の私にははっきりと言語化できるものではなかったけれど、でも今ならわかる。

 彼女が私を好きではなかったからだろう。私を好きではなくて、どこかへ消えてしまいそうな彼女だったから。私は彼女を縛り付けることにした。


 彼女は私のことを好きだと言ったけれど、それはきっと食べ物として好きということに過ぎなくて、私が彼女に抱いている感情とは大きく違うものだろうから。それに気づいてしまったから、私は彼女を縛り付けた。


「ラトミちゃんは私を支配したくて、独占したくて仕方ないんだね。私はそれを許してはいないのに。それが酷いことだと、身勝手なことだと気づいている? 私も身勝手だったから、とやかく言うことはできないけれど」


「はい。気づいていますよ。でも身勝手で良いと、好きにすれば良いと思います。これが私の妥協点です。もちろんできることなら、こんなことはしたくなかった。でも殺したくはないけれど。他の人を食べてほしくもない。そのふたつを両立するには、これしか思いつきませんでしたから」


「それなら……仕方ない、かもね」


 彼女は自分に言い聞かせるようにそう言って、私の首筋に小さな牙を突き立てる。微かな痛みと高揚感が私の中を駆け巡る。私が食べられる。今の彼女に私を食べ尽くすことはできないだろうけれど、それでも少しずつ私という存在の一部が彼女の物となっていく感覚は、とても素晴らしいもので、何にも代えることはできない。


 こうして私は人外の彼女を、私程度に縛り付けられる者へと堕とした。私は、というよりは私達はというほうが正確なのだろうけれど。そして私も人を辞めて、彼女に食べられる者へとなった。もう人に戻ることはない。

 私はずっと彼女の食料として生きていく。彼女だけの食料として。そして彼女が私以外を食べることはない。

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どくか少女の終始間 のゆみ @noyumi

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