第15話 愛読家と天井

「食べ物。食料ともいうけれど。でも、これは、人は私たちにとって食べ物でしょう? あぁ、でも、これはあんまりおいしくなかったかもね。ラトミちゃんのほうが相当美味しいから、ラトミちゃんに頼めばよかったかな。一応疲れたんじゃないかと思って、避けたんだけれど。だってほら、昨日すごい傷ついていたから。今日は回復に専念するかなと思ったのだけれど、もうそんなに回復したんだね。

 その様子だと、やっぱり、遊びは終わったのかな? 私の眷属らしい力になってきているんじゃない? 今回のことで、いろいろなことを経験したし……血を吸うのは、ラトミちゃんだけだよ。ラトミちゃんというか、眷属からしか私は血を吸わない。

 普段の食事は、肉体ごと食べることが多いかな。肉体を食べてしまえば、魔力もとれるし。楽だからね。ラトミちゃんは、魔力を吸うことで身体を吸収していたけれど、面倒くさくない? まぁいいけれど。でも、私は違う。ただそれだけじゃない? あ、でも汚れやすいかもしれないね。まぁでも、すぐにこの血も魔力になって消えるから」


 そのままそこにある身体の欠片を、血の塊を、魔力の塊を、口の中に放り込んだ。当然のように、当たり前のように、自然に、食事をした。とても残酷な様子に見えたけれど、私には美しくて綺麗な様子に見えなくて。でも、それの光景はどう見ても、人を食べているようにしか見えなくて。


「ひぃっ」


 気づけば叫んで逃げ出していた。

 逃げて、走って。いつかと同じように遠くまで。

 疲れるまで走って、飽きるまで走って、暗い橋の下で、うずくまって、何かから、彼女から隠れるように、身を丸める。丸めて、自分の身体を抱きしめても、身体の震えは止められない。止まらない。まだ暖かい季節であるはずなのだけれど、寒気がしている。


 恐ろしい。怖い。

 彼女が、人を食べている彼女が怖いのではない。彼女が人を食べていることに、嫌悪感を抱いていない自分が怖い。コトリの言う通り、私の言う通り、私は人ではない精神になってしまっている。私はもう、人ではないんだ。


 いや、人ではないことはわかっていたはずだ。私はずっと人ではなかった。人であれば、私は今ここにはいない。あんな状況を、あんなふうに解決することはなかったし、あの状況を生み出すこともなかった。ロイラ、セグシアさん、サクちゃんの3人と会うこともなかったのだろうし、彼女達に私が取り付くこともなかった。コトリなんて、見かけることすらできなかっただろう。だからもう、私は人ではない。もう、人には戻れない。

 

 私は、人の敵になっている。

 わざとではないけれど、意図的ではないけれど、私は人類に存在を与える敵になっている。彼女と、私は変わらない。同じになんだろう。私が、今までやってきたことは、さっき彼女がやっていたことと同じ。人を傷つける行為。

 いや、それも気付いていたはずだ。気づけていたはずだ。それどころか、教えてくれていたはずだ。精読家が、セグシアさんが、私に教えてくれたはずだ。彼女のあの言葉も、私の意思が混じっているというのなら、私はきっと、そのことに気づいたのだろう。でも、私は、見ないふりをしていたんだ。私は、気づかないふりをしていた。


「それが、あなたの、私達の罪ってこと」


 でも、でも……そんなこと言われても。

 どうすればいいのかなんてわからない。


 どうあがいたって、私はもう人ではなくて、人に戻ることはできない。もう人として、死ぬことも生きることもできない。それなら、罪ですらないんじゃないの? だって、これが罪であるというのは、人としての価値観なのだから。私はもう人ではないのだから、罪を負えない。


「いや、罪は負わないといけないと思うのだけれど」


「私達の罪じゃないかしら?」 


 声が聞こえる。いるはずのない彼女達の声が、私の中から鳴り響く。

 そんなことを言われたって困る。私の罪、私の罪なの? 私は、私は何もしてない。私は……彼女に出会って……たまたま出会っただけなのに。人の心を持たないなんて言われても、そんなことは知らない。ただ生きていただけなのに。


「たまたま、ですよね。偶然ですよね。でも、私達なんですよ。私達が、したことなんですよ。その責任は、私達がとるしかないんですよ」


 でも。でも。

 そう言われても。

 私にできることはない。


「いや、あるでしょう?」


 ……できるのだろうか。できるとは思えないけれど。

 きっと、やるしかないのだろう。彼女達が、そう言っている。私が、そう言っている。私がこれをやらなくては、嫌だと言っている。人の敵のままではいられないと。まだ、人だった時の感覚に縋っている。まだ、私は人のつもりなんだ。


 だから、これからすることは私の意思。私達の意思。

 やってしまえばきっと、どうあがいても完全な結末はないだろうけれど。取り返しはつかないだろうけれど。でも、きっとあの時、セグシアさんを殺した日から。いや、もっと前から。私はもう取り返しの付かないことをしていた。私が彼女に人ではない者に変えられた日から。彼女と出会った日から。それより、前からかもしれないけれど。でも、明確に変わったのは彼女と出会って、関わった日からだろう。


 彼女と出会って、人ではなくなって。

 私は食べ物になった。彼女の食料になった。彼女に血を吸われて、私は喜んでいたけれど。でも、今は、あの行為が人の敵を生かす行為だった。私は人食いの化け物を、生かし続けるためのものでしかない。なら、私はもう彼女が誰の血肉も喰らわないようにしないと。

 彼女を殺さないと。


「やぁ。びっくりしたよ。急にどこかへと走っていってしまうから。いや、理由まで言わなくてもいいよ。少し、私も考えた。まぁ、確かに人を辞めたばかりのラトミちゃんに、さっきの光景は刺激が強すぎたかもしれない。それはごめん。謝るよ。でも、ラトミちゃんも1人食べているでしょう? あの、遊びの途中で。だから、あれぐらいなら大丈夫かと思ったんだ」


「遊び……あれがですか?」


「うん。だって、自分の力を切り分けて、与えた相手と戦っているわけだから、遊びじゃない……みたいだね。その様子だと。たしかに随分と大掛かりな遊びだとは思ったけれど、あれは事故だったのかな? それは余計悪いことをしたね。でも、いつかは慣れてもらわないと、私としても困るな。ラトミちゃんとは、これから永い付き合いになることを期待しているのだし」


 こうして話していると、彼女はやはり美しい。こんなに綺麗な存在が、私といることを望んでいてくれている。それに喜びを感じない私じゃない。私は、彼女のことが好きだし、できることならずっと話していたいと思っている。

 でも、彼女を殺さないといけない。


「あの、聞いてもいいですか? どうして、私を選んだんですか? 私を人ではない者に変えたんですか? 私を眷属にしたんですか? 私ではなくてもよかったはずです。私以外の人でも、良好な関係を……もっと良い関係を築くことだってできたはずです。でも、どうして私を?」


「うーん。これは私も不思議な事だったんだけれど、そうしたいと思ったからというのが最もな理由になるのかな。一目見たときから、ラトミちゃんを、ラトミちゃんの血を吸いたいと思ったんだ。本当は、眷属だって急いで作る必要はなかったし、ラトミちゃんを眷属にする必要だって、ないと言えばなかったのだけれど、でも、ラトミちゃんを眷属にしたいと思ったんだ。そうすれば、ずっと血が吸えるからね。

 今はそれだけじゃないよ? ラトミちゃんのことは気に入ってるし、折角だからずっと眷属でいて欲しいと思ってる。でも、あの時にラトミちゃんのことは何も知らなかったのだから、やっぱり理由は美味しそうだったからってことになるのかな」


「そうなんですね。もう一つだけいいですか。人ってなんだと思いますか?」


「人? うーん、食べ物かな。人じゃなくて、魔力を持つものはだけれど」


「そうですか。ありがとうございます」


 その言葉を聞けば、私も決意を強くできる。

 そう思って、彼女に向って、魔法を起動した。

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