第10話 精読家と正徳

「こんばんは」

「あら。ラトミさんじゃないですか。今日は途中で抜けてしまったようですけれど、何かあったのですか? 体調不良か何かではないかと心配していたのですよ?」

「大丈夫です。心配をおかけして、ごめんなさい。少し話をしませんか?」


 夜中。夜中と言っても、真夜中というほどでもないけれど。放課後の課外活動も終わり、帰宅路につくセグシアさんの前で、私は待っていた。

 彼女は私の誘いに快く応じてくれて、夜道を2人で歩くことになった。


「あの話は、本当なんですか? セグシアさんが、あの事件の犯人であるという話は」

「そうですよ。けれど、その言い方だと、私が悪者みたいですね」


「違うんですか? たしかにセグシアさんの言う通りなら、被害者の人たちにも問題があったのかもしれない。でも、やりすぎでしょう。明らかに」


「それは人によるんじゃないかしら。私は当然の裁きであると思うわ。自分の行いを裁きと呼ぶなんて、傲慢かもしれないけれど。けれど、誰も咎めないんですもの。彼らを悪だと言わないんですもの。責めないんですもの。なら、私がやろうと、私だけでもやろうとおもうのは当然のことじゃないかしら?」


「当然ですか……私はそうは思いません」


「でも、私はそう思うわ。そうしたほうが、少しでも世界が、社会が良くなると思ったんですのよ。悪い人が全員いなくなれば、それは素晴らしいことでしょう?」


「少しでも、悪いことをすれば、半殺しにしないといけないんですか?」


「そうね。だって、悪いことをした人というのは、悪いのだから、報復しないと。程度は関係ないわ。なぜなら悪いのだから」


「やっぱり、それには納得できません」


 彼女の足が止まる。

 ちょうどそこは広い公園で、あたりには大きな集合住宅が並んでいる。


「否定するのかしら。私を。私の正義を。邪魔するというの?」


「そう、ですね。ただ、やめて欲しいと思ったんです。そんなことしないでほしい。そう思ったんです。だから、ごめんなさい」


 体内の魔力を高め、魔法を起動する。魔力を読む魔法。

 魔力を読む魔法だと言っているけれど、これの本来の姿はそんなものではない。対象の魔力の具現化。可視化。そして、肉体と魔力の一時的な分離。これを使えば、彼女を動かなくさせることは簡単だった。簡単なはずだった。


「なにを、しているのかしら」


 魔力が分離しかけた瞬間、見ていた魔力に異常が起きた。魔力が膨れあがり、歪んで、彼女の言葉が響いた。それが、開戦の合図になる。


 彼女の強大な魔力が動き、少し離れていたはずの距離は一瞬にして消える。

 肉薄した彼女は、私に高速の肉弾戦を仕掛けてくる。それは明らかに人の速度ではない。人ではないと言えば、あの魔力も人のものだとは思えない。大きすぎる。


 何かあるとは思っていた。けれど、魔力を読んで、魔力の一部を食べてしまえば、彼女は大きく弱体化し、今までのようなことはできなくなる。彼女の正義を成す力を奪えば、止められると思った。でも、それはできなかった。

 何故かはわからないけれど、強大な魔力を分離することはできなかった。私の実力不足だろうか。いや、今はそれを考えるべき時じゃない。それより今は目の前の脅威を何とかしないと。


 セグシアさんの攻撃は速いが、目で追えないほどじゃない。人なら追えないだろうけれど、私は人じゃない。彼女の攻撃を躱す。受けることはできない。受けるのは、多分無理だろう。

 人ならざる者の先輩である彼女、私を人ではなくした彼女曰く、強度は低いと言っていた。強度が低いというのはつまり、攻撃を受ければ、壊れると言っていた。強度を上げる身体強化は得意ではない。そういう生物らしい。


「血まみれね。どうして倒れないのかしら、普通なら、通常なら死んでいるはずよね。別に殺す気はなかったから、それでよかったわ。もちろん最初は手加減してたわよ。でも、躱したでしょう? ラトミさん。普通は、普通の人は、躱せないわ。私の攻撃を。それも、もう終わりみたいだけれど、まさか躱さなくて良いなんて思わなかった」


 躱さなくて良いわけじゃない。躱せるなら、攻撃が当たらないならそれが一番だけれど、私はいつまでも躱せるほど戦いが上手じゃない。

 かなり魔力は漏れた。腹に穴は3つか4つ穴は開いたし、腕は数回ちぎれたし、足はなんども折れた。でも、私はまだ立っているし、腕も動く。腹に穴はない。


「再生ね。しかも魔法じゃない。なんなのかしら。わからないわ。それに、どうして反撃してこないの? 私の攻撃を、裁きを躱した時点で、ラトミさんが普通じゃないのはわかっているわ。私を止めに来たのでしょう? ならば、私を止めてみなさい」


「そうですけれど、別に戦いに来たわけじゃないです」


 私の言葉に彼女は笑う。


「今、私の魔力を奪おうとしたわね。私の邪魔しようと、私に危害をくわえようとしたわね。それが戦いではないというの? それが攻撃ではないというつもり? 攻撃よね。だから謝ったのよね。悪いことをするから謝ったのよね。ならあなたは悪者だわ。ラトミさんは、悪なのよ。私にとっての悪。だから、攻撃するのよ。

 そして、それはラトミさんにとってもそうではなくて? 相手が悪いからって、報復するのは悪だと言ったわよね。それとも私の大切な魔力を奪うことは報復ではないとでもいうつもりかしら。

 そんなわけはないわよね。つまり、あなたも一緒よ。私に実力行使を仕掛けた時点で、私と同じなのよ。そういう意味では気が合いそうだけれど、でも、今日でお別れね。こんなに危険な存在がいたら、私の正義がなせなくなってしまうもの。

 だから、ラトミさんは殺すわね!」


 強い言葉とともに、再度彼女の攻撃は激化する。

 けれど、私は彼女の言葉に気を取られていた。彼女と私は同じであるという言葉に。


 一緒? 私が?

 たしかにそうだ。

 私も、彼女も、どちらも嫌いなものを、否定したいものを、暴力で解決しようとしている。何も変わらない。彼女と。私がそれはだめだと思っていたことを、私は今、してしまっている。


「どうしたの? 反撃しないと死んでしまうわよ。再生も無限というわけではないでしょう? そんな覚悟で、そんな気持ちで、私の前に、私の正義の前に立ちふさがったの? 良い度胸ね」


 正義? 正義ってなんだ。

 そんなものがあるのか。

 私と彼女のどちらかが正しいなんて、そんなことあるわけがない。


 やりすぎた私刑をしたセグシアさんも。

 私がこれからすることも。


「なにを」


 私は彼女に噛みついた。

 噛みついて、血を吸った。

 セグシアさんの無数の攻撃を掻い潜り、いや掻い潜ることはできなかったけれど、無数の攻撃の中で血を吸った。魔力を吸った。魔力を喰らった。たくさんの攻撃が私の身体を痛めつけるけれど、私の再生能力を突破することはない。彼女の魔力だけが減っていく。


「ぁ、や」


 言葉にならない。少しずつ彼女の魔力がなくなり、すべてを吸い取っていく。彼女の自我を、自己を消していく。固有の思考をもった意思を内包した魔力を、無機質でありきたりなただの魔力へと変えていく。

 次第に肉体すらも魔力へと変えて、跡形もなく消えてしまう。ただ服や荷物だけが後には残った。私と彼女の決着は、そういう風になった。ただやられっぱなしだった私が、一度の反撃で全てを終わらせたという風に。


「これは自己のぶつかりあいです。セグシアさん。私達に正義なんてないですよ。どちらも自己をぶつけあって、お互いが許せなくて、私が残った。ただそれだけですよ。だから、ごめんなさい。きっとあなたも、間違えたわけではなかった」


 自分の、私の倫理観の、価値観の中でしか、物事を見れない。彼女の行動は常軌を逸していて、恐ろしいものに見えたけれど、私以外の目には、あれを是とする人もいるだろう。

 いや、私は彼女を、人を殺した。そう殺したんだ。


 冷静になってみても、あれ以外に方法は思いつかなかったけれど、あんなにも躊躇いなく実行できてしまった。私はそんなにも非情だったとは思いたくはない。思いたくはないけれど、何も思っていない。同族殺し、いや、私はもう人ではないから同族ではないけれど……だからだろうか? 同族ではないから、こんな簡単に話したことのある人を、友達を殺してしまったのか。


 私は非情になっていっているところなんじゃないだろうか。非情というよりは、人の精神を捨てていってしまっているんじゃないだろうか。おかしい。色々あっていない。何かが起きている。私が人ではなくなったあの日から、異常が起きている。いや、私が人ではなくなった時点で、何かは起きているのだけれど、それ以上の何かが。


 さっきのセグシアさんも、きっと元はなんの変哲もない人だった。何かが起きている。彼女の膨れ上がった魔力の中にある異常は、ロイラの中にあった魔力異常と同じだった。いや、混ざり合い方や、結合方法には違いはあれど、きっとあれは同じものだろう。


 同じ何かが、彼女達に影響を与えた。

 きっとそれも人ではないもの。

 そしてそれをみすみす見逃せるほど、私はまだ人を捨ててはいない。

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